秋田の思い出
秋田県は私の故郷、岩手の隣県だから宮城県に次いで多少の縁がある。父方の叔父(叔母の夫)は秋田県出身だし、弟の義父も秋田県出身だそうだ。前の職場には秋田県出身の先生が二人いた。関東では岩手県出身者に遭遇するより秋田県や青森県の出身の人に遭遇する確率の方が高い。大学の友達には東京出身なのに会社の都合で数年秋田で勤務していた奴がいた。
その秋田に初めて行ったのは大学1年の夏であった。大学のサークル「あるこう会」の合宿旅行のため、湯沢から秋田市まで雄物川沿いの道を歩いた。他の仲間は千葉や東京から出発したのだが、私は岩手の大船渡から出発して福島で合流する筈だった。ところが私の勘違いで予定の列車に乗り遅れ、県南の花泉駅から湯沢までタクシーで向かったのだった。深夜料金のため、2時間あまりの道をハラハラしながら乗ったのを憶えている。約1万5千円ほど掛かり、旅費の半分を最初に使う羽目になってしまった。
湯沢駅に着いたのは夜の12時近くで駅には駅員さん以外は誰もいなかった。堅い木のベンチで寝ようとしたら、蚊がぶんぶん飛んでいて眠れなかった。そしたら駅員さんが蚊取り線香を持ってきて焚いてくれた。
旅費の足りない分は先輩方が出してくれた。人の温かさを感じた旅だった。
2回目に行ったのは7,8年前の夏にパソコン通信で知り合った秋田県本庄市の人に会いに行くために「かまくら祭り」で有名な横手に行った時だ。大船渡から西に107号線を行くと横手に着くのだが、遠かった。片道3時間ぐらい掛かった。かつてJR東日本のポスターに「東北大陸」というコピーがあったが、東北地方はどの県も広い。
初めて秋田に行った時の最終日に男鹿半島の寒風山に登った。300mあまりの低い山だが、頂上が芝生のため見晴らしがよく、秋田平野と日本海の描く海岸線の緩やかなカーブがきれいに見えた。平地の少ない岩手とは違った広々とした風景だった。
秋田は美人の産地である。2回目に行った横手の博覧会(何の博覧会かは思い出せない)では多くの秋田美人に遭った。前の勤務地で隣の学校に秋田大学出身の女の先生がいたが、やはり美人だった。
(2002年1月27日)
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