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騎士の旅立ち


キシャアアアアッ!!
身も凍るような奇声を発して、巨大な影が頭上から襲いかかる。

「はっ!」
騎士は、飛び退きざま、腰に差したレイピアを鞘ばしらせる。
地上に降り立った魔物は、鋭いかぎ爪のついた長い腕を振り上げ、騎士を引き裂こうと迫る。
身軽なステップを踏んで毛むくじゃらの腕をかいくぐり、騎士は魔物のふところに跳びこんだ。

「てぇい!!」
銀色にきらめくレイピアが、怪物の脇腹をえぐった。
しかし、致命傷にはいたらない。
向き直った魔物は、コウモリのような黒い翼を広げ、再び舞い上がる。
騎士は抜き身のレイピアを握ったまま、木々の間を走り抜け、巨木を背に迎え撃つ。
脇腹の傷から赤茶色の血をしたたらせながらも、3つの目をぎらぎらと光らせ、獲物を逃がすまいと、森の魔物は跳びかかる。
その刹那。

「いやあっ!!」
気合いをこめてほとばしった叫びと共に、レイピアが突き出され、騎士の右腕と一体になったかのように魔物の胸板を刺し貫いた。
グワアッ!!
苦悶の悲鳴を上げ、一瞬、しびれたように動きを止めた魔物は、騎士がレイピアを引き抜くと同時に、どうと地面に倒れこんだ。
肩で大きく息をした騎士は、冷ややかな目で苦しむ魔物を見下ろす。
魔物の生命力は強い。鋭い牙の並んだ口から血の混じった唾液を流しながら、まだそのかぎ爪は、餌食を求めるかのように妖しくうごめいている。

「ふ・・・」
騎士は、止めを刺そうと、レイピアを振りかぶる。
一瞬、魔物と目が合う。
魔物の目から狂暴さは消え、憐れみを求めるかのように訴えかけるような表情を浮かべている。
それを見た騎士は、振りかぶっていたレイピアを下ろすと、そのままきびすを返し、立ち去ろうとした。

その瞬間、魔物の口から蛇のような長い舌が伸びた。ざらざらした舌が騎士の脚に巻きつき、引きずり倒す。
「あっ!!」
騎士はあわてたが、レイピアを手から離さなかったことが幸いした。
倒れながらも素早い動きで上半身を起こし、地獄への道連れにしようと伸びてきた断末魔の魔物のかぎ爪をはねのけた。そして、魔物の額の真ん中にある3つ目の目をレイピアで貫く。
今度こそ、魔物の全身から力が抜けた。黒く巨大な翼が、喪服のように魔物の身体を力なく覆う。
それでも、騎士の右足に巻きついた舌は離れず、レイピアを使って切り離さなければならなかった。

すね当ての隙間から入りこんだ怪物の唾液に含まれた毒が、皮膚を冒し、火傷したような鋭い痛みをもたらす。
あたりの気配をうかがい、危険のないことを確かめると、騎士はすね当てをはずし、薬草を煎じた液を浸した布で手当てを始めた。

その口元に、自嘲気味の笑みが浮かぶ。
「ふ・・・。私も甘いな・・・」
つぶやく騎士の脳裏に、父親の言葉がよみがえってくる。
(その甘さが、お前の命取りだ。いつか、それを思い知ることになるだろう・・・。氷のような非情さを身につけぬ限り、お前をこの城の後継者とみなすことはできぬ・・・)
「その通りだ・・・。あの城は、私のいるべき場所ではない・・・」

手当てを終えると、騎士はレイピアを鞘に収め、立ち上がった。
頭上を振り仰ぐ。
生暖かい風にざわめく不気味な木々の葉越しに見えるのは、どんよりと低くたれこめた黒雲ばかりだ。
薄暗い森のそこここで、血の色をしたツタがからまり、繁みの中で形をも知れない毒虫が蠢く。
この森が誕生して以来、この地に陽の光が射したことはない。いや、陽光など、この地に巣食う妖しげなものどもにとっては、いとわしくおぞましいものでしかなかったのだ。
そう、この魔界では・・・。

その魔界の森の中を、騎士はただひとり、自信に満ちた足取りで歩を進めていく。行く手をはばむ吸血植物や小悪魔を、銀のレイピアでなぎはらいながら。
(ここも、私の故郷ではない・・・)
騎士は想いをはせる。

城を出て、すでに一昼夜。騎士の目的地は、もうすぐだ。
そこは、禁断の土地。
魔界に棲む妖魔や精魅どもにとってさえ、侵犯することを許されない、禁忌の領域であった。
そこには、遥かな過去から、恐るべき魔女が住みついているという。その結界に足を踏み入れようとした魔物は、すべてが滅び去り、その邪悪な魂さえも打ち砕かれてしまうと噂されていた。
だが、騎士は心の中のなにかに突き動かされるようにして、その禁断の領域に向かっていた。そこにいる“もの”は、自分には害をなさない・・・そのような、奇妙な確信に支配されながら。

その場所は、突然、目の前に現われた。
いや、現われたという言葉は適切ではなかった。
そこは、完全なる“虚無”に支配されていた。
森を抜けた先には、木々も、地面も、黒雲に覆われていた空すら存在せず、ただ上から下まで空白が広がっていた。

騎士は、足を止めた。騎士の心に驚きはない。なぜか、このような光景に出会うものと、以前から予想していたかのようにさえ感じている。
「ここが、魔女の住処か・・・」
騎士は口元に笑みすら浮かべ、つぶやいた。不思議なことに、恐怖は感じない。
そして、目を閉じる。
騎士の体内から、魔力が徐々に流れ出ていく。たゆたう霧のように、ゆっくりと“虚無”の中に魔力は分け入っていく。最初はおずおずと、しかしやがては確信をもって・・・。

しばらくの後。
騎士は、目を閉じたまま、ゆっくりと“虚無”の中に歩を進めた。
騎士の心の目には、自らの魔力によってつむぎ出された一筋の道が、はっきりと見えていたのだ。
騎士は、心眼で道をたどり、ついに“虚無”の中心に行き着いた。
目を開く。
今度こそ、騎士は驚きを禁じ得なかった。

たしかに、そこは魔女の住処であった。
しかし、そこにはおぞましい黒魔術の道具もなければ、生け贄を捧げる暗黒の祭壇もなかった。
暖かく、居心地のよさそうな室内には、暖炉が燃え、ふかふかした敷物の上に、上品そうな顔立ちをした初老の女性が腰を下ろしていた。
その女性の瞳には、邪悪さはかけらもなく、慈愛に満ちた表情を浮かべていた。

騎士は、吸い寄せられるように、女性のそばに腰を下ろした。
このすべてが、邪悪な魔女の作り出したまやかしかも知れない、という思いが一瞬よぎったが、騎士は自分の本能の方を信じた。
「それで、よかったのよ・・・」
女性が口を開いた。
「さあ、あなたは何を求めて来たの?」

騎士は一瞬、口ごもったが、思いきって口を開く。
「私は・・・答えを求めに来た。自分の、本当の・・・」
「・・・居場所はどこか、と」
老婦人が言葉をひきとる。
騎士はつぶやくように続ける。
「そう・・・。私は、この世界に生まれ、育った・・・。だが、わが父が言うように、私はこの世界のものではなく、この世界も私のものではない・・・」

「血が、呼んでいるのですよ・・・。あなたの身体に流れる、もうひとつの血が・・・」
魔女が、言い聞かせるようにささやく。そして、
「ただの魔界のものならば、この結界に近付くだけで、滅び去っていたはず。あなたの血には、それをさまたげるものがあるわ・・・」
「私の、血・・・」
騎士は、自分のてのひらをじっと見つめた。

魔女は、静かな口調で続ける。
「行きなさい・・・。この先に、扉がある。生身の目には見えないけれど、あなたの血が、あなたの中にある、母親の血が導いてくれるはず・・・。その向こうに、もうひとつの世界がある。どちらの世界を選ぶか、それはあなたが決めること。・・・いや、それとも、世界の方があなたを選ぶのかも知れないね」
魔女が指し示す先には、先ほどまではなかった扉があった。

「そこを抜けると、塔に出る。出入り口として使われている塔・・・。あなたの父親も、時々行っているようだけれど、出くわすことは、まずないでしょう。あなたがそれを望まない限りはね・・・」
これ以上言うことはない、というように、魔女は口をつぐんだ。
騎士は立ち上がり、感謝のしぐさをして新たな扉に向かう。
扉に手をかけ、振り返ると、騎士ははっきりとした口調で言った。
「感謝する、母上・・・」
魔女・・・人間界にいれば“女賢者”と呼ばれたであろう女性は、微笑んで、うなずいた。

扉を抜けた先は、闇にとざされただだっぴろい空間だった。
しかし、闇の世界で育った騎士には、何の邪魔にもならない。
広間の片隅に下への階段を見つけ、ゆっくりと下りる。
そこは、塔の最上階だったらしい。
下りて行く階のそこここに、魔界のものの存在を感じるが、雑魚ばかりだ。 騎士の発する“気”に気おされるように、遠くからうかがうばかりで、近付いて来ようとする魔物はいない。
そして、地上階に着いた騎士は、重い扉を押し開けた。

そこには、まったく違った世界が開けていた。
塔の前庭には色とりどりの草花が咲き乱れ、吹き行くそよ風に揺らめいている。あたりからは、小鳥のさえずりが聞こえて来る。
そして、何よりも、そこには眩しい陽光があった。青い空に、白い雲が流れていた。
騎士は胸を張り、空を振り仰ぐと、右手で赤い髪をかきあげた。
左手で、腰に差したレイピアを確かめると、さわやかな風に長い赤髪をなびかせ、キルエリッヒ・ファグナーは新しい世界に向かって、一歩を踏み出した。


ザールブルグの街で、「見慣れない女騎士がうろうろしている」という噂が流れるようになったのは、このしばらく後のことである。

<おわり>


○にのあとがき>

なんか、『少女の決意』キリーさん篇、という感じになってしまいましたが・・・。
急に、ヒロイック・ファンタジー風味のものを書きたくなって、構想3日で書きなぐってしまった作品です。

網海月さんから、キリーさんの出る作品が見たい、というようなご希望も出ていましたし、魔界を描くならキリーさんが主人公だな、と。
これを書いてるうちに、本格的な魔界冒険もの(一応アトリエキャラ出演)も書きたくなってきました。主人公は決めたのですが、詳細未定。時期も未定(来世紀だな)。

ご感想など、お聞かせいただければ嬉しいです。


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