最後の丘を越えると、草原の彼方に、なつかしいザールブルグの城壁がかすかに見えてきた。
馬車をひく馬も、心なしか脚を早めたように感じられる。
「わぁ、やっと見えてきた・・・。久しぶりだなあ」
窓から身を乗り出して、目を輝かせたエリーが歓声を上げる。
「ほんとね。・・・ちょっと、エリーったら。夢中になって、窓から落ちないでよ」
そう言うマルローネも、エリーに負けないくらい首を突き出して、刻一刻と近づいてくる町並みを見つめている。
「あの〜、嬉しいのはわかりますが、他のお客さんがあきれてるんですけど・・・。だめだ、聞こえてないや」
かごに寄りかかって床にちょこんと座った虹妖精のピコが、ため息をつく。長い旅の間中、このふたりの錬金術師に付き合ってきたピコだが、いまだに気の休まる時がない。
(ふたりとも、もう少し落ち着いてもいいと思うんだけど・・・)
ふたつの弾む心とひとつの悩む心を乗せて、馬車はザールブルグの外門へ向かって進んで行く。
停車場に着き、大きな荷物を抱えた商人や白装束の巡礼者が三々五々、散っていくと、その場にはエリー、マリー、ピコの3人だけが残った。
「さて、これからどうするの? あなたの言葉に甘えて、あたしも着いて来ちゃったわけだけど」
と、マリー。
「まず、飛翔亭に行ってみましょうよ。同窓会の会場も飛翔亭だっていうし、あそこへ行けば、いろんな情報も手に入るし、冒険者のみんなにも会えるかもしれないし。・・・でも、ちょっと寂しいな。フレアさんがいないなんて」
「ハレッシュさんと出て行っちゃったんですってね。シアも結婚しちゃったし。あ〜あ、あたしには縁のない話だわ」
「でも、それはマルローネさんが自分で選んだ道だって・・・」
「わかってるわよ。ちょっと言ってみただけ」
立ち話を続けるふたりを見上げ、ピコがおずおずと声をかける。
「あの〜、そろそろ歩きはじめた方がいいのでは・・・」
ふたりのおしゃべりが始まったら、そう簡単には終わらないのを、ピコは知っている。
エリーがわれに返ったように、
「あ、ごめんなさい、ピコ。そうだ、あなたもしばらく妖精の森に帰って来たら? また旅に出る時は呼ぶから」
「え、いいんですか」
「もちろんよ。友達にも長いこと会ってないんでしょ」
「じゃあ、そうさせてもらいます」
「元気でね。長老様にもよろしく」
「はい。それでは、また」
背を向け、妖精の森に向かって歩きはじめたピコだが、
(ふたりとも、あんまり無茶をしないでくださいよ)
と心の中で付け加えるのを忘れなかった。
職人通りに向かう道すがら、ふたりはおしゃべりを続けている。
「それにしても、いいタイミングだったね。ちょうど旅を終えてケントニスに戻ったところへ・・・」
「そう、ユーリカがノルディスからの手紙を届けてくれて。で、読んだら、同窓会をやるっていうじゃないですか。もう、帰るしかない、と思って。で、マルローネさんも一緒にどうかなって」
「いいのかな・・・と思ったけど、イングリド先生も懐かしいし、シアにも会いたかったしね。あれ、そこって、あたしたちが使ってた工房じゃない?」
「ほんとだ! 誰か住んでるのかなあ」
エリーが工房のドアに駆け寄ってノックをする。
「誰も出ないや。鍵もかかってる」
「でも、人が住んでる気配はあるわよ。ほら」
と、マリーが指さす先を見ると、軒先に不格好な木鶏がかかっている。
「あ〜、あたしが初めて作ったのより出来が悪いや」
「きっと、またイングリド先生の生徒が、特別試験を受けてるのね。ま、そのうち会えるかもね」
「そうですね・・・。そう言えば、ノルディスが手紙で、びっくりすることがあるって書いてたけど、何なんだろう」
「ま、それも行ってみればわかるわよ」
口を休めることなく、ふたりは歩き続ける。角を曲ると、酒場『飛翔亭』の看板が目に飛びこんでくる。
「ディオさんも、クーゲルさんも、元気かな」
エリーは足を速め、そのままの勢いで飛翔亭の扉を押し開ける。
「こんにちは! ・・・あれえ!?」
エリーはびっくりして声をあげた。
酒場の中は、以前とまったく変っていない。正面には酒の入った棚が並び、真っ白なテーブルクロスがかかった丸テーブルがいくつか。右側にはカウンターがある。
だが、カウンターの中には、ディオとクーゲルの兄弟の姿はなく、若い男女が忙しそうに手を動かしていた。手前にいた、大柄な男が顔を上げ、
「いらっしゃい! ・・・いよう、久しぶりだな。元気だったか」
奥にいた女性も、にこやかな笑顔を向ける。
「お帰りなさい・・・。良かった、ちっとも変らないわね」
エリーは目を丸くして叫んだ。
「ハレッシュさんに・・・フレアさん! どうして・・・」
「いや、話せば長くなるんだがな・・・ま、掛けろよ」
と、ハレッシュはふたりに椅子を勧め、自分も腰を下ろした。フレアがヨーグルリンクのグラスを運んでくる。
「あの後、落ち着き先を探して、ルーウェンのいる村へ行ったんだ」
「ルーウェンさん・・・。元気なんですか」
「ああ、あいつも両親が見つかって、一緒に暮らす決心をしてからは、剣を捨てて新しい土地を開墾してるんだ。そこなら、おれたちにも、土地や仕事があると思ってな。そこで、2年間、暮らした。そうしたら、その、何だ・・・」
ハレッシュがくちごもる。フレアが後を受けて、
「そうしているうちに、子供が生まれたのよ」
「えっ、そうなんですか! おめでとうございます」
「ありがとう。それでね、そのことを手紙に書いてお父さんに知らせたの。そうしたら、返事が来たの。『孫の顔を見せに帰って来い、帰って来なかったら親子の縁を切る!』ですって」
「それでな、子供を連れて戻ってきたんだ。そうしたら、ディオの親父さんもクーゲルの旦那も夢中になっちまってな。『もう出て行くことは許さん!』ときた。だから、こうして店を手伝ってるのさ」
ハレッシュが言葉を切ると、まるでそれを合図にしたかのように、店の奥から赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。しかも、どうやら泣き声はひとつではない。
「お〜い、フレア・・・」
声とともに、情けない顔をしたディオが、奥から姿を現わす。
「だめだ。カールもクラリスも、泣き出しちまった。頼むよ」
「はいはい、しようがないわね。じゃ、お父さん、カウンターをお願いね」
フレアがエプロンで手を拭きながら、奥へ消える。それを目で追ったハレッシュが、恥ずかしそうに言う。
「実は、双子なんだ。男と女の・・・」
「そうか・・・ノルディスが言ってた、びっくりすることがあるっていうのは、このことだったのね」
その時、扉がそっと押し開けられ、錬金術師のいでたちをした3人の男女が入って来た。
「マルローネ、エルフィール、よく帰って来たわね」
「イングリド先生!」
エリーとマリーの声が重なる。
「あなたたちの噂は、アカデミーでもよく聞きますよ。いい噂も、悪い噂もね」
と、イングリドはいつものよく通る声で言う。でも、目は笑っていた。
「お帰り、エリー」
昔ながらの落ち着いた口調で、ノルディスがにこやかに話しかける。しかし、アカデミー生時代の少年ぽさは薄れ、青年錬金術師としての風格が漂いはじめている。
「あ、ノルディス、手紙ありがとう。アイゼルも、久しぶりだね」
アイゼルは、ノルディスの後ろに隠れるようにしていたが、口調は以前と変らない。
「あら、エリー、あなたも変らないわね。成長してないっていう方が正しいかしら」
相変わらずの憎まれ口だが、その奥には深い友情がこもっていることに、エリーはとっくに気付いている。
ハレッシュはカウンターに戻り、新来の3人は空いた席に座った。ノルディスとアイゼルは、寄り添うように。
アイゼルの指に、青く澄んだ宝石がきらめいているのに、エリーは気付いた。マイスターランク卒業前のアイゼルの誕生日に、ノルディスが心をこめて調合し、贈った『精霊の夢』。
(そうか、ふたりとも、うまくいってるんだ。よかったね、ノルディス、アイゼル・・・)
エリーは心の中でつぶやく。
「それにしても、ノルディス、手紙に書いてもらった通りだね。ほんとにびっくりしちゃったよ」
「え・・・?」
とノルディスは怪訝な顔をして、言う。
「誰に聞いたの?」
アイゼルは、怒ったような、困ったような顔で、うつむく。
「え、誰にって・・・。ハレッシュさんとフレアさんが戻ってきてるなんて、思ってもみなかったし、しかも双子が生まれたなんて、ほんとに意外だったよ」
エリーの言葉を聞いたノルディスは、ほっとしたような明るい表情になった。
「なあんだ、エリーが言ったのは、そのことか。いや、ぼくがびっくりすることがあるって書いたのは、ハレッシュさんたちのことじゃなくて、別のことなんだ」
「じゃあ、他にもあたしが驚くことがあるわけ?」
「実は、そうなんだ・・・。その、つまり・・・」
ノルディスがアイゼルをつつく。
「君から言ってよ」
「何よ。自分から言うって、昨日はっきり言ったじゃないの」
「でも、やっぱり・・・」
ふたりとも、もじもじしている。
「どうしたの? らしくないなあ。言いたいことがあるなら、早く言えばいいじゃない」
エリーが急かす。それでも、ノルディスもアイゼルも黙っている。
マリーと話し込んでいたイングリドが、振り向く。
「まあ、言いづらいのも無理はないわね。実はね、エルフィール・・・」
と、声をひそめ、ささやく。
「アイゼルが、おめでたなのよ」
エリーは、一瞬、きょとんとした。が、真っ赤になってうつむくノルディスとアイゼルに気付く。
「え、おめでたって・・・え、え、え、ひええ〜〜!」
エリーの叫びは、飛翔亭の屋根が持ち上がるくらいに響いた。
「うそお! ほんとにぃ! やだ、おめでとう、どうしよう、あたし・・・」
祝福とも驚愕ともつかず、エリーの言葉は支離滅裂になってしまった。
ノルディスもアイゼルも、恥ずかしがる前にあきれて、逆にいつもの調子に戻っている。
「ちょっとエリー、落ち着いてよ」
「あ〜あ、こんなことで取り乱すなんて。修行が足りないんじゃないこと?」
と、再び扉が押し開けられる。
「ほお、ずいぶんとにぎやかじゃねえか。表まで、声が聞こえてたぜ。お前が帰ってくると、とたんにザールブルグが騒がしくなるってわけだ」
聖騎士の略式礼装に身を包んだダグラスは、扉の脇に直立し、後から入ってくる男を待つ。男の正体に気付いたハレッシュが背筋を伸ばし、敬礼する。
「あ、そんなに気を遣わないで。今日は、おしのびなんだから」
と、シグザール王国第9代国王、ブレドルフはにこやかにあたりを見回した。
その視線が、エリーとマリーにとまる。
「君たちが帰ってくると聞いて、いてもたってもいられなくなってね。こうして来てしまったよ。ふたりとも、以前は本当に世話になったね」
「はい、王子様!・・・あ、いや、今は王様か・・・。その節は、いろいろと生意気を言ってしまって・・・」
と、マリー。
エリーは、アイゼルが差し出した冷たい水を飲んでようやく落ち着いたが、まだ目を白黒させている。ダグラスが、その様子を見て、
「どうしたってんだ? ははあ、ノル公の話を聞いたな。お前にゃ、ちっとばかり刺激が強すぎたってわけか」
そのそばで、アイゼルがノルディスにささやきかける。
「もう、なんで同窓会だっていうのに王様まで呼んだのよ? これじゃ、みんな緊張しちゃって、落ち着いて話もできないじゃない」
「いや、あの頃のことを考えたら、やっぱり声をかけないわけには・・・」
「とにかく、なにか理由をつけて、早く帰ってもらうことね。それはそうと、あと、誰が来るんだっけ?」
「ええと、あとは、ヘルミーナ先生と、ミルカッセさん・・・。ロマージュさんは、ミューさんと一緒に旅の途中だし・・・」
その時、あわただしい足音とともに、息を切らせてひとりのシスターが飛び込んできた。
「あの、大変なんです!」
叫ぶと、そのまま床にへたりこむ。
「ミルカッセさん! どうしたんだ」
ハレッシュが抱き起こし、気付薬代りにワインを飲ませる。
ミルカッセは、いっとき咳き込んだが、われに返ると周囲を見回す。心配そうに見つめるエリーに気付くと、ほっとしたような表情になり、涙が浮かんだ。
「ああ、エルフィールさん・・・。いてくれて良かった」
「どうした、何があった?」
ダグラスが尋ねる。市民を守る聖騎士の血が騒ぐのだろう。
ミルカッセは泣きそうな顔になりながらも、落ち着いて、知らせを伝えた。
「実は、教会で預かっている子供たちを連れて、ピクニックに行ったのですが、一部のわんぱくな子供たちが、肝試しだといって、エアフォルクの塔へ入ってしまったんです」
「何だって! あそこは危険だ。怪物の巣なんだぞ。すぐに連れ戻さなきゃ」
「ちょうどそこに、ポリーさんが来合わせて、彼女も子供たちを追って塔に入っていったのですが、その時、塔の入口が閉まってしまったんです。
それで、わたし、どうしたらいいかわからなくて・・・で、エルフィールさんが帰ってくることを思い出して、ここへ。途中で、ヘルミーナ先生と行き会ったので、同じことを伝えました。先に塔に向かってくださっているはずです」
「そうか、わかった」
ブレドルフ王が、落ち着いて指示を下す。
「ダグラス、すぐに聖騎士を率いて塔へ向かえ。・・・こんな時、エンデルクがいてくれたらな」
「王様、仕方がないでしょう。隊長は王様の特使としてドムハイトに行っているんですから。隊長代行のおれに、どんと任してくださいよ」
ダグラスは張り切って飛び出して行く。
「あたしたちも行きましょう! ほうってはおけないわ」
「もちろんです!」
マリーの声に、エリーも弾かれたように立ち上がる。
「私も行きましょう。あなたたちふたりが揃ったら、何をしでかすかわかりませんからね」
と、イングリド。
「ぼくたちも行きます」
ノルディスも席を立ったが、エリーが止めた。
「だめだよ。ノルディスもアイゼルも、もう自分ひとりの体じゃないんだから。ミルカッセさんの世話をしてあげて」
「・・・わかったよ、エリー。でも、気を付けるんだよ」
「エリー、これを持っていって。あたしが調合した特効薬よ」
「ありがとう、アイゼル」
「ところで、さっきミルカッセさんが言ってた、ポリーさんって誰ですか」
塔へ向かう途中、エリーが尋ねた。イングリドが答える。
「私の教え子よ。今、入学試験が最下位でね、あなたたちが使っていた、あの工房で暮らしているのよ」
「そうか・・・。やっぱり人が住んでたんだ」
「あの子も問題児でね。おてんばで、そそっかしくて、正義感だけは人一倍あるのだけれど、錬金術の腕はまだまだね。まるで、マルローネとエルフィールを合わせたような娘よ」
「はあ、それじゃイングリド先生も大変ですね」
「笑っている場合じゃないわ。最近、エアフォルクの塔に、また新たな魔物が現れたという情報があるのよ。だから、アカデミーでも、塔の近くには行かないよう指示を出していたのだけれど」
エアフォルクの塔に着くと、塔の周囲は王室騎士隊によって固められていた。
塔の正面に、腕組みをしたダグラスが立ち、入口をにらみ付けている。近くに、黒いマントに身を包んだヘルミーナがたたずみ、後から着いたブレドルフ王の質問に答えている。
塔は、異様な雰囲気に包まれていた。全体を、虹色をした靄がおおっているように見え、特に入口の扉は七色に脈動しているように見える。
「あら、イングリド。ずいぶんと遅かったじゃない。怖じ気づいて、来ないのかと思ったわ」
3人の到着に気付いたヘルミーナが、近寄ってきた。
「だめだ、扉に近づくこともできやしねえ。近寄ろうとすると、弾きとばされちまうんだ」
ダグラスがくやしそうに言う。
イングリドは塔の方を見やり、
「ヘルミーナ。あなた、先に来て、ただ突っ立ってたわけではないでしょうね」
「当たり前よ。わたしが見たところ、魔力による結界が生じているようね。だから、誰も入口に近寄ることもできない。ただ・・・」
「ただ、何?」
「普通の結界ではないわ。わたしの魔法を、一切受け付けないのよ。どうやら、複数の位相を持つ魔力が組み合わさった結界のようね」
「何ですって? それじゃ、中にいる子供たちは・・・」
ヘルミーナは、黙って肩をすくめ、首を振った。
それまで黙って聞いていたマリーが、口をはさむ。
「ああ、もう、じれったいなあ、一体どうすれば、塔に入れるようになるんですか?」
イングリドが眉をひそめ、考え込む。
「ヘルミーナの見立てが正しいとすれば、複数の位相の魔力に対抗するには、こちらも属性の異なる魔力を組み合わせれば、理屈の上ではうまくいくはずだけれど・・・」
「そうか!」
エリーが叫ぶ。
「マルローネさん! あれを試してみましょう!」
「そうね! それしかなさそうね」
「マルローネ! エルフィール! 何をしようというの?」
「イングリド先生、任せてください。ダグラス、みんなを下がらせて」
一同が森の方まで下がると、エリーとマリーは、塔の左右に分かれて立った。
そして、それぞれ持った杖を振りかざす。エリーは『陽と風の杖』、マリーは『星と月の杖』を。
しばらく呼吸をはかったふたりの口から、同時に気合のこもった叫びがほとばしる。
「クロス・ファイア・アタック!」
同時に、エリーの杖からは青白い尾をひく光球が、マリーの杖からは真っ赤に燃えさかる火球が飛んだ。ふたつの光の球は宙でもつれあい、からまりあってひとつとなった。
そして、エリーとマリーが振り下ろす杖の動きに合わせ、意思をもつ生き物のように塔の入口に向かって突進する。
塔を包んだ虹色の結界は、一瞬、光球を押し戻そうとした。が、光球は虹色の靄をかき分けるかのようにもぐりこんでいき、光の触手を塔全体に伸ばすかに見えた。
次の瞬間、閃光がほとばしり、全員の目がくらんだ。そして、視力が戻った時、塔を包んでいた虹色の結界は消え失せていた。
エリーは、杖を掲げていた右手を下ろすと、大きく息をついた。
「やった・・・」
マリーは杖を振り回し、歓声を上げる。
「やったね!」
後ろでは、ヘルミーナが感心したようにうなずいていた。
「なるほどね。火の属性と風の属性を組み合わせて攻撃したというわけね。まぐれにしても、うまくいったじゃないの。イングリドの弟子にしては、上出来だわ」
当のイングリドは、額に手を当て、天を仰いでいた。
「まさか、あの子たちったら、旅の間中、こんな修行ばかりしていたのでは・・・。ああ、頭痛が・・・」
今や、塔への侵入を邪魔するものはない。
「さあ、行くわよ、エリー!」
「はい! マルローネさん!」
ふたりは、マントをひるがえして塔の中へ向かう。
「あ、おい、待て、おれを置いていくな!」
ダグラスがあわてて後を追う。と、入口のところで振り返ったダグラスは、騎士隊に向かって叫んだ。
「全員、ここで待機だ! 塔の中は狭い。大勢で行っても、同士討ちするのがおちだ。わかったな!」
最低限、騎士隊長代行の職務は果たしたというところだろう。
それを見送って、ブレドルフが心配そうにつぶやく。
「大丈夫だろうか。いくらダグラスが付いているとはいえ、女性ふたりで・・・」
「その心配はありません、国王陛下」
イングリドが言う。
「あの頃、マルローネが何と呼ばれていたか、ご記憶ではないですか。『突撃隊長』に『火の玉マリー』、あげくのはてに『爆弾娘』だなんて・・・。エルフィールも、王室主催の武闘大会で優勝してしまうほどの力の持ち主です。ふたりが一緒になったら、王室騎士隊が束になってもかなわないでしょう。私が心配しているのは、もっと別のことです」
「・・・?」
「あのふたり、もしかしたら、エアフォルクの塔そのものを、吹き飛ばしてしまうのではないかって・・・。ああ、その方が心配だわ」
薄暗いランプの光に浮かび上がった塔の内部は、荒れ放題だった。
あちこちに積み重なったがれきの山が、前進をはばむ。子供たちの痕跡は、見つからない。
2階のホールへ出たところで、前方からぷにぷにの集団が迫ってきた。
「出たな! さあ、相手をしてやる!」
と、ダグラスが剣を振りかざす間もなく、マリーが叫ぶ。
「行け〜〜!」
マリーの杖から飛んだ無数の火球が、あっという間に怪物を焼き尽くす。
「さあ、上へ向かうわよ」
涼しい顔で、マリーが先に立つ。
「すげえ・・・」
絶句するダグラス。
3階では、狼の集団が待ち構えていた。
「お願い、当たって!」
エリーの叫びとともに、青白い光球の群れが襲い、敵は跡形もなく吹き飛ばされた。
「さあ、4階よ」
エリーが平然と階段へ向かう。
「おれにも戦わせろよ・・・」
つぶやくダグラス。
続く4階でも、5階でも。
「あたしの爆弾は、一味違うわよ!」
「うに!」
マリーとエリーの叫びが響くたびに、魔物の群れが追い散らされていく。
マリーのメガフラムが火柱を上げ、エリーの投げるLV7うにが怪物のうろこを切り裂く。ふたりが通った後には、何も残らない。
「もう、勝手にしろ!」
出番がなく、いじけるダグラス。
そして、最上階へ向かう階段の踊り場にさしかかった時・・・。
先頭に立っていたマリーが、耳をそばだてた。
「あれは・・・」
「聞こえる・・・悲鳴よ」
「子供たちだ!」
3人は、先を争うように階段を駆け上がり、最上階のホールに踊り込んだ。
「!」
「なに、これ・・・」
言葉を失い、立ちすくむ。正面には、想像もつかないような光景が広がっていた。
塔の中のはずなのに、そこは宇宙空間のようだった。
無数の星々が、漆黒の空間を背景にきらめき、体ごと吸い込まれそうになる。そして、宙空に、けむくじゃらの巨大な動物が浮かんでいた。
その動物は、一見、ずんぐりした体型のむく犬に似ていた。ただ、体の大きさが小屋ほどもあることと、大きく開いた口から咆哮がもれ、無数の鋭い牙が並んでいることが、違っていた。
右の方から、かすかな泣き声が聞こえ、3人はわれに返った。
振り向くと、がれきの山のかげに5、6人の子供がうずくまり、震えている。
それをかばうように、錬金術師の服装をした15、6歳の少女が木の杖をかざし、巨獣に立ち向かうように立っている。足は震え、顔は涙でくしゃくしゃになっているが、
「来ないで! 来たら、ただじゃおかないから!」
と、巨獣に向かい、悲鳴に近い声で叫んでいる。
「歪曲空間ね」
冷静さを取り戻したマリーがつぶやく。
「魔界の入口が開いて、あの魔物がこちらの世界へ出てきてしまったんだわ」
「そんなことはどうでもいい、やるぜ!」
「ダグラス、あなたは子供たちを守って!」
叫びざま、エリーが杖を振り下ろす。
青白い光球が巨獣を襲い、そして消えた。
「あれえ・・・効かない」
「あたしに任せて!」
マリーがメガフラムを投げる。だが、爆発すら起こらない。
「なんで?」
攻撃を受けて、巨獣は猛り狂ったようだった。あたりを揺るがすほどの吠え声をあげ、のっそりと前進してくる。
「魔力が、吸い取られてる・・・」
呆然と、マリーがつぶやく。
「じゃあ・・・どうすればいいの?」
エリーが情けない声を出す。
「へ、何だかわからねえが、どうやらやっと俺の出番のようだな」
ダグラスは恐れ気もなく聖騎士の剣を構え、迫ってくる巨獣に突進した。
「シュベート・ストライク!」
気合もろとも、ふさふさした毛皮に突き刺し、なぎ払う。そして、とんぼ返りで戻ってくる。
「ふ・・・どうやら効いたようだぜ」
ダグラスの言葉通り、巨獣は動きを止めていた。ダグラスの必殺技が怪物の神経系をえぐり、一時的にマヒさせたらしい。
「さあ、とどめだ、行くぜ!」
再び、剣を振りかざす。こうなっては、誰にも止められない。
しかし・・・
「そこまで! お待ちなさい!」
凛とした声が響き、ダグラスも気圧されたように動きを止めた。だが、油断なく剣を構えて待つ。
巨獣の後ろの空間から、ほっそりした背の高い姿が現れた。レイピアを手挟んだ、赤い髪の女騎士。
「あなたは・・・!」
マリーが目を丸くする。
「キルエリッヒ・・・キリーさん!」
「マルローネか・・・久しいな。もっとも、魔界と人間界では時の流れが違う。私にとっては、ここでおぬしと一緒に戦ったのが、つい昨日のことなのだがな」
「誰なの・・・?」
エリーが、マリーにささやきかける。
「キリーさんは・・・そう、もともと魔界の住人なんだけれど、でも、昔の、友達よ」
「まだ友と呼んでくれるか。嬉しいぞ。・・・それはそうと、今回は済まなかったな。飼い主がちょっと目を離したすきに、この仔犬が逃げ出してしまって、次元の隙間からさまよい出てしまったのだ」
「へ? 仔犬だって? この化け物がか」
「そう・・・成長すれば、人間界ではケルベロスと呼ばれる犬になる」
「ケルベロス・・・魔界の番犬じゃない。うそぉ」
「まあ、そんなわけで、こやつは連れて帰る。この償いは、いつかさせてもらおう。では、さらばだ」
キリーが右手を一振りすると、空間に変化が生じた。まるで、水が穴に吸い込まれるかのように、星空が後方に向かって吸い込まれて行き、キリーと巨獣の姿も縮むようにして消えていった。
後には、何の変哲もないがらんどうのホールが残っているだけだった。
「へえ、それは大変だったわねえ。・・・でも、みんな無事でよかったわ」
ミスティカティのお代りを注ぎながら、フレアが安心したように言う。
大騒ぎの1日が暮れ、飛翔亭も早じまいしていた。
無事、子供たちを救い出したダグラスと聖騎士隊は、ブレドルフ王とともに城へ戻った。
ショックと疲労で衰弱した子供たちは、今、フローベル教会でミルカッセをはじめとしたシスターの看護を受けている。もっとも、一夜明ければ何もかも忘れて、またいたずらに精を出すのだろうが。
現在の工房の主、ポリーは、エリーが持っていったアイゼルの特効薬のおかげですぐに元気になり、工房へ帰って行った。彼女が、塔の中で拾い集めたシグザール金貨をしっかり持って帰ったことに気付いたマリーは、つぶやいた。
「将来が楽しみだわ・・・」
そんなわけで、店内に残っているのは、アカデミーの関係者だけ・・・エリー、マリー、ノルディスとアイゼル、それにイングリドとヘルミーナだった。
「それにしても、何なのですか、あの技は。確かに塔の結界を破る役には立ったけれど、まさか、あんなものを身に付けるために旅をしていたのではないのでしょうね」
イングリドが厳しい口調で言う。エリーはマリーと顔を見合わせ、反論する。
「やだなあ、そんなことないですよ。あれはあくまで余技です。ふたりの力を合わせたら何ができるか、試してみただけですよ」
「最初はなかなかうまくいかなくて、森を焼き払っちゃったり・・・あわわ」
イングリドににらまれたマリーが、口をおさえる。
「でも、あたしたち、夢は決して忘れませんでした。イングリド先生に教わった通り、いろいろな調合に挑戦していたんです」
エリーが目を輝かせて言う。その目を見たイングリドには、教え子が正しい道を歩み続けていることがよくわかった。
「ぼくも、同じですよ、先生」
ノルディスが言葉を継ぐ。
「エリーが旅の中で夢を追っているように、ぼくも同じ気持で、アカデミーで研究を続けているんです」
「あら、でも、ノルディスは、もう夢を実現して、自分のものにしているじゃない」
と、エリー。
「え?」
エリーのいたずらっぽい視線が、ノルディスの顔からアイゼルの指輪に落ちた。その名も『精霊の夢』。ノルディスが、まさに自分の夢を形にしてアイゼルに伝えた宝石である。
「え、・・・ああ、これ? や、やだなあ、エリー、そんな、あらたまって」
「ノルディスはね、この宝石の調合法を封印してしまったのよ。もう二度と作ることはないからって言ってね」
と、イングリドが言う。
「イングリド先生! い、いいじゃないですか、そんなこと」
あわてるノルディス。エリーは大きくうなずいて微笑んだ。
「そうか・・・。そうだよね。他の誰のためでもない、アイゼルのためだけの、世界でたったひとつの宝石だもんね」
「見て、ふたりとも真っ赤よ」
マリーが指さす。
「もう、みんな、いじわるだよ」
と、ノルディス。アイゼルは首を振って、
「何言ってるの。この部屋が暑いせいよ。ね、ねえマスター、窓を開けてくださらないかしら」
「おや、おかしいなあ。窓はさっきから開いてるんだがな」
カウンターのハレッシュが、すまして言う。
ひとしきり笑い合った後、エリーがまじめな顔をして、誰にともなく口を開いた。
「旅の間、いろんな調合に挑戦して、たくさんの薬を作ったりしたんですけど、どうしてもできないものが、ひとつだけあるんです」
「何なの、それは」
エリーは一呼吸おき、真剣な口調で、
「育毛剤なんです」
「ええ、ふたりとも、武器屋のおじさんへプレゼントしたくて、何度もいろいろな材料で調合したんですけど、とうとう満足のいくものはできませんでした」
マリーも口を揃える。
と、その時。
入口の扉が乱暴にノックされた。
「悪いね、今日はもう閉店だよ!」
ハレッシュが答える。が、
「てやんでえ、そんなこと、知ったことかい!」
飛び込んできたのは、噂の当人、武器屋の親父だった。相変わらずのツルツル頭がまぶしい。店内を見回し、マリーとエリーの顔を見ると、輝かんばかりの笑みが広がった。
「おう、おふたりさん、よく帰って来てくれたな。もうおれは、あんたらが帰って来る日を一日千秋の思いで待ちわびてたんだよ。聞けば、究極の錬金術を究めてきたっていうじゃねえか。そこでだ!」
真剣そのものの顔になり、
「言わなくてもわかってるだろうが、言うぜ。
・・・頼む! 毛生え薬を作ってくれ!」
エリーが困ったような情けないような表情を浮かべ、マリーを見る。マリーの顔にも苦笑が広がる。
しばらく、張り詰めたような沈黙があたりを支配していたが・・・
最初に「プッ!」と吹き出したのは、イングリドだった。
あとは、とめどもなく。
ただひとり、きょとんとしている武器屋の親父。
大爆笑が、飛翔亭を包んだ。
<おわり>
<○にのあとがき>
これは一応、ED0の後日談という設定です。エリーがマイスターランクを卒業して3年後くらいと思ってください。
エリーは、マルローネと一緒に、究極の錬金術を求めて旅をしています。もしかしたら、このふたりこそ、「伝説のふたり:最強バージョン」なのかも知れません。
ノルディス&アイゼルは、「Alchemistの玉子」に掲載されているDer Himmelさんの小説「明日のわたしをつかまえて」の設定を使わせてもらいました。○にが大好きなお話なので。
でも、アイゼルを××させちゃうってのは、やりすぎだったかなあ(あ、南国うにとか投げないで)。
3代目のアトリエの主、ポリーは、作者が勝手に考えたキャラクターです。(「ザールブルグの錬金術師 PART3:ポリーのアトリエ」? うそだあ)
また、ハレッシュの双子の名前は・・・わかる人にはわかりますが、昔の某アニメ映画から借りました。(○には名前を考えるのが苦手です)