さる程に、寄手長崎大夫すけを始として、二萬余騎一手になりて押寄せたり。(略)
大手には武蔵坊、片岡、鈴木兄弟、鷲尾、増尾、伊勢三郎、備前の平四郎、以上八騎なり。
常陸坊を始として残り十一人の者ども、今朝より近きあたりの山寺を拝みに出でけるが、
その儘帰らずして失せにけり。
(中略)
弁慶敵追払ふて、御前に参りて、「弁慶こそ参りて候へ」と申しければ、君は法華経の八
巻をあそばしておはしましけるが、「如何に」との給へば、「軍は限になりて候。備前、
鷲尾、増尾、鈴木兄弟、伊勢三郎、各々軍思ひのまゝに仕り、討死仕りて候。今は弁慶と
片岡ばかりなりて候。限にて候程に、君の御目に今一度かかり候はんずる為に参りて候。
君に御先立ち候はば、死出の山にて御待ち候へ。弁慶先立ち参らせ候はば、三途の川にて
待ち参らせん」と申せば。。。。。。
(中略)
武蔵は敵を打払ひて、長刀を逆様に杖に突きて、仁王立に立ちにけり。ひとへに力士のご
とくなり。一口笑ひて立ちたれば、「あれ見給へあの法師、我らを討たんとて此方を守ら
へ、痴笑ひしてあるは只事ならず。近く寄りて討たるな」とて近づく者もなし。然る者申
しけるは、「剛の者は立ちながら死する事あると云ふぞ。殿原あたりて見給へ」と申しけ
れば、「われあたらん」とて言ふ者もなし。或武者馬にて邊を馳せければ、疾くより死し
たる者なれば、馬にあたりて倒れけり。
(中略)
義経幼少より秘蔵して身を放さずして、西国の合戦にも鎧の下にさされける。かの刀を以
て左の乳の下より刀を立て、後へ透れと掻切って、疵の口を三方へ掻破り、腸を繰出し、
刀を押拭い、衣引掛け、脇息してぞおはしましける。
(中略)
五つにならせ給ふ若君、(略)...敵はしきりに近づく。かくては叶はじと思ひ、二刀
刺貫き、わっとばかりの給ひて、御息止まりければ、判官殿の衣の下に押入れ奉る。さて
生まれて七日にならせ給ふ姫君同じく刺し殺し奉り、北の方の衣の下に押入れ奉り、「南
無阿弥陀仏々々々々々々」と申して我身を抱きて立ちたりけり。判官殿未だ御息通ひける
にや。御目を御覧じ開けさせ給ひて、「北の方は如何に」との給へば、「早御自害有りて
御側の御入り候」と申せば、御側を探らせ給ひて、「是は誰、若君にてわたらせ給ふか」
と御手を差渡させ給ひて、北の方に取りつき給ひぬ。兼房いとど哀れぞまさりける。「早
々宿所に火をかけよ」とばかり最後の御言葉にて、こと切れ果てさせ給ひけり。