[判官、梶原いくさの事]平家物語(長門本)
 
 
 
梶原、判官に申けるは、今日の先陣は侍どもにたび候へ、判官のたまひけるは、義経がな
くばこそとありければ、梶原いかにまさなく君は大将軍にてましまし候へといへば、判官、
鎌倉殿こそ大将よ、よしつねは御代官として奉行をこそうけたまはれ、和殿原も義経も唯
同じ事ぞ、一ノ谷は南は海北は山、東西の道ほり切りて、籠る敵十萬余騎、たやすく攻め
落しがたかりしを、義経鵯越より身を捨て、ただ三時に追おとしつ、屋島の城を落ししも、
人は皆波風を恐れて渡らざりしを、義経がただ五艘にてわたして、屋島の城を追落しつ、
いまはここばかりの詰軍になりたれば、先を馳て鎌倉殿に奉公申さんずるなりとのたまへ
ば、梶原先陣を望かねて、此殿は侍のしうになりとげじとぞつぶやきける。判官は腹をた
てて、梶原は日本一のをこの者にてありけるはとの給へば、梶原もへりもおかず、是はい
かに鎌倉殿の外に主はなきものをといふ、判官馬に打乗て、矢を取て打くはせんとし給ふ、
梶原も馬に打乗て矢取たばさみけり、伊勢三郎義盛判官の馬の前に進んで、太刀の柄に手
をうちかけて三寸ばかり抜きまうけて、眞中切らんと梶原をにらまへてぞ立たりける。武
蔵房弁慶大長刀のさやはづしてつと寄る。佐藤四郎兵衛忠信つとよる。梶原が嫡子源太景
季、同平次景高、二人父が左右の脇につとよる。判官の馬の口に土肥の次郎實平、三浦介
義澄、左右の輿に取付て、両人共に泣々申けるは、此程の大事を御前にあてさせ給て、同
士軍せさせましまし候はば、敵の力になり候なんず、偏に天魔の所為とこそ覚候へ、鎌倉
殿のかへり聞召候なん事こそ穏便ならず候へと申ければ、判官静まり給にけり、梶原すす
むに及ばす止にけり。