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はじめての調合


「行ってきます」
小さな声で言うと、少年は家を出た。親に聞こえても聞こえなくても、特に気にはしない。
少年は、小脇に1冊の薄い本を抱えていた。
実は、その本は、姉の持ち物だった。しかし、今の姉は、もうその本を必要としていないはずだ。少年は、そう判断し、姉の部屋からこっそりと持ち出してきたのだ。
日は照っているが、暑すぎるほどでもない。さわやかな涼風が、時おり吹き過ぎていく。

本を抱えたまま、外門のところまで行くと、警護に立っていた若い騎士隊員が少年に気付いて声をかける。
「よう、ぼうず、どこまで行くんだい?」
別に、騎士は少年に対して怒ったり、とがめているのではない。ここを通る人間には、必ず行き先を尋ねることになっているのだ。
「近くの森・・・」
少年はぶっきらぼうに答える。
「そうか。でも、気を付けろよ。野犬が出ることがあるからな」
少年は、黙ってうなずくと、きびすを返した。
「あっと、ちょっと待ってくれ。ぼうず、名前は? 一応、規則だから、聞いとかないといけないんだ」
少年は、足を止め、振り向く。
少年がかけている眼鏡の銀のフレームが陽光を反射してきらめく。この年格好で眼鏡をかけているのは珍しい。
「クライス。クライス・キュール」
必要なことだけを口にすると、少年は、気取った動作で眼鏡の位置を整え、さも時間を無駄にしたというように肩をすくめて、ザールブルグの外壁を回ってすたすたと消えていった。
「ませたガキだな・・・」
騎士は、聞こえないようにつぶやいた。


畑に囲まれた農道を1時間も歩くと、森に到着する。
クライスは、少し森を入ったところにある切り株に腰掛けて、持ってきた本を開いた。
『絵で見る錬金術』と表紙には書いてある。
裏表紙には、手書きの文字で「アカデミー1年 アウラ・キュール」と、姉の名前が記されている。
7つ違いの姉のアウラは、昨年ザールブルグに開校したばかりの、魔法学院アカデミーの生徒なのである。アカデミーでは、『錬金術』というものを教えるのだという。
クライスは、姉の話を聞くうちに、錬金術に大きな興味をもつようになった。
ところがアウラは、
「錬金術には危ない実験もあるし、子どもが知ってはいけないような知識もあるのよ。大きくなったら、あなたもアカデミーへ入って、思う存分勉強すればいいわ」
と言って、詳しいことを教えてくれない。
そこで、やむを得ず、クライスは姉の留守中に姉の部屋へ忍び込んで、手近にあったいちばん易しそうな本を、持ち出してきたのだった。

どきどきしながら、ページをめくっていく。
錬金術で使う材料となる自然の植物や、簡単な薬品の作り方が、絵入りで紹介されている。
15歳の学生向けに書かれた本なので、8歳のクライスには読みこなせない部分もあった。それでも、姉が書き加えたメモを読んだり、わからない部分は想像で補いながら、クライスはわくわくしてページをめくっていった。
そして、しばらくすると、クライスは本を置き、熱心に森のあちこちを動き回りはじめた。草むらを覗き、やぶをかき分け、時には木の幹を揺らす。
「あった!」
勝ち誇ったように、抜いた草を本のところまで持っていく。
「まちがいない、これ、『魔法の草』だ・・・」
それからしばらく、クライスは次々にいろいろな植物を採って来ては、本と照合を続けた。
『魔法の草』のほかにも、『うに』や『オニワライタケ』といった木の実やキノコを見つけることができた。
大きくて平らな切り株の上に採取した品を並べ、クライスは大人っぽいしぐさで腕組みをし、満足そうにうなずいた。
この材料を使ったら、今の自分でも、錬金術ができるのだろうか?
クライスは、姉の机の上に並んでいる乳鉢やガラス器具を思い浮かべ、自分がそれを使っているところを想像してみた。
だから、後ろから声をかけられた時、クライスは心臓が止まりそうになった。

「あ、あの・・・」
木と木の間から顔を覗かせ、恥かしそうに声をかけてきたのは、栗色の髪を三つ編みにして垂らし、緑の瞳をした少女だった。年はクライスと同じか、少し上くらいだろう。清潔そうな上衣と上等そうなスカートをまとっている。
クライスは、初めて会う少女だった。
夢の時間を邪魔されたクライスは、少し冷たい口調で言った。
「何か用なの?」
少女は恥かしそうにもじもじしながら、
「あの、あたし、お散歩に来たんだけど、道に迷っちゃったみたいで・・・」
ふっくらとした丸顔に、大きな目を見開くようにして、消え入りそうな声で続ける。
「あの・・・。街へ帰るには、どっちへ行ったら・・・」
そう言いながら、少女の顔はだんだんと青ざめてきた。とうとう立っていられなくなったのか、柔らかな草むらにへたるように座り込んでしまう。
クライスも心配になり、少女に近寄る。
「どうしたの? 具合悪いの?」
「ごめんなさい。あたし、生まれつきからだが弱いの。だから、お医者様からは、外へ出ちゃいけないって言われてたんだけど、あまりいい天気だから、こっそり家を抜け出して・・・」
「そうか。ぼくと同じなんだね」
「え、あなたも病気なの」
「違うよ。家を抜け出してきたのが、同じだって思ったんだ」
「ねえ、あなたの名前は何ていうの?」
「ぼくは、クライス」
「あたし、シアよ」

その時だ。
いきなりやぶをかき分けて、人影が現われたのだ。
シアが身を固くし、クライスも一歩退く。
「あ、ごめん。驚かせちゃった? 人がいるとは思わなかったんだ」
現われたのは、クライスよりも4、5歳年上だろうか、10代前半の少年だった。金髪に青い瞳、邪気のない表情で、こちらを見ている。この少年も、クライスは会ったことがない。
新来の少年は、ちょっとおどおどした表情で、クライスとシアを見比べていたが、
「じゃあ、ぼくはこれで」
と立ち去ろうとした。
「待ってよ」
クライスが言う。
「この子、からだの具合が悪いんだ。街に連れて帰るのを、手伝ってよ」
銀縁眼鏡越しに、クライスに見つめられた年上の少年は、
「うん、わかったよ。それじゃ、ぼくがおぶって行こう」
としゃがんで背を向ける。
クライスが手を貸してシアを立たせ、シアは少年の背におぶさる。
クライスは、自分の採取した品を名残惜しそうに見ていたが、姉の本だけを小脇に抱えると、後について行った。

おぶさりながら、シアが問わず語りに言う。
「あたし、最近、親と一緒にザールブルグへ引っ越してきたの。いなかにいた頃から、あまり丈夫な方じゃなかったんだけど、こっちへ来てからもっと悪くなって・・・。いろいろな薬を試しているんだけど、なかなかからだが良くならないのよ・・・」
かたわらを歩いていたクライスは、ふと思い付いて言う。
「そうだ! 錬金術は? 錬金術を使えば、いろいろな薬が作れるって、姉さんが言ってたよ」
「錬金術? 聞いたことがないわ・・・」
シアは寂しそうに笑った。その表情に、クライスは心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
シアの家(かなりの大邸宅だった)に着き、別れ際に、クライスは大きな声で言った。
「ねえ、ぼくが作ってあげるよ。錬金術を使って、ぼくが薬を!」


家へ帰りつくと、クライスはさっそく姉の部屋へ急いだ。
姉のアウラは、ここ数日、材料の採取のために東の方の湖へ出かけている。
姉が持っている参考書は、きちんと整理して机の上に立てて並べてある。
しかし、アウラもまだ1年生なので、それほど多くの書物を持っているわけではない。
クライスは、『絵で見る錬金術』を元のところに戻すと、他の本を取り出してみた。
『初等錬金術講座』というのがあった。これなら半分くらいは読める。姉の書き込みも役に立った。しかし、次に取り出した『中等錬金術講座』になると、もうクライスの手には負えなかった。
ということは、『絵で見る錬金術』と『初等錬金術講座』しか、クライスの薬作りには役に立たないということだ。
クライスは、2冊の本を持って自分の部屋に戻ると、1ページ1ページを、なめるように見ていった。
「やっぱり、これしかないみたいだな。・・・『アルテナの水』」
そこには、材料も調合方法も記されていた。
しかし、まず材料を手に入れることはできるのだろうか?
本によれば、『アルテナの水』を作るには、『蒸留水』『ほうれんそう』『中和剤(緑)』が必要だという。
『中和剤(緑)』の作り方は、『絵で見る錬金術』に載っているので、クライスにもできそうだ。しかし、『蒸留水』の作り方はわからない。あと、『ほうれんそう』をどこで手に入れればいいかもわからない。
「やっぱり、だめか・・・」
ずり落ちてきた大きめな眼鏡の位置を整え、クライスは考え込んだ。
姉は、3日後には採取旅行から戻ってくる。姉の道具を借りて薬を調合するなら、明後日いっぱいで終わらせなければならない。
クライスは、足をしのばせて姉の部屋へ戻ると、棚をじっと見回した。
薬品のストックを入れたビンが、いくつも並んでいる。
それらのなかに、『蒸留水』とラベルを貼ったビンがあった。
(姉さん、ごめんなさい)
心の中で姉に謝ると、クライスは椅子の上に乗って手を伸ばし、『蒸留水』のビンをつかんだ。
『中和剤(緑)』の材料である『魔法の草』は、近くの森に生えているので、後で採りに行けば良い。問題は、『ほうれんそう』である。
もちろん、アカデミー内の売店で『ほうれんそう』は売られているが、クライスはそのことを知らない。
とにかく、探してみるしかない。

クライスは、再び家を出た。
中央通りを横切り、さまざまな店が雑多に寄り集まっている通称『職人通り』に向かう。
そこには、王国中からありとあらゆる品物が集まっていると言われていた。そこで見つけることができなければ、ザールブルグのどこへ行っても見つからないだろう。
足早に行き交うおかみさんや職人たちの間を縫うようにして、クライスは歩き回った。だが、目当ての品は見つからない。
「うわっ!」
後ろから、誰かがぶつかってきた。
体重が軽いクライスは、跳ね飛ばされて石畳の舗道に倒れる。
「あ、ごめん。大丈夫かい?」
どこかで聞いた声だ。
「あ、あなたはさっきの」
近くの森で出会った少年だった。
「こんなところで、なにしてるの」
クライスの問いに、少年は逆に尋ねてきた。
「きみこそ、何をしてるんだい」
人のよさそうな少年の目を見て、クライスは『ほうれんそう』を探していることを話した。
「そうかい。『ほうれんそう』か・・・」
少年は、しばらく天を仰いで考えていたが、やがて顔を輝かせて、
「ぼく、ある場所を知ってるよ。一緒に来て」
と、北に向かって歩き出した。
他に頼れるものがないクライスは、後に続くしかなかった。

「ね、ねえ・・・。ここって、まさか」
クライスがおびえたように言う。
少年は笑顔で振り返り、
「そう。お城の菜園だよ。ここでは最高級の野菜や果物を作っているからね。『ほうれんそう』だって上等のものがあるよ」
「だって・・・これって、お城のものを盗むってことだよ。ぼくたち、捕まって牢屋に入れられちゃうよ」
そこは、シグザール城の中庭のはずれにある菜園だった。
どこをどう通ってきたのか、少年の後について行くうちに、こんな場所へ出てしまったのだ。
「さ、あったよ。『ほうれんそう』だ」
少年は、濃い緑色をしたつややかな株を地面から抜き、クライスに手渡す。クライスの両手は、ぶるぶると震えた。
その時・・・。
「何をしている!」
頭上から、凛とした声が響き渡った。
思わずクライスは、年上の少年の陰に隠れる。
でも、心の中では観念していた。このまま捕まって、牢屋に入れられる。両親や姉はどう思うだろう・・・。
ところが、クライスをこの厄介事に巻き込んだ当の少年は、ゆっくり立ち上がると、
「やあ、シスカか。見回り、ご苦労様」
聖騎士の鎧に身を固めた女騎士は、あきれたように言う。
「殿下! また姿をお見せにならないと思っていたら、野菜泥棒の真似事ですか! もう少し、ご自分の立場をわきまえていただかないと・・・」
王国の第一王位継承権者ブレドルフは、手を振って言う。
「わかったよ。それより、ぼくの友達を、帰してあげてもいいだろう?」
クライスの目は点になっていた。あんぐりと口を開けて、王子と女騎士を交互に見つめている。
ともかく、これで『アルテナの水』を作るための材料は揃ったのだ。


翌日。
クライスは、再び姉の部屋へ足を運んだ。
作業台には手が届かないので、床に道具と材料を置く。
参考書も、該当のページを広げて置いてある。
まずは、『中和剤(緑)』の作製である。
採ってきた『魔法の草』の葉だけを乳鉢に入れ、すりつぶしていく。
鮮やかな緑色をした液体が、だんだんと溜まっていく。それに水を加え、上に浮かんだかすをこし取れば、『中和剤(緑)』が完成する。
いよいよ次は、今回の目的『アルテナの水』の調合だ。
いったん洗った乳鉢に、王室の菜園でもらった『ほうれんそう』を入れ、すりつぶしていく。この辺の作業は、先ほどの中和剤作りと変わりない。
やがて、『ほうれんそう』は、どろどろした緑色のペースト状に変わる。
あとは、参考書に書いてある通り・・・『蒸留水』3、『ほうれんそう』1、『中和剤(緑)』1の割合で、溶かしあわせれば良い。

その時、クライスは、姉の言葉を思い出していた。
(錬金術はね、人を幸せにするためにあるのだそうよ。だから、あたしは、薬の調合をする時には、その薬を飲む人が治りますようにって、祈りながら作業することにしているわ)
クライスは、シアの寂しそうな笑顔を思い出していた。
(シアの、からだが良くなりますように・・・)
祈りながら、ビーカーに試験管を傾け、そっと材料を混ぜ合わせる。
一緒にされた材料は、いっとき、緑色のまだら模様となったが、ガラス棒でかきまぜるうちに、きれいに澄んだ薄緑色のさらさらした液体に変わっていた。
参考書に書いてある絵と、ほとんど変わらない色をしている。
「やったあ!」
クライスは、できた薬をビンに詰めると、後片づけもせずに、家を飛び出して言った。予定より1日早く戻ってきたアウラが、茫然と立ちすくんだこと、帰って来たクライスが長々とお説教をされたことは言うまでもない。

その日の夕方。
ドナースターク家の一室で、シアは手紙を書いていた。
故郷のグランビル村に残っている親友に宛てたものである。

「親愛なるマリーへ

元気にしているかしら? こんなことを言わなくても、マリーはいつも元気よね?
ザールブルグへ来てから、あまりからだの調子がよくなくて、外にも出られなかったけれど、ようやく友達ができました。年下の男の子なんだけど。マリーとも、いいお友達になれるんじゃないかしら?
それからマリー、錬金術って、知ってる? 薬とか、魔法の道具とか、いろいろと作り出せる学問らしいの。マリーも、こういうことには興味があるんじゃないかしら。
マリーも早く、ザールブルグに出てくればいいのに。
また一緒に遊べる日が早く来ることを願っているわ。

あなたの親友 シア・ドナースターク」

手紙に封をして、宛名を書き終わると、シアはサイドテーブルに置かれた薬ビンを見て、くすっと笑った。

<おわり>


○にのあとがき>

まあよくも飽きもせず続くものだと思いつつ、相変わらずの“ちびキャラ”ネタです。
某所で使用するオリジナルキャラのイラストを描いていただいたお礼に、綾姫さんの「綾の国」に差し上げました。
で、綾姫さんを壊してしまったようです(笑)

一応、年齢設定を挙げておきますと・・・。
クライス8歳:この年で調合に成功してしまうのですから、才能は竜虎コンビ並み?
シア10歳:グランビル村から引っ越して来て間もない頃。環境が変わって、体調もよくないようで。
ブレドルフ13歳:この頃から、お城を抜け出す癖があったようですね(笑)
んでもってシスカさん※※歳:ちょっと出演させるには無理があったかも。

感想など、お聞かせください〜。


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