[千駄矢倉]

道寸は強くてはかりごとにすぐれた大将である。鎌倉の合戦で軍卒を数多く討たれていたのに、
わずかの小勢で三年まで城を持ちこたえた。

ところで千駄矢倉と呼ぶ大きな岩穴があった。米殻を千駄(「駄」は馬一頭に負わすだけの重
量)積み重ね貯蔵できるので千駄矢倉というのである。しかしこの岩穴の兵糧もことごとく尽
きたので、城中の者たちに飢えがしのびよっていた。          (小田原北條記)

牙城の西南に一の横坑有り。その口縦6尺、横5尺、中をうがちて方形となす。高さ8尺、深
さ6間、幅4間余、これを千駄洞と称す。               (地誌)