□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ [2002/08/12]            【子 育 て 羅 針 盤】                               (第97号) □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□  よい人間になりたいなら,まず自分がわるい人間であることをよく知ること。                         ・・・・・エピクテトス  よい母親になりたいなら,まず自分がわるい母親であることをよく知ること。                      ・・・・・H.モリのクマさん ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ ★ママの?★      『ママはなぜ遠くも近くも同じ葉書を出すのでしょう?』                               (第31号) ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇  ずーんと遠くにいるお祖父ちゃんとちょっと遠くにいるお祖父ちゃんに,マ マがコンビニから荷物を送ります。遠くにいるお祖父ちゃんにはいっぱいお金 が要るって,ママが言っています。電車だって遠くに行くと,お金がいっぱい 要るのと同じだって。  ママがたまにお手紙を出すときには,どちらのお祖父ちゃんに出す手紙にも, 同じ四角できれいなシールを貼っています。「シールじゃなくて,切手という のよ。お手紙の切符なの」。「お手紙も電車に乗るの?」,「同じ切符だった ら遠くのお祖父ちゃんには届かないよ?」。  郵便料金はどうして宛先が遠くても近くても同じでいいのでしょう。郵便屋 さんは損をしないのかな? もしも宛先別料金になっていたらどうでしょう? 出す方はいちいち調べなければなりません。郵便屋さんもきちんと料金通りの 切手が貼ってあるかどうかチェックしなければなりません。  年賀葉書のように膨大な数の手紙を,それもどこからどこまでという組み合 わせが数知れずあるのを,一枚ごとに料金を調べることはかえって人手と経費 がかかります。そこで,全国一律の料金にせざるを得なかったのです。機械で 郵便番号を読んで振り分けることができるようになったから,やがて,距離に よって違う料金になるかもしれません。でも,出す方はどうやって料金を調べ たらいいのかな?  そういえば,ママはこのごろ,お手紙を出さずに,電話ばっかりみたい? ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ ★子育ち12話★         『ドングリの 背を比べて 無理をする』                              《第8-07講》 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇  ■はじめに  先の号で学校週五日制から家庭二日制への意識の転換について触れておきま した。制度の改革を「チャンス」であると考えて,これまでの養育を検証し反 省し再構築しようという宣言を述べるにとどめました。話は当然のこととして 先に進まなければ,タダの看板倒れになります。次のステップは,これまで通 りの学校依存というやり方でよいのかという検証,よくないのであればそれは 何かという反省を具体的に実行することです。  はじめに「学校とは何か」を規定しておく必要があります。学校は子どもに とって教育を受ける環境システムです。その最も基本的な特徴は「同質性」と いうことです。教育効率の面から,同一年齢ごとに編成されています。その横 並び集団は,同一レベル,同一体験,同一関心,同一理解など,同等の発達段 階にあり,集団でありながら単一の教育対象に擬することが可能です。だから こそ,一人の教師が授業を受け持ち,一斉授業という手法が可能になるのです。 授業効率の面で選択されたシステムなのですが,もっと広く養育という面から 見れば,きわめて特殊なシステムということです。当然のこととして特殊な育 ちの様相が現れるであろうと予測できます。  「水は方円の器に随う」という言葉があります。子どもの育ちも環境の形に 依存することは容易に推察できます。そこで,これまで同質な環境の中で育っ てきた子どもたちが,どのようにその影響を受けているか,いくつか洗い出し てみることにします。ただし,ここでの考察は学校教育に対するものではなく て,あくまでも子育ちの環境としての学校という形態に関するものであること を再確認しておきます。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇  【質問8-07:あなたのお子さんは,異年齢のつきあいを持っていますか?】 ・・・・・「異年齢のつきあい」という内容について,説明が必要ですね ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  ○つきあうのは誰でしょう?     学校の同質な集団で育つ子どもは,同質であることが見えにくくなり    ます。例えば,私たちは普段日本人であることを忘れています。ワール    ドカップのような国際的なイベントがあるときに,自分は日本人だと意    識することができます。同じように,同質意識を明確化するためには,    比較が一番です。そこでクラスでは,誰か生け贄を選んで,その子とは    違う自分たちという確認作用を編み出します。     元々が違いのない集団ですから,些細な違い,理不尽な言いがかりを    根拠としてターゲットを探し出します。それがいじめです。下手に庇い    立てすると自分が標的にされるという恐れが傍観者にはありますが,そ    れは誰が標的になってもおかしくないほどの小さな違いによるものだと    いうことをみんなが了解しているからです。     このような小さな【差別化】が恐ろしいのは,本人に悪気が湧かない    こと,ちょっとした悪ふざけといった気持ちでやってしまうことです。    同質な中で自己確認をしようとするから,些細な差を暴きます。それを    避けるには,異質な集団の一員になるのが一番です。兄や姉世代と日頃    から集団化していれば,幼いもの同士といった意識が自然に芽生え,仲    良くなれます。もちろん逆もあって,弟や妹世代とつきあえば,自分た    ちが兄や姉であるという新しい連帯意識を持てるようになります。     もう一人の子どもが大きな違いを見るようになると,小さな発達上の    早い遅いは苦にならなくなります。ママだって同じです。我が子と同年    齢の子どもばかり見ているから,小さな差に一喜一憂するようになりま    す。異年齢集団を見ていれば,細かなことにとらわれることが少なくな    り,ゆったりとした気持ちになれるはずです。     いじめが増えているのは,学校生活が中心になっているからです。家    に帰っても同級生としか遊ばない,その閉鎖性が仲間割れの温床なので    す。地域二日制の目指すべき目標は,異年齢のつきあいを子どもたちに    堪能させる仕掛け作りです。今それをしないと,いじめの根はますます    強く蔓延っていくことになるでしょう。        ・・・つきあうとは,異年齢の鏡の前での自己確認作用です。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  ○どこでつきあえばいいのでしょう?     同質な集団で育つ子どもは,異物を極端に嫌うようになります。自然    発生的に極力純粋になろうという傾向が出てきます。きれい好きな人が    きれいにしている場にちょっとでもゴミを持ち込まれたら怒り出すのと    同じです。持ち込みそうな人は排除しようとします。一種の鎖国状態に    似てきます。     子どもたち同士でも,学年が違うと分からないと言っていますが,そ    れぞれがあまりに尖鋭な感覚に研ぎ澄まされているからです。ちょっと    した違いが感受性の針を振り切ってしまうのです。体温計を温度計とし    て使っているようなものです。     このような【純粋化】は,例えば,世間に残存している家柄とか格式    へのこだわりと相通じるものです。子どもの場合は,同じテレビ番組と    か,同じバージョンのゲーム機とか,同じクラブに所属するとか,同じ    塾に通うとか,当事者にしか意味のない接点でつながり感を持とうとし    ます。関心の幅が狭いので,つきあう範囲が狭く縮んでいき,閉鎖性と    排除が同時進行していきます。     異質なつきあいを持てば,閉じこもるより開いた方が何倍も楽しいこ    とがあることを知るはずです。格式にとらわれたあれこれがマンネリ化    を招いているのは頑なに異質性を拒否しているせいなのです。子どもの    育ちには子どものうちにあれやこれやを体験することが必要です。いろ    んなことに楽しさを見つけるようになれば,その育ちがスムーズに進み    ます。     ご近所に住む子ども同士の間で,幼稚園組と保育園組などに分かれて    しまうことがあるかもしれません。まずは,そこからつながりを復活し,    異年齢の集団を子ども会などの活動によって組み上げることを勧めます。    今のままでは,鉢植えの花と同じで,来年も咲くという保証はできなく    なります。     ・・・つきあうとは,異年齢・異質に向けて気持ちを開くことです。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  ○どんなときにつきあえばいいのでしょう?     同質な集団で育つ子どもは,お互いに気心が分かり合えて,なんの苦    労もなく簡単に仲間づくりができます。ツーと言えばカーと答える仲で    す。そこではクダクダとした説明は無用で,一言ですべてが理解し合え    ます。「見たか?」,「見た」,というわけです。会話は確認し合う言    語の多用になり,単語で用が済みます。     言葉を使わずに意思疎通ができるので,次第に言葉が退化してきます。    語彙数が少なくなり,同時に言葉自体の短縮化が進みます。メールの略    文がその例です。これが今の子どもたちに現れている表現力の収縮化で    あり,いわゆるちゃんとした表現からの逸脱と見なされます。     このような言語表現の【簡略化】は,例えば,夫婦の間で「あれ」と    言えば通じることにも対応します。親しい間での会話であればそれでも    いいのですが,他人とのコミュニケーション能力にはなり得ません。社    会的なつきあいでは誤解を避ける上で,細部を埋める気配りが必要だか    らです。     子どもの言語能力は,多用な言葉を使わなければ通じない世界にいる    ことで育てられます。「ムカツク」。その一言で通じるほど世間は単純    ではありません。保護者には子どもの気持ちを酌み取る努力が求められ    るとはいえ,一方で子どもの方にも説明能力の育ちが求められるのです。    分かってくれない大人がわるいと甘えるような赤ちゃんのままでは困る    のです。助けが欲しいときに,それがちゃんと分かってもらいたいとき,    言葉によるつきあいが不可欠になります。     いい加減な言葉遣いでは通じない,そんな異世代集団の中での会話訓    練が必須なのですが,それが今の子どもには与えられていません。同級    生としかつきあっていないと,卒業してからも同級生と連んでいるしか    なく,社会の人脈に組み込まれなくなります。そんなことは卒業したら    自然に慣れると思っていたら,それは見込み違いです。状況は慣れるこ    とができないほど,落ち込んでいるからです。言葉遣いの落ち零れ,ち    ょっときついですが,そう言っても過言ではありません。   ・・・つきあうとは,異年齢の人と分かり合える会話ができることです。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  〇つきあうと何が起こるのでしょう?     同質な集団で育つ子どもは,その閉じこもった集団特有の居心地のよ    い価値観を作り上げようとしていきます。例えば,「真面目に努力する」    といった大人に押しつけられる価値を拒否することで,安逸な価値を選    んで振りかざそうとします。ですから,真面目に努力しようとする仲間    内からの造反は,寄ってたかって潰しにかかります。外部世界の回し者    という忌避感覚なのでしょう。     一つの集団としてのみ過ごしていると,自分たちの思い通りに安穏と    しようとすれば可能なのです。しかしながら,閉じたシステムは淀むも    のであり,マンネリ化していきます。熱いお湯に投げ込まれたカエルは,    慌てまくって飛び出してきます。しかしぬるま湯に放り込まれたカエル    はお湯が熱くなってきても飛び出すことをせずに死んでいくという話が    あります。いい湯だなと思っているうちに,手遅れになるということで    す。     このような価値観の【停滞化】は,価値のぶつかり合いによる修正を    しないことによって発生します。楽ばかりしているとやがて予期しない    悪い結果に向き合うことになる,そんな経験をすることで楽はほどほど    にした方がいいという知恵を獲得します。ずるをすれば一時はいいけど    結局は悪い目に遭う,そんなおとぎ話的な価値観が実は本物であるとい    う悟りが大切です。大人社会ではそんな見本は山ほどありますね。     「朱に交われば赤くなる」という故事があります。良きにつけ悪しき    につけ,生き方のタイプが仲間の色に染まっていくという意味です。子    どもにとってはどんな集団の中で育っているかということが,子どもの    可能性を良い方向にも悪い方向にも伸ばしていきます。ママは友だち選    びには気を配りますが,もっと大きな子ども集団にも目配りをしておく    必要があります。ご学友だけでは友だちづきあいの偏りになっているん    ですよ。     異年齢集団の中で,年長になれば下の子を庇って,がんばらなければ    ならない場合があります。幼い子どもは少しはハンディをもらえますが,    それなりの役割を与えられ,ちゃんとできたという喜びを分けてもらえ    ます。協力するためには,自分をちょっぴり我慢させることが必要です    が,その後には達成感というご褒美が待っています。同年齢集団でイヤ    なことは押しつけ合うことを学ぶのと比べたら,育ちに雲泥の差が出て    きます。    ・・・つきあうとは,異年齢集団に秘められた宝を発見することです。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  ○なぜつきあうのでしょう?     同質な集団で育つ子どもは,いわゆる温室育ちという側面を持ってい    ます。外を知りません。知らないから恐がり,関係を絶ち,あげくは無    視しようとします。特に人間関係では,「他者は木石と同じ」と何とな    く思いこんでいます。同じように生きているということを実感したこと    がないはずです。     人が壊れるのを見たかった,そんな理不尽な犯罪が起こり始めていま    す。考えれば分かるはずと大人は思うでしょうが,生きている他者は同    級生だけという刷り込みを子ども時代に受けているので,衝動的な行動    では木石感覚が吹き出してくるのでしょう。信じたくはないのですが,    人を人と思わない育ちが現実に存在しているのです。     このような人間観の【閉鎖化】は,普段は無関係さに紛れてこともな    げに済んでいますが,腹立ち紛れに木の枝を折るのと同じ感覚で他者に    襲いかかります。引ったくりをしても別に迷惑を掛けるような悪いこと    をしたという感覚を持てないのは,相手を人と思っていないためです。    年輩の人とつきあったことがないから,人としての実感を持ちようがな    いのです。     人に対する普通の感覚とは,愛する人(家族)から,親しい人(学友),    顔見知りの人,同郷の人,日本人,人類という同心円上に段階を追って    連続的につながっているものです。アナログ的感覚です。ところが,学    友止まりの閉鎖したイメージを持ってしまうと,ディジタル的感覚にな    り,人の輪がぷっつりと断絶してしまいます。     たとえ見ず知らずの人でも,人として認め尊重する感覚を育てるため    には,人の輪をちゃんと繋いでやることが必要です。子どもにとって今    途絶えている人のリングは「顔見知りの人,地域の人」なのです。すぐ    傍に住んでいる異年齢の人,その人たちとせめて挨拶が交わせられたら,    子どもは救われるはずです。     近所づきあいをしないこと,挨拶も交わさないこと,それは周りの人    を人と思っていないことになるのです。学校でしか育っていない子ども    が,さらにそんな環境で育ちを重ねたら,人を壊しても平気と思うよう    な育ちが促されていると結論せざるえません。ミッシングリングを早く    繋いでください。         ・・・つきあうとは,人としての条件を培うためなのです。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  ○どのようにつきあえばいいのでしょう?     同質な集団で育つ子どもは,個が埋没しそうな苛立ちを感じます。自    分を主張し個を確立しようとするのは自然な欲求です。つまり,同じで    あることに安心がありますが,同じであることに不満が現れるのです。    そこで自分になにがしかの変化を加えようとします。髪型や服装の改変    などはその現れです。ただそれは改変に留まり,大きな逸脱には進みま    せん。同質な仲間から拒否され,浮き上がることを怖がるからです。     ティーンエイジ世代には,表面的な格好にこだわりを持ち,流行に乗    りながらもワザと少し壊すことで目立とうする傾向が見受けられます。    大きな流れとして現れた個性の時代という風潮は中流化した豊かな社会    の産物ですが,それもまた社会の同質性から必然的に派生しているので    す。高価な持ち物でしか個性化が実現できない,何かしら異常なことに    よる目立ち方しかできない,そんな世間の風が子どもたちにとっては不    幸な追い風になっています。     このような同質性の中での【差異化】は,流行を追いかけることに似    た顛末になります。目新しさが主になるために,次から次と変遷し続け    ることになります。同じであるのはイヤと思っても,どうすればいいの    か分かりません。そこで,タレントやヒーローの力を借りようとします。    目新しさは異質の世界にしか存在しないのですが,それはブラウン管の    向こうに見えている短周期のファッションなのです。     子どもたちは何か面白いことはないかと探し回っています。しかし,    自ら創造するという手間暇の掛かる悠長なことには背を向けています。    軽いノリで変化を演出できさえすればいいのです。コピーを手に入れて,    狭い自分の世界の中で見せびらかすことができさえすれば十分なのです。     子どもは同質な仲間内だけに暮らしています。ですから,個を主張す    る変化も仲間内で通用すればいいのです。別の集団に同じ格好の者がい    ても,それは自分たちとは関係のない別世界ですから,一向に気になり    ません。こうして,大人の目には,どの子どもも同じ格好をしているよ    うに見えてくるのです。ママが洋服を選ぶとき,同じモノが複数揃えら    れていても,自分の周りに同じモノを着ている人がいなければ,買う気    になるのと同じです。     異年齢集団の中にいれば,子どもはそれぞれに特徴を備えることがで    きます。最も分かりやすいのが単純な年功序列です。最年長から最年少    までずらっと並ぶはずです。外見の変化などの余計なことをしなくて済    みます。外見にこだわらざるを得ないのは,子どもの訴えなのです。       ・・・つきあうとは,自分らしさを発揮するチャンスなのです。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  《つきあうとは,縦関係と横関係が織り上がることです。》 ※子どもたちの心配される姿は,大づかみに捉えれば「社会性の未発達」と言 うことができます。ところで,社会性を育てるためには集団生活が必要である ことは誰しも認めることです。学校という形態が「子どもたち」という集団教 育の場であるために,学校に行かせていれば社会性が育つと思いこんでしまい ました。  かつての子どもたちには社会性が育っていました。当時の学校と今の学校は 形態的には全く変わってはいません。それなのにどうして今の子どもたちは社 会性の発達をしていないのでしょうか? 今の子どもも学校環境に素直に適応 すべく育っているはずですが,それでも社会性が育たないのは,学校がその機 能を失ってしまったということではありません。  元々,社会性は学校では育たないと考えるべきなのです。では,どこなのか? それは地域という環境です。昔と今の子育ち環境における最も大きな違いは, 子どもが地域に入っているか否かということです。かつては地域における子ど もたちを組み込んだ大きな人脈としての縦関係がありました。それが無くなっ たのは時代の流れの中で仕方のないことであったという見方もできるでしょう。 しかしながら,国際化の中で見てみても,一人日本だけが子どもに対する家庭・ 地域システムの崩壊を招いています。決して時代といった天災ではなくて,大 人による人災と見なさざるを得ないのです。  同質な集団で育つ子どもは,横並びの糸と同じで,隣接する糸とはなんの関 係もありません。社会という布にはなれません。布になるためには縦糸と絡む 必要があります。その縦のつながりは「異質性」が特徴です。言葉はちゃんと 順序よく並べないと通じません。違っている人がいろいろいることを感じ,い じめの種が些細なことを弁えます。安逸は認められないのだという大きな価値 に気付きます。社会の一員であるという広い世界に飛び出したとき,子どもは 本当の育ちをしようという気になるはずです。社会性とは何か? それは異質 なものと折り合うことであり,だからこそ,異質との関わりの中でなければ育 たないのです。  【質問8-07:あなたのお子さんは,異年齢のつきあいを持っていますか?】    ●答は?・・・どちらかと言えば,「イエス」ですよね!? □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ ★編集後記★  お届けした「子育て羅針盤」第97号は,いかがでしたか?  学校というシステムに任せていればちゃんと育つという見込みは,幻想であ ったのです。なにより,子どもたちの育ちがどこかおかしいと感じられること がその証です。子どもの育ちを正常化するためには,家庭・地域二日制がそれ ぞれの養育機能を始動する必要があります。家庭・地域はそれ自体が子どもに とっては異質なシステムだからです。  制度改革という構造改革は,学校五日制という制度と,家庭・地域二日制と いう制度が揃ってこそ,完成します。もしも余計なことをしなくてはならない と考えていたら,それは見当違いです。しなければならなかったことをこれま でしてこなかった,その反省から取り組みを始めるチャンスなのです。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ ※ご案内※  ●モリのクマさんのホームページは ・・・「徒然窓」=      http://www5a.biglobe.ne.jp/~mbear/   です。「子育て羅針盤」の「バックナンバー」,〜「掲示板」,     週刊「今週のコラム」,「子育ち12章(Ver.1,2,3,4,5,6,7)」,     「子育て心温計」などの受賞論文,養育アンケート調査結果,     社会教育・ボランティア組織活動の指導者用テキスト〜    などを掲載しています。 ・・・是非訪ねてみて下さい。・・・  ●大小問わずPTAや家庭教育学級などでの《講演》のご依頼も承ります。   関心をお持ちの方は,メールで気軽にお問い合わせ下さい。   プロフィールをお知りになりたい方は上記のHPを参照してください。   なお,クマさんの本拠地は福岡市近郊です。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ ☆予告☆  次号では,  【質問8-08:あなたのお子さんは,類推をしていますか?】 について考えます。どうぞお楽しみに! □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ ○タイトル:『子育て羅針盤』 [Kosodaterasinban] ○発行期日:2000年09月25日より,毎週月曜日正午 〇発行責任:モリのクマさん(詳細はHP「徒然窓」〜プロフィールに) ○著者連絡: mori-bear@mvd.biglobe.ne.jp  〇転載許可:必ず事前に,モリのクマさんまでメールのご一報を下さい。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 〇配信の協力を頂いている発行支援システム  ◆インターネットの本屋さん『まぐまぐ』= http://www.mag2.com/    登録・解除= http://rap.tegami.com/mag2/m/0000046251.htm  ◆メルマ***『melma!』= http://www.melma.com/    登録・解除= http://www.melma.com/mag/37/m00019737/  ◆読者と発行者を結ぶ架け橋『Pubzine』= http://www.pubzine.com/    登録・解除= http://www.pubzine.com/detail.asp?id=9104  ◆無料メルマガ発行サービス『メルマガ天国』= http://melten.com/    登録・解除= http://melten.com/m/2166.html  ※解除される方は,登録された配信先の解除手続きをして下さい。 ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○