[筥王が元服の事]曽我物語
 
 

さきざきもつねにこへて、おそぶ所なりければ、時政見参して、「いかに、めづらしや」
と、色代しければ、十郎、笏とりなをし、申けるは、「弟にて候童を、母が箱根へのぼせ
て、法師になさんとつかまつり候へば、世に不用にて、学問の名字をもきかず、あまつさ
へ、鹿、鳥くはでかなはじと申候間、堅固のいたづら者、おしへにしたがはざらん弟子を
ば、はやく父母にかへすべきといふことばにつき、里へおひださるる折をゑて、男になら
んとつかまつり候を、母にて候者、曽我太郎など、しきりに制し候間、したしき三浦の人
々、伊東の方さまにてと存じ、あひ具してまいりて候。たとひ道のほとりにて、頭をきり
て候とも、御前にてと申候はば、その身の勘当は候まじ」と申ければ、「まことに、面々
の御事、見はなし申べきにあらず。しかれば、よそにても、さあらば、無念なるべし。も
つ共本望なり。時政が子と申さん」とて、髪をきり、烏帽子をきせて、曽我五郎時致とな
のらせける。鹿毛なる馬の、五臓ふとくたくましきに、白覆輪の鞍おかせ、黒糸の腹巻一
領をそへて、ひかれけり。「つねにこへて、あそび給へ。さだめて、母の心にはちがひた
まふべし」と、色代して、かへりけり。