息子の義意は、家に代々伝わる正宗の鍛えあげた五尺八寸の大太刀を抜いて肩にかつぎ、
大音声をあげて切って廻った。ここへ押し込み、かしこに攻め寄せ、払い切り、追懸け
切り、袈裟切り、瓜切り、横手切り、から竹割りと言う切り方で、さんざんに切りまく
った。寄せ手の軍卒は四方八方へ逃げ散り、向かう敵はなかった。

生年二十一歳。器量体格ともに人に勝り、身長七尺五寸、黒ひげを生やし目を血まなこ
にしていた。てあしの筋骨は荒々しく、八十五人力である。白樫の丸太を一丈二尺に筒
切りにしたものを八角に削り、それに筋金を通した棒をひっさげて、一人門外へそっと
歩み出したありさまは、夜叉、羅刹のような姿であった。    (小田原北條記)