重衡朝臣は法華寺の鳥居の前に打立ちて、南都をやきはらふ、軍兵の中にはりまの国福井
庄司次郎大夫俊賢といふ者、たてを破りてたいまつにして、両方の城を初として、寺中に
打入て、敵の籠りたる堂舎坊中に火をかけて是をやく、恥をおもひ名をもをしむほどの者
は、奈良坂にて討死し、般若坂にて討れにけり、身の力もあり、行歩の叶へる輩はよし野、
十津川の方へ落失せぬ、行歩にも叶はぬ老僧、修学者、ちご共、女房、尼などは山階寺の
天井の上に七百余人かくれのぼる、大仏殿の二かいのもこしの上には、千七百余人逃のぼ
りけり、敵をのぼせじとてはじごを引きてけり、十二月のはてにては有けり、風はげしけ
して、所々に懸たる火一にもえあひて、多くの堂舎にふきうつす。
興福寺より始て、東金堂、西金堂、南圓堂、七重の塔、二階楼門、しゅろう、経蔵、三面
僧房、四面廻廊、元興寺、法華寺、やくし寺迄やけて後、西の風いよいよ吹ければ、大仏
でんへ吹うつす、猛火もえ近附くに随ひて、逃上る所の千七百余人の輩、叫喚大叫喚、天
をひヾかし、地をうごかす、何とてか一人も助かるべき、焼死にけり、かの無間大城のそ
こに罪人共がこがるらんも是には過じとぞみえし、千万の骸は仏の上にもえかかる、守護
の武士は兵杖に当りて命を失ふ、修学の高僧は猛火にまじりて死にけり、悲しき哉。
興福寺は淡海公の御願、籐氏一家の氏寺なり、....(略).....東金堂におはし
ます仏法最初のしゃかの像、西金堂におはします自然湧出の観世音、るりを並べし四面廊、
紫檀を学べる二階の楼、九輪空にかがやきし二基の塔も、空しく烟りと成にけるこそかな
しけれ、..............
(中略)
金銅十六丈の盧遮那佛、鳥瑟高くあらはれて、半天の雲にかくれ、白毫新に磨いて、萬徳
の尊容を模したりし尊像、八万四千の相好の秋の月、五重の雲にかくれ、四十一地の瑠璃
の夜のほし、空しく十悪の風ふかし、烟は中天の上ひまなく、猛火虚空に満ちみてり、み
ぐしはやけ落ちて地にに有、御身は涌合ひて湯のごとし、まのあたりに見奉もの目もあて
られず、はるかに伝へきく人も涙を流さぬはなかりけり。