[眞田の余一義忠]平家物語(長門本)
 
 
 
兵衛佐宣ひけるは、武蔵、相模に聞ゆるもの共あんなり。中にも大場三郎、股野は名高き
兵と聞置たり。誰人にてくますべきぞ、岡崎の四郎進み出で申けるは、敵一人に組ぬ者候
か、親の身にて申べきには候はねども、義實が子息白物冠者義忠こそ候はめと申ければ、
さらばとて眞田の余一義忠を召して、今日の軍の一陣仕れと宣ひければ、余一承りぬとて
立ちにけり、 ................

余一十七騎の勢にてあゆみ出て申けるは、三浦大介義明、舎弟三浦悪四郎義實が嫡子、さ
なだの余一義忠生二十五歳、源氏の世を取給ふべき軍の先陣なり、我と思わん輩は出てく
めとてかけ出たり、.............

さる程に二十三日たぞがれ時にも成にけり、大場の三郎、舎弟股野の五郎に申けるは、股
野殿構へてさなだにくめよ、景親も落あはんずるぞといふ、股野いはく、余りにくらくし
て、敵も味方も見わかばこそ組候はめといひければ、大場いひけるは、眞田はあしげ成馬
に乗たりつるが、かたしろの鎧にすそ金物打て白き母衣かけたりつるぞ、それを印にてか
まへてくめとぞ申ける、承り候ぬとて、股野すヽみ出て申けるは、抑さなだの余一がこヽ
に有つるが見えぬは、はや落ちけるやらんといへども、さなだ音もせず、敵間近くはせよ
せて、有どころや慥に聞おほせて、股野が傍らにゐたり、眞田の余一ここにあり、かう申
は誰人ぞやといふ声に付て、股野五郎景久なりと云はつれば、頓て押しならべてさしうつ
ぶひてみたりければ、馬あしげなり、よろひのすそ金物きらめいて見えければ、打よせて
引組でどうと落にけり、上に成下の成、山のそばを下りに大道まで三段計転びたり、今一
返し返したらば海へ入なまし、股野は大力と聞えたりけれども、如何したりけん下に成う
つぶしに、くだり頭にふしたりければ、枕はひくしあとは高し、起きん起きんとしけれ共、
さなだ上にのり居たりければ、叶はじとや思ひけん、大場の三郎舎弟股野五郎景久、さな
だの余一に組だり、つヾけやつヾけやと云ければ、家安を始として郎等共皆かけ隔てられ
てつヾく者なかりけり、股野が従弟長尾の新五落合ひて、上や敵下や敵と問ければ、余一
は敵の声に成て上ぞ景久、長尾殿あやまちすな、股野は下にて下ぞ景久、長尾殿あやまち
すなよいふ程に、かしらは一所にあり、くらさはくらし、いづれとも見わからず、上ぞ景
久、下ぞさなだ、下ぞ景久と互にいふ、股野いひけるは、不覚の者哉、よろひの毛をもさ
ぐりかしといひければ、二人の者共が鎧の引合せをさぐりけるを、さなださぐられて、右
の足にて長尾がむねをむずとふむ、新五ふまれて、そばざまに二弓だけばかりとヾばしり
て倒れにけり、基間にさなだ刀をぬいてかくにきれず、させどもさせども通らず、刀をも
ちあげて雲すきに見れば、さやまきのくりかたかけて、さやながら抜たり、さやじりを加
へてぬかんとする所に新五が舎弟新六落重りて、余一が箙のあはひにひたと乗ゐて、かぶ
とのてへんに手を入てむずと引、あをのけてさなだが首をかきたれば、水もたまらずきれ
にけり、頓て股野を引起して手負たるかと問ければ、頂こそしびれて覚ゆれといふを、さ
ぐれば手のぬれたりければ、敵の刀を取て見れば、さや尻一寸計くだけて有、誠につよく
さしたるとみえたりけり、基手を痛みて、股野は軍もせざりけり、股野の五郎景久、さな
だの余一をうち取たりとのヽしりければ、源氏の方には嘆き、平家の方には悦けり。