戻る

『彼』の帰郷


「ふう・・・」
薪を割る手を休め、ぼくは右手で額の汗をぬぐう。
そばの切り株にちょこんと座って、ぼくを見守っていた猫が、みゃあ、と愛らしい鳴き声をあげる。
そちらにちょっと手を振ってみせ、ぼくは鉈を握り直す。

あの日から・・・
何年経ったのだろうか。
あの人と、あの女(ひと)との婚礼を、街路樹の陰から見届けた後、ひそかにザールブルグを発った、あの日から・・・。
道連れは、ぼくの惚れ薬をすっかり飲み干してしまった雌猫だけだった。

そして。
今、ぼくは、この深い森の奥で、木を切り、狩りをして暮らしている。
ザールブルグから、はるかに南だ。
街道からも遠く離れ、旅人が通りかかることもない。
隣人と言えば・・・

みゃあ、と、再び猫が鳴いた。
気配を感じ、ぼくは振り向く。
「やあ・・・」
隣人が、立っていた。
ぼくの視線をとらえ、無言でうなずく。

この隣人。
以前は冒険者をしていたという。
今はぼくと同様、世捨て人も同然の暮らしをしているが、剣の腕は確かだ。
今も時おり、ぼくは彼と剣の手合わせをすることがある。
やせても枯れても、聖騎士だったぼくだ。剣に関してはそこらの冒険者には負けない自信がある。
でも、この隣人の剣技は、ぼくをもしのぐかも知れない。

そして、彼の涼しげな眼差しやクールな口調は、どこかあの人を思い出させる。
それも、ぼくがここに腰を落ち着けようと思った理由のひとつなのかも知れない。
その隣人が、いつもの口調で、言う。
「お客だ・・・」

「え?」
ぼくは耳を疑った。
ぼくがここにいることを知る者など、いるはずがない。
だが、隣人は、背後の茂みにあごをしゃくってみせた。
そこから、青い聖騎士の鎧に身を固めた人影が、姿を現す。
懐かしい聖騎士のいでたちに、一瞬、あの人が来てくれたのかと思った。

でも、それは幻想だった。
確かに、見覚えのある騎士だったが、あの人ではなかった。
「探したぜ、先輩」
ぶっきらぼうな口調。長旅を続けていたのか、いささか疲れた表情だ。
「ダグラス・・・。いったい・・・?」
ぼくは、こう聞くのが精一杯。

「俺だって、あんたを探したくなんかなかったさ。だがな、命令とあっちゃ仕方がねえ」
大柄なダグラスは、ぼくにのしかかるように身を寄せて、かみつくように言う。
「何がなんでもあんたを見つけて、ザールブルグまで引っ張って来いっていう、隊長の命令なんだ。いったいどういうつもりか知らねえが、あんたが必要なんだとさ」
「エンデルク様が・・・」

「こ、こら、急に目をハート型にするんじゃねえよ。気持ち悪いな!」
ダグラスの声も、耳に入らない。
あの人が、ぼくを呼んでいる・・・。ぼくを必要としている・・・。
ぼくは気が遠くなり、心はすでにザールブルグに向かっていた。
猫が、また、みゃあ、と鳴いた。

ぼくは小屋に戻ると、しまい込んであった聖騎士の鎧を取り出し、あわただしく旅支度を整えた。
その間も、雌猫はぼくにまとわりつき、心配そうに鳴き声をあげる。
「大丈夫だよ。必ず戻ってくるから・・・」
小屋を出、猫を隣人に預ける。
待ちくたびれたように、すぐに先頭に立ち、歩きはじめるダグラス。

「それじゃ・・・」
隣人に一声かけ、一歩を踏み出す。
背後から、隣人の声が耳に届く。
「エンデルクに会ったら、伝えてくれ・・・。シュワルベが、よろしく言っていたと・・・」
猫が、寂しげに、みゃあ、と鳴いた。


ザールブルグに着くと、すぐにシグザール城に向かった。
懐かしい中庭。
何度も、剣の訓練であの人と手合わせし、幸せを感じていた場所だ。

あの人も、そこにいた。
たくましい身体と引き締まった筋肉。人の心の底まで見通すような、鋭い眼光。さらさらした黒髪・・・。
あの人は、少しも変わってはいなかった。
「久しぶりだな・・・。さっそくだが、お前の力を借りたい・・・。詳しい話は、途中でするとしよう・・・」

低い声、落ち着いた口調で、あの人は言う。
ぼくが突然、ザールブルグを去った理由については、何も聞かない。
旅の途中、ダグラスから聞いた話では、あの人も周囲からぼくの話を聞いているはずだという。
でも、あの人は一言も、そのことには触れなかった。
ぼくには、それがなぜか嬉しかった。

目的地は、エアフォルクの塔だそうだ。
「あの塔の屋上に、魔物が巣食っている・・・」
あの人は、静かに話す。
「何人もの戦士や冒険者、魔術師などが退治に向かったが、すべて失敗に終わった・・・」
「みんな・・・殺されてしまったのですか?」
不安を感じて、ぼくは思わず尋ねる。

「いや・・・全員、無事に戻ってきた。だが、魔物には指ひとつ触れられなかったのだ・・・。この私さえも・・・」
「エンデルク様まで!? そ、それでは、ぼくなどが行っても・・・」
さらに不安が高まる。
「いや・・・。これは推測だが、あの魔物の魔力に勝てるのは、お前だけなのではないか、と思うのだ・・・」
あの人は、重々しく語ると、その後は黙々と歩を進めた。

エアフォルクの塔の周囲は、王室騎士隊が交代で固め、住民が近づかないようにしていた。
騎士たちに混じって、錬金術服に身を包んだ女性の姿もある。
黒い錬金術服姿の背の高い女性が、鋭い目付きで値踏みするようにぼくを見据える。
「ふふふふ。その聖騎士が、例の『彼』ね。もうすぐ、わたしの推測が当たっているかどうか、わかるわけね。ふふふふふ・・・」

そのまま、ぼくはあの人やダグラスと共に、塔に足を踏み入れた。
途中の階にも、様々な魔物が棲みついているはずだが、今は騎士隊が何度も討伐しているため、静まり返っている。
「狼もエルフも、最上階にいるやつに比べたら、かすみたいなものさ」
ダグラスが、吐き捨てるように言う。

そうこうしているうちに、最上階につながる階段の下にたどりつく。
「ここからは、ダグラスとふたりで行け・・・。お前は、ダグラスのことは気にせず、目の前にいる敵を倒せ。・・・もし、それが可能ならばだが」
あの人が言う。

「ええっ? 俺も行くんですか? 俺が行っても役に立たないことは、わかってるじゃないですか」
ダグラスが憮然として言う。
しかし、あの人は、平然と答える。
「敵は、あの魔物だけとは限らない・・・。その時には、お前の腕が必要なはずだ・・・」
たしかに、騎士としての剣の腕は、くやしいがダグラスの方がぼくよりも一枚も二枚も上だ。

「頼むぜ、先輩」
ダグラスに肩をたたかれ、ぼくは剣を抜くと階段を上りはじめる。

すぐに最上階に着いた。
広いフロアが前方に広がり、ところどころにがれきの山ができている。
あたりは、しん・・・と静まり返り、ダグラスとぼくの息遣いが、はっきりと聞き取れる。

と、フロアの中央付近に黒いもやもやとした影がゆっくりと立ち上がった。
「うう・・・」
ダグラスがうめく。
そして、彼の手から聖騎士の剣がぽろりと落ちた。

あわててダグラスを振り向く。
ぼくは唖然とした。
ダグラスの頬は赤く染まり、目はとろんとしている。顔の筋肉は緩み、騎士としての引き締まった表情はかけらも残っていない。
そして、その口からは、切れ切れに言葉がもれる。
「きれいだ・・・愛してる・・・」

ぼくが聞いても赤面してしまいそうな、愛と賛美の連続だ。
「いったい、どうしたんだ?」
ぼくは首を振り、再び前方に目を向ける。
正面のフロアに立ち上がった影は、今や黒いローブをまとった背の低い人影となっている。

(ダグラスのことは気にせず、目の前にいる敵を倒せ・・・)
あの人の言葉が脳裏によみがえる。
ぼくはそのまま突進し、ローブ越しに剣を叩き付けた。
「うぎゃっ!!」
悲鳴と共に、魔物は倒れ、黒ローブの陰で、その身体は見る見る崩れていく。

がっかりするくらい、あっさりと勝負はついた。
「あれ? 俺、どうしたんだ?」
振り返ると、ダグラスが目を白黒させている。
先ほどの締まりのない表情を思い出し、思わず小さく笑ってしまう。

「そうか・・・。俺、またやられちまったんだな。でも、治った・・・ということは」
「よくやってくれた・・・。大手柄だ」
いつのまにか、あの人が上ってきていた。
後ろに、騎士隊の面々や、錬金術師の女性も着いてきている。

「ふふふふ。やはり、わたしの考えが当たっていたようね。この魔物の能力はただひとつ・・・。その強力な『魅了』の術しか、身を守る手段がなかったんだわ」
「だから、その魔力が通じない者を相手にすれば、ひとたまりもない・・・そういうことか」
錬金術師とあの人が会話を交わしている。
が、ぼくには何のことやらさっぱりわからない。

あの人が振り向き、手を差し伸べる。
「塔に巣食った魔物・・・。この魔物の魔力は、敵に対して『もっとも魅力的な異性の姿』を投射する能力だったらしい・・・。だから、退治に向かった者は、魅了され、男も女も腑抜けにされてしまったのだ・・・」
「くそ、俺ともあろう者が、二度も同じ目にあうとは・・・」
そばで、ダグラスがくやしそうに言う。

そう・・・だったのか。
やっと、理解できた。
あの人が、ぼくを呼んだ理由・・・。
ぼくにしか、魔物に勝つことはできない、と言った理由が。

ぼくにとって、異性は魅力的ではない。
だから、あの魔物の魔力は、ぼくには少しも効かなかったのだ。
真相を知って、ぼくは複雑な気分になった。
あの人が必要としていたのは、ぼくではない。
ぼくの、この他人とは違う心のあり方だけだったのだ。

そうは思ったが・・・。
「よくやってくれた・・・。感謝する」
と、あの人がぼくの肩を抱いてくれた時・・・。
やっぱり、ぼくは最高に嬉しかった。

騎士団に復帰しないか、という誘いもあったが。
ぼくは、南の森に帰ることにした。
やはり、ザールブルグに、ぼくの居場所はない。

それにしても・・・。
あの人が、塔の最上階で、あの魔物と向き合った時。
あの人の目に映ったのは、やはりあの女(ひと)の姿だったのだろうか・・・。

<おわり>


○にのあとがき>

え〜。
ちょっと、他の作品と雰囲気がちがうと思いませんでしたか?

実は、この作品、Alchimistの玉子に掲載されている、はとぽっぽさんの「『彼』の旅立ち」の後日談という設定なのです。
はとぽっぽさんのホームページ、某!HP!!に差し上げました。

恋(!?)に破れザールブルグを去った『彼』が、その後どうしていたか・・・。
そんなことを考えているうちに、浮かんできたストーリーです。

それにしても、気の毒なのは、エアフォルクの塔にいた魔物ですね。
考えてみれば、何にも悪いことしていないのに・・・。

あと、はとぽっぽさんから出された疑問がひとつ。
ダグラスの目には、誰が映っていたんでしょうかね?


戻る