[狐塚]
 

天草を干していたおばあさんに聞いてみました。「なぜ、狐浜って言うんですかね?」
いとも簡単に、「狐が居たからじゃねえのかな。今でも狸は居るから」と言う返事に納得。
その昔は一面、浜木綿に覆われていたそうです。乱獲のせいか、今では見るべきもありません。
砂浜も、傾斜が分からないほど豊富だったとの事でした。今は、大部分が磯になっています。

頼朝は、歌舞島で遊び、鎌倉への帰りに、この浜に立ち寄ったのではないでしょうか。
新井城の三浦氏も、ここで流鏑馬、笠懸などの催しを行ったり、狐狩りなどをしたのでしょうか。

三崎志に、荒次郎(義意)に射られ、狐がおちた所と伝えられる。