□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ [2002/10/14]            【子 育 て 羅 針 盤】                              (第106号) □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□  美しい顔が推薦状であるならば,美しい心は信用状である。                      ・・・・・ブルバー・リットン  優しい顔が賢母であるならば,優しい心は慈母である。                      ・・・・・H.モリのクマさん ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ ★ママの?★      『ママはなぜおばさんと呼ばれると怒るのでしょう?』                               (第38号) ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇  ボクの友だちが家に遊びに来ているとき,ママのことをおばちゃんと呼びま す。「ケント君のママって,呼んでね」なんて言い直したりします。おばちゃ んの方が呼びやすいのに。それに,この前,親戚のお姉ちゃんが来たときは, ママのことおばさんと呼んでいたのに,ママは何にも言わなかったよ。  父母の姉,父母の兄の妻は「伯母」,父母の妹,父母の弟の妻は「叔母」な んだって。男なら「伯父」と「叔父」。よその中年ぐらいの女の人は「小母」 さんって言うみたい。友だちが言っていたおばちゃんは小母さんということだ から,中年ぐらいというのが気に入らなかったのかな。でも,お姉ちゃんでは ないし・・・。  パパは小父ちゃんと呼ばれても平気で,何にも言いません。ボクも友だちの ママをおばちゃんって言ってるけど,いけなかったのかな。考えてしまうボク なのです。 ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ ★子育てチェック12条★         『なぜだろう 子どものどもは 複数形』                              《第9-02講》 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇  ■はじめに  私の家の横に取り残されたように一枚の田圃があります。秋の収穫は機械が アッという間に刈り取っていきます。田圃にはわらくずが一面に散らばってお り,どこにいたのか,たくさんのスズメが舞い降りてきて,ごちそうを前に大 宴会をしています。刈り取りの際に米粒がこぼれているのです。にぎやかなさ えずりが田圃会場に響き渡っていて,ほほえましい光景です。  午餐は意外にあっさりと切り上げられます。気がつくと田圃にはスズメが一 羽もいません。庭の植木を見るとスズメがたくさん留まって,食後のご休憩中 です。田圃にはまだまだ落ち穂があるはずなのにと思ったとき,我ながら欲深 いことと苦笑いです。  スズメはお腹いっぱい食べているはずです。飽きるほど食べる季節だからア キ=飽き=秋と言われているそうですが,一日分だけで十分なのです。スズメ は明日の分とか,家族の分とか,余計な収奪はしません。今必要な分だけを頂 いて,あとは明日みんなでとゆったりと生きています。平たく言えば,その日 暮らしを楽しんでいます。  この講演の間,私は皆さん方にたくさんの言葉を差し上げます。その中で 「アレッ」,「そうか」といった,ちょっと気になる言葉があったら,それだ けをしっかりと手に入れてください。それが今一番必要な情報なのです。これ はいつか役に立つだろう,これも持っておいた方がいいかな,とあれもこれも 欲張らないでください。スズメに笑われますよ。  冷蔵庫の中,倉庫の奥には,いつか使うだろうとしまい込まれたものが忘れ られています。欲張っても結局は日の目を見ないまま朽ちていくだけです。ま た,両手にいっぱい抱え込んでも,講演が終わって後ろのドアを出たとき半分 こぼし,建物を出たときに半分落とし,帰り道の途中で漏らし,家のドアを開 けてホッとしたら片手一つになります。ヤレヤレ終わったとくつろいだとき, ところで今日は何の話を聞いてきたんだろうと考えても,ほとんど思い出せな くなります。片手に握りしめていた一個だけが生き延びます。  いつか要りようなものは,いつかが来たときに求めればいいのです。情報に も旬があります。今必要なものです。今日拾わなかったとしても,またの機会 はいくらでもあります。誰かが届けてくれます。ドウゾお一人様一個限りとお 願い申し上げまして,それでは,そろそろ本題に入りましょう。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇  【チェック第2条:子どもに考えさせていますか?】      ・・・・・「考えさせる」という内容について,説明が必要ですね ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  ○12条の意味?     お話は第2条に移ります。どんな内容になるのか,かいつまんで説明    をしておきましょう。この講演全体は,「誰が育つのか,どこで育つの    か,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのか」    という不可欠の問題設定を基本として,必要なもの6条からなる「基礎    子育て」,十分なもの6条からなる「個性子育て」による,全12条の    構成であるとお話ししておきましたね。     第2条は,誰が育つのか? その個性編です。第1条の基礎編では,    もう一人の子どもを育てるのが子育てですよとお話ししました。そのも    う一人の子どもが自分を育てようとするのが子育ちです。そこで,自我    の統一が子育ちの条件になりますよということを,これからお話しして    いきます。     自我の統一? そんな哲学的な言葉を聞いたら眠くなると言わないで    ください。話している私の方が眠くなります。毎日の子育ては,そんな    難しいことを考えながらできるものではありません。考え方を整理する    ために,ちょっとだけ漢字を借りているだけですから,気になさらない    でください。我はもう一人の自分,自は文字通り自分です。もう一人の    自分が自分としっかりつながっていなければならないと言いたいのです。     自棄になるということがありますね。漢字では自分を棄てると書きま    す。もう一人の自分が自分を棄てているのです。自分で自分が嫌になる    ということがありますね。それももう一人の自分が自分を嫌っているの    です。自我の連携が壊れています。自殺というのはその最も極端なケー    スです。     一方で,自惚れというのは,逆にもう一人の自分が自分に惚れている    のです。惚れてしまうと見境がなくなるので危なくなります。自我の統    一のしすぎになります。自慢は自分のことをもう一人の自分がおごり高    ぶることで,これもあまりほめられたことではありませんね。     もう一人の自分が自分とどんな関係にあればいいのか,その間合いが    人としてとても大事です。援助交際をしている女の子に,自分を大切に    しなさいとアドバイスしても,それが通じないのはとても悲しいことで    す。もう一人の自分が自分をいい加減に考えているからです。第2条の    未熟さが引き起こしている悲劇的個性なのです。前置きはこの程度にし    て,第2条の扉をノックしましょう。      ・・・《もう一人の子どもと子どもは離れてはいけないのです!》 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  ○責任能力?     最近,理解不能な事件が起きるようになってきたという思いがします。    逮捕された犯人に対して必ず精神鑑定が行われます。人権という配慮で    すが,キーワードは責任能力です。いったいどういうことでしょうか?    私たちは現在,人というのをどのように考えているのでしょうか? 罪    を憎んで人を憎まずという法曹界の原則は,仕置き人という庶民感覚と    微妙なズレがあります。     手を汚した犯人には,手を汚させたもう一人の犯人がいるということ    です。もう一人の犯人が人間であるか,社会人であるかということが問    われているのです。病気であればもう一人の犯人は正常な判断ができず,    罪人という人扱いはできないということです。責任を負わせられるのは,    社会人だけだということです。罪を犯した人を矯正するというのも,も    う一人の犯人の矯正が期待されています。生まれ変わるとか,改心する    というのは,もう一人の犯人という前提があるから言えることです。     万引きや窃盗,ひったくりをしでかす子どもが悪びれない姿を曝しま    す。罪の意識がない,道徳観念が欠落している,善悪の見境がない,い    ずれも社会人としての資質が備わっていないことです。もう一人の子ど    もがいるだけでは,十分ではありません。もう一人の子どもが人として    育っているかどうかが重要です。     子どもに人としての社会性が育たないのは,社会で育てていないから    です。園や学校に通わせていれば,社会性は育つはずと思っていたら,    それは大きな間違いなのです。今まで育ってきた子どもに社会性が育っ    ていないことが,明らかな証拠です。それは園や学校の教育が十分では    なかったということではないのか,という反論をしたくなるでしょう。    でも,それは責任を園や学校に転嫁することになります。     学校は同質性を基本にした集団です。同じ年齢の子どもを集めている    のは,同じ発達段階にあるから同じ指導が可能であるという教育上の方    便です。だから,一人の担任がクラスを受け持つことができるのです。    この同質な集団では,妬みやそねみ,ひがみといったマイナスの社会性    がよく育ちます。いじめはその例です。同質性は同じであることを強い    るために,小さな違いを排除しようとし,その息苦しさが不登校を生み    出すのです。     社会性は異質なものが混在する中でのみ育ちます。自分と違った人と    どう折り合いをつけていくか,どうつきあっていくか,何が自分に求め    られているのか,集団の中の自分を,もう一人の自分が考えるとき,プ    ラスの社会性が芽ばえてくるのです。これまで,もう一人の子どもが考    える場を与えて来たでしょうか? 家庭におけるしつけから,再検証し    ていきましょう。      ・・・《もう一人の子どもを考える子どもに育ててやりましょう》 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  ○わがまま?     人は誰でも自分が可愛いものです。もう一人の自分は自分を第一に考    えるのが自然です。幼子とて自分を優先させます。それがわがままの原    因です。決して悪いことではありません。生きるとは,とにもかくにも    なりふり構わず自分が生き延びる営みです。     その根っこを認めることから,子育ては始まります。ママだって,危    急な場合を除けば,自分の都合に合わせて子育てをしているはずです。    ごめんねと言いながらも,子どもを預けています。生きていくためには    仕方がないのです。子どもの犠牲にはなれないというわがままな選択を    しています。人の遺伝子はわがままなのです。     一方で,人は社会という環境を住処として暮らしています。そこでは,    無軌道なわがままは受容されません。社会人という規格に整形される必    要があります。規格外の品物ははじき出されるということです。大事な    ことは,上手にわがままを実現させることなのです。ずる賢いのはいけ    ません。結局はわがままが通らなくなるからです。自分のわがままをも    う一人の自分が規格に合わせようとしさえすればいいのです。     お部屋はきちんと片づけておくもの,そういう暮らしの規格がありま    す。子どもが遊ぶと部屋は散らかります。規格にそぐわない仕儀です。    そこで後始末というフォローが課せられます。後始末をすれば,好きに    遊んでもいいのです。お菓子が食べたいという欲求は,3時になれば適    えられます。     ところで,朝は7時に起きるという家の規格もあります。時間的な段    取りがあるからです。寝ていたいというわがままは許されません。しつ    けというママによる強制が子どもに降りかかります。ここでママは一つ    の過ちを犯してきました。子どもを起こし続けたのです。言わないとい    つまでも起きてこないからというわけです。確かに癖をつけるという意    味で起こすことは大事です。しかしそれはあくまでも最初の誘い水,オ    リエンテーションに留めておくべきだったのです。     子育ては,もう一人の子どもに向けるものとお話ししておきました。    明日からは自分で起きてきなさいと,目覚まし時計を渡してもう一人の    子どもにバトンタッチをしなければなりません。案の定,起きてきませ    ん。時間が過ぎて慌てて飛び起きてきます。食卓は片づいてしまって,    朝食がありません。「ボクのご飯は?」,「時間が過ぎたらありません」。    午前中お腹が空いて,懲ります。もう一人の子どもが本気に考えます。    明日はちゃんと起きよう。     わがままは通りません。人からダメと言われると,むかつきますよね。    でも,自分で止めると,幾分かは楽になります。もう一人の自分が自分    をコントロールできれば,嫌な思いも浅くて済みます。しつけとは,も    う一人の子どもがわがままを自制するようにし向けることです。自制,    それは自分をセーブすることです。誰が? もう一人の自分です。起こ    し続ければ,もう一人の自分はいつまでも目を覚ましません。     自分をコントロールするということは,環境に合わせるということで    す。家の生活がどのような規格になっているか,もう一人の子どもが理    解しなければなりません。8時を過ぎたら朝食はないという規格を明示    してやることが本当のしつけです。朝食抜きは可哀想ですか? だから,    起こし続けますか? ・・・《わがままにも程があることを考えさせるのが,我が家という場です》 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  ○自分のことは自分で?     夕食の前です。「ちゃんと手を洗ってきなさい」,「はーい」。ママ    はちゃんとしつけをしています。これでいいのでしょうか? 少しばか    り形を変えてみましょう。「何か忘れていない?」,「あっ,手を洗っ    てなかった」。食卓に着く前の自分を思いだして,いつもの自分と比べ    てみる,この振り返るプロセスがもう一人の自分を目覚めさせ,自分を    今の状況に相応しい自分にするきっかけになります。     「裸でいたら,おへそ取られちゃうよ」と軽く脅されます。おへそを    取られないためにはどうしたらいいのかなと考えます。服を着て隠せば    いいと答えを見つけます。もう一人の自分が自分を庇うことができます。    「きれいなお洋服を着て,かわいいね」とおだてられて,もう一人の自    分が自分はかわいいと思うようになり,他者の目を待てるようになりま    す。     ママに履かせてもらっていた靴,やがてある日,もう一人の子どもが    履かせようとします。「自分で履く」というわけです。もう一人の自分    が自分を親の手から取り戻そうとするのは,育ちが進んでいるからです。    したいなら気の済むまでやらせてみようと任せます。うまくいきません。    あれこれやってみながら,考えます。できないと,だんだんといらつい    てきます。この靴は壊れている,なんて言い出しますよね。     もう一人の子どもが,フッと思い出します。パパが靴を履くとき何か    を使っていた,何だったかな,これだ,靴べらを見よう見まねで使いま    す。何とか履くことができました。これで靴を履くことについては,も    う一人の自分がママの手から自分を取り戻すことができました。同時に,    パパと同じになった自分を感じます。この他者とのつながりを感じ喜ぶ    ことは,社会性への大切な誘導になります。     自分のことは自分で,それは基本的な生活習慣へのしつけです。表向    きはそうですが,実はもう一人の子どもが自分にあれこれ求めて,それ    ができる自分になろうとする子育ちなのです。自分の思い通りになる自    分,これからの育ちの体勢を整えていると考えるべきです。     子どもは親のマネをします。それはもう一人の子どもが親の立ち振る    舞いを自分に移し込もうとしているのです。自分の動きを親の動きに合    わせようとするとき,それをチェックしているのがもう一人の自分です。    親が電話を右手で持っていたから,自分も右手に持つ,というわけです。    ところが,実際は左で持ったり,逆向きに持ったりしています。もう一    人の子どもが左右とか,送受口といった知識をまだ持ち合わせていない    からです。     子どもはいろんな親の仕草を見てそれなりに考えて,自分に試そうと    します。子育ちの自然な営みです。考えさせる,それがもう一人の子ど    もへ親からしてやれる子育てです。子育ちと子育ての違いが少しはイメ    ージして頂けたでしょうか?         ・・・《子どものことは子どもに任せて考えさせましょう》 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  ○我に帰る?     我を忘れるということがありますね。何事かに没頭するという状態で    す。テレビに見入っている子どもは,身じろぎもせずに固まっています。    座っている子どもはまるで抜け殻のようです。そんなとき,もう一人の    子どもはどうしているのでしょう? 大きな声を掛けるとびくっとして,    我に帰ります。誰が帰ってくるのかというと,もう一人の子どもが自分    のところに帰ってくるのです。     テレビでも本でも紙芝居でも,もう一人の子どもはその世界にすんな    りと入り込みます。鏡の向こうに入り込んだり,洞穴の奥に紛れ込んだ    りするおとぎ話がありますが,それはもう一人の子どもが入っていくの    です。もう一人の子どもが主人公のヒーローやヒロインに同化します。    なりきるのです。そんなときの子どもは,我を忘れています。     もう一人の子どもは,旅をしています。冒険の世界に入っていると,    危ない場面では実際に身をねじって避けています。物語り世界でもう一    人の子どもはたくさんの経験をしているのです。悪人を憎いと思い,弱    い者を可哀想と思い,友情と勇気を培っています。こうして,もう一人    の子どもは,自分をどう生かしたらいいのか,知らないうちにシミュレ    ーション訓練を受けます。     ところが,このようなもう一人の子どもの育ちはそれでいいのですが,    過ぎると副作用が現れます。どういう症状になるかというと,現実の自    分と乖離してもう一人の自分が肥満になるのです。口ばっかり達者とい    うのも初期症状です。テレビの見過ぎで仮想世界にはまるのも同じです。     人は思ったとおりには行動できません。高いビルをひとっ飛びとはい    きません。筋書きどおりにはいかない,計画通りにはいかない,そんな    現実世界の体験がもう一人の自分の肥満に歯止めを掛けます。自分とも    う一人の自分は常に二人三脚ですから,一方が早過ぎてはバランスが壊    れます。体験という紐でつながっていなければなりません。     体験がクローズアップされている背景には,自分の体験という紐を丈    夫にすることが期待されているのです。現実感覚を失ったもう一人の子    どもが引き起こす悲劇は,理解不能な動機を持つ多くの事件として表立    っています。人としての価値観や資質は現実世界のものなので,現実の    自分とつながっていなければ組み込めるはずもないのです。大方の悲劇    は,我に帰る道が近ければ,起こりえないものです。このつながりをも    う少し考えてみましょう。       ・・・《もう一人の子どもが考えるべき材料は自分の体験です》 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  ○自分を考える?     物思いに耽るのは,もう一人の自分です。そんなとき,自分のことを    考えます。内省といいます。自分を考えるといっても,手がかりがなけ    ればどうしようもありません。ぼんやりと雲を眺めていると,雲がお菓    子に見えます。そう見えることから,お腹が空いている自分を見つけま    す。     雨に濡れてしょんぼりしている子犬を見つけて,可哀想だなと思いま    す。下校時に雨に降られて濡れて帰ったときの冷たかった自分の感触を,    もう一人の子どもが犬に重ねています。思いやりの基本形は,自分の身    に置き換えて考えるということです。家に帰り着いたとき,ママがバス    タオルを出してくれた温かさを思い出し,子犬にしてあげられないかと    考えます。思いやりは,自分にしてもらった温もりを誰かにお返しする    ことです。     子犬の姿をみて,もう一人の子どもは自分とママとの温かなつながり    を考えることができます。具体的な体験があるから,似たような状況に    遭遇したときに,そこにいた自分を考えることができるのです。物語に    感動することも同じパターンです。     日記を書くという習慣は,日々の具体的な自分の生活をもう一人の子    どもが振り返ることによって,そこにいる自分を考える機会になります。    子どもの日記は,朝7時に起きました。それから歯をみがき顔を洗いま    した。弟といっしょに朝ご飯を食べました・・・。具体的な行動が羅列    されます。ママは言いますよね。どう思ったか,どう感じたかを書きな    さいと。起きたときは眠かったけど,顔を洗ったらすっきりと目が覚め    ました。幼稚ではありますが,これがもう一人の子どもが自分を考えた    文章なのです。     子どもが友だちに悪さをしたとき,子どもを叱ることもあるでしょう。    でもその前に,ママが子どもに頭を下げて謝ってみせるということも大    事です。ママが謝るほどのことをしでかしたと思い,何がいけなかった    のかを考えはじめます。それが反省です。叱られて反省させられるので    はなくて,反省しなければなりません。     楽しい体験,辛い体験,悲しい体験,怒りの体験,いろんな体験をす    るから,もう一人の子どもは自分を考える手がかりを持つことができま    す。どうして自分はうれしかったのか,なぜ悲しかったのか,何が面白    かったのか,いろんな場面から自分を問えるのです。  ・・・《静かに自分を考える習慣を持てば,子どもは真っ直ぐに育ちます》 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  《考えさせるとは,もう一人の子どもに自分をつなぎとめることです。》 ※第1,2条では誰が育つのかという課題に対して,もう一人の子どもが自分 を育てるのが子育ち,もう一人の子どもを育てるのが子育てであるとお話しし てきました。二重になっている子どもの育ちに気付いて頂ければ,子育ての第 一のバグは修正できることでしょう。  体罰を与えたときに,涙を堪えてにらみ返してくる目があります。何だその 目は!と親は叱ります。育てなければならないのは,その目の奥にいるもう一 人の子どもなのです。体罰は育てるべきもう一人の子どもを敵に回しています。 しつけとしての体罰が誤りである理由は,このすれ違いなのです。  【チェック第2条:子どもに考えさせていますか?】    ●答は?・・・どちらかと言えば,「イエス」ですよね!? □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ ★編集後記★  お届けした「子育て羅針盤」第106号は,いかがでしたか?  もう一人の子どもという聞き慣れない言葉に戸惑われたかもしれません。ご 自分にすっきりする言葉に言い換えてください。子どもの気持ちになるとか, 子どもの目線で育てるとか,いろんな言われ方をしていることも,結局はもう 一人の子どもと同じ意味です。  ところで,クマさんは8日から11日まで秋田市に参上するとお伝えしてお きました。男鹿半島のなまはげ,きりたんぽや塩汁鍋など,秋田の風物に親し んできました。出会った方々が一期一会ではありながら,あたたかいおもてな しをしていただき,秋田よいとこという思い出ができました。もちろん研修も しっかり済ましました。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ ※ご案内※  ●モリのクマさんのホームページは ・・・「徒然窓」=      http://www5a.biglobe.ne.jp/~mbear/   です。「子育て羅針盤」の「バックナンバー」,〜「掲示板」,     週刊「今週のコラム」,「子育ち12章(Ver.1,2,3,4,5,6,7)」,     「子育て心温計」などの受賞論文,養育アンケート調査結果,     社会教育・ボランティア組織活動の指導者用テキスト〜    などを掲載しています。 ・・・是非訪ねてみて下さい。・・・  ●大小問わずPTAや家庭教育学級などでの《講演》のご依頼も承ります。   関心をお持ちの方は,メールで気軽にお問い合わせ下さい。   プロフィールをお知りになりたい方は上記のHPを参照してください。   なお,クマさんの本拠地は福岡市近郊です。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ ☆予告☆  次号では,  【チェック第3条:子どもを安心させていますか?】 について考えます。どうぞお楽しみに! □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ ○タイトル:『子育て羅針盤』 [Kosodaterasinban] ○発行期日:2000年09月25日より,毎週月曜日正午 〇発行責任:モリのクマさん(詳細はHP「徒然窓」〜プロフィールに) ○著者連絡: mori-bear@mvd.biglobe.ne.jp  〇転載許可:必ず事前に,モリのクマさんまでメールのご一報を下さい。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 〇配信の協力を頂いている発行支援システム  ◆インターネットの本屋さん『まぐまぐ』= http://www.mag2.com/    登録・解除= http://rap.tegami.com/mag2/m/0000046251.htm  ◆メルマ***『melma!』= http://www.melma.com/    登録・解除= http://www.melma.com/mag/37/m00019737/  ◆読者と発行者を結ぶ架け橋『Pubzine』= http://www.pubzine.com/    登録・解除= http://www.pubzine.com/detail.asp?id=9104  ◆無料メルマガ発行サービス『メルマガ天国』= http://melten.com/    登録・解除= http://melten.com/m/2166.html  ※解除される方は,登録された配信先の解除手続きをして下さい。 ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○