大正2年5月東京を引き払った白秋は家族とともに三浦三崎に新居を構える。
ときに白秋27歳の春であった。これは世に言う「桐の花事件」による挫折、
傷心から再起をはかろうとしたものであり、三崎は白秋新生の地となって白秋
文学のうえでも、新しい境地がひらかれるきっかけとなった。また白秋は三崎
を訪れた数多い詩人の誰よりも三崎を愛しなつかしんだ人でもあった。   
 
翌大正3年3月まで10ヶ月ほどの三崎時代ではあったが、この間に詩歌
「雲母集」「真珠抄」「白金独楽」のほか多くの作品がのこされている。
このように三浦三崎は各所に白秋の足あとがしるされていて、白秋詩魂の
ふるさとである。        1979年「ふるさと市民地図」より      

白秋の足跡マップ
 
 1.引橋  2.油壺   3.諸磯   4.屁っぷり坂 
 5.見桃寺  6.二町谷  7.歌舞島  8.真福寺
 9.閻魔堂 10.本瑞寺 11.渡船場 12.北條 
13.大椿寺 14.向ヶ崎 15.八景原 16.通り矢
17.海鵜展望台 18.城ヶ島の島山 19.水っ垂れ 20.遊ヶ崎
21.白秋詩碑  22.燈台 23.ながとろの磯 24.西崎の磯