[五劫寺]
 

五劫寺は、廃寺になっているが「高円坊の寺」として親しまれています。和田義盛もよく参詣したと
いわれる。今では粗末な冠木門があるだけで、その後ろに墓地が見える。

五劫寺略縁起によれば、相模国三浦郡三崎庄の内、高円坊村大井山五劫寺の濫觴を尋に、人王45代
聖武皇帝の御宇天平元己巳の年、行基菩薩當国行脚のみぎり、この地に来たり給い、延命地蔵菩薩の
尊像を彫刻し、一宇を建立して是に安置し玉はり、すなわち當寺の本尊これなり。(中略)人王50
代桓武天皇の後胤葛原親王の末葉三浦の大介平の朝臣義明の孫、杉本太郎義宗の嫡男和田左衛門の尉
義盛、尊崇の帰依の道場なり。志ある輩は、寺前の流に垢離を取て、この尊像に参詣す。是によりて、
その流川を精進川と云うは、この謂われなり。即ち寺は義盛の城郭の東にあたりて立、その敷地の東
は森林叢々として松風鎮に吟じ、南は海浜船はたを並てかまびすし、西は平原渺々として遠く高山を
向い、北は山また山をつづけ、其の嶺高く境内に山谷をかまえ、往昔は諸堂いらかを並べ建といえど
も、有名無実の敷地のみ残れり。併しいまの精舎の向にあたりて、塔の台と云う所あり。(後略)