[南都焼亡]平家物語(長門本)
 
 
 
重衡の朝臣、南都へ発向す、三千余騎を二手にわけて、奈良坂、般若坂へ向かう、大衆か
ら立打物にて防ぎ戦ひけれども、三千余騎の軍兵馬上にてさんざんにかけたりければ、二
の城戸口ほどなく破れにけり、其中に坂四郎房永覚とて聞ゆる悪僧あり、打物取ても弓矢
取ても、七大寺十五大寺に肩をならぶるものなし、大力の強弓、大矢の矢継早の手きヽに
て、さげ針もいはづさず、百度射るともあだ矢なきおそろしきものなり、其たけ七尺計也、
褐衣のよろひ直垂に、萌黄の糸をどしの腹巻の上に、黒皮をどしの鎧かさねて着て、三尺
五寸の太刀をはき、二尺九寸の大長刀を持ちたりけり、同宿十二人左右に立ち、足軽の法
師原三十余人に楯つかせて、手掻門より打出たりけるのみぞ、しばしは支へたりける、多
くの官兵馬足をきられてうたれにけり、されども大勢のしこみければ、永覚一人たけく思
ひけれ共かひなし、いた手負ひて落にけり。

重衡朝臣は法華寺の鳥居の前に打立ちて、南都をやきはらふ、軍兵の中にはりまの国福井
庄司次郎大夫俊賢といふ者、たてを破りてたいまつにして、両方の城を初として、寺中に
打入て、敵の籠りたる堂舎坊中に火をかけて是をやく、恥をおもひ名をもをしむほどの者
は、奈良坂にて討死し、般若坂にて討れにけり、身の力もあり、行歩の叶へる輩はよし野、
十津川の方へ落失せぬ、行歩にも叶はぬ老僧、修学者、ちご共、女房、尼などは山階寺の
天井の上に七百余人かくれのぼる、大仏殿の二かいのもこしの上には、千七百余人逃のぼ
りけり、敵をのぼせじとてはじごを引きてけり、十二月のはてにては有けり、風はげしけ
して、所々に懸たる火一にもえあひて、多くの堂舎にふきうつす。

興福寺より始て、東金堂、西金堂、南圓堂、七重の塔、二階楼門、しゅろう、経蔵、三面
僧房、四面廻廊、元興寺、法華寺、やくし寺迄やけて後、西の風いよいよ吹ければ、大仏
でんへ吹うつす、猛火もえ近附くに随ひて、逃上る所の千七百余人の輩、叫喚大叫喚、天
をひヾかし、地をうごかす、何とてか一人も助かるべき、焼死にけり、かの無間大城のそ
こに罪人共がこがるらんも是には過じとぞみえし、千万の骸は仏の上にもえかかる、守護
の武士は兵杖に当りて命を失ふ、修学の高僧は猛火にまじりて死にけり、悲しき哉。

興福寺は淡海公の御願、籐氏一家の氏寺なり、....(略).....東金堂におはし
ます仏法最初のしゃかの像、西金堂におはします自然湧出の観世音、るりを並べし四面廊、
紫檀を学べる二階の楼、九輪空にかがやきし二基の塔も、空しく烟りと成にけるこそかな
しけれ、..............
(中略)

金銅十六丈の盧遮那佛、鳥瑟高くあらはれて、半天の雲にかくれ、白毫新に磨いて、萬徳
の尊容を模したりし尊像、八万四千の相好の秋の月、五重の雲にかくれ、四十一地の瑠璃
の夜のほし、空しく十悪の風ふかし、烟は中天の上ひまなく、猛火虚空に満ちみてり、み
ぐしはやけ落ちて地にに有、御身は涌合ひて湯のごとし、まのあたりに見奉もの目もあて
られず、はるかに伝へきく人も涙を流さぬはなかりけり。