とある冒険者たちの物語
和田 芳弘
★湖の魔物を叩け!
ザシュ!
戦士、バン・アーディルの振るう剣が、ようやく最後の砦となった蔓草を引き裂いた。途端、開かれたその先には、青い水面をたゆたわせる美しい湖が、視界一杯に広がった。
「わ……ぁ……」
魔法使いのマハ・アルヴァーヤは、思わず歓声を上げると、水辺にまで駆け出した。
「ぬかるみに脚を取られるんじゃないよ!」
有翼人の闘士、シャーラ・アルペジオンが大声で彼女に注意したが、どうやら耳に入っていないようだ。
「私が行って来ますよ」
僧侶のクー・リアンカはシャーラにそういうと、水辺近くではしゃいでいるマハのもとへ駆けて行った。
「まぁ、いいか。バン! 入口はどのあたりか見当ついたかい?」
シャーラはエルフの狩人、テクマ・クマヤと頭を突き合わせて地図を睨んでいるバンに声をかけた。
「マハ、あんまり近くに行くとあぶないですよ。この辺は特に落ち葉も多いようですし、足元がわからないですから」
のんびりと注意するクーの言葉もよそに、マハは湖の一点をじっと睨んでいた。
「マハ!」
「ねぇ、クーちゃん。あれ、なにかな?」
だんだんと怒気を帯びて来たクーの言葉を無視して、マハは湖の一点を指差した。
そこに浮かんでいるなにか淡い緑色のものが、ゆっくりと近づいて来ている。
「カエル……でしょうか……?」
「……に、見えるよね……」
「でも……随分と大きくありません?」
「うん、馬鹿でかい。馬ぐらいはありそうだね。だってあれ、頭の目の所だけだもん」
「……近づいて来てますよ……」
「こりゃ、逃げないとまずいかなぁ……」
あははぁ。
ふたりは顔を見合わせて、乾いたような笑い声を上げると一目散に逃げ出した。そしてそいつは、その速度を一気に上げると、突然水面からその姿を舞い上がらせた。
「な、なんだいあれは!?」
騒ぎながら逃げて来るクーとマハに気がついたシャーラが、彼女達の後を滑空するように追いすがるその不気味な化け物に思わず目を瞬いた。
その姿はまさにカエル。だが手足はなく、あるのは分厚いコウモリの羽根ようなヒレと、錘のように先の尖った尻尾だ。
「さ、サムヒギン・ア・ドゥール!?」
テクマが思わず手の地図を落とした。
「ち、やっぱりすんなりとはいかねぇか! うぉらぁっ!」
剣を抜いて駆けて行くバンの雄叫びに、テクマは我に返った。
「は、みんな耳を塞ぐんだ!」
テクマがそう叫んだのと、異様な『音』が響き渡ったのは同時だった。
それはサムヒギン・ア・ドゥールの叫び声だった。
まるで、曇り硝子を釘で引っ掻いたような音を、鼓膜が破れるくらいにまで増幅したような声。
「ち、きしょう! なんだい今のは!」
「や、奴の叫び声だ……。恐慌の声といって、聞く者を萎縮させる。ひ、酷いときには、ショックで死ぬときもある。……く、脚がすくんじまった」
冷や汗を流してガタガタと震えているテクマをみて、シャーラは彼にいわれるままに耳を塞いだのは幸運だったように思えて来た。
「テクマ! あんたはそこで見物してな! あいつはあたいが仕留める!」
シャーラは翼を広げると、一気に上空へと身を舞い上がらせた。
ブンッ!
バンは力任せにサムヒギン・ア・ドゥールに剣を叩き付けた。だが手に伝わる感触は、斬る感触ではなく、異様なものだ。
「んだぁっ! 畜生! 斬れやしねぇ!」
バンは思わず悪態をつくと、湖に再び潜ったサムヒギン・ア・ドゥールを見つけるべく、水面を睨み付け、剣を構え直した。
サムヒギン・ア・ドゥールの分厚い皮。そしてその体表を被っている『ぬめり』が、剣を弾き、滑らせるのだ。
ちきしょうめ。こいつは厄介だぞ。せめてぬめりさえなけりゃ……
「マハ! 火炎弾! 撃てるか!?」
バンがマハに声を上げた。だがマハはすっかりサムヒギン・ア・ドゥールの声で萎縮してしまい、目を見開いたまま腰を抜かして動かない。そのすぐ側で失神してしまっているクーはまさに問題外。
こうなると、やつを陸にあげるっきゃねぇな……
ザン!
「!?」
バンが一瞬気をそいだその時、サムヒギン・ア・ドゥールが右手からその巨体を現わした。
「しま……」
やべぇ、間に合わねぇ!
「いりゃぁぁぁあっ!」
絶望がバンの心臓をわし掴みにしたそのとき、けたたましいまでの雄叫びとともに、サムヒギン・ア・ドゥールの巨体が水辺から陸地へと弾きだされ、いきなり水柱があがった。。
「まったくなにやってんだい! とっととこのカエル野郎を片づけるよ!」
雄叫びと水柱を上げた主、シャーラがずぶ濡れになって水面にから顔を出すと、バンに怒鳴った。そう、シャーラがサムヒギン・ア・ドゥールを陸地へ弾きだしたのだ。遥か上空からくりだした、まさに超高空のドロップキックがサムヒギン・ア・ドゥールを吹き飛ばしたのである。
「ふたりとも、尻尾と牙に気を付けろ! 毒があるぞ!」
テクマが必死に気持ちを奮い立たせながら叫んだ。
「バン! 尻尾は任せたよ! あたいはヒレを折る!」
「おっしゃあ! 陸の上ならこっちのもんだ!」
ふたりはじたばたともがくサムヒギン・ア・ドゥールに襲いかかった。
サムヒギン・ア・ドゥールが再び叫び声をあげるべく、大柄なシャーラをもひとのみにできそうな口を開く。
「てめぇは黙ってやがれ!」
シャーラはそれに気づくと、全体重を掛けた蹴りを頭にぶちかまし、強引にその口を閉ざさせた。
ついでバンが尻尾の先の毒爪を切り落とす。
あとはもう情け容赦の無い袋だたきとなった。
数刻後、湖のほとりにはでっかい手足のもがれたカエルとしか見えないサムヒギン・ア・ドゥールが転がっていた。
「あ〜ったく、やだねぇこーいう妙な化け物は」
「剣のきかねぇ奴は2度とごめんだ」
「武器に頼るからだ! あたいみたいに体を鍛えろ体を!」
シャーラがニヤっと笑むと、たちまちバンは仏頂面になった。
「どうにか……倒したな。それにしても、どうしてバンは奴の叫び声に平気だったんだ?」
クーとマハを落ち着かせたテクマが、ふたりの元へくるやバンに尋ねた。
「叫び声? なんだよそりゃ?」
「へ?」
バンの答えにテクマとシャーラは顔を見合わせた。
「もしかして……」
「だろう……ねぇ」
「なんだよ?」
ふたりは呆れたようにバンを見つめた。バンは、自分の雄叫びでサムヒギン・ア・ドゥールの叫び声が聞こえなかっただけなのだ。
ぐぅ。
バンの腹の虫が鳴いた。
「そういや腹へったな。なぁテクマ、これって喰えるのか?」
呑気にサムヒギン・ア・ドゥールを指差すバンに、再びテクマとシャーラは顔を見合わせるとため息をついた。
日が落ちるまで、もうわずかだった。
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