九郎義経はるかにのぞきて是を見て、一疋は伏たり、一疋は立たり、主が心えておとさば
損すまじきぞ、ただ落せ殿原とて、白旗三十流を城の上へ靡かして、七千余騎さとおちた
り、少平なる所に落ち留てひかへて見おろせば、底は屏風を立てたるが如く、苔むしたる
岩なりければ、落すべき様もなし、返りあがるべき道もなし、いかがすべきと面々に扣へ
たる所に、佐原十郎義連進み出て申けるは、三浦にて朝夕狩するに、狐を一落しても鳥を
一立てても、是より冷じき所をも落せばこそ落すらめ、いざこれ若党共とて、我が一門に
は、和田小太郎義盛、同小次郎義茂、同三郎宗實、同四郎義種、蘆名太郎清澄、多々良五
郎義春、郎等には三浦籐平、佐野平太を始として御曹司の前後左右に立ち直り、手綱かい
くり鐙ふんばり、目をふさぎ馬に任せて落しければ、義経よかんめるは、落せや若党とて、
前に落しければ、おちとどこほりたる七千余騎の兵共我劣らじと皆落す、畠山は赤綴のよ
ろひに薄べうの矢負て、みか月といふ黒馬のふとくたくましきにぞ乗たりける、一騎も損
せず城のうしろかりやの前にぞ落つきたる、おとしはつれば白旗三十ながればかりさとさ
さげて、平家の数万騎の中へ乱れ入て、鬨をどと作りたれば、味方も皆敵にぞみえけるう
へは、あわてまどふ事限なし。