ある日の暮れ方のこと。
聖騎士ダグラスは、いつものようにシグザール城正門の警護に立っていた。
「ふあああ・・・」
思わずあくびが出るほど、今日もザールブルグの街は平穏だった。
武器屋の歌声も聞こえなければ、職人通りの工房から爆発音が響くこともない。
ふと、後方から馬のいななきが聞こえた。
ダグラスは素早く反応し、背筋をぴんと伸ばす。振り向くと、大きな栗毛の馬が、大柄な騎士を乗せて向かってくるのが見えた。
騎乗者が誰か気付くと、ダグラスはさっと道を空け、あらためて居住まいを正す。
青く輝く聖騎士の鎧に身を固め、大剣を手挟んだ騎乗者は、馬の歩みを止め、馬上からダグラスにうなずいてみせる。がっしりした体格、流れるような漆黒の髪、涼しげな視線で、ダグラスに流し目をくれる。
「お出かけですか、隊長」
敬礼しながらダグラスが尋ねる。
「うむ・・・」
シグザールきっての精鋭を束ねる王室騎士隊長エンデルクは、多くを語ろうとはしない。
どこへ行こうとしているのか、ダグラスは好奇心から尋ねようとしたが、エンデルクの鋭い眼光に見すえられると、言葉がのど元で止まってしまう。
「明後日の朝には戻る。それまで、留守を頼むぞ・・・」
「はい! いってらっしゃいませ!」
再び敬礼するダグラスに答礼すると、エンデルクは
「はあっ!」
と馬に声をかける。騎士隊一の駿馬は、石畳の街道にひづめの音を響かせ、並足で進んで行く。夕方ということもあって人通りも多く、外門を出るまでは、スピードは出せない。エンデルクは、急ぐふうでもなく、悠々と馬を歩ませていた。
「ふう。それにしても、隊長がひとりで出かけるなんて、珍しいな」
ザールブルグ中央通りの雑踏に消えて行く隊長の姿を目で追い、ダグラスはつぶやいた。
「怪しい・・・」
不意に耳元でささやかれ、ダグラスはびっくりして飛び上がった。
そこには、いつのまに来ていたのか、ダグラスの先輩にあたる金髪の聖騎士が立っていた。
常々、エンデルクに注ぐ視線の異様な熱さが気になっている先輩騎士である。
「怪しいよ、エンデルク様・・・。昨年も、一昨年も、その前の年も、同じ日、同じ時刻に外出されているんだ・・・。ああ、エンデルク様は、ぼくに知られたくない秘密を持っておられる・・・。まさか・・・!? いや、でも・・・そんな・・・。もし、そうだとしたら・・・。許せない・・・許せないよ・・・」
「は、離れろよ、気持ち悪いな」
先輩を先輩とも思わないところが、ダグラスのいいところでもあり、悪いところでもある。
頬を赤く染めてぶつぶつ言い続けている金髪の騎士から離れ、城門の反対側で警護の体制をとった。
そこへ、
「ダ〜グ〜ラ〜ス〜」
と、かわいらしい声がかかる。
「なんだ、エリーじゃねえか」
ダグラスに声をかけたのは、オレンジ色の錬金術服を身にまとった、栗色の髪の少女だ。魔法学院アカデミーで錬金術を学んでいる、エリーである。
エリーは身を乗り出してダグラスの青い目を上目遣いに見上げ、言う。
「ねえ、ダグラス、明日、近くの森まで採取に行きたいんだけど、護衛してくれない?」
ダグラスは、憮然として答える。
「あのなあ、俺は忙しいんだよ。今日の明日で、そう簡単にスケジュールが空けられるわけないだろう!?」
「ごめんなさい、本当は、もっと前にお願いすればよかったんだけど、いろいろと調合作業で忙しかったの・・・。でも、明日は日食の日だから、ドンケルハイトを探しに行かないといけないの。それに、日食の日は怪物たちの動きが活発になるから、やっぱり頼りになる人に一緒に来てほしくて・・・」
ドンケルハイトというのは、年に1回、日食の日にだけ開くという珍しい花のことである。また、日食の日はあたりが暗くなるため、魔物や怪物が出やすくなるのも確かなことだった。
(それに、明日はエリーの誕生日だったな・・・。仕方がない、付き合ってやるか)
ダグラスはせき払いし、答える。
「仕方ねえな、特別だぞ」
「わあい! ダグラス、大好き! じゃあ、明日の朝、外門でね!」
エリーが歓声をあげると、弾むような足取りで帰って行った。
(・・・。あいつ、自分が言ってることの意味、わかってるのかな?)
ダグラスは考え込んだが、ふと顔を上げる。
(そう言えば、日食の日・・・。隊長は、毎年必ず、日食の日にどこかへ出かけている・・・。何があるんだろう・・・? それに、いったいどこへ行っているんだ?)
いくら考えても、答えは出てこなかった。
森の中の小道を一晩中走って来たエンデルクは、手綱を引き、馬を止めた。
丸い広場が開け、その中央に、星明かりを覆い隠すように、黒々とした巨大な影がそびえていた。
エンデルクはひらりと馬を下り、近くの木に馬をつなぐ。
そして、剣に右手を添え、見る者を圧倒するかのような不気味な黒い建物を振り仰いだ。
この建物は、『エアフォルクの塔』と呼ばれている。
いつの時代に立てられたものなのかを知る者はいない。少なくとも、シグザール王国建国以前の時代にまでさかのぼることは確かのようだ。
この塔の周辺には、普段から怪しい瘴気がたちこめ、魔物の数も多い。塔の最上階には魔界へ通じる扉があるという噂もあった。
いや、それがただの噂ではないことは、エンデルクにはわかっている。
かつて、この塔にはファーレンと呼ばれる魔人が君臨していた。それが打ち倒されたのは、エンデルクが王室騎士隊長になって以降の時代のことである。魔人を倒したのは、錬金術師の少女と、どこからともなく現われた真紅の髪の女騎士、そして放浪の冒険者の3人組だと言われている。
しかし、それ以降も、『エアフォルクの塔』には、凶悪な魔物の噂が絶えない。
空には、宝石を撒いたかのような色とりどりの星がきらめき、全天を覆っている。普段なら、もうとっくに夜が明けているはずの時刻だったが、今日は違う。
年に一度の日食の日なのだ。
いつまで待とうと、夜明けはやって来ない。
「ふむ・・・。あまり余裕はないな。急がねば・・・」
エンデルクはつぶやき、塔へ歩を進めた。
ほくち箱からランプに火を移し、左手で掲げる。
右手で、剣をすらりと抜き放つと、エンデルクはマントをひるがえし、塔の中へ足を踏み入れた。
ひんやりとした、湿っぽい空気がエンデルクを迎える。
静まり返った塔内に、カツ、コツ、とエンデルクの重い足音が響く。
石造りの階段は、ところどころが崩れていたり、瓦礫が山になっていたりして、足場は悪い。
2階へ出た。
剣をかざし、油断なくあたりの気配を探る。
(おかしい・・・)
エンデルクはいぶかった。
『エアフォルクの塔』の内部には、多数の魔物が生息している。特に、太陽の光が差さない日食の日ともなれば、怪物どもの魔力は増し、活動も強まる。
いつ、魔物の群れが襲いかかって来てもおかしくない状況のはずだ。
ところが、エンデルクの周囲に、魔物の気配はない。
なんらかの力が働いて、魔性の物が一掃されてしまったかのようだ。
3階に上ると、さらに異様な光景が広がっていた。
そこには、巨大なウォルフの群れが、折り重なるように倒れていた。
エンデルクは、そっと近寄り、剣の先で突いてみた。
ぴくりとも動かない。死んではいないが、深く眠りについているようだ。
(まずいな・・・)
エンデルクの心の中に、不安が暗雲のように広がる。
さらに足を速めた。闇がわだかまる広間を走り、階段を駆け上がる。
4階・・・5階・・・。
襲ってくる魔物はいない。その代わり、つい最近のものと思われる、なにかが激しく焼けこげた跡があった。つんと鼻をつく異臭も漂っている。
心中の不安はいや増す。
(間に合えば良いが・・・)
走りながら、エンデルクは時間を計っていた。
正午が、近づいている。
そして、エンデルクは最上階へ通じる踊り場へたどり着いた。
ランプをその場に置き、剣を両手で握り締める。
最上階の広間は、薄明るい光で充たされていた。
しかし、それは陽光ではない。地の底から湧き出したかのような、不吉にわだかまる光だった。
エンデルクは進み出た。
塔の最上階は、石造りのがらんとした広間である。左右に壁が伸び、床にはところどころに石のかけらが小山を作っている。
しかし、彼の視線の先、正面には壁は見えなかった。
どこからともなく湧き上った靄めいた光が渦を巻き、視界をさえぎっている。
その霧の向こうがどうなっているのかは、想像のしようもない。
つと、エンデルクは目をひそめた。
エンデルクと霧の壁の中間に、小さな影が立っていた。黒いローブで全身を包んでいるようだ。
低いが、よく通る声で、エンデルクが呼ばわる。
「そこの者に告げる。シグザール王室騎士隊の名において、それ以上進んではならぬ」
ふわり、と影が動いた。
あちらを向いていた影が、こちらを振り向いたようだ。だが、逆光になっていることと、頭巾を深くかぶっているために、相手の表情は見えない。
「邪魔立てするな・・・。邪魔する者は、死んでもらう・・・」
骨と骨とがきしり合うような不気味な声で、影が答えた。
エンデルクは、臆するふうもなく、言葉を続ける。
「この『エアフォルクの塔』には、魔界への入口がある・・・。普段はわずかな隙間に過ぎないが、年に一度、日食の日の正午だけは、その扉が大きく開き、魔界とこちらの世界とが渾然一体となる・・・。それを知る者は少ないが、その知識を得、魔界のよこしまな力を我が物にしようと、魔界への扉をくぐり抜けようとする不心得者も、ごくわずかだが存在する・・・。お前のようにな・・・。大方、レーベの流れをくむ黒魔術の徒であろうが・・・」
ゆらり、と影が動いた。右手に杖を捧げ持っているのがわかる。
「ふふふ・・・。そこまで知っているとは、さすが騎士隊長・・・。だが、お主に私を止めることはできぬ・・・」
不意に、影が素早い動きで杖を振り下ろした。
突如、宙に生じた赤い火球がエンデルクを襲う。
「甘い!」
エンデルクは叫び、マントで身体をかばいながら横っ飛びに避ける。
火球は背後の壁にぶち当たり、火花を散らして消え去る。
エンデルクは突進した。
「私の攻撃を止められるか!」
振り上げた大剣をけさがけに切り下ろし、間髪を入れず斜め上方になぎ上げる。
黒いローブの切れ端が散ったが、それ以上の手応えはなかった。
影は、いつのまにかエンデルクの脇をすりぬけ、背後に回っている。
エンデルクも素早く向き直る。
「遊びは終わりだ・・・。見よ、魔界への扉が開く!」
影は叫びざま、なにか黒い固まりをエンデルクの投げつけた。
「何の!」
エンデルクの剣が、それを空中で両断する。
が、それは粉となって宙に散り、エンデルクにも降りかかった。
思わず粉を吸い込み、せき込む。
(しまった・・・! この粉は・・・)
手足の先がしびれ、身体の自由が奪われていくのがわかる。
(しびれ薬とは・・・。不覚・・・)
「ふははは、さらばだ・・・。私は魔界へ行く。そして、強大な魔力を身に付け、再び帰って来る・・・この世を支配するためにな!」
笑い声を残し、黒魔術師は前方へ渦巻く七色の霧の中へ身を躍らせた。
しかし、次の瞬間・・・。
「うぎゃあ!」
悲鳴とともに、ずたずたになった黒ローブの姿が、石の床に転がり出て来た。
そして、その背後から、ほっそりとした背の高い姿が現われる。
黒を基調とした戦鎧に身を固め、右手に握ったレイピアからは黒魔道師の血がしたたっている。その血と同じくらい真っ赤な長い髪が肩から背中に流れ落ち、高貴な顔立ちの中、赤いくちびるが引き結ばれている。
「また、愚か者がひとり・・・。魔界は、そのような者の侵入を許しはしない・・・」
つぶやくと、女騎士は黒魔道師の死体を無造作に踏み越え、エンデルクに近づくと、ガラスの小壜を彼の口にあてがった。
苦みのある薬を飲み下すと、しびれていた身体が自由を取り戻してくる。
女騎士はマントの端でレイピアをぬぐうと、鞘に収めた。
「衰えたか? エンデルク・・・」
女騎士はつぶやいた。あざけるふうでもなく、事実を事実として述べるような、淡々とした口調である。
「フッ・・・。油断しただけだ・・・。しかし、借りができたな、キルエリッヒ・・・」
エンデルクも、いつも通りの感情を殺した口調で返す。
「貸し借りは無用だ」
キルエリッヒこと、“紅薔薇の騎士”キリーはぽつりとつぶやいた。
エンデルクに寄り添うようにして立ち、不思議な霧が渦巻く魔界の扉を見やる。
「・・・しかし、おぬしのような人間も珍しい。よくも毎年、飽きずにここへやって来るな」
「王国にとって、最も危険な時に最も危険な場所にいるのは、騎士隊長たる私の義務だ・・・。魔界との扉が大きく開く日食の日・・・。魔界から、どのような危険な怪物が侵入して来るかもわからぬ。また、今日のようによこしまな野心を抱いた人間が、魔界へ行こうとするかも知れぬ。それらは、王国にとって大いなる脅威だ・・・。だから、私はここにいる・・・」
「ふ、それは私も同じだ。余計な人間が魔界に入り込んでは、因果律が乱れることになるからな・・・。それに、魔界の生き物が人間の世界へ迷い込んでも困ったことになる。お互い様だ」
ふたりの目が合う。
エンデルクとキリーは、互いの瞳の中に、自分自身を見た。
エンデルクの口元が、わずかにほころぶ。髪をかきあげるキリーのくちびるも、かすかに微笑んでいるように見えた。
人間界と魔界、双方の世界を代表するふたりの剣士は、その日一日、両世界をつなぐ出入り口を見守り続けた。
そして、日食の日が終わりを告げる時がやって来た。
霧の中へ消えようとする前、キリーはレイピアを掲げ、言った。
「では、また来年。・・・命があったらな」
「ああ、また来年・・・」
エンデルクの言葉が終わらないうちに、キリーの姿は霧の中に消え去った。
エンデルクはしばらく無言で立ちつくしていたが、やがて、きびすを返して塔の降り口に向かった。
自分の居るべき場所へ戻るために・・・。
<おわり>
<○にのあとがき>
かなり以前に思い付いて、ほっぽってあった“エンキリ”ネタです。(縁切りじゃないよ)
ある日突然、全体像が浮かんで書かずにはいられなくなる・・・困ったもんです(^^;
ほんとは、4万ヒットのキリリク小説を書かなきゃいけないんですけど、そっちのストーリーが煮詰まってしまったもので、気分転換と肩慣らしを兼ねて、書いてしまいました。
でも、このふたり、恋愛感情は持ってないと思います。似たもの同士の連帯感というか、共感というか・・・。(しかし、さすが『彼』は鋭く核心を突いてましたね。恋する者の直感というか)
エリーのイベント『存在意義』とも関連してくるお話ですね・・・。