[三浦沖の合戦]里見代々記
 
 

當国勢は皆三浦へ押渡れ。里見家の軍術道具漕出させ、急げや急げやと下知し給へは、正
木安西を始とし、究竟の船手共、旗纏を押立々々、浪風に翻し、艫拍子蹈て推ほとに、三
浦の沖に着にけり。北條方には船数百艘漕雙へ、勢揃へして居たり。正木、安西是を見て、
あれ射潰せと下知すれば、早矢軍をそ始ける。本陣近くなりければ、大将御覧し、それ軍
法よと仰ける。畏て候とて、味方の舟底より大力の者共顕れ出、大石大木敵の舟へ擲掛々
々攻入れは、舟も人も打砕れ微塵と成て失にけり。残る敵の船共叶しとや思ひけん、我先
にと漕退。夫より督ヶ島に陣取て軍兵の息休ける。斯る所に俄に西風はけしく吹出し、伊
豆の沖より来る浪は雪の山の崩れ掛れることくなり。大将御覧して、天の時未た至らさり
けり、一先引やとて、軍船を漕並へ安房国へそ帰れける。

明けて大永六年(1526)五月、大将仰出されけるは、此度は何国までも追掛押詰討亡
さんものを、早々打立や者共とはやり切てぞ下知し給ふ。正木、安西承り、其儀にて候は
ゝ、上総勢を指添申へし。督ヶ島にて相待様に示合申さんとて触廻し、水主楫取急ぎ御船
をしつらへ軍法道具を取積一度に沖に漕出す。北條方には房州の大力共を掴落さん手立に
や。先に進む舟共には、一人持の平材木を舷にひしと打付、其陰に熊手、鳶口、突棒、叉
子股、捩り掛輪などの取道具を持せて、雑人原らを取乗せたり。侍らしき者共、甲冑を帯
し、鎚長刀を取て礼の陣場へ漕出す。里見方には、是を見て日暮迄は遠箭を射て時分を待
てやとて態と船を漕退け、遠矢を射てそ待たりける。早黄昏に及て、色目も分ぬ頃おひに
成ぬれは、大将すは時分能そ、彼の土侍と下知し給ふ。味方には舟底より土にて焼たる人
形を取出し、舟梁に立ならへ船を静に仕掛れは、敵方には是を見て、すは大力共か出たる
は余すなと云ふままに、長道具を指伸々々人形をそ攻たりける。味方の舟人心得てやんや
やんやと押込て、時分は今そと窺見て大力とも躍出、例の大石材木取揚々々投入れは、舟
は微塵に打破られ溺れ沈む者おひたたし。此有様に魂を飛し、側なる舟に飛乗るとて蹈は
つして落もあり。舟ふみかへしてかふるもあり、伏たる舟の敷に乗り振へてぬめり落るも
あり、漸々浅瀬に游付陸を目かけて逃るもあり。海の面は手負死人、破船の板朱に染て漂
たり。幌、旗、纏、陣太鼓有ゆる兵具、浪に揺れて狼藉たる有様は、龍田の紅葉、大嵐に
吹散て色香失せしに異ならす。かかる所に上総勢揉にもんて押来る。大将御覧して大勢に
成けるそ、何国迄も追かけよ。すでに陸地に攻上る。