新編相模国風土記稿の三戸村(美度牟良)の項に、「江戸より18里、古三戸某住居す
と云う。三浦系図を按ずるに、三浦介義澄の子に三戸十郎友澄あり。承久の乱に戦死す。
この地の住人にして、在名を名乗こと知べし」とあり、また北村包直著[三浦大介及び
三浦党]には、「三戸十郎友澄は、兄平九郎胤義の密書に接し、内田次郎・荘司三郎・
海戸五郎の三士を従えて上洛し、胤義と共に勤王軍に属して戦死した。三士は友澄の首
級を携え、郷里に帰り葬った」との記述があります。
友澄の墓と伝えられる、この墓は初声町三戸の南側(字上の原)、宝徳寺近くの小高い
岡(上部は畑地)の片隅にあります。土地の人でも以外と知らないようで、上り口も分
かり辛い所にあります。有線放送のスピーカーを目印にして下さい。