第3章 西暦2053年

 地球環境は激変していた。
 石油は枯渇し、石炭もこのまま消費が進めば、後二十年でなくなると言われている。化石燃料を使用したエネルギー生産は、二酸化炭素を増大させ気温上昇を招く。気温の上昇は南極大陸の氷を溶解し、海面を上昇させる。今では海際の都市を水没から守る為に、防波堤の高さは二○メートルにも及んでいた。
 地球環境に影響を与えないエネルギーの開発は最重要項目となっていた。先進国では太陽光と、微生物を培養して製造されるバイオオイルによる発電方式をとっている。しかし途上国では原子力発電と、未だに石炭を使用した火力発電に頼っていた。
 火力発電の影響は酸性雨という形で現れ、雨が降るとpH3以下という強烈な酸性雨が降り注ぎ、コンクリートの壁さえも溶解する。それは人間の気管支にも重大な影響を与える。また石炭の煤煙の為に、年々降雨量は増加する一方で、太陽光発電の効率を著しく下げていた。
 原子力発電は大量の冷却水を必要とする為に海辺に建設され、海面上昇による発電所の水没危機にいつも曝されている。原子炉が水没すると、海が放射能に汚染され、生態系に大きな影響を及ぼす事にもなる。
 二十世紀後半からのフロンの大量使用により、既にオゾン層の大部分は失われていた。昼間は強烈な紫外線が降り注ぎ、太陽が昇っている間、人々は外出する事はほとんど出来ない。人々は紫外線と酸性雨から逃れるように昼間に就寝し、太陽が沈んでから活動を始めるという、昼夜逆転の生活を送っている。一年に一時間ずつ時間をずらしていき、十二年間掛けて生活を逆転させたのだ。人間の昼間の生活空間は建物の中か地下に限られ、二十一世紀初頭のような、子供が公園や広場で遊ぶのどかな風景は、今やどこにも見当たらなかった。
 食物はバイオテクノジーを応用した、野菜や肉類が主となり、それらは工場のような巨大な倉庫の中で栽培、飼育されている。気温や太陽光をコントロールし、バイオテクノロジーによって作られた種は急速に生育する。人工的な食物により、増大する人口に対しての食物供給は賄われていた。
 
 現代のテクノロジーは、コンピューターの進歩と切り離しては考えられない。ローランド博士が提唱したクリエイト規格は、導入当初こそ問題を抱えていたが、世界中の賛同を得る事が出来て急速に普及した。テクノロジーの進歩と共にセキュリティは毎年強化されて、ハッキングは今や過去の言葉と化していた。
 アメリカから始まったクリエイト規格は、その後世界規格となっていた。学校のカリキュラムにもクリエイト規格の教育は組み込まれ、小学校を卒業する時には全ての子供達が、何らかレベルのクリエイト規格を取得出来る様になっている。
 今やクリエイト規格は人間社会に必要不可欠な物となり、所持するグレードでその人の価値が決められる程だ。ハイクリエイトを取得する者は、超エリートとしてその後の地位が保障される為、誰もがハイクリエイトを持ちたがった。その為、ハイクリエイトを取る為の新たな教育競争社会が生まれていた。
 クリエイト規格はHDMS方式(History Data Manegement System)と呼ばれるセキュリティに守られている。名刺サイズのメモリーカード(別名HDカード)に複雑なパスワードが書き込まれており、その番号と指紋・光彩認識によって確認された人物が一致しないと、コンピューターを使用する事は出来ない。
 HDカードのメモリー容量は膨大で、クリエイト規格だけの使用ではなく、様々な利用法が提言され実現されてきた。カード内に個人の病歴や診断のデータを記録して、緊急時に迅速に対応出来るようになったのもその一例である。今では物品購入時の現金の代わりや、自動車の利用など、あらゆる場面でHDカードは利用されている。
 HDカードの使用方法は二通りある。一つはコンピューターや車のように長時間の使用である。その場合カードスロットにHDカードを差し込んでおかなければならない。物品の購入などの場合は非接触式の認識窓を通過させるだけで、データのやり取りは瞬時に完了する。どちらの方法でも利用履歴がHDカードのメモリーに蓄えられる事になる。
 HDカードは追記式の為、データを書き換える事は出来ない。現在のようにコンピューター中心の社会では、コンピューターを利用する度に、知らず知らずの内に個人の情報が、HDカード内のメモリーに次々と蓄積されていく。HDカードの中には、その人間が生まれてからの歴史が刻み込まれていく事になるのだ。
 ハッキングの心配のない社会では、コンピューターの進歩を阻む物はなく、著しい進化を遂げていた。そして遂に数年前コンピューター企業のフライ社が、バイオチップを搭載した夢のバイオコンピューターの開発に成功した。
 コンピューターの最終進化系ともいわれるバイオコンピューターは、人間の脳と同じ記憶伝達構造を持ち、信じられない程の超高性能化を実現している。それにAI(人口知能)プログラムとの組み合わせで、コンピューターは人間のように物事を思考し、判断する能力を身に付けるまでに至っていた。