三万余騎の大勢一度に河に打入たりければ大勢にせかれて水流れやらず、暫くよどみてぞ
見えける、下の瀬を渡る雑人などは腹巻のくさずりもぬらさでわたり着く、乗かへ郎等な
どの河の案内もしらぬ者共の、むまや人やとひざよりをのづからはづむ水に、なにもたま
らずながれけり、かれ是八百余騎は流れにけり、その外は皆渡り着にけり、三万余騎の勢
大略渡りたりければ、宮の御方の兵三百余騎を中にとりこめて戦ふ。
三位入道頼政は、ちゃうけんの直垂にしながはをどしの鎧を着、今日を限りと思はれけれ
ば、わざとかぶとをば着ざりけり、子息伊豆守仲綱は、赤地の錦の直垂に黒革をどしの鎧
きて、是も矢束をながくひかんがためにかぶとをば着ざりけり、舎弟源大夫判官かね綱は、
萌黄のすずしの直垂に、緋威の鎧に白星のかぶとを着て、白あしげなる馬にぞのりたりけ
る。六條蔵人父子渡邊の郎等共、我も我もと命を惜まず戦ひけり。
此間に宮はのびさせたまひけるを、平家の大勢せめかかりければ、兼綱父をのばさんと返
合て戦ひけるほどに、兼綱大事の手負ひてぶちをあげて、奈良路をさして落けるを、上総
の太郎判官忠綱、七百騎にて追かけて、此先へ落たまふは源大夫判官殿をこそ見えたれ、
いかでうたてくも源氏の名折に、鎧のうしろをば敵に見せ給ふぞ、きたなしや、返し合せ
よやといひてせめかかりければ、是は宮の御ともに参るぞと答へけれども、敵無下に責よ
りたりければ、今はかなはじとや思ひけん、我身相具してただ十一騎ぞありける、馬のは
な引返して、十文字にかけ入たりければ、中をあけてさつととほす、一人もくむものなか
りければ、立さま横さまにさんざんにぞかけたりける、忠綱これをみてよくひきていたり
ければ、兼つな内かぶとをいさせて、少しひるむやうにしける所を、忠つなわらは次郎丸
すぐれたる大りきなりけるが、おしならべて組で落ちぬ、取ておさへたりけれども、暫く
首をかかざりけるを、忠つなが郎等落ち合ひて鎧の草ずりをたたみあげて、二刀さしたり
ければ、内かぶともいた手にてよわりたりけるうへ、かくさされてければ、はたらかざり
けるを、首をかき切てけり。三位入道是をも知らず、兼つなが引返すを見て、同く引返て
平家の大勢をたびたび河ばたへ追返して、敵数多討取り、手おはせてさいごのかつせんと
ぞはげまれける。
此入道わかくてはゆゆしき精兵と聞しかども、七十にあまりて、今は弓の力もことの外に
おとり、矢つかもみじかく成りたりけれども、なべての人にはにざりけり、矢おもての物
ども、うらかかせずといふ事なし、矢だね皆つくして太刀をぬいて走りまはりける程に、
右のひざぶしすねあてのはづれをいさせて、あぶみをふまざりければ、郎等のかたにかか
りて、平等院のつりどのへぞ入にける、伊豆守も父のもとに同く引籠りぬ、鎧ぬぎける所
へ六條蔵人仲家、三位入道のもとへ使をたてて申けるは、御やくそくたがへ参らせで、防
ぎ矢をばよくよく仕候ぞ、源大夫判官どのもすでに討れたまひぬ、しづかに御念仏申させ
たまへ、やがて御とも仕るべく候と申つかはしたりければ、その時三位入道今はかうござ
んなれと思ひて、郎等どもにふせぎ矢いさせてじがいせんとしけるが、箙の中より小硯を
とりいだして、つりどののはしらにかくぞ書付られける、
むもれ木の花さく事もなかりしに
身のなりはてぞ哀なりける
此時など歌よむべしとも覚えね共、かやうの時もせられけるにこそとあはれなり、さてわ
たなべの丁七となふをよびて首をうてといふ、主の首うたん事さすがにかはゆく覚えて、
御自害候べしとて、太刀をさしやりたりければ、入道太刀をぬきて、伊豆どの自害ばしわ
ろくすな、是を本にしたまへとて、念仏百へんばかり申て太刀の先をはらにあてヽたふれ
かヽり死にけり、その後下総国住人下河邊籐三郎よりて首をとり、直垂の袖に包みて、板
敷のかべ板をつきやぶりて、かくしてけり、伊豆守是をみていなばの国住人彌太郎もりか
ねといふものを召して、我首をば入道どのの首といっしょにおけとて、はらかき切りてふ
しにけり、盛兼首をとって、平等院の後戸の壁板をはなちてなげ入たり、人是を知ず。
(中略)
宮は平等院をおちさせたまひて、男山をふしをがませ給ひて、二井の池もすぎさせ給ひに
けり、.........(略) 光明山の前にぞかヽらせ給ひける、飛騨の判官かげたか、宮
は先立せたまひぬと見てければ、平等院の軍をばうち捨てて、宮の御あとにつきて追奉り
けるほどに、光明山の鳥居の前にて追ひ付き奉けり、郎等ども、遠矢に射るほどに、流矢
宮の御そば腹に中りて、御馬よりさかさまに落させ給ひぬ、御目も御覧じあげられず、..
(略) ......... 御息たえにけり。