[小坪合戦]平家物語(長門本)
 
 

三浦の人々はかくともしらで、相模河を打渡り、腰越、稲村、由井の濱などを打過て、小
坪坂にも打上れば、夜も漸く明にけり.............
(中略)

小太郎、さては敵ござんなれとて、叔父の別当義澄に向ひていひけるは、畠山すでに追か
けたり、殿ははや東の地にかかりてあぶずり究竟の城なれば、かいたてかかせて待給へよ、
義盛はここにて一軍して、もし叶はずば、引かけて諸共に戦ふべしと申ければ、義澄尤さ
るべしとて、あぶずりへぞ行ける、畠山次郎五百余騎にて赤はたかがやかして、由井の濱、
稲瀬河のはたに陣を取、畠山次郎使者を立て、和田の小太郎が方へいひ送りけるは、重忠
是までこそ来て候へ、各に別の意趣を思ひ奉るべきにあらねども、父庄司、叔父小山田別
当、平家の召に依て折節六波羅に伺公す、重忠が陣の前を無音にて通し奉りたらば、平家
に勘当せられんこと疑ひなきに依て是まで参たり、是へ出させ給ふべきか、それへ参り候
べきかと申とて遣しけり、義盛、實光を召て彼使者に相具して返答しけるは、御使申様、
こまかに承り候ぬ、仰尤そのいはれあり、但庄司殿と申は大介の孫聟ぞかし、されば曾祖
父に向ひて、いかでか弓矢を取て向ふべき、尤宿意有べしといはせたりければ、重忠かさ
ねて云けるは、元より申つる様に介殿御事と申、各の御事といひ、意趣思ひ奉らず、ただ
父と叔父との首をつがんが為に是迄来るなり、さらば各々三浦へかえり給へ、重忠も罷帰
るべしとて、和平して帰る所に、か様に問答和平するも、いまだ聞定めぬ先に、義盛が下
人一人舎弟義茂が方へ走り行て、由井の濱に軍すでに始りて候といひければ、義茂是を聞
て、あな心うや、太郎殿はいかにといひて甲の緒をしめて、犬懸坂を走せ越て、名越の下
まで濱を見渡せば、何とは知らずひた甲四五百騎計うち立たり、義茂只一騎にておめいて
かく、畠山これを見て、あれはいかに、和平のよしは空事なり、からめてを待たんとてい
ひけけるものを、安からずいだしぬきけるにやとてかけ出んとす、さる程に兄の義盛小坪
坂にて是を見て、ここに下ざまに七八騎計にてはしるは次郎よな、和平の子細も聞きひら
かず、左右なくかくると覚ゆるなり、次郎討すな、いざさらば戦はんとてかけ出たり..
(中略)

さる程にあぶずりに引上て、かいたてかいてまちつる三浦別当義澄、すでに合戦始まると
見て、小坪坂をおくればせにして押よす、道せばくして僅に二三騎づつ走せ来へれば、遙
につづきて見えければ、畠山此勢を見て、三浦の勢計にてはなかりけり、上総、下総の人
々共一味に成りてけり、大勢に取込られて叶はじとて、おろおろ戦ひて引退く、三浦の人
々いよいよかつに乗り、追ざまに射ければ、濱の御霊井の前にて和田の次郎義茂と相模の
国の住人連の太郎と組で落ぬ、連は大の男の人にすぐれて長高くふつたいなり、和田はす
こしせいちいさけれども聞ゆる小相撲にて、敵をまめにかけてゑい声を出して波打際に枕
をせさせて、のけざまになげ寄せて、胸板の上をふまへて刀をぬいて首をかく、是を見て
連が郎等落合たりけれ共、和田太刀を内かぶとに打入たりければ、唯一うちに首を打落す、
二の首をすすがせて休み居たる所に、連が子息の次郎走せ来てさんざんに射ければ、義茂
がいひけるは、親の敵をば手取にこそとれ、和殿が弓勢にてしかも遠矢に義茂が鎧は通ら
じものを、討れぬ先に落合かし、恐しきか寄らぬは、但し義茂軍につかれたれば手向はす
まじ、首をばのべて切れんずるぞとはげまされて、つらの次郎太刀を抜て落合たり、和田
の次郎はわざと甲のはちをからとうたせて取て引よせ、みしと押へて刀をぬいて首をかく、
二の首をくらのとつけに附て、連が首をば片手に持て帰来たり、其日の高名和田の次郎に
極りたりと、敵も味方もののしりけり、畠山が方には連の太郎、河口次郎大夫、秋岡四郎
等を始めとして、究竟の者ども三十余人ぞ討れける。手負は数を知らず、三浦方には、多
々良十郎、同次郎と郎等二人ぞ討たれける。