[入道清盛死す]平家物語(長門本)
 
 
 
二十八日には太政入道重病と成給て、六波羅辺騒ぎあへり、様々の祈祷共始められけると
聞えしかば、さみつる事をぞ貴賤ささやきつつやきける。病付給へる日よりして、白き水
をだに咽へ入給はず、身の内あつきこと火の燃るがごとく、臥給へる二三間が内へいるも
のは、あつさたへがたければ、近く寄るもの希なり、宣ふことあたあたと計なり....
(略).....入道は聲いかめしき人にておはしけるが、聲わななき息もよわく、殊の
外によわりて、身の膚の赤きことべにを差たるにことならず、吹出すいきの末にあたるも
の、炎にあたるに似たり。

閏二月二日...(略)...其日のくれ程に、入道病に責伏られてたへがたさに、比叡
山の千手院の水を取下して、石の舟に入て入道彼水に入て冷給へ共、下の水上に涌上り、
上の水は下に涌きこぼれけれども、少しも助かり給ふ心もちし給ざりければ、せめての事
にや板敷に水を汲流して、其上に臥まろびて冷給へども、猶も助かる心地もし給はず、後
には帷子を水にひたして、二間を隔てて投げかけしけれども、ほどなくはらはらとなりに
けり、かかへおさふる人一人もなし、口にてはとかくののしりけれども叶わず、悶絶僻地
して、七日と申に終にあつさ死に死たまひけり..(略)..今年六十四にぞなり給へる。
(中略)

太政入道死去し給はんとて、前七日に当りけるに、夜半計りに入道のつかひ給ける女房、
不思議の夢をぞみたりける、たてぶち打たる八葉の車の内に、炎の夥しくもえ上りたる、
其中に無と云文字を札に書て立たりけるを、青き鬼と赤き鬼と二人、福原の御所東の四あ
しの門へ引入ければ、女房夢の心地にあれはいづくよりぞといへば、鬼神答へて云く、日
本第一の大伽藍、聖武天皇の御願、金銅十六丈の廬遮那佛を焼奉りたる、伽藍の冥罰のが
れがたきに依て、太政入道取入んとて、ゑんま王の炎の車を持来る也と申ければ、女房見
るも身の毛だちておそろしなど云計りなし、浅ましとおもひて、女房さてあの札は何ぞと
問へば、永く無間大城のそこに入んずる囚人なるが故に、無と云文字を書たら也、無間地
ごくの札なりと、申とおもひければ夢さめにけり。