千葉市稲毛の「せんげん通り」
千葉市は今、県都として政令指定都市として、JR千葉駅前を中心に大きく発展し、千葉都市モノレールの巨大な恐竜の肋骨のような大型建造物が都市的な景観をい作り出している。幕張新都心と呼ばれる地区に至ってはアメリカ的な風景が広がっている。県内でここ20年で一番変貌したのは千葉市かもしれない。
しかしそんな中で昔ながらの通りが未だに残っているところがある。かつての海岸線を4車線の国道14号線が走る。その14号線沿いにある浅間神社の脇から京成稲毛駅の脇の踏切を通ってJR稲毛駅の近くに至る「せんげん通り」はその一つだ。私が大学に入学した頃はまだ田舎の駅だったJR西千葉駅やJR稲毛駅は都内の駅とあまり変わらない高架駅になったのに、京成千葉線沿線はいまだに30〜40年前の風景を残している。
私が大学時代に下宿していたお宅(川島さん)のある界隈は未だに昔のままだ。
7月15日の例祭の時には初詣並に人が集まり、賑わいを見せる。人口の大部分が新住民となり、広大な干潟のあったかつての稲毛海岸を埋め立てて造った海浜ニュータウンの変貌ぶりを余所に「せんげん通り」界隈の町の人々は自分たちのホームタウンで今も生活している。
諸行無常。変わらぬものはない。時代とともに自然も人も入れ替わり、移り変わっていく。学校も生徒も同僚も変わっていく。そんな中で変わらない風景を残す稲毛界隈を通ると胸がキューンと締め付けられるほどの懐かしさを覚える。
東京から千葉までの千葉街道のうち市川から習志野市までの国道14号線沿線と幕張から蘇我までの京成千葉線沿線はそういう昔ながらの千葉が残っている。
そういえば私が高校3年生の春に10年ぐらい前に東京に出て来ていた二人の叔父たちに案内されて生まれて初めて千葉に来た時に乗ったのは、京成上野発の京成線千葉行きの各駅停車だった。
(2002年1月10日メモ書き、1月15日加筆+デジタル化)
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