早雲は房州の敵の里見の一軍を防ごうと三崎城を再興し、道寸の配下を方々から召集した。
それらの者にこの城を守らせ、横井越前守(神介)を大将にし、小林平左衛門をはじめと
して、屈強の与力三十騎と手勢八十騎、それに亀崎、鈴木、下里、三留、出口五郎左衛門
を先陣として、三浦組十騎、そのほか雑兵二百余人をこの城に配置した。(小田原北條記)

三崎志に云く、三崎番所北方の山上なり。北條山(或いは宝蔵山とも唱う)、また城山と
も云う。城跡の界域今知るべからず。里俗に伝えて、鎌倉幕府なりし頃、山荘を構えられ
しもこの地ならんと。