閏二月二日...(略)...其日のくれ程に、入道病に責伏られてたへがたさに、比叡
山の千手院の水を取下して、石の舟に入て入道彼水に入て冷給へ共、下の水上に涌上り、
上の水は下に涌きこぼれけれども、少しも助かり給ふ心もちし給ざりければ、せめての事
にや板敷に水を汲流して、其上に臥まろびて冷給へども、猶も助かる心地もし給はず、後
には帷子を水にひたして、二間を隔てて投げかけしけれども、ほどなくはらはらとなりに
けり、かかへおさふる人一人もなし、口にてはとかくののしりけれども叶わず、悶絶僻地
して、七日と申に終にあつさ死に死たまひけり..(略)..今年六十四にぞなり給へる。
(中略)
太政入道死去し給はんとて、前七日に当りけるに、夜半計りに入道のつかひ給ける女房、
不思議の夢をぞみたりける、たてぶち打たる八葉の車の内に、炎の夥しくもえ上りたる、
其中に無と云文字を札に書て立たりけるを、青き鬼と赤き鬼と二人、福原の御所東の四あ
しの門へ引入ければ、女房夢の心地にあれはいづくよりぞといへば、鬼神答へて云く、日
本第一の大伽藍、聖武天皇の御願、金銅十六丈の廬遮那佛を焼奉りたる、伽藍の冥罰のが
れがたきに依て、太政入道取入んとて、ゑんま王の炎の車を持来る也と申ければ、女房見
るも身の毛だちておそろしなど云計りなし、浅ましとおもひて、女房さてあの札は何ぞと
問へば、永く無間大城のそこに入んずる囚人なるが故に、無と云文字を書たら也、無間地
ごくの札なりと、申とおもひければ夢さめにけり。