□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ [2002/10/28]            【子 育 て 羅 針 盤】                               (第108号) □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□  女がいちばん強くなるのは,自分の弱さで武装することです。                         ・・・・・デファン夫人  子どもがいちばん強くなるのは,母の弱さを庇うことです。                      ・・・・・H.モリのクマさん ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ ★ママの?★   『ママはなぜボクの服のボタンを留めにくそうにするのでしょう?』                               (第40号) ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇  ママがボクに新しい洋服を買ってくれたとき,お家に帰ると,必ず試しと言 って着せます。この前上着を着せようとしたとき,とってもボタンが留めにく そうでした。新しいせいかもしれません。洋服を着たボクを見ながら,「ぴっ たりね」とにっこりしています。  すぐに脱がせてハンガーにつるし,ママの洋服と並べて掛けてくれました。 ママの上着とお揃いのように見えて,ちょっぴり恥ずかしい気持ちになりまし た。ママの洋服のきれいなボタンを見ると,ボクの上着と反対についています。 「ママ,ボクの洋服のボタンは間違ってる」,「いいのよ」。  どうしてボクの洋服のボタンとママのボタンは反対なのかな? ボタンを付 ける習慣は,15世紀からです。ほとんどの人が右利きなので,ボタンは右側 に付けられていました。女性の場合は,高価なボタンの付いた服を着れるのは 上流階級の夫人であり,使用人に着せてもらうのが当たり前でした。使用人が 向きあってお嬢様に洋服を着せるためには,左側についていなければ具合が悪 かったのです。その習慣が残ってきたというわけです。  ママは右利きだから,自分でお洋服を着るときや脱ぐときは,ボタンを扱い にくいだろうな。パパにしてもらえばいいのに。 ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ ★子育てチェック12条★          『親心 子の不始末で 現れる』                              《第9-04講》 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇  ■はじめに  ところで,本日の講演会に出席されるのに,皆さん方は入場料を支払って頂 けましたか? 「エッ,タダじゃなかったの!」。「冗談ですよ」。大道芸で は,観客が見た甲斐があったと思ったら,観覧料を投げ銭していただけます。 でも,この講演では,まさかそんなことはありませんよね。同じコウエンでも, 座長公演ならお札の首飾りがいただけるのですが,それほどの感動は望むべく もありませんから,最初から諦めています。  さて,情報化社会の中で,情報はタダであるという前提が罷り通っています。 ある宴席で,たまたま同席した方が弁護士であると分かると,急に相談事に話 を移す方が多いそうです。弁護士への相談料は30分,5000円ですが,宴 席のよしみでタダで相談しようとされるのです。話はタダで聞けるという習慣 が,ラジオやテレビの無料放送に馴染むことで定着しています。実のところ, タダで聞ける話とは,大して役に立つものではありません。  もちろん,今日の講演は無料でしているはずはありません。なにがしかの対 価を頂けるはずですが,聞いている皆さん方は無料です。この講演会を開催し ている方が立て替えているのです。本当に奇特な方です。私にも,皆さん方に もありがたい方です。ちょっと下世話な話になりました。  さて,皆さん方は,本当にタダで聞いておられるのでしょうか? 忙しい時 間をやりくりして,あるいは用件を後回しにして,この時間を私と共有してく ださっています。講演会に来なければ,なにがしかの得をされているはずです。 ワザワザお越し頂いたという代価を費やしておられます。いったん会場に入っ てしまうと,途中でチャンネルを切り替えるわけにもいかず,眠いのを無理矢 理我慢するといった苦労もお掛けしております。そんなこんなにお応えするた めにも,中身のあるお話をと,こうして汗をかいております。  お互いにとって金銭的な関係は成り立っておりませんが,この会場内では一 時的な信頼関係があります。何かいい話を聞けるかもしれない,役に立つお話 ができたらいいが。そんなお互いに対する善意の関係です。儲けてやろうとい う下心はないはずです。信頼とはタダの関係ですが,その最も原初は親子関係 にあります。お金では購えないものがあることを,子どもにしっかりと伝えて おきたいですね。ということで,子育ての話に入りましょう。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇  【質問9-04:子どもに信頼されていますか?】      ・・・・・「信頼される」という内容について,説明が必要ですね ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  ○第4条の意味?     全体の構成である「誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,    何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのか」という問題設定の    二番目に,話が進んでいます。前節では,子どもは安心できる居場所で    育っているとお話ししました。逆に言えば,不安を抱え込むと子育ちを    停止します。不登校や引きこもりといった袋小路,あるいは非行などへ    の逸脱の道に迷い込みます。     もう一人の子どもが安心していれば,子育ちをします。すくすくと育    って手が掛からなくなり,世話の要らないいい子になっていきます。そ    こで,親は安心して目を離します。しかし,目を離したときに,何かが    起こるものです。いい子とはいえ,まだ育ちの途上にある子どもなので    す。子どもを放置できるは,ずっと先の二十歳になってのことです。     子どもは育つ中でいろんな新しい局面に出会います。未経験なことば    かりですから,それに向かっていくことは大きな不安を生み出します。    いつも子どもに寄り添える体制をとっていなければ,次々と襲ってくる    不安を解消する支援ができません。子どもを見守っていなければならな    いのです。もちろん,四六時中いっしょにいるべきだということではあ    りません。     子どもが何かに不安を感じていても,やらなければという思いや,や    ってみたいという意欲を持てれば,何とか育ちの歩みは続いていきます。    しかし,それには,大きな安心が背後になければなりません。親が見守    っていてくれるという,親への信頼です。親の姿がないと泣き出す子ど    も,親がいれば親の傍に寄りつくことなく遊んでいる子ども,子どもに    とって信頼できる親がそこにいるだけで十分なのです。     子どもの育ちを促す親に対する信頼,それはどういうものか,どうす    れば得られるのか? 第4条の扉を開くことにしましょう。         ・・・《子育ちには信頼という名のへその緒が不可欠です》 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  ○家の人?     いじめを受けて自殺に追い込まれた中学生が遺書を残しました。その    冒頭に記されていた言葉が,「家の人へ」だったのです。このことが妙    に気になりました。何か引っかかるものを感じたのです。しばらく考え    てみました。もし自分だったら? おそらく「お母さん」だったのでは?     この中学生の家庭のことは全く知りません。それでも,最後の言葉が    「家の人」に宛てられていたことが,とても悲しく思われたのです。追    い詰められたとき,もう一人の子どもが助けを求めるのは最も信頼する    人でしょう。それが家の人という曖昧な人,どちらかというと他人行儀    な響きを帯びた関係であるとしたら,どこに頼ればいいのでしょう?     プチ家出をしている女の子を補導して,「お家の人が心配しているよ」    と言うと,「どうして?」と問い返されるそうです。心配するのが親と    いう図式はもう描けなくなっているようです。親離れや子離れをすれば,    お互いに用はないという冷めた関係が普通なのでしょうか? 子どもか    らたまたま同居しているだけと思われる親とは,どうなのでしょう?     信頼関係は,困ったときに頼るということだけではなくて,信頼を裏    切らないという自己抑制にもなります。どちらもなくなることは,荒野    にはぐれた子羊状態です。危機管理という意味でも,野放しにするのは    ゆっくりした方がいいのですが,ここでも見守りというフォローが疎か    になっています。     どうしてそうなるのでしょう? 子育てに関するイメージがいつの間    にか変質してしまっています。子育ては園や学校に行かせるまで,とい    う期間限定がなされています。学校に行っている間は,親は親であるこ    とを脱ぎ捨てています。自分のことにかまけています。忘れているので    す。手を掛けることだけが子育てと思いこんでいるのです。     世話を受ける,世話をする,そんな関係に親子関係を縮小しているか    ら,世話が要らなくなると同時に,親子関係は意味を失っていきます。    子育てという言葉のイメージは,子どもが相手です。自分の世話ができ    るようになれば,子どもではなくなります。そして子育ては切り上げら    れてしまいました。もともとは,子育てとは我が子を一人前の大人にす    ることでした。子育ての子とは子どもではなくて我が子であり,いくつ    になっても親の子であるという子どものことなのです。     子どもを産んで育てて,一人の人間として社会に送り出す責任が親に    はあります。社会は子どものままで持ち込まれても困ります。社会の一    員として自立するまでは,言葉は適当ではありませんが,製造物責任が    問われているのです。食品でも製造者が誰かという保証書が求められる    世の中になっています。            ・・・《親は社会人として我が子の連帯保証人です》 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  ○代わり?     「仕事では代わりはいくらでもいます。でも,あなたには代わりはい    ないのよ」。朝のドラマの一シーンでヒロインに祖母が語りかけた言葉    です。ドラマのオリジナルではなくて,きっと市井のどこかで誰かが言    っている言葉でしょう。     親業という言葉があります。どうもあまり好きにはなれません。親を    業務と考えることは明らかに間違いだからです。親としての努めとか,    役割といった言い方もあります。その言い回しに引きずられて,役割を    果たしていれば親であるという短絡的な結論を何となく引き出してはい    ないでしょうか?     親になるのは易しいが,親であることは難しいと言われています。親    の役割をきちんと果たすことはそれほど難しくはありません。役割とは    これこれですと並べることができるからです。ですから,親になるのは    易しいのです。では,親であるためには,役割以外に何をすればいいの    でしょうか?     例えば,仕事場で与えられた役割をちゃんとこなしていれば,つつが    なく勤務を続けられるでしょう。ところで,何かのアクシデントで休む    ことがあるとしたら,担当していた役割は他の人が肩代わりをします。    つまり,役割を果たすには,代わりは誰でも勤まるのです。役割とはも    ともとそういう普遍性を備えています。あなたでなくてもいいというわ    けです。     親の役割にこだわると,あなたでなくても構わないということになり    ます。子どもに自分の親はこの人しかいないと思われたとき,親である    ことができるのです。親として信頼されるということです。賢い親ばか    になればいいのです。どうすればいいのでしょう?     我が子のために何をしたかということです。例えば,夕食のおかずは    お店で買ってきたパック詰めを皿に移しただけだとしたら,あなたでな    くてもできますよね。もちろん,子どもは親らしいこととは感じません。    あなたしか作れないもの,お袋の味とはそういうものです。袋の味では,    親の役割を果たしていますが,親ではないのです。     食事を店屋物ほど上手には作れないでしょう。それで構いません。我    が家風でいいのです。親は子どもに美味しいものを食べさせる必要はあ    りませんし,子どもも母の味で育つのですから,それほど気にはしない    はずです。団らんという家族の至福の姿は,我が家風であるときに最も    輝くものです。人を結びつける基本は,同じ釜の飯を食べることである    ことを再確認してください。親が親であることができたら,子どもはど    んな育ちをするのでしょうか? 次にその点を考えてみましょう。         ・・・《自分の手塩に掛けて育ててこそ,親であるのです》 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  ○自尊心?     我が子のために,それが親であるための心構えとお話ししましたが,    少しばかり補足しておく必要がありました。賢い親ばかであれと,但し    書きを入れておきましたが,お気づきでしたでしょうか? 溺愛するこ    と,子どものためと強制することは,過ぎたるは及ばざるが如しで,逆    効果です。もちろん,そんなことは言われるまでもないと思われている    ことでしょう。     さて,親との間に余人に代え難いという絆ができると,もう一人の子    どもは,「私は,このパパとママの子どもである」と思います。その確    信が自尊心の核になります。ここで,自尊心の中身を紐解いておきまし    ょう。正体が分からなければ,自尊心を育ててやることができないから    です。     自尊心を辞書を引くと,「自分という存在に誇りを持つこと」とあり    ます。では,誇りとは? 「自分の置かれた立場にやましい点は一つも    ないと自信を抱く気持ち」と書いてあります。子育て風に翻訳しておき    ましょう。自分は親に望まれている存在(wanted child)であるとい    う思いが安心をもたらしますが,その上にさらに,自分がこの親の子ど    もであることを喜びとするとき,自尊心が芽ばえるのです。     もう少し説明をしておきましょう。日本人の学者が南米で遺跡の発掘    をしていたときです。金の遺物が多量に出てきました。詳しく調べるた    めに近くの大学に期間限定で持ち帰ろうとしたら,住民が持ち出しを拒    否したのです。どのように返却の約束をしても承知してくれません。信    用されないのです。切羽詰まってとうとう,その学者は「俺は侍の子だ」    と叫びました。住民は近くの大学ではなくて,日本に持ち出すこと,そ    れも無期限で許してくれました。     ○○の子ども,子孫という系譜を持っていることが,信用されたので    す。なにも系図や家系といった代物ではなくて,命の連鎖を心の拠り所    にしている生き様,その誇り高さが人の信頼を呼び込んだのです。同じ    ことは,老舗の信用,それを支える誇りから生まれる自尊心にも言える    ことです。     父親は,かわいい娘をさらっていこうとする若い男性に対して,「ど    この馬の骨と分からない奴」と言い放っています。表面的には家柄の良    し悪しを思い起こさせますが,もっと深いところで,親から子どもに伝    えられている誇りを気にしているのです。     例え話は大げさですが,基本的な構造はイメージしていただけたはず    です。「パパとママの子どもでよかった」,その誇りを受け継ぐことが    できたとき,子どもは自尊心を手に入れることができるのです。何も世    間的に立派な親である必要はありません。信頼できる親でありさえすれ    ば,それで十分なのです。では,信頼される親には,どうすればなれる    のでしょうか? いよいよ,話は大詰めに向かいます。        ・・・《信頼されている親は子どもに誇りを伝授しています》 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  ○誇り高き親?     信頼されるということを頼りがいがあるという風に言い換えるとした    ら,大人である親はかなりの部分で子どもに頼られても大丈夫です。パ    パは何でも上手にできると,子どもは自慢しています。ママは私のこと    を何でもよく分かってくれている,不思議だなと感心しています。     幼い子どもの信頼感は絶対的ですが,子どもが大きくなってくるにつ    れて,親への頼りがいは化けの皮が剥がれるように細くなっていきます。    親にもできないことがあることを感づかれてしまうのです。でも,それ    でいいのです。子どもが成長して追いついてきているのですから。     信頼される親になるには,親自身が誇りを持つことです。アレッ,さ    っき聞いた話? そうです。先ほどは命の連鎖という話までしておきま    したが,その続きを考えてみましょう。人には生きる上で芯になるもの    が不可欠です。昔の人は,天に恥じないとか,お天道様の下とか,世間    に顔向けならないことはしないとか,後ろ指を指されないとか,いろん    な形で自分自身を律して生きていました。家訓といった具体的なきまり    を設けていたこともあります。     なにも昔風にすることはありませんが,親自身が何か守るべき信条を    持つことが必要なのです。例えば,銀の道徳律と呼ばれている「人の嫌    がることは絶対にしない」,そういったことで十分です。先人が守って    きた何らかの基準を受け継ぐ,それが命の連鎖です。その先に子どもが    いるのです。四六時中意識しておく必要はありませんが,子どもを育て    ていると突然に親の信条を問われることが起こるものです。そんなとき    に右往左往しないために,ときどき,自分は何を支えとして生きている    のか,確認をしておいてください。     わがまま気まま,行き当たりばったり,状況に応じてコロコロ変わる,    それでは信頼してもらえませんよね。ある程度の臨機応変は必要ですが,    そればっかりではやはり,信頼されません。八方美人が信頼されにくい    のも同じ理由です。人として守っているものを持っていないのです。例    えば,どんなときでも,弱い者には決して手を挙げない,それは男とし    てのプライドでした。父親としての教育を怠ってきたせいで,男として    の誇りを受け取り損ねた息子たちが,子どもやお年寄りに襲いかかって    いる始末です。     大人としての心構えであり,ひとそれぞれに考えて決める問題ですか    ら,これ以上の差し出口は控えます。誇りとは,自分の心に曇りがない    という確信です。心が晴れていれば,堂々と生きることができます。小    さいことを言えば,お巡りさんに出会っても平