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〜60000HIT記念リクエスト小説<俺。さまへ>〜

最強の護衛


ザールブルグの下町、『職人通り』。
その片隅に、赤いとんがり帽子の屋根をした小さな工房は、ある。
工房の扉の前に立って、ノックしようとしているのは、クリーム色の錬金術服に白いマントといういでたちの少年である。錬金術を教えるザールブルグ・アカデミーの主席、ノルディスだ。
軽くノックをし、返事を待つ。
しばらく待って、ノルディスは、ふといぶかしげな表情になった。
普段なら、工房の主である同級生エリーの、
「は〜い、開いてま〜す!」
という元気な声が返ってくるはずなのだが。
もう一度ノックした後、ノルディスは意を決したように工房の扉を押し開けた。
「エリー? いないのかい?」
頑張り屋のエリーは、いつも多くの依頼を請け負って、寝る間も惜しんで調合に励んでいる。無理をしすぎて、アカデミーで倒れてしまったこともある。
また、なにかあったのではないか・・・。
心配になったノルディスは、そっと工房に足を踏み入れた。
工房の中は、しん・・・と静まり返っている。
ノルディスは、周囲を見まわした。
あちこちにアイテムのかけらや道具類が乱雑に置かれている。隅々まで掃除が行き届いていないのも、いつものことだ。
人の気配はない。
(2階で、寝ているんだろうか・・・?)
そう思って、工房の奥の階段の方へ向かおうとしたノルディスの耳に、かすかな声が聞こえてきた。
「・・・むにゃむにゃ・・・。あ、あ、ダメぇ・・・。そんなに・・・すりつぶさないでぇ・・・。いやぁ・・・」
(何だろう?)
悲哀に満ちた細い声は、どうやら作業台の下からもれてくるようだ。
身をかがめて覗き込んでみると、緑色の服を着た妖精が、丸くなって眠っている。しきりに寝返りをうち、うなされているようだ。
「ああぁ・・・。け、けん・・ま・・・ざいは、・・・もういやぁ・・・」
「ちょっと、きみ、大丈夫かい」
ノルディスがそっと揺り起こすと、緑妖精はむっくりと起き上がった。
「ふにゃあ・・・」
起き上がったものの、まだ目はとろんとしている。
「ねえ、きみ」
もう一度ノルディスが声をかけると、ようやく妖精は目が覚めてきたようだった。自分を覗き込んでいる人影に気付く。と、
「わ!」
と叫ぶと、脱兎のごとく作業台の下を飛び出し、あたふたと工房の床を駆けずり回る。
「ちょ、ちょっと・・・」
ノルディスの声も耳に届いていないかのようだ。
あちらの隅からこちらへ・・・と、滑ったり転んだりしながら行ったり来たりした末、妖精は隅の壁際で、緑色の帽子をかぶった頭を両手でかかえ、うずくまってしまった。切れ切れに、涙声がもれる。
「も、もう、しません・・・。失敗したりしませんからぁ・・・。・・・夕飯抜きは・・・いやぁ・・・」
やれやれ、とノルディスは肩をすくめた。時おり、『職人通り』のおかみさんたちが口にしている、「緑色の服を着た男の子がこき使われている」という噂も、あながち根も葉もないわけではないのかも知れない。
ノルディスは、コップに水を汲んでくると、優しく妖精に話しかけ、落ち着かせようとした。
コップを両手でかかえて、水を一口飲んだ妖精は、あたりを見まわして、大きく息をついた。
「はああ、夢だったんだ・・・。よかったぁ」
「ところで、君の名前は何て言うの?」
「あ、ボク、ピコっていいます」
「エリーは?」
ようやく本題に戻れた、とほっとしながら、ノルディスが聞いた。
「あ、お姉さんなら、お留守です」
「え、留守?」
「はい、行き先は『東の台地』というところで、1〜2ヶ月は戻らないって言ってました。それで、ボクもすることがなくなっちゃって、お昼寝してたんです」
「そうか・・・。まいったなあ」
ノルディスは、天を仰いだ。
「ねえ、きみ、『ミュラ温泉水』の在庫があるか、知らないかい? 研究のために必要なので、分けてもらいに来たのだけれど」
「『ミュラ温泉水』ですか。たしか、この間までは、あそこにあったはずですけど・・・」
と、ピコは工房の奥に作りつけられた棚の方によちよちと歩いていく。棚には、色とりどりの液体が入ったガラスびんが、所狭しと並んでいる。
「ああ、ごめんなさい。今は在庫がありませんね」
ピコが申し訳なさそうに言った。
「ちょうど出発の前に、お姉さんが『ダグラスに美味しい温泉卵を食べさせてあげるんだ!』とか言って、全部使ってしまったんです」
「え、そんなあ・・・」
ノルディスはがっくりくる自分を抑えきれなかった。
ミュラ温泉とは、ヴィラント山の頂上近くに湧き出している温泉の名で、そのお湯には様々なミネラル分が溶け込んでいる。疲労回復に優れた効果があり、またいろいろな薬品の原材料ともなる貴重品である。
「困ったなあ」
ミュラ温泉が湧き出しているヴィラント山は、恐ろしい魔物がたくさん出没する危険な山である。とてもアカデミーの生徒がひとりで行って、無事で帰れる場所ではない。
しかし、このままでは、今、自分がかかえている研究が、先に進めなくなってしまう。
(どうしよう・・・。エリーが最後の頼みの綱だったのに・・・)
思い悩んでいる時、工房のドアが鋭くノックされ、大きく押し開けられた。
「おう、エリーはいるかい!?」
飛び込んで来たのは、同じ『職人通り』に店を構える武器屋の主人だった。たくましい二の腕をむき出しにし、髪の毛一本ない頭は、てらてらと光っている。
「エリーは、留守らしいですよ」
ノルディスが答える。
「何だと?」
「当分は、帰って来ないみたいです」
それを聞くと、親父はがっくりと膝をついた。
「おう、なんてこったい! エリーだけが頼りだったっていうのによぉ!」
「いったい、どうしたんですか」
なんか、自分と似たようなセリフを言っているな、と思いながら、ノルディスが尋ねる。親父は、悲嘆にくれたように両手を差し上げながら、
「おう、聞いてくれるかい! 実はな、さる貴族の方から、グラセン鋼の武器を作ってほしいという注文が入ったんだ。ところが、材料の『グラセン鉱石』を切らしていてな。いつもエリーが採ってきてくれていたんで、今回も頼もうと思ったんだが・・・。くうぅ、まいったなあ。これじゃ、納期に間に合いそうもないぜ」
「そうだったんですか。実は、ぼくも・・・」
と、ノルディスは、自分の事情を語った。
「そうだったのかい、おまえさんもかい。しかしなあ・・・肝心のエリーがいないんじゃなあ」
ふと考え込んでいた親父が、はたと手を打った。太い眉の下の、目が輝く。
「そうだ! この際だ! おまえさんと俺で、ヴィラント山まで採りに行くっていうのはどうだ。今からすぐに出かければ、こっちも納期になんとか間に合うぜ」
「え・・・、でも、あんな危険な場所に、ふたりだけじゃ・・・」
ノルディスは口ごもる。たしかに、武器屋の主人は、昔、冒険者をしていたと聞いたことがある。しかし、それはずっと以前の話だ。
「ぼくたちで行くとしても、誰か、強い護衛を頼まないと・・・。とてもじゃないけど、無事に帰って来られるとは思えませんよ」
何と言っても、最強クラスの魔物が巣食っているヴィラント山である。聖騎士隊でも、魔物討伐の際にはけが人が続出するほどだ。
「護衛か・・・。ん〜、ちょっと待てよ」
眉をひそめて考え込んだ親父は、やがてにやりと笑みを浮かべた。
「そうだ、護衛になら、ぴったりのやつがいるぜ! 聖騎士もかなわねえ、ザールブルグ最強の護衛がな」
「そんな人、本当にいるんですか? それに、強い人には、それなりのお金がかかりますよ」
「い〜や、金なんてかかりゃしないさ。俺の昔のコネでな。なあに、俺が頼めば、絶対にうんと言ってくれるはずだ。なんたって、若い頃、一緒にいろんなところを冒険した仲なんだからな!」
「は、はあ・・・」
「よぉし! そうと決まれば、さっそく頼みに行こうぜ! 善は急げだ」
そう言い放って、親父は意気揚揚と先に立って工房を出ていく。
その後姿を追いながら、ノルディスは胸騒ぎがするのを抑えきれなかった。
もしかしたら、自分はとんでもないことに、足を突っ込んでしまったのではないだろうか?

「はあ? わたくしが・・・護衛?」
イングリドの目が、いぶかしげに親父とノルディスの間を行き来する。
目が点になっているノルディスの傍らで、親父はまくしたてる。
「そうともよ、あんたの腕が立つと見込んでの頼みなんだ。なあ、昔はリリーと一緒に、数々の冒険を共にした仲じゃねえか。いくら魔の山ヴィラントって言ったって、かつて“炎と雷の魔女”の名をほしいままにしたあんたがいりゃあ、恐れることは何もありゃあしねえ。な、このゲルハルト、一世一代のお願いだ。この護衛、引き受けちゃくれねえか」
ノルディスは、茫然として聞いていた。
まず親父が『職人通り』を出てまっすぐアカデミーに向かうのを見て唖然とし、さらに「イングリドはどこだ!?」と叫んでずかずかとアカデミーの廊下を進んでいく親父の後をついて行きながら、ノルディスは思考停止状態に陥ってしまっていた。
そんなノルディスを、左右の色が異なるケントニス人特有の瞳で見つめながら、イングリドが尋ねる。
「ノルディス、もう一度、最初から詳しく説明してくれないかしら?」
そのにこやかな表情に、獲物を襲う前の虎の気配を感じてぞくりとしたノルディスは、しどろもどろになりながら事情を説明した。もちろん、親父が言った“最強の護衛”というのが自分の師のことだとは夢にも思わなかったことも、正直に言い添えた。
「なるほど、そういうことね」
イングリドは小さくうなずくと、ゆっくりと室内を歩き回り始めた。
分厚い書物が何冊も詰まった書棚に歩み寄り、立てかけられていた杖を手に取る。
「ノルディス。あなたが現在手がけている研究には、わたくしも大いに期待をしています。その研究が、『ミュラ温泉水』が手に入らないことでストップしてしまうのでは、アカデミーにとっても貴重な才能の空費、時間の無駄ということになります」
右手で握った杖を左手に打ちつけながら、イングリドはふたりに向き直った。
「さいわい、アカデミーの方も、それほど授業がたてこんでいる訳ではありません。はなはだ型破りなことではありますが・・・」
と、イングリドはにっこりと笑った(ノルディスは再び背筋がぞくりとした)。
「あなた方に同行することにしましょう」
「ありがてえ! 恩に着るぜ!」
最敬礼して見せる親父を傍らに、ノルディスは、自分が更なる泥沼に引きずり込まれるような不安を感じていた。
本当に、これで良かったんだろうか?

そんなわけで・・・。
ノルディスと武器屋の親父は、イングリドを護衛に、ヴィラント山の登山道を、一路頂上へ向かっていた。イングリドとノルディスは杖を、親父は店の武具コレクションの中から厳選したという長槍を、武器として携えている。
登山道の入り口で襲いかかってきたオオカミの群れは、イングリドの爆弾で一掃した。
「な、俺が言った通りだろ、最強の護衛だって」
親父に耳打ちされ、ノルディスはうなずかざるを得なかった。
山道は徐々に険しくなり、むき出しになった赤黒い岩肌が、不気味さをかもし出している。
一行は、そこここに落ちている鉱石を拾いながら、山頂へ向かって歩を進めた。
目を上げ、行く手を仰ぎ見ると、頂上付近は霞がかかったようにぼやけて見える。卵が腐ったような臭いが鼻をつき、目的地のミュラ温泉が近いのがわかる。
「ちょっと待って」
しんがりにいたイングリドが、先へ進もうとする親父を止めた。
「なにかいるみたいね」
それと同時に、行く手の岩陰から、真っ黒な翼を持った巨大なトカゲのような姿が、いくつも現れる。
「で、出やがったな!」
親父が叫び、両手に握った槍を構え直す。
ノルディスも、背負っていた採取かごを下ろし、杖を構える。が、手が震えるのを抑えられない。
前方に現れたのは、このヴィラント山に巣食う凶悪な魔物、アポステルの群れだ。巨大な鉤爪と鋭いくちばしをまともにくらえば、大けがは免れない。
「ふ・・・ん、ちょっとばかり、数が多いわね」
ふところから赤黒い爆弾を取り出したイングリドが、落ち着いた口調で言う。
「あなたたち、自分の身ぐらいは自分で守りなさい」
言い捨てると、怖れる気配もなく進み出る。
背後から吹き付ける風に、白いローブがひるがえる。
イングリドが口の中で呪文を唱え、爆弾を投げつけようとした、その時・・・。
アポステルの群れに、異変が起こった。
ある魔物は、空中で凍りついたかのように動きを止め、一声、悲鳴を上げたかと思うと、身体の自由を失って地面に落ちた。空中の一点で狂ったようにもがいている魔物もいれば、突然仲間に襲いかかって鉤爪で切り裂く魔物もいる。
「これは・・・」
「いったい、どうしたってんだ!? 魔物ども、狂っちまったのか?」
ノルディスも親父も、唖然としてその光景を見つめている。
背後から、落ち着き払った冷ややかな声が響いた。
「ふふふふふ。何をぼうっと突っ立っているの? 早く止めを刺してしまいなさいな、ふふふふふ」
「ちっ」
イングリドは舌打ちすると、混乱しきった魔物どもの只中に、爆弾を投げ込んだ。
爆発音と共に、いくつもの火柱が立ち昇る。
煙が風に吹き散らされた時、魔物の姿は消え去っていた。
「ヘルミーナ、あなただったのね。こそこそとひとの後をつけまわして、どういうつもりなのかしら」
振り返ったイングリドが、とげのある口調で言う。
言葉もなく立ちすくんでいるノルディスと親父の前に、竹ぼうきに乗った、薄紫の髪をして紺のローブを身にまとった女性が降り立つ。
イングリドと並んで、“アカデミーの竜虎”と称されるヘルミーナだ。
「ふふふふ。どうやら、わたしの作った『冥土みやげ』の威力に、言葉もないみたいね」
ヘルミーナは、イングリドと同じく左右の色が異なる瞳で、一行をじろりと見やる。
「イングリド、アカデミーの研究をサボって、わたしに内緒で温泉でくつろごうと思っても、そうは問屋がおろさないわ。せっかくの温泉ですもの、わたしもご一緒させていただくわ、ふふふふ」
「あ〜ら、あなたこそ、アカデミーでの研究を放っておいて、大丈夫なのかしら? まあ、一緒に来たいと言うなら、止めはしないけれど。ほほほほほ」
「あ、あの・・・」
ふたりに声をかけようとしたノルディスの肩を、親父がぐいと引いて、押しとどめる。
「おい、ここは口を挟まねえ方がいいと思うぜ。あのふたりが束になってかかってきたら、とんでもないことになるぜ」
「は、はあ・・・」
ノルディスは、脇に転がっていた採取かごを背負い直すと、憂鬱な気分で、ため息をついた。
なんでまた、自分はこんなことに足を突っ込んでしまったのだろう。これから先、いったいどうなってしまうのだろう?

日は、西に傾いていた。
強引に合流したヘルミーナを含む一行4人は、山頂近くにキャンプを張った。少し岩場を下りれば、ミュラ温泉の白い湯気が立ち昇っている。
キャンプの中央には石を積み重ねてかまどが作られ、火が焚かれている。たき火には大鍋がかかり、ぐつぐつと煮え立っている。
「今夜は、ゲルハルト様特製のキノコスープだぜ。腕を振るうからよ、楽しみにしててくれよな!」
と、親父が張り切って鍋をかき回している。
「さて・・・と」
と、キャンプの周囲にガッシュの木炭を主成分とした粉で複雑な模様を描いたヘルミーナが、戻って来て言う。
「魔物除けの魔方陣が完成したから、これで今夜は安心ね、ふふふふ」
「本当に大丈夫なのかしら。ほころびがないといいけど。ほほほほほ」
イングリドの言葉を無視して、ヘルミーナは、
「それじゃ、食事の前にさっぱりして来ようかしら」
と、湯気の上がる温泉の方を見やる。
イングリドもうなずいて、立ち上がった。
「そうね。行って来るから、荷物番と火の番をお願いするわよ、ノルディス」
そして、軽い衣擦れの音を立て、ふたりは岩場を下って行った。
ノルディスは、ぼんやりとたき火の炎を見つめ、物思いにふけっていた。
どれくらい、時間が経っただろう。
肩を軽く小突かれて、ノルディスははっと我に返った。
目を上げると、親父がにやにや笑って、こちらを見つめている。つやつやした親父の頭に、オレンジ色の炎が照り映えている。
親父は声をひそめて、言った。
「なあ、ちょいと、行って見てみねえか?」
「はあ?」
「なんだよ、鈍いやつだなあ。いいか、こんなチャンス、二度とねえかも知れねえぜ」
ノルディスが、親父の言いたいことを理解するのに、数秒かかった。
「な、何を言っているんですか!? そ、そんな不埒なこと・・・」
「お堅いやつだなあ。いいじゃねえか、旅の恥はかきすてって言葉もあらあな。な、行こうぜ」
「い、嫌です! ぼくは行きませんからね! そんな・・・先生方のお風呂を、の、覗くなんて・・・」
「しいっ、でかい声出すな! ・・・わかったよ、それじゃ、俺ひとりで、いい思いをして来るぜ。それじゃな!」
言い捨てると、親父は足音を忍ばせて、岩場の方へ向かって行った。
「はああ・・・」
ノルディスはため息をつくと、たき火に枯れ枝をくべ、再び物思いにふけった。
その物思いの中に、邪念がまったくなかったと言えば、嘘になるだろう。
だが、ノルディスはそのまま、じっと動かなかった。

夕暮れの光は薄らいでいき、東の空に上った月が、ミュラ温泉を青白い光で照らし始めている。
暖かな岩肌にもたれ、ゆったりと身体を湯にまかせて、イングリドは大きく伸びをした。
「ふう・・・。こういうのも、たまにはいいものねえ。・・・あら、ヘルミーナ、何をじろじろ見ているの?」
「ふふふふふ、いえね、あなたって、歳の割には肌がつややかできれいだと思ってね。もっとも、わたしにはかなわないけれど。いったいどうやって、ごまかしているのかしら」
「ほほほほほ、余計なお世話よ・・・と言いたいところだけれど、教えてあげる。リリー先生直伝の『シャリオ乳液』を使っているのよ」
と、イングリドは右腕を上げ、左手でゆっくりとなでた。白い肌が、月光にきらめく。
「ふふふふふ、わたしもね、今回ここへ来たのは、ひとつ考えがあるのよ。『ミュラ温泉水』を使って、『ホッフェンシャル』をラフ調合してみようと思ってね。きっと、美白にはぴったりの薬品ができると思うわ、ふふふふ」
「まあ、あなたの腕じゃ、出来のほどは怪しいもんだけどね。ほほほほ」
イングリドの笑い声が途切れると、あたりはしんと沈黙に返った。
つと、ヘルミーナが身じろぎして、水面が乱れる。
ちゃぷん、と音を立てて、ヘルミーナが身を寄せてくる。
ふたりの目が合った。
ヘルミーナが目配せをした。その手には、いつ取ったのか、杖が握られている。
イングリドも、手を伸ばして岩場に置いてあった杖を取った。
「どうやら、ネズミが現れたようね、ふふふふ」
「頭の黒いネズミらしいけど、ほほほほ」
「いいえ、違うわ、頭に毛はないわね、ふふふふ」
そして、ヘルミーナは振り向きざま、大きく杖を差し上げて、振り下ろした。
「ネーベルディック!!」
その叫びに合わせたように、巨大な水の塊が宙を飛び、少し離れた岩陰で弾けた。
「うぎゃあ!」
悲鳴が上がり、岩陰から、ずぶぬれになった人影が、よろよろと現れる。その頭が、月光を浴びててらてらと輝いている。
「ふふふふふ、わたしたちを覗こうとは、いい度胸ね」
ヘルミーナが不敵に笑って言う。
「ほほほほ、そうね、ちゃんと教育してあげなくてはね。ほほほほ」
イングリドは杖を大きく振り上げた。
「お、おい、ちょっと待ってくれ。な、出来心だ、悪気はなかったんだ・・・」
相手の言葉を無視して、イングリドは続ける。
「ほほほほ、いいことを教えてあげるわ。水に濡れているとね、雷の衝撃が何倍にも強くなるのよ」
そして、月光を浴びた白い身体をひらめかせ、イングリドは杖を振り下ろした。
「シュタイフブリーゼ!!」
稲妻が走り、雷鳴がとどろく。大地に衝撃が走り、岩角が砕けて散る。
そこには、ぼろぼろに焼け焦げた姿が転がっているだけだった。
イングリドとヘルミーナは、杖を握ったまま片手でハイタッチを交わした。
「そういえば、ネズミは一匹しかいなかったようね。ふふふふ」
「ノルディス? ああ、あの子はこんなことしやしないわ」
「信用してるのね、ふふふふ」
「信用? 違うわ。あの子にはそんな度胸、ありやしないもの。ほほほほ」
(そういう度胸があれば、もっと錬金術師として大きくなっているだろうにね・・・)
と、イングリドは心の中で付け加えた。

当のノルディスは、たき火の炎を見つめたまま、時ならぬ雷鳴がとどろき、大地が揺れるのを感じて、ぶるっと身を震わせた。
あのふたりを覗こうだなんて、親父さんはいい度胸だ。怖いもの知らずというか、どうかしている。
そそのかされて、一緒に行かなくて良かった。本当に良かった。
今夜はぐっすり眠れるだろう、とノルディスは思った。

<おわり>


○にのあとがき>

60000ヒットをゲットされた俺。さんからいただいたリクは、『武器屋の親父とノルディス』というものでした。
ん〜・・・。このふたりの共通点というと、すぐに思い浮かぶのは「育毛剤」ネタなのですが、ノルの育毛剤ネタは先日やったばかりでしたので、却下(笑)。親父の「お歌」ネタも「リリ同」でやったばかりでしたので、これもパス。

で、ふたりに共通する要素は何か・・・と思い巡らしていたところ、思いがけずに浮かんできたのが、イングリドさんの存在でした。ノルにとっては師匠、親父(元ゲルハルト)にとっては昔の冒険仲間、というわけで、この3人にからめて何か書けないか、と。
イングリドさんを出すのであれば、当然ヘルミーナさんも出さなきゃいかんな、ということになって、すぐに温泉ネタが思い浮かびました。(困った時の温泉ネタですな、うちのサイトの場合)
よからぬ心を起こした親父の末路は、ご覧の通りです。合掌。

えみゅ〜さんから、イメージイラストをいただいてしまいました〜。超弩級お宝画像です。必見!(笑)


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