宝暦6(1756)年に作られた「三崎志」の光念寺の項に、次のような記述が有る。
  伝えて云く、昔和田義盛衣笠城を落ち、久里浜より舟に乗り、房総に赴かんとす時に、
        糧尽ければ、竜神に祈りしに忽ち筌と云うもの流れ来る。よってこれを
        用いて魚を獲て食し、餓えざることを得たり。後筌竜に化し昇る。一夜
        義盛霊夢に感じ、筌の御堂を建立す。故に今俗に「上の御堂」と云う。
        歴世久しきことなれば、詳細には知ることを得難し。