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〜40000HIT記念リクエスト小説<歩く100dB様へ>〜

錬金術師の条件


Present

それは、シア・ドナースタークの全快祝賀パーティーでのことだった。
「ところでマルローネ。あなたはなぜ、錬金術師になろうと思ったのかしら?」
「ふぇ?」
師の言葉に、大皿に盛ったカナッペとケーキを交互にほおばっていた金髪の娘が、目を丸くして振り向く。 口のまわりは生クリームだらけで、上衣を兼ねたマントにはカステラのかすが散らばり、こぼしたワインやスープが染みになってまだら模様を作っている。
「まったく、だらしのなさ、ここに極まれり、ですね。まあ、あの工房の散らかりようを見れば、今日のこの姿も納得がいくというものですが」
そばでワインをちびちびやっていた銀縁眼鏡の青年が、皮肉っぽい口調で言う。錬金術を教える魔法学院ザールブルグ・アカデミーの主席、クライスだ。
「もう、うるさいわね。それに、なんでクライスは、さっきからあたしの後ばかりくっついて歩いてるのよ。だいたい、あんたはね・・・!!」
言いながら、マルローネはケーキの大きな固まりを飲み下そうとしたが、のどにつかえてしまった。あわててクライスの手からワイングラスを引ったくり、中身を一気に飲み干す。
「ふう・・・。やっと落ち着いた・・・。クライス、ワインのお代りお願い」
あ然として言葉もないクライスに、空のグラスを返すと、マルローネはあらためて師の方を振り返る。
「・・・で、何でしたっけ、イングリド先生?」
マルローネの瞳の色と同じ、青いカクテルのグラスを手にしたイングリドは、あきれたように肩をすくめて見せた。
「さっき言ったでしょう。わたくしは、いつもあなたに小言を言うばかりで、ゆっくり話をしたことがないことに気が付いたのよ。あなたがなぜ、錬金術を学ぼうと思ったのか、これまで聞いたことがなかった、とね」
アカデミーの教師で、凄腕の錬金術師でもあるイングリドは、アカデミー史上最低の成績を続け、普通の方法では卒業もおぼつかないマルローネの担任でもあった。そして、マルローネに1軒の工房を貸し与え、5年間の特別試験を課したのである。それは、5年間のうちに自力で錬金術のアイテムを作り出すことだった。
その試験期間も、半ばをとうに過ぎている。
しかし、マルローネは、ひとつの結果を出していた。
長年、病に苦しみ、命すら危ぶまれていた親友のシアを、自らの手で作り出した究極の薬『エリキシル剤』で、見事に病魔から救い出したのだ。
そして今日は、ザールブルグ有数の貴族であるシアの実家、ドナースターク家が開いた、ひとり娘の全快パーティーの席だ。
「ほんの内輪のパーティーなのよ」
とシアは言っていたが、来客は王室関係者から貴族、商人、アカデミー関係者など多士におよび、ドナースターク家の広間と中庭にあふれていた。
その主役が、ドレスの裾をふわりとなびかせて、マルローネたちのところに現われる。
「どう、マリー、楽しんでくれてる?」
シア・ドナースタークは茶色の長い髪を三つ編みにまとめ、フリルの付いた上品そうな白のドレスをまとっている。まだあどけなさの残る顔立ちは、実年齢よりかなり年下に見える。緑色の大きな瞳で一同を見つめる顔は血色が良く、つい先日までやつれ果ててベッドから起きることもままならなかったとは思えないほどだ。
「うん、もっちろん! こ〜んなごちそう、久しぶりだもんね」
「うふふ、喜んでもらえて嬉しいわ。あたしがこんなに元気になれたのも、マリーが作ってくれたお薬のおかげですもの。どんどん食べてね」
「うん、遠慮なんかしないよ。おめでたい席だもんね」
「まあ、もともとマルローネさんはおめでたい人ですからね・・・。こういう席にはお似合いですよ」
「クライス、うるさ〜い!」
クライスを狙ったパンチは空を切る。
「ねえ、マリー、あっちで座らない? あたしも立ちっぱなしで、少し疲れちゃったし」
シアが誘う。
パーティーも、終わりに近づいていた。
イングリド、クライス、マリーの3人は、シアに導かれて、広間の片隅にしつらえられたソファーに腰を下ろす。もっとも、マリーはその前に料理のテーブルへ行って、自分の皿にデザートを山盛りにするのを忘れなかったが。
「さてと・・・。それで、何でしたっけ、イングリド先生?」
マルローネの問いに、クライスは口を押さえて笑いをこらえ、イングリドは苦笑した。それまでの状況を知らないシアだけが、きょとんとしている。
「まったく・・・。あなたの思考回路は本当に尋常ではないわね。わたくしは、あなたがなぜ錬金術を志すようになったのか、知りたかったのよ」
「はあ。でもイングリド先生、何で今ごろ?」
「そうね、今回あなたが『エリキシル剤』を作り出したことで、わたくしの認識も変わったの。これまで、わたくしはあなたに対しては怒ってばかりで、本質的な話をして来なかったことに気付いてね、ちょっと反省したところなのよ」
イングリドが微笑む。イングリドの笑顔に慣れていないマルローネは、かえって背中がぞくりとした。マルローネがシアのために『エリキシル剤』を調合しようとしているという話を聞いて、万が一のためにイングリドが自分の研究室に『アルテナの傷薬』など、『エリキシル剤』の材料をひそかに準備していたことは、誰も知らない。
「・・・それと、ちょっとした好奇心かしら?」
イングリドは言葉を切った。
「好奇心・・・ですか。う〜ん、あたしが錬金術師になろうと思ったのはなぜか・・・。え〜と、う〜ん」
このようなシンプルな問いには、かえって答えを出すのが難しいものだ。
頭を抱えて考え込んでしまったマリーに、シアが言う。
「ほら、マリー、きっかけと言ったら、あの時じゃないかしら。グランビル村に、錬金術師のお姉さんが来た時・・・」
マリーは、顔を上げた。空色の瞳が輝く。
「そっか、あの時か・・・」


Past

石灰岩の大地は、どこまでも荒涼として、果てしなく続いているかのようだった。
地面からそこここに突き出している奇岩の間を縫うように、うねうねと曲がりくねった街道が伸びている。
この街道の先にあるグランビル村は、辺境の村だが、繊細で豪奢な織物の生産で名高い。しかし、行き来するにはそれなりの危険を覚悟しなければならない。岩陰には、大トカゲにコウモリの翼をつけたような怪物のアポステルがひそみ、旅人の肉をむさぼろうと群れをなして狙っている。
そんなわけで、交易商人たちも小人数で旅をすることはせず、冒険者などを護衛に雇い、大人数の隊商を組んで、この石灰街道を押しわたるのが常だ。
そのことからすると、今、陽光を浴びながら歩を進めている旅の一行は、珍しいと言ってよかった。
女性ひとりと男性ふたりという、奇妙な取り合わせ。女性と男性のひとりは大きなかごを背負っており、もうひとりの男性は青く輝く重鎧を身にまとい、長剣を手挟んでいる。
「おい、リリー、何度も同じことをきいて悪いんだがな・・・」
かごを背負った方の男性が低い声で言う。彼は冒険者がまとうような厚手の布の服を身に着けている。見たところ、武器の類は持っていないようだ。
「なんで、俺はかごを背負ってて、この金髪の騎士野郎は手ぶらなんだ?」
「あら、当然じゃない、ヴェルナー」
と、薄茶色の頭巾をかぶり、活動的なズボンに青い錬金術服をはおった女性が、振り返って言う。彼女の名はリリー。錬金術師である。数年前、はるか西の大陸エル・バドールから、錬金術を普及させるために師のドルニエらと共にザールブルグへやって来たのだ。
「ヴェルナーは、グランビル村に交易に行くわけだから、交易用の商品を持って行くのが当然でしょ。ウルリッヒ様は、ウォルフ退治が目的なんだから、剣と鎧さえあればいいわけだもん。わかる?」
「それは・・・そうだけどよ」
ザールブルグの『職人通り』に骨董品中心の雑貨屋を開いているヴェルナーは、不服そうに口をつぐんだ。彼のかごの中には、グランビル村名産の織物と交換する予定の様々な商品が入っており、ずしりと背中にのしかかっている。

一方、少し遅れて歩いていた金髪の聖騎士ウルリッヒは、空を見上げ、つぶやいた。
「ふむ・・・。いい気候だ・・・。時には城勤めを離れ、このようなところを旅するのも悪くない・・・」
耳ざとく聞きつけたリリーが振り返る。
「ね、やっぱり来てよかったでしょ、ウルリッヒ様」
リリーは、過去に2回、この街道を旅したことがある。前回は、グランビル村の近郊に出現したという『ウォルフの王』を調査に来た。その時は、リリーの弟子でもあるふたりの少女、イングリドとヘルミーナが一緒だった。そして、首尾よく『ウォルフの王』を退治することに成功したのだった。
しかし、再び、グランビル周辺にはウォルフの群れが出没し、村人たちは不安におびえているという。
「・・・けどよ、いくら騎士隊宛てに依頼が来たからって、副隊長さん自らが調査に出向いて来なくたっていいんじゃねえか」
ヴェルナーは、まだぶつぶつ言っている。
(ったく、リリーと一緒にいられると思って、グランビル村へ交易に行く用事をわざわざ作ったってのによ、これじゃてんであて外れだぜ)
ヴェルナーはポケットに入れた指輪の小箱をまさぐって、ため息をついた。
(当分、こいつもお蔵入りだな・・・)
「もう、ヴェルナーったら、ぶつぶつうるさいわよ! もう少し、ウルリッヒ様みたいに景色を楽しんでみたら?」
リリーが言う。
ヴェルナーは、いかにも仲良さそうに寄り添って見えるリリーとウルリッヒをじろりとにらんで、言い返す。
「けっ、こんな殺風景な場所がきれいに見えるなんて、気が知れねえや。さ、行こうぜ。いいかげん、野宿にも飽きたしな。早く宿屋のベッドで眠りたいぜ」
ヴェルナーにとっては、かごの背負いひもが、ますます重く食い込んでくるように思えた。

グランビル村に近づくにつれ、ごつごつした岩だらけの風景に緑が混ざり始め、やがて街道は森の中の一本道に変わる。
この小さな森を抜ければ、グランビル村ののどかな景色が見えてくるはずだ。
「ん?」
ウルリッヒが、ふと足を止め、頭上を振り仰ぐ。
木々の葉むらが風にざわめいている他は、何も見えない。
「どうしたんですか、ウルリッヒ様?」
リリーも足を止める。
「・・・。いや、なにか気配を感じたものでな・・・」
「敵か・・・。おもしろい」
ヴェルナーがポケットから投げナイフを取り出す。
だが、ウルリッヒが押しとどめた。
「いや、敵意は感じられない。心配は要らぬようだ・・・」
「けっ、大方、猿でもいたんだろうよ」
ヴェルナーの言葉に、再び3人が歩き始めようとした時・・・。
頭上の枝が、ざわざわと揺れ動いた。
「そこだ!」
ウルリッヒが叫び、地面から拾い上げた小石を頭上に投げ上げる。
小石は枝に当たり、乾いた音を立てた。
「きゃあ!」
小さな悲鳴があがり、バキボキと小枝が折れる音とともに、女の子が落ちてきた。
「ふぎゃっ!」
リリーがもんどりうって倒れる。しかし、背負ったかごがクッション代りになって、衝撃を受け止めてくれたようだ。リリーの身体にぶつかった女の子は、一回転して着地し、そのままぺたんと地面に座りこんでいる。女の子の年齢は7〜8歳だろうか。髪の毛は木の葉や土埃がこびりついているが、洗えばきれいな金髪になるだろう。大きな空色の瞳をびっくりしたように見開いている。薄茶色のチュニックにミニスカートという活動的な格好で、むき出しの腕や脚はすり傷だらけだ。
「あいたたた・・・」
リリーがかごを外し、手をついて半身を起こす。だが、ウルリッヒもヴェルナーも、女の子の方に気を取られていて、手助けする気配はない。
(あ〜あ、以前はエルザが落っこちて来るし・・・。なんであたしばかりがこんな目にあうのよ。とほほ・・・)
心の中でぼやいたリリーだが、すぐに女の子の方が心配になる。
「あ、あなた、大丈夫? ねえ、けが、しなかった?」
リリーが女の子に尋ねる。
女の子は我に返ったように、ぶるん、と小犬のように首を振ると、はきはきした声で答える。
「うん、ぜ〜んぜん、平気よ。ねえ、お姉ちゃん、どこから来たの?」
後ろでは、ウルリッヒとヴェルナーがそれぞれの思いにふけっている。
(あの反射神経・・・。ただ者ではない・・・)
とウルリッヒは思った。
(こりゃあ、リリー以上のおてんばだぜ・・・)
これはヴェルナー。
リリーは、女の子の問いには答えず、続ける。
「ねえ、あなた、グランビル村の子でしょ? どうして木の上なんかにいたの?」
「見張りよ。オオカミや魔物が来ないか、見張ってたの。そしたら、お姉ちゃんたちが来るのが見えたから、ずっと木を伝って、後について来たの」
「へえ、すごいわ。身軽なのねえ。・・・あたしはリリー。ザールブルグという町から来たのよ。2年くらい前にも来たんだけど、あなたには会わなかったわね。あなた、名前は?」
「あたしはマルローネ。マリーって呼んで」
それが、マルローネとリリーの出会いだった。

その夜。
村の名士であるドナースターク家に案内された一行は、早めの夕食を取り、あくる日の行動に備えて、早く休むことにした。翌日は、村の東に位置する通称『ウォルフの森』に、調査に出かける予定だ。
リリーもウルリッヒも、あてがわれた寝室に下がっていたが、気の早いヴェルナーは、さっそく当主のドナースターク氏を相手に商談に入っていた。
「これが、わが村が誇る、グランビル織物です」
当主が出してきた七色の布地は、目の肥えたヴェルナーでさえもうなった。
「こいつはすげえ逸品だな・・・。材料も、半端じゃねえ」
「ほほう、お目が高い。よくおわかりですね。これらの布は、村で養殖している特殊な国宝虫が出す繊維から作られているのですよ。これだけのものは、他の土地では見つからないでしょう」
「よし、決めた。全部もらうぜ。代金は・・・そうだな、『アードラの羽根』20個でどうだ」
ヴェルナーは、かごに入れてザールブルグから担いできた品物を、テーブルに並べてみせる。
『アードラの羽根』の他、『アザミ茶葉』や『星のかけら』など、軽くてかさばらず、しかもグランビル村で高く売れる品々を持ってきたのだ。これも、リリーの情報があればこそである。
ドナースターク氏は、しぶい表情をして見せた。
「ううむ、それはいささか厳しいですな。いかがでしょう、その他に、これとこれを付けていただければ、考えないでもないのですが・・・」
「おいおい、待ってくれよ。それじゃあ、こっちの足代も出ないぜ。譲歩できるのは、ここまでだな」
「・・・。では、こちらも付けましょう。それで、先ほどの条件ではいかがです?」
「あんたも商売がうまいな・・・。もう一声! これでどうだ」
「よろしい。それで手を打ちましょう。何と言っても、遠い道をわざわざ来ていただいたのですからな」
ヴェルナーとドナースターク氏は握手を交わした。
当主は手を叩き、メイドにブランデーを運ばせる。暖炉脇のソファーに座を移し、ヴェルナーとドナースターク氏は雑談にふけった。
「それにしても、あの織物はすげえ。あれがあれば、来年の展覧会は、上位入賞を狙えそうだぜ」
「ほう、展覧会ですか」
「ああ、そうさ。ザールブルグ中の、いろんなギルドが参加する。そこで上位に入れば、王室から多額の援助金を受けられるという寸法だ」
「なるほど・・・。ふうむ」
ドナースターク氏は、思いふける表情になった。
「どうかしたのかい?」
「あ、いや・・・。その展覧会には、私どものような者でも、参加できるのかと思いましてな」
「ふうん。詳しくは知らねえが、元々のザールブルグ市民じゃなくても、ザールブルグに住んでいれば、出品はできると思うぜ。現に、別の大陸から来たっていうリリーなんかも、参加しているしな」
「そうですか・・・。実は、私は以前から考えていたのですよ。この小さな村にいたのでは、これ以上、事業を広げることはできません。できれば、ザールブルグに進出して、グランビルの織物をもっと広く売りさばきたい、とね・・・。それに、うちのひとり娘は身体が弱く、満足な医者もいないこの村に置いておくのは不安なのですよ。ザールブルグへ行けば、医者もたくさんいるし、いい薬もすぐに手に入るでしょうからね」
「そうか・・・。もし、本気でザールブルグに出てくる気があるのなら、何でも言ってくれよ。力になれると思うぜ」
「ははは、まあ、実際に引っ越すとなれば、いろいろと準備も必要ですし、早くても数年先になるでしょうがね。その時には、よろしくお願いしますよ」
口をつぐむと、ふたりの商人は暖炉の炎を見つめ、それぞれの物思いにふけった。
屋敷の2階の来客用の寝室では、リリーとウルリッヒが、それぞれ穏やかな寝息をたてている。
暖炉で燃える焚き木が、大きく弾ける。
グランビル村の夜は、更けていった。

翌朝。
日が昇る前に、ウルリッヒは目覚めた。
そっとベッドを出て、大きく伸びをする。
前日までは、何日も野宿が続き、安心して眠れたのは久しぶりだった。
しかし、騎士の習慣か、目覚めるのは早い。
ウルリッヒは、音を立てないようにドアを開け、廊下をうかがった。
ドナースターク家の屋敷は、ひっそりと静まり返り、住人はまだ寝静まっているようだ。
ウルリッヒは剣を手に、足音をしのばせて階段を降りる。
1階の広間から、中庭に面したテラスを抜け、朝露に濡れた芝生を踏みしめる。
鎧は身に着けておらず、黒い肌着のままだ。
中庭は、立ち並んだアイヒェの木によって、その向こうの農地や牧草地と隔てられている。
ウルリッヒは、手近なアイヒェの木に向かって立つと、剣を鞘から抜いた。
ザールブルグのファブリック製鉄工房の跡取り娘、カリンがウルリッヒのために鍛えた名剣だ。
重さ、長さともに申し分なく、握りの部分もすっぽりと自然に手に収まる。
自分の腕の延長のように感じる剣だ。
ウルリッヒは大きく息を吸い、水平に剣を構える。
アイヒェの木を敵に見立て、ウルリッヒは聖騎士の基本動作を繰り返した。
重い剣を自在に操り、突きを入れ、なぎ上げ、振り下ろす。
吐く息が白く漂い、肌着が汗ばんでくる。
背後に太陽が昇ってくるのも意に介さず、ウルリッヒはおのれを鍛えることに没頭していた。
ふと、ウルリッヒは気配を感じて、剣を止める。
振り向くと、テラスの柱につかまって、こちらを見ている女の子に気付いた。
昨日、木の上から落ちてきたマルローネではない。
が、年格好はマルローネと同じか、やや年下に見える。
ローブをはおり、長い茶色の髪を束ねて背中に下ろしている。あどけない緑色の目を大きく見開いて、若干のおびえを見せながら、ウルリッヒの視線を受け止めている。
ウルリッヒが口元をほころばすと、女の子もおびえた様子が消え、ぎこちなく笑顔を作った。
剣を鞘に収めたウルリッヒは、女の子に向かって正式な騎士の礼をして見せた。
「私はウルリッヒだ。あなたの名前を、教えてもらえるだろうか・・・?」
女の子は、ローブの裾を軽く持ち上げ、精一杯上品そうに、礼を返した。
「あたしは、シア。シア・ドナースターク。・・・ねえ、おじちゃん、騎士なの?」
「“おじちゃん”はひどいな。私はまだ、そんな歳ではない」
「ごめんなさい・・・。じゃあ、お兄ちゃんね」
「そうだ・・・。それでいい」
「じゃあ、騎士のお兄ちゃん。お兄ちゃんって、強いんでしょ」
「・・・さあ、どうだろうか」
「うらやましいなあ・・・」
「ん、どうしてだ?」
「あたし、生まれつき、身体が弱いの。寒くなると、すぐに風邪をひいちゃうし、マリーと一緒に遊んでいても、すぐ息が切れちゃうし・・・」
シアは悲しそうに目を伏せた。
「そのように、悲観するものではない・・・」
ウルリッヒは、優しく言葉を続ける。
「私も、子供の頃は、ひ弱だった・・・。すぐに病気になったし、治るのも長引いた。そういう自分が、いやでいやで仕方がなかった・・・。だから、私は自分を鍛えたのだ」
「自分を、鍛える・・・?」
「そうだ・・・。自分の弱さをしっかりと見つめ、それを克服するように、努力するのだ。そのためには、まず自分を信じることだ・・・。そうすれば、必ず、道は開ける・・・」
その言葉は、かつての自分がリリーにさとされた言葉でもあった。あの『黒の乗り手』との戦いの中で、ウルリッヒは弱い自分と向き合い、過去と訣別することができたのだ。
シアは大きな緑色の目でウルリッヒを見付けていたが、ゆっくりとうなずいた。
「うん、あたし、がんばる!」
十数年後、このウルリッヒの言葉は、思いもかけない形で実現することとなる。病が癒えてマルローネと共に冒険し、強くなったシアは、ザールブルグの武闘大会で、ウルリッヒの跡を継いだ王室騎士隊長エンデルクを破ってしまうのだ。だが、それは別の物語である。

その、しばらく後。
朝食を済ませたリリーは、テラスのテーブルで、『ウォルフの森』へ行く準備を進めていた。
かごの中から、必要なアイテムや道具を取り出して並べる。
「う〜ん、ちょっと爆弾が足りなくなっちゃったわね。どうしようかなあ・・・」
グランビル村へたどり着くまでの道中は、思いのほか魔物の数が多く、たずさえてきた『フラム』はすべて使い切ってしまった。あと、残っているのは『クラフト』だけである。
考え込んだリリーは、腰のあたりをつつかれて、振り向いた。
「お姉ちゃん!」
昨日、木の上から降ってきた女の子、マルローネがにこにこして見上げている。
「お姉ちゃん、何してるの?」
好奇心にあふれた空色の目をくりくりさせて、マルローネはテーブルに並んだアイテムを、物珍しそうに見回している。
「これはね、錬金術の道具なのよ。爆弾とか、危ないものもあるから、触らないでね」
「爆弾!? すっご〜い。魔物をやっつけるのね。錬金術師って、強いんだ」
「あ、あはは、でもね、戦ったり、魔物をやっつけたりするのが、錬金術じゃないのよ」
リリーは苦笑いして言う。確かに、最近のリリーは、『黒の乗り手』を倒したり、ヴィラント山の毛むくじゃらの怪物をやっつけたり、戦ってばかりだ。アイテム調合の方は、弟子のイングリドやヘルミーナに任せっきりである。
「あのね、錬金術っていうのは、う〜んと、何て言ったらいいのかなあ・・・。無から有を作り出す・・・。これじゃ、わからないわよね。え〜と、いろいろな材料から、まったく別のものを作り出す研究なのよ。わかる?」
マルローネは、眉をひそめて考え込む。
(やっぱり、難しすぎたかなあ。イングリドやヘルミーナなら、もっと優しく、わかりやすく説明できるんだろうけど)
リリーが思い巡らしていると、マルローネはにっこり笑ってうなずいた。
「わかんない。・・・わかんないけど、わかったよ。魔法なんだね!」
「えっと・・・。まあ、そういうことでいいか。もっと大きくなれば、わかるようになるわよ」
言いながらも、
(これって、やっぱりごまかしよね・・・)
とリリーは思った。
「ねえ、爆弾って、どうやって作るの?」
マルローネが、無邪気に尋ねる。
「え〜と、それは、あはは・・・」
最初はなんとか笑ってごまかそうとしたリリーだが、不意に真顔になる。
「ねえ、マリー・・・だったっけ? この辺に、『うに』は落ちていないかしら?」
「うん、『うに』だったら、いっぱい落ちてるよ。拾って来てあげようか」
「本当? それじゃ、拾って来てくれない? そうしたら、爆弾の作り方、見せてあげるわ」
「やった! じゃあ、ちょっと待っててね」
マルローネは、ぱたぱたと駆け去っていった。
十数分後。
「やっほ〜。取ってきたよ〜」
マルローネは、両手にあふれんばかりの『うに』をかかえて戻ってきた。手と腕は『うに』の棘に刺されて、傷だらけになっているが、痛そうなそぶりも見せない。
(すごい・・・。まんま“野生児”って感じね。冒険者向きかも知れない・・・)
リリーは思ったが、口には出さず、『うに』の山を受け取る。
「ありがとう。それじゃ、リリー特製『うにクラフト』を作ってみるわね」
本来の『うにクラフト』は、爆発力の高い『うにゅう』を材料にするのだが、今日のところは普通の『うに』で間に合わせるつもりである。
手持ちの『クラフト』の包みを開け、中に適当な数の『うに』を詰め込む。もともと入っていた『ニューズ』と『うに』が反発し合って自爆しないように、時おり緑の中和剤を注いでいく。そして、再度包みをひもで縛り直せば、でき上がりである。
手慣れた手つきで作業を続けるリリーの手許を、マルローネは夢中になって見つめていた。
「さあ、完成」
午前中いっぱいをかけて、十数個の『うにクラフト』ができ上がった。
「うわあ、すごいすごい」
マルローネは手を叩いて喜んだが、やがてぽつりと言った。
「錬金術って、どうやったらできるようになるの?」
リリーはちょっと考えて、答えた。
「そうね、いろいろと勉強しなければいけないことはあるけど・・・。まずは、あなたのように、何にでも興味を持って、実際にやってみるということじゃないかな。いちばん大切なのは、好奇心だと思うわ」
「そう・・・。そうか!」
マルローネはつぶやくと、やにわにでき上がったばかりの『うにクラフト』をつかんだ。
「あ、ちょっと、何を・・・」
リリーが止める間もあればこそ。
マルローネは、
「えい!」
という掛け声と共に、中庭に向かって『うにクラフト』を投げつけた。
「きゃあっ!!」
激しい爆発音とともに、土や木のかけらが舞い上がる。
「何事だ!?」
ウルリッヒ、ヴェルナーを初め、ドナースターク家の家族や使用人たちが飛び出してくる。
土埃が晴れると、そこには、ずたずたになって根元からぽっきり折れたアイヒェの木があった。
そして、目を点にして茫然と立ちすくんでいるリリーと、得意満面なマルローネ。
「へえ・・・。爆弾って、すごいんだ」
「な、何するのよ、いきなり!? 危ないじゃない!」
リリーの叱責に、マルローネはとびきりの笑顔で答えて見せた。
「だって、何にでも興味を持って、試してみなさいって言ったのは、お姉ちゃんでしょ」
リリーは、ぐうの音も出ない。
そして、マルローネは、あ然として取り巻く人々の視線を集めたまま、右手を高く上げて、宣言した。
「こんな楽しいことって、ないわ。決めた! あたし、錬金術師になる!!」

<おわり>


○にのあとがき>

「ふかしぎダンジョン」の4万ヒットキリリク小説を、お届けします。ひいはあ(青息吐息)
いや、実はですね。歩く100dBさんから、キリリクのお題をいただいたのですが・・・。
これと同じ、リリーがグランビル村へ行く話を、つい最近、書いたばかりだったんです。
とある事情があって、まだ公開には至っていませんが)

んでもって、実は別の結末を用意していたのですが、ちびマリーが勝手に走り出してしまい、放っておいたらあんなことに(^^;
「ふうん、結局、マリーを『爆弾娘』にしてしまったのは、リリー先生だったわけね」(イングリド)
「そうですよね、あたしのせいじゃなかったんですよね」(マリー)
「いやあ、マルローネさんの場合、爆弾に関しては天賦の才というものが・・・」(クライス)
「クライス、うるさ〜い!!」(メガフラム炸裂)


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