永正十三年七月十一日の辰の刻(午前八時)、三浦軍は門を開いて切って出てさんざんに
攻め戦った。小田原勢の中から、神谷雅楽頭が名乗って道寸と切り合い、馬上でがっぷり
四つに組んだ。道寸は有名な大力であり、雅楽頭を押し伏せ「お前はけなげな心の持ち主
だ、わが手にかかり黄泉国で閻魔帳に記し訴えよ」とくらの前輪に押し付けて、首をねじ
切って捨ててしまった。(六十歳)
また、道寸は和歌をたしなまれたのであろうか、数巻の歌書を自筆で記して残している。
「法華経」一部八巻、「和漢朗詠集」「古今和歌集」「続草庵和歌集」など。(小田原北條記)