歴史の町、佐倉

 佐倉市は成田や千葉と比べると、全国的にはあまり目立つ街ではない。街の賑やかさなら成田の方が数倍上である。でも江戸時代下総随一の城下町だっただけあって歴史と文化を重んずる街である。その証拠に街の所々に古いお店が今でも残っている。JR佐倉から市役所に至る道の市役所寄りの所には「吉田書店」という昭和20年代ぐらいと思われる本屋さんが今でもある。市役所下の交差点と「歴博」(国立歴史民族博物館)の入り口の間には古い駄菓子屋さんがある。並んだガラスの容器に駄菓子を入れて売る昔ながらの風景が残っている。市立美術館の裏の裏新町辺りには旧武家屋敷が残っている。
 江戸時代末期には「西の長崎、東の佐倉」と言われたほどの蘭学や西洋医学が進んだ街であった。その名残が「厚生園」という医療施設であり、県立佐倉高校にある蘭学資料室だ。
 成田が成田山新勝寺の門前町であり、商人の街なのに対して佐倉は武士の街である。気位が高く、政治の中心であった。今でも佐倉には県の行政の出先機関が入っている印旛支庁がある。地方の小さい街の割に文化施設が揃っている。(旧佐倉城址には「歴博」があり、臼井地区には市民音楽ホール、新町には市立美術館がある。)気風は、周辺にある八街や富里などの開拓地とは随分違う。
 佐倉町、臼井町を中心に2町4村が合併して出来た佐倉市は北部と西部が京成線沿線のためにベッドタウン化して人口が増加し、人口は印旛地方一の17万人を数える。それでも北西部の印旛沼に注ぐ川や水田が広がり、森林がまだまだ多い、長閑な緑の街である。                           (2002年1月17日)
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