[静、鶴ヶ丘にて舞う]義経記
 
 
 
 (前略)
静がその日の装束には、白き小袖一襲、唐綾を上に引重ねて、割菱縫いたる水干に、丈な
る髪高らかに結ひなして、此程の嘆きに面痩せて、薄化粧眉ほそやかに作りなし、皆紅の
扇を開き、宝殿に向ひて立ちたりける。さすが鎌倉殿の御前にての舞なれば、面映ゆくや
思ひけん、舞かねてぞ躊躇ひける。二位殿はこれを御覧じて、「去年の冬、四国の波の上
にて揺られ、吉野の雪に迷ひ、今年は海道の長旅にて、痩せ衰へ見えたれども、静を見る
に、わが朝に女あり共知られたり」とぞ仰せられける。

その日は、白拍子多く知りたれども、殊にこころに染むものなれば、しんむじやうの曲と
いふ白拍子の上手なれば、こころも及ばぬ声色にて、はたと上げてぞ歌ひける。上下あと
感ずる声雲にも響くばかりなり。近きは聞きて感じけり。声も聞えぬもさこそあるらめと
てぞ感じける。しんむしやうの曲半ばかり数へたりける所に祐経こころなしとや思ひけん、
水干の袖を外して、せめをぞ打ちたりける。静「君が代の」と上げたりければ、人々これ
を聞きて、「情なき祐経かな、今一折舞はせよかし」とぞ申しける。詮ずる所敵の前の舞
ぞかし。思ふ事を歌ばやと思ひて、
  しづやしづ賤のをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな
  吉野山嶺の白雪踏み分けて入りにし人の跡ぞ恋しき
と歌ひたれば、鎌倉殿御簾をざと下し給ひけり。鎌倉殿、「白拍子は興醒めたるものにて
ありけるや。今の歌ひ様、怪しからず。頼朝田舎人なれば、聞き知らじとて歌ひける。「
しづのをだまき繰り返し」とは、頼朝が世盡きて九郎が世になれや。あはれおほけなくお
もひたるものかな。「吉野山嶺のしら雪ふみわけて入りにし人の」とは、たとへは頼朝、
九郎をせめおとすといへども、いまたありとこそさんなれ、あにくしにくしとぞ仰せられ
ける。二位殿これをきこしめして、おなじみちの物ながらもなさけありてこそ舞て候へ。
静ならさらむものは、いかでか御前にて舞候へき、たとひいかなるふしぎをも申候へ、女
ははかなきものなれば、おほしめしゆるし候へと申させ給ひければ、みすのかたかたをす
こしあけられたり。静あしき御しょくと思ひて又たちかへり、
  よし野山みねのしら雪ふみわけて入にし人のあとたえにけり
と歌ひたりければ、御簾を高らかに上げさせ給ひて、軽々しくも讃めさせ給ふものかな。
二位殿より御引出物色々賜はりしを、判官殿御祈の為に若宮の別當に参りて、堀の籐次が
女房諸共に打連れてぞ帰りける。