判官は射しらまされて、いかがあるべきと思ひ煩ひ給けるに、しばしは白雲やらんと見え
けるが、空より白旗一ながれ判官の船の前に押付け、渚の見ゆる迄おりければ、八幡大菩
薩の現ぜさせ給ひたるとて、判官以下の軍兵甲を脱ぎて拝み奉る。平家もはるかに是を見
て、身の毛もよだちてぞ覚えける。
平家五百余艘と申は、松浦党の船百余艘、山鹿兵籐次秀遠が一党三百余艘、平家の一門の
船百余艘也、平家は四国九州の兵をば、後陣の武者に頼みて、定めてともに鬨を合せ進む
らんと思ひ給ひければ、四国の者ども源氏と一になりて、平家を中に取籠てさんざんに射
る、平家周章てまよひ給にけり。今まで御方と思しつる者どもが、我に向て弓を引劔をぬ
きければ、敵も御方も見分けず、源氏は唐船をぞ心にくうはせんずらんとて、唐船にはけ
しかる物どもを、武者に作りてのせあつめて、兵船には究竟の兵をのせて、源氏唐船に乗
うつらば、兵船にて押まきて討んとしたりけるに、阿波民部がかへり忠してければ、源氏
唐船に目もかけず、兵船に押寄せて、水主梶取どもを射伏せ切りふせければ、船を直すに
及ばず、ろ棹を捨てて、船の底に倒れ伏しければ、源氏みな平家の船に乗移り、さんざん
に戦ふ。。。。。(中略)。。。。
新中納言知盛は、女房達の御船に参りて、見ぐるしきものども取清め候へやとのたまへば、
女房達軍はいかにと問はれければ、軍は今かう候、はやいつしか珍しき東男どもをこそ御
覧ぜんずらめとて、打笑ひ給へば、何といふ只今の戯ぞやとて、泣あひ給ひけり。二位殿
はこれを聞召し、鈍色の二衣に袴のそばとりてはさみ、八歳にならせ給ふ先帝を抱き奉り、
我身に二所結付け奉る。寶剣をば腰にさし、神璽をば脇にはさみて出給ひければ、先帝是
はいづくへぞと仰ありければ、彌陀の浄土へぞ我君とて、波の下にしづみ給ふとて、
今ぞしる身もすそ川の御ながれ 波の下にもみやこありとは
かなしきかな、無常の風、忽に花のすがたをちらし奉る。いたはしきかなや。分段の荒き
波、忽に玉體を沈め奉る。(後略)