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マリーの禁断の秘術


アカデミーの研究棟の奥、廊下の端からむき出しの石造りの階段を降りると、そこは狭い半地下の通路になっている。昼でも薄暗い通路は、壁に吊るされたランプで照らされ、天井はすすで真っ黒だ。
その通路の左側に設けられた重そうな樫作りの扉の前で、イクシーは立ち止まり、振り向く。
「さ、こちらの部屋です」
ケントニス・アカデミーの司書を務めるイクシーは、ケントニス人特有の左右の色が違う瞳を眼鏡の奥で光らせ、事務的な口調で、後に続いてきたマルローネに扉を示した。

一方、研究員としてこのアカデミーに籍を置いている錬金術師のマルローネは、感情表現豊かな青い両の瞳にうんざりした色を浮かべて、落ち着かなげにかかとで石の床を叩いている。
「ね、ねえ、イクシー、どうしてもやらなくちゃだめなの? いいじゃない、もう。あたしも十分に反省してるんだし」
いつもよりは、ややおずおずとした口調で切り出すマルローネ。しかし、イクシーは無表情なままで、
「だめです。これは、アカデミー運営委員会が決定したペナルティなのです。あなたが妙なホウキを作ったおかげで、生徒の重軽傷者7名、半壊した研究室がふたつ。この程度のペナルティでは甘過ぎるくらいです」

「だから、それは・・・。悪気があったんじゃないんだよ。あたしの研究室がきたないって、クライスが何度も言うもんだから、少しはきれいにしようと思って、生きてるホウキを作ったんだけど、ちょっと栄養剤を入れすぎちゃって」
「ちょっとどころではないのではないですか。取り押さえようとした生徒を片っ端から弾き飛ばして。あれでは『元気なホウキ』どころか、『狂暴なホウキ』です」
「でも、最後はあたしがちゃんと片をつけたじゃない。けがをした生徒たちにもアルテナの傷薬を作ってあげたし」
「そうでしたね。ただ、ホウキを破壊するために、アカデミーの構内でメガフラムを使う必要があったかどうかは疑問ですけれど」
イクシーは、口をつぐむと扉を指でさす。

マルローネは懇願するように、
「それにしても、ペナルティが書庫の整理だなんて・・・。あたしがいちばん苦手なことじゃない。ひどいよお・・・」
「苦手なことでなければ、ペナルティの意味がありません」
きっぱりと言ったイクシーが、扉を押し開ける。

いやいやながら、かび臭い書庫に足を踏み入れたマルローネが、ふと眉をひそめた。天井まで届く書架がいくつも並んだ中に、人の気配がする。
「あれ・・・? クライスじゃない」
マルローネの素っ頓狂な声に、書架と書架との間に立って、分厚い書物を開いていた錬金術服を着た長身の男性が振り向く。
書物を閉じると、右手で銀縁眼鏡の位置を整え、冷ややかな声で、
「おや、『爆弾娘』のご到来ですか」

「なによ、その言い方は。そんな昔の呼び名を持ち出さなくてもいいじゃない。それにしても、なんでこんな不健康そうなところにいるの?」
「昔の呼び名ですか。つい最近も、アカデミーで爆弾を使った女性がいたらしいですが、わたしの記憶ちがいでしょうか?
そう言えば、わたしは毎日のようにここへ来ていますが、あなたと出会ったことはありませんね。貴重な文献がたくさんあるここは、わたしのような研究者にとっては宝の山です。しかし、あなたのように冒険者のまねごとばかりしている研究者には、縁のない場所かも知れませんね。
さて、問題児のあなたが来たからには、ここも騒がしくなりそうですから、わたしはそろそろ退散することにしましょう。では失礼」

わざとらしく一礼し、クライスは出て行く。マルローネはなにか言い返そうとしたが、イクシーの視線を感じて、思い直したように書庫を上から下まで見渡す。
「あ〜あ、どこから手を付けたらいいんだろ・・・」
ひとりごとのようにつぶやくマルローネに、イクシーは、
「やり方はおまかせします。それでは」
言い残すと、すたすたと部屋を出て行く。

ひとり残ったマルローネは、腕組みをして本の山をにらみつけるように考え込んでいたが、
「ま、いっか。なんとかなるでしょ」
と、手近の書架から手をつけはじめた。

それから半日・・・。
「うう・・・。どうすればいいの、これ・・・?」
書架と書架の間の狭い空間に山積みになった書物の中にうずくまり、埃まみれになったマルローネが情けない声をあげる。どうやらマルローネの弱点である計画性のなさというのは、このようなところにも出るようだ。
「ええい、仕方ない、とにかく元通りにしなきゃ」
開き直ったマルローネは、床に積み重ねてあった書物を片っ端から書架に詰め込み始める。
結局、半日かけて書架から取り出した本の山を、半日かけて元に戻すだけということになってしまった。

「あれ、何だろ、これ?」
書架と床の間に積もった埃が、大雑把な作業のせいでかなりかき乱され、書架の下からわずかにのぞいているノートの端が目にとまったのだ。
好奇心にかられたマルローネが、床に半身をすりつけるようにして引っ張り出す。
黒っぽい皮で装丁された薄手のノートだ。
そっと開いてみる。
湿り気と虫食いのせいで、かなりの部分が判読できなくなっているが、どうやら過去の研究者の誰かが書き記したレシピの覚え書らしい。少し目を通しただけで、マルローネも知らないアイテムや調合方法が書いてあることに気付く。

「ひょっとして、これは掘り出し物かも・・・。ええっと・・・タイトルは、と」
目を皿のようにして、ぼろぼろになった表紙を見つめる。
「ヘ・・・ミ・・・? これ、なんて読むんだろ? う〜ん、『ヘルミーナ・メモ』でいいのかな」

書庫整理のペナルティは、1週間続いた。
作業の成果を見届けに来たイクシーは、黙ってうなずくと、
「最初よりひどくなってはいませんね。いいでしょう。蔵書をめちゃくちゃにされるのではないかと、アカデミーも心配していましたから」
金髪が埃で茶色に変わり、心身ともに疲れ切っていたマルローネは、文句を言う気力もなく、ふらふらと自分の部屋に帰っていった。見つけたノートをしっかりとマントの下に隠して・・・。

翌朝。
一晩ぐっすり眠ってすっかり元気を取り戻したマルローネは、採取かごを持って中庭に出た。
「おっはよ〜、クライス」
ベンチに腰掛けて参考書を読みふけっているクライスに気付くと、弾むような足取りでそちらに向かう。

「おや、懺悔の儀式は終わったのですか。アカデミーの貴重な蔵書を傷つけたりはしなかったでしょうね」
顔を上げるなり辛辣な言葉をかけるクライスだが、マルローネの上機嫌は崩れない。
「へへ〜んだ、今日はこれから材料採取だもんね。材料が揃ったら・・・あ、ここから先は内緒。クライスをびっくりさせてあげるから」
マルローネは、書庫で見つけたノートに記された調合法をさっそく試してみる気になっていたのだが、それ以上は口にしない。

クライスはいぶかしげな表情をしたが、話題を変える。
「そう言えば、聞きましたか。ザールブルグ・アカデミーから、マイスターランクの優秀な学生が何人か、研究のために近々こちらに来るそうですよ」
「え、じゃあ、きっとエリーやアイゼルも来るかな。これは、ますます楽しみになってきたわね。じゃあね、クライス」
マルローネは足取りも軽く、ケントニスの街を見下ろすように生い茂っている、通称『竜虎の森』に向かった。

1週間後、カスターニェ航路の定期船がケントニスに入港し、錬金術服に身を包んだふたりの少女が降り立った。オレンジ色の錬金術服に栗色の髪、栗色の瞳のエルフィールと、ピンクの錬金術服にエメラルド色の瞳のアイゼル。
ふたりとも、ケントニスのアカデミーを訪れるのは2回目だが、一緒に来るのは初めてである。

「わあ、久しぶり。2年ぶりだけど、マルローネさんたち、元気かなあ」
エリーは大きく深呼吸すると、待ち切れないかのようにアカデミーに向かう上り坂を歩き始める。
「エリーったら、ちょっと待ちなさいよ。アカデミーは逃げやしないわよ。・・・もう、ほんとに元気なんだから」
アイゼルがあわてて後を追う。

肩を並べて歩きながら、
「この前来た時は、あたしは一晩で帰ってしまったから、街並みもゆっくり見ていないのよ。少しは寄り道してもいいんじゃなくて?」
「街だったら、後でいくらでも歩けるよ。それより、早くマルローネさんに会いたいんだよ。あの時から、これだけ成長しましたって言いたいし」
「それは、あたしも同じだわ。マルローネさんに会えなかったら、あたしはマイスターランクにいなかったかも知れないもの。わかったわ、早く行きましょ」
ふたりは、路地を走る二匹の元気な子猫のように、アカデミーへ急いだ。

ケントニス・アカデミーの由緒ある建物は、今回も包容力のある父親のようにふたりを迎えた。
イクシーに案内され、寮棟に部屋を与えられると、ふたりは研究棟に向かった。
マルローネの研究室の前で、立ち止まる。
「あら、どうしたのかしら、これ」
アイゼルがいぶかしげな声を上げる。
ドアの脇の壁には崩れた痕があり、板でふさいである。
「何だろう。以前、あたしがイングリド先生の部屋のドアを壊しちゃった時と似てるなあ」
エリーが妙なことを思い出している。
それはともかく、研究室のドアには、乱暴な字で書かれた貼り紙が貼られている。

『マリーの研究室。ただいま調合中、入室を禁ず(特にクライス)』

エリーとアイゼルは、顔を見合わせる。
「どうしよう」
「でも、調合の邪魔をしちゃ悪いし、夜にもう一度来ることにしない?」
「そうだね」

その時、目の前のドアが開いた。額にかかった金髪をかきあげたマルローネが、青い目を丸くする。
「あら・・・あなたたち、いつ来たの?」
「マルローネさん!」
不意を打たれたエリーもアイゼルも、叫んだきり、言葉が続かない。そんなふたりにマルローネは、
「ま、いいわ。それより、ちょうど良かった。さあ、入って入って」
と、後輩ふたりを研究室に導きいれる。

相変わらず、研究室はアイテムのかけらや参考書の切れ端が散らばり、足の踏み場もない。
アイゼルは眉をひそめたが、何も言わない。エリーの工房がこんな状態だったならば、きつい一言が出るところなのだが。
ふたりに椅子を勧めると、マルローネは作業台の上から小ぶりな薬びんを取り上げる。

「さ、ふたりとも、頭を出して」
有無を言わさぬ口調に、思わず従うエリーとアイゼル。その栗色の髪に、マルローネは薬びんの液体を2、3滴ずつ振りかけた。
「冷たッ」
「な、何なんですか、これ」
いぶかるふたりに、マルローネは得意げな笑みを浮かべて、
「ふふふ、あたしが調合したばかりの『育毛剤』よ。オリジナルのレシピだから、出来具合はどうかと思ってね。誰かで試してみたかったのよ」

「ええっ!」
「ひどおい、あたしたち、実験台ってことですかあ」
抗議するふたりに、マルローネは動じることもなく、
「大丈夫よ、怪しい材料は使ってないし、たとえ失敗作だったとしても、何も起こらないだけだと思うから」
「成功してた時に、何が起こるかの方が心配だよ・・・」
小声でつぶやくエリー。自分が調合した育毛剤をつけた時の武器屋の主人の姿を思い出し、不安が心をよぎる。

「ま、明日の朝が楽しみだね」
と、にこにこしているマルローネに、
「楽しみなのは、マルローネさんだけでしょ。ああ、なんだか頭がむずむずする」
顔をしかめるアイゼル。
「それじゃ、研究室の後片付けがあるから、また明日ね。長旅で疲れているだろうから、ゆっくり寝た方がいいよ」
愛想よくふたりを送り出すマルローネ。

きつねにつままれたような気分で、エリーとアイゼルは宿舎に向かった。
夕食もそこそこに、部屋へ戻ると無言でパジャマに着替え、隣り合ったベッドに入る。
夜中を過ぎ、静かな寝息を立てるふたりを、窓からカーテン越しに差し込む月の光が照らす。

その頃、マルローネの特製育毛剤が、静かに効果を現わし始めていた。


早起き鳥のさえずりが、中庭からかすかに聞こえてくる。
朝日が差し込む中で、アイゼルは目覚めた。
「う、う〜ん」
上半身を起こし、大きく伸びをする。昨日まで、定期船の狭い船室で、浅い眠りの日々が続いていただけに、昨夜は久しぶりにぐっすりと眠れた。気分もすっきりしている。

隣のベッドでは、エリーがまだ夢の世界に遊んでいる。横を向いて身体を丸め、まるで大きな子猫が眠っているかのようだ。
こちらを向いた栗色の髪の中から、茶色の毛に覆われた三角形の突起がふたつ突き出しているから、余計に子猫を連想するのだろう。
そんなことを考えながら、ぼんやりとエリーの寝姿をながめていたアイゼルが、はっと目を見張る。

「なに、これ・・・」
目をこすり、何度かまばたきをする。そして、窓辺に駆け寄り、カーテンを大きく開け放つ。今までうすぼんやりとしか差し込んでいなかった日光が大きく差し込み、室内を明るく照らし出す。
再びエリーの方を見やり、じっと顔を近付けていく。
「やっぱり、夢じゃないわ・・・」

そっと指を伸ばす。エリーの髪の毛の中から間をおいてふたつ並んで生えている「それ」は、ほぼ正三角形をしており、全体を短い茶色の毛が覆っている。
つまり、見るからに猫の耳にそっくりなのだ。
2、3度ためらった後、恐る恐る指先で触れてみる。毛並みは柔らかく、ビロードのように手触りがいい。そして、暖かかった。

「エリー、エリーってば。ちょっと、起きなさいよ。寝ている場合じゃなくてよ!」
エリーを揺り起こそうとしたアイゼルが、身を硬くする。もうひとつの可能性に気付いたのだ。
「まさか!」
ためらいつつ、自分の頭に手を伸ばす。そっと手のひらを下ろしていくと、髪に触れる前に、毛に覆われた突起が指先をつついた。

震える手で、手鏡を取り出し、顔の前にかざす。
ふっくらとした形のいいくちびるに、真っ直ぐ通った鼻筋、細めの眉と大きく見開かれたエメラルド色の目が、鏡の中からアイゼルを見返す。
視線を上に移していくと、わずかに寝乱れた栗色の髪の中から、薄茶色をした猫耳がふたつ、ちょこんと突き出しているのが目に入った。

「いやあ〜〜!!!」
心の中で糸がぷつりと切れ、アイゼルは絶叫した。
その声で、エリーが目を覚ます。
「ふにゃ?」
のろのろと半身を起こし、目をこすると、寝ぼけ顔でアイゼルをじっと見る。

「あれぇ、アイゼルが猫ちゃんになってるぅ・・・。かわいいね、その耳・・・。あたしもほしいなあ」
とろんとした目でつぶやくエリーを、アイゼルは揺さぶり、叫ぶ。
「あなたにだって、しっかり生えてるわよ! とにかく、ちゃんと目を覚ましてちょうだい! ああ、もう、誰か、助けてぇ〜〜!!」

1時間後。
ようやく落ち着いたアイゼルとエリーは、マルローネの研究室にいた。
「あれえ、おかしいなあ・・・。こんなはずは、ないんだけどなあ」
元気よくピンと立った2組の猫耳を前にして、マルローネは腕組みをして考え込んでいる。しかし、難しい顔をしようとしても、後輩のかわいらしい姿に目をやるたびに、顔が自然にほころぶのを抑え切れない様子だ。

「とにかく、早く治してください! マルローネさんの育毛剤が原因だということは、明らかなんですからね! ああ、これじゃあ恥ずかしくて人前にも出られないわ」
アイゼルがまくしたてる横で、エリーは自分の頭に手をやり、そこに生えている猫耳を不思議そうに引っ張ったりつついたりしている。
「でも、けっこう可愛いよね、これ。あたしは好きだなあ」
能天気なエリーの言葉に、アイゼルはきっと振り向き、
「じゃあ、あなたは一生、猫耳錬金術師でいればいいでしょ! あたしはごめんですからね!」
言葉を切り、再びこみ上げてきた涙をぬぐう。

マルローネも困ったように、
「ま、まあ、とにかく落ち着いて、考えてみようよ。ね」
とアイゼルをなだめる。

その時、ドアがノックされ、参考書をかかえたクライスが入ってくる。
「きゃっ、いや!」
あわてて両手で頭を隠すアイゼル。
「なによ、クライス、レディの部屋へいきなり入ってくるなんて、失礼じゃない」

抗議するマルローネを無視して、クライスはつかつかと後輩たちに歩み寄ると、エリーの髪から突き出した猫耳をしげしげとながめた。
「なるほど、これがそうですか。非常に興味深い現象ですね」
そして、いくぶん柔らかな口調になって、
「アイゼルさん、そんなに恥ずかしがることはないですよ。わたしは、冷静な研究者の目でしか物事を見はしません。
それに、問題児が引き起こした騒ぎを収めるのは、わたしの義務のようなものです。話は聞きました。後は、情報を集めて解決の方法を考えるだけです」

いったん言葉を切ったクライスは、マルローネに向き直る。
「さてと・・・。それでは、あなたのレシピを聞かせてもらいましょうか。この現象を引き起こしたあなたの育毛剤とやらは、どのような材料で作ったのですか」
「それは・・・」
口ごもるマルローネ。しかし、やがて小さくため息をつくと、作業台の上から紙の切れ端を取り上げ、
「わかったわ。秘密にしておきたいところだったけれど、あたしひとりでは解決できるかどうかわからないしね。でも、手がかりになるとは思えないわ」
と、クライスに渡す。クライスは受け取った紙切れをじっと見て、
「相変わらずきたない字ですね。どちらが上かわかりませんよ。・・・あ、こっちが上ですね。ふむふむ・・・。マルローネさん、本当に、これで間違いないのですね」

マルローネはうなずく。エリーもアイゼルも、クライスの手許の紙をのぞき込んだ。
「ええと、ズユース草に、竹に、祝福のワイン、それに植物用栄養剤?」
「何のことはない材料ね。この材料で、なんでこんなことになるのかしら」
顔を見合わせて考え込むエリーとアイゼル。ふたりが頭を動かすたびに、猫耳もぴくぴくと動く。

それをじっと見ていたクライスは、
「ちょっと失礼」
と、エリーの頭に手を伸ばし、猫耳にそっと触れる。
「エルフィールさん、触られると、どんな感じがしますか?」
「ええと、ちょっとくすぐったいような・・・。あ、でも、直接感じるんじゃなくて、頭の皮を通して感じるような・・・」
「では、これでは?」
と、指先でつまんだ猫耳を軽く引っ張る。
「あ、ちょっと痛いよ。髪の毛をまとめて引っ張られるのと同じような感じ」
「なるほど」

手を放したクライスは、しばらくあごに手をあて、目を閉じて思案していた。 やがて、目を開くと、眼鏡の位置を整え、
「マルローネさん、ひとつ質問があるのですが」
と、マルローネを見やる。
「これらの材料は、どこで手に入れたものなのですか」
「ええと、植物用栄養剤は、この前、生きてるホウキを作った時に調合した残りで、祝福のワインはアカデミーのショップで買ったよ。それから、ズユース草と竹は、『竜虎の森』で採取してきたばかりのものを使ったけれど」
返事を聞くと、クライスは大きくうなずいた。
「どうやら、謎が解けてきたようです」

一息おいて、
「ただし、いくつか確かめておきたいことがあります。午後には戻りますから、それまで待っていてください」
足早に出て行くクライス。
やきもきした時間が過ぎていった。

採取かごをかかえたクライスが研究室に戻って来たのは、夕方も近くなってからだった。
採取かごの中には、青々とした竹が何本か入っている。
「何、これ。ただの竹じゃない。これがどうかしたの?」
眉をひそめるマルローネ。クライスはもったいぶった口調で、
「わたしの考えが正しければ、ここに謎を解くカギがあるはずです。マルローネさん、あなたが育毛剤の調合に使った竹も、これとおなじものですか」
「そうだよ」

「では、どなたでもけっこうです。この竹を割ってみてください」
アイゼルと顔を見合わせたエリーだが、進み出て竹を受け取ると、作業台の上の道具を使って竹をまっすぐ縦に割る。
「割りましたけど・・・」
「それでは、筒の中を見てみてください」
クライスにうながされて、自分が割った竹の中に目をやったエリーは、
「あれえ、なんか、白い糸がふわふわしてるよ」
マルローネもアイゼルも、しげしげとながめる。確かに、青竹の中に、非常に細い白糸のようなものがからみ合い、密集している。
ザールブルグでは何度も竹を調合の材料にしているエリーとアイゼルだが、このようなものを見るのは初めてだ。

「これが、アイゼルさんとエルフィールさんに起こったことの原因です」
クライスが静かに言う。
「え?」
「何なんですか、この糸みたいなものは」
いぶかる3人に、クライスは1冊の古ぼけた参考書を開いてみせた。
「このページの挿し絵を見てください」

指で示された、その絵を見たエリーが、息をのむ。そこには、成長した竹の表面から生えているように見えるたくさんの猫耳が描かれていた。
「これって・・・」
「そう、あなた方の頭に生えたのは、これなんですよ。ネコミミタケという、キノコの1種です」
「え、ネコミミタケ〜!?」
「なによ、それ」
あ然とする3人。クライスは説明を続ける。

「この参考書は、アカデミーの書庫の片隅で見つけたもので、このケントニスの周辺に生える珍しい植物を紹介したものです。
これによると、ネコミミタケは、このエル・バドール特有のキノコで、竹の内部で菌糸を伸ばして成長し、雨が降ると一斉に生え出す、と書かれています。
もちろん、命名の由来は、その形が猫の耳にそっくりなことからでしょう。さて、マルローネさんが調合の材料にした竹にも、このキノコの菌糸が入っていたと考えられます。他の材料と混ざったために、成長が促進されて、普通では育たないような環境でも根を張ってしまったのでしょうね」

参考書を閉じたクライスは、エリーとアイゼルの顔を見て、微笑む。
「でも、安心してください。ネコミミタケの寿命は、そう長くはありません。1週間もすれば、自然に枯れて消えてしまうでしょう。もともと、マルローネさんが作った育毛剤なら、そう効き目が長続きするはずもありませんからね」
「え・・・でも、1週間もですか?」
情けない声を出すアイゼル。エリーが元気付けるように言う。
「いいじゃない、研究室にこもって実験していれば、1週間なんて、あっという間だよ」
クライスはうなずき、
「さあ、これで一件落着ですね。ほんとうに困ったものです。マルローネさんのおかげで、また貴重な1日が消えてしまいました。ま、これもアカデミー最大の問題児と関わり合ってしまった者の運命なのでしょうか・・・」

すると、ここまで黙っていたマルローネが、
「クライス・・・。確かに、材料をよく調べずに使ってしまったあたしに責任はあるわよ。それに、参考にしたメモにそれらしい注意書きがあったのに無視しちゃったしさ。でも、そんな言い方ってないんじゃない?」
そして、右手を後ろに回したまま、クライスに近付く。

「それと、あたし、ひとつだけ確認したいのよ。あたしの特製育毛剤、女の子に効くことはわかったんだけれど、男の人にも効き目があるか実験してみたいと思うの。もちろん協力してくれるわよね、クライス?」
にっこりと笑ったマルローネは、避ける間を与えず、右手に隠し持っていた薬びんから、『猫耳育毛剤』をクライスの頭にたっぷりと振りかけた。
「な、何をするんですか!?」
あわてて、頭をかきむしるクライス。マルローネは平然と、
「あら、どうせ1週間で元に戻るんだから、いいじゃない。あたし、見てみたいな〜、クライスの猫耳」

「じょ、冗談じゃない! ああ、なんてことをしてくれたんですか!」
叫ぶと、クライスはあたふたと部屋を飛び出す。しばらくの後、別の研究室のドアが閉まり、内側から鍵を掛ける音が聞こえた。

それから1週間、クライスが自分の研究室に閉じこもって、一歩も外に出て来ようとしなかったのは言うまでもない。

<おわり>


<付録>

−<○耳育毛剤・レシピ>−
竹(菌糸入り)3.0
ズユース草3.0
祝福のワイン2.0
植物用栄養剤2.0
ガラス器具・乳鉢を使用


○にのあとがき>

初掲載の時、もっとも話題を呼んだ「猫耳錬金術師小説」です。
なかじまゆらさんの「Salburgs Museum」に掲載されたとたん、大勢の人を壊してしまいました。

そんなにツボだったのね・・・。
この作品をお読みになったairaさんから、イラストをいただきました。こちらもご覧になって、もっとぶっ壊れてください。


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