[義士塚]
 

この塚は、新井城で三浦と北條両軍が合戦をしたときの戦死者を供養するための供養塚と
いわれています。三浦荒次郎義意の奮戦に恐れて誰も寄りつかないところに、北條の家臣
4人が勇敢に立ち向かいましたが、討たれそうになりました。それをみて道寸が「敵なが
ら天晴れな奴、この勇気こそほめるべきである。このような者なら生きていても世の役に
立つ人になる。」とこれを逃がしてやりました。のちに道寸父子の戦死を知った4人は、
かっての恩のため、あとを追い自害しました。のち村人がここに塚をつくり4人の武士達
を祀ったと言うような伝説もあります。一つは武士達の供養、もう一つは刀剣などを納め
た刀塚といわれています。また、もとは4つの塚があったともいわれています。
                              (三浦半島の文化 第七号より)