第4章 ウィリアム・ランバート

 古色を帯びた歴史ある街ボストン。その郊外に古色とは対象的な、新興の電子工業地域メディアパークがある。メディアパークはマサチューセッツ工科大学が中心となり、デジタル技術の向上を目的に二十世紀末に提唱された、メディアラボ構想に基づき発展してきた。
 メディアラボ構想とは、IT(情報技術)を利用したデジタルメディア技術の向上を計る為に、関連企業を一ヶ所に集めて効率良く研究開発をさせようとした計画の事である。その後メディアラボ構想は順調に発展し、計画に賛同した企業が続々とボストンの郊外に集まってきた。今では郊外の約五キロ四方程の広大なエリアに、コンピューター関係の研究所にソフトウェアメーカー、CG製作などのデジタル関連企業や、バイオチップの製造工場などが立ち並んでいる。その場所を総じて人々はメディアパークと呼んでいた。
 メディアパークのエリアに辛うじて引っかかっているような、外れにある五階建ての古いビル。中心地にそびえ立つ、ガラス張りの一流企業のビルとは、比較するのもはばかれるような粗末な外観をしている。見れば見る程、壁に走るヒビ割れが酷く、錆び付いた手摺が汚らしい。
 ビルの五階の一室。五○u程のワンフロアの室内はとても静かで薄暗く、唯一の明かりともいえる部屋の隅に置かれた水槽の淡い光が、フローリングの床を揺らめくように照らしている。コンクリート打ち放しの殺風景な壁一面に備え付けられた本棚には、物理学や映画関係の書物、コンピューター理論の本が所狭しと並び、反対の壁には一○○インチの壁掛け式のフィルムテレビ、そして窓際にはベッドが置かれている。
 奥にパーティションで区切られたエリアがある。そこには黒色のレザー張りのリクライニングチェアと、スチールパイプ製の机、その上に二○インチの有機式ディスプレイ、脇には高さ六○センチ程の黒い円筒形をしたコンピューター本体が置かれている。コンピューターには縦方向に幾つもカードスロットの切り込みが有り、そこにガムサイズの多数のメモリーカードが差し込まれている。
 マッサージ機のような黒いレザー張りのリクライニングチェアに、男が寝そべっている。顔の半分はチェア後方から伸びたフードに覆われて表情は見えないが、リラックスしたように穏やかに深い呼吸を続けている。リクライニングチェアからは数本のコードが垂れ下がり、それらは黒いコンピューターに繋がっている。
 ディスプレイ上に目にも止まらぬ速度でプログラム言語が流れていき、急に止まったかと思うと、画面に映像が映し出された。マリリン・モンローと若き日のジョン・ウェインが西部劇のガンマンスタイルをしている。悪党に向けて二人が銃を撃つと、画面は静止した。しばらくすると、修正の為に再びプログラムが画面上を猛スピードで流れ出した。
 男の首筋にはHDI(Human Digital Interface)という二つの金色の端子が埋め込まれている。直径五ミリ程の小さな端子は男の脳と直結されていて、脳の信号はリクライニングチェアに組み込まれた、インナーヘッドという装置でデジタル信号に変換され、コンピューターに転送されている。この転送方法はキーボードのような入力装置と比べ、桁違いに速い速度でデータを入力する事が出来る。しかし脳神経とコンピューターが直接繋がっているので、脳がコンピューターに犯される可能性がある。その為にハイクリエイトの資格を持つ者しか、HDIを体に埋め込む事は許可されていない。
 男の名前はウィリアム・ランバート。二十八歳のムービーメーカーである。コンピューターの進歩により映画製作は多人数に頼らず、一人の人間が小説を執筆するように製作が出来るようになった。勿論、大手の映画会社は今でも多人数の映画製作を行っているが、ランバートのようにコンピューターの操作に長けている者は、映画会社に属さず、アウトサイダーとして独自の映画製作を行っていた。
 メディアパークの一角には、ランバートのようなムービーメーカーが集まっている場所がある。通称ニューハリウッドと呼ばれるその場所は、一キロ程の通り沿いに、映画会社のビルが立ち並んでいる。仮想映像による映画製作は、かつてのハリウッドのような大掛かりなオープンセットを必要としない。だからこんな場所でも充分に映画製作は可能なのだ。
 大手の映画会社は大きな最新ビルを有しているが、ランバートのようなアウトサイダー達は、街外れの古いビルを共同で借り、それぞれが自由に映画製作を行っていた。
 アウトサイダー達の映画は大手会社の型にはまらない独創的な作品が多く、その中でヒット作を生み出し、巨額の富を得ているムービーメーカーも大勢いる。ランバートも早くそんな一流の仲間入りをしたかったが、残念ながら彼の作品はまだ評価を得られていなかった。
 今ランバートが製作している映画は、マリリン・モンローとジョン・ウェインが競演する昔懐かしい西部劇である。俳優のデータをデジタル化したメモリーカードさえあれば、この世に存在しない俳優同士の競演も可能だ。彼の頭の中でだけ創造された世界が映像として現れる。それは完璧なパーソナル・ムービーといえるだろう。
 突然画面の中のモンローが拳銃を抜いた場面で静止したまま動かなくなった。小刻みに揺れるモンローの画像。
「畜生!」
 ランバートがフードを上げて起き上がった。短く髪を刈り上げ、精悍な風貌をした青年だ。
「ベリックスの奴め、またバグったデータを売りやがったな」
 ランバートは不機嫌そうに、コンピューターからメモリーカードを乱暴に引き抜き、椅子に掛けてあった黒いコートを手にすると、小走りで部屋から飛び出していった。
 古いビルの為、エレベーターの入口は昔のフランス映画のような伸縮扉で、各階から漏れる明かりが、扉の影を走馬燈のようにランバートの顔に描き出していく。
 地下の駐車場でエレベーターは停止した。十数台の車が並ぶ中、ランバートは彼の愛車フォードF115の所へ向かった。F115は黄色いFRP製の丸っこいボディを纏ったピックアップトラックだ。
 ランバートがHDカードを車のピラー部の検知窓に翳すと、ドアロックが外れた。ドアを開けて車に乗り込むと、メーターパネルのキースロットにHDカードを差し込んだ。バイザーに組み込まれた認識装置に指先を置き、同時に光彩認識を行う。レーザースキャンが彼の光彩を読み取っていく。スキャンニングが終わると、メーターパネルディスプレイに"照合完了"の表示が現れた。トランスが作動する甲高い音が聞こえてくる。その間、数秒。
「トレモントストリート二○一番地、コンピューターショップ"DEC"まで行ってくれ」
 ランバートがそう言うと、インパネに組み込まれたナビゲーションシステムが"DEC"の位置を検索して、画面にOKの表示が現れた。
"シートベルトを装着後発進します"
 女性の声で案内が聞こえ、自動的に窓枠からシーベルトが伸びてきてランバートの体を固定した。車が緩やかに走り出した。

 メディアパークから深夜のフリーウェイを走る車は、完全にコンピューターに支配されている。まるでレールにでも乗ったかのように、自動操縦で等間隔に滑らかに走行して行く。道路上の発信器からの情報を受信して、混み合ったフリーウェイ走行する速度は、時速一六○キロ。人間が運転するよりも遙かに速く安全に目的地へ運んでくれる。
 全ての車はネットで結ばれており、それぞれが情報のやり取りをしながら走行している。前車がフリーウェイから降りる時には、後ろの車は速度を落として追突を避けるなど、細かく制御されているのだ。信号は歩行者用のみで、車用の信号はナビゲーションの中にだけ存在している。交差点では地面に埋め込まれた発信器からの信号で、車は自動的に発進して停車する。信号の間隔は道路状況によって絶えず変化していて、最も効率の良いサイクルが組まれている。
 勿論、車にはハンドルやアクセル、ブレーキは付いているが、それは発信器が埋め込まれていない道路を走行する場合だけ使用される。それ以外で手動運転をすると法律により罰せられる。年間百件程度発生する自動車事故は、自動運転に対応していない田舎道で発生している。早急に全米の道路を一○○パーセント自動運転に対応させる事が現在の目標となっていた。

 ランバートの車がチャールズ川を越えて、ボストンの都心へ入ってきた。メイフラワー号、独立革命、アメリカの歴史を彩ってきたこの由緒ある街は、高層ビルと煉瓦造りの古い建物が共存する場所でもある。また名門マサチューセッツ工科大学、ハーバート大学を有する学生街でもあり、街には若者の活気が溢れている。ボストンはまさに新旧が見事に調和された街といえるだろう。
 深夜の街角には人が溢れていた。ネオンが輝き昼間のように明るい歩道を、オレンジ色や紫色の髪、メタリック材質のコートを着込んだ若者達が闊歩している。
 トレモントストリート沿いの"DEC"と、青いネオンが点滅する店の前に、ランバートは車を停止させた。そして車を降りると、急ぎ足で店の中へ入って行った。
 原色の店内は如何しいポルノソフトを中心に販売していて、数人の客が商品のパッケージを色目で眺めている。別のコーナーでは、バーチャルムービーと称した、ランバートのようなムービーメーカーが製作した作品の販売も行っている。その脇をランバートはレジに向かって早足に歩いて行く。
「おいベリックス、また欠陥ソフトを掴ませやがったな!」
 ランバートはカウンターの中に、フランス人店員ベリックスの姿を見つけると怒鳴りつけた。
「これはランバートさん何をお怒りで?」
 ベリックスはランバートの険悪そうな雰囲気を感じとって、出来るだけ冷静に振る舞った。
「このモンローのデータ、バグってやがるぞ」
 ランバートは手にしたメモリーカードを、ベリックスに向けて投げつけた。ベリックスがうまくかわすと、メモリーカードは後ろのポスターに当たって床で跳ね上がった。
「そんな事はないでしょう。精巧なコピー品ですよ」
「どこが精巧だよ。他にもバグってるところあるんだろ」
 ランバートは詰め寄った。
「言い掛かりは止めろよ。どうせ定価の三○パーセントで売ったんだから、あんたもその位のリスクは覚悟しなよ。それにあんたもハイクリエイトを持ってるんだったら、自分でバグぐらい直せばいいじゃないか」
 ベリックスは開き直るとドスの効いた声を出し、ランバートを睨み返した。
「欠陥品売り付けておいて良く言うよ。正規のモンローのデータを取り寄せろよ」
「モンローは人気あるんで、すぐ手には入らないよ」
「すぐ取り寄せろ!」
 ランバートはベリックスを指さして念を押した。
 大手の映画会社は自社製の俳優のデータを作成しているのだが、その作成には3Dボディスキャナーという、人体を丸ごとスキャンする大変大掛かりな装置を必要とする。その為、資本のないランバートのようなアウトサイダー達は、DECのような怪しい店で大手が作成したデータのコピー品を入手するのが常である。その為、欠陥品のトラブルは珍しくもない。

 ランバートは店を出ても興奮が覚めず、気分が優れなかった。車に乗り込もうして振り返ると、通りの反対側に"FLASH"と言うバーの明かりが目に入った。急に一杯飲みたい気分が湧いてきて、ランバートは走行する車を避けながら道路を横切り、店のガラス扉を押し開けた。間接照明と壁一面にスコッチやブランディーの瓶、百年前の映画のポスターが貼られた店内は、二十世紀に流行ったスイングジャズが流れ、それが店の雰囲気にとても合っていた。ランバートはカウンターの隅に腰を下ろした。
「何にいたしましょう?」
 黒いベストにオールバックの艶髪という出立ちのウェイターが、グラスをクロスで磨きながら尋ねた。
「バドワイザー」
 ランバートはビールを注文した。
「かしこまりました」
 ウェイターがディスペンサーのコックを開けて、ジョッキにビールを注いでいく。こぼれそうな程白い泡を吹き上げるジョッキをランバートの目の前に置いた。
「有り難う」
 ランバートはカウンターにHDカードを置いた。
 ウェイターが認識ボックスにHDカードを翳すと一瞬で支払いは終了した。認識ボックスの小さなディスプレイに"五ドル"と値段が表示されている。
「毎度有り難う御座います」
 ウェイターは礼を言うと、HDカードをランバートに返した。
 ランバートがビールを飲んでいると、後ろの席にいた若い女性が振り向いた。気になるように彼の首筋のHDIに視線を投げ掛けると、立ち上がりランバートの隣の席に移った。
 黒いドレスに金色のロングヘアーを靡かせた色ぽい女だった。軽い女だなと、ランバートは思った。しかし不思議と女から商売気は感じられない。逆に笑顔から品の良さが感じられる程だ。
「あら、ハイクリエイトをお持ちのインテリ様でもこんな店に来るのね」
 しまったと、ランバートは思わず首筋を押さえた。
「これって本物なの?」
 女が聞いた。
「ああ」
「最近はこれ見よがしにシールを張って見栄張る連中がいるけれども、あなたはそんな風に見えないわね。触っていい?」
 何て馴れ馴れしい女だと呆れたが、触れさせても減るもんじゃない。ランバートは頷いた。
 女の指先がHDIに触れた。金色の接点がキラリと光る。外観上HDIは直径五ミリ程の二つの丸い金色の円盤が見えるだけだ。しかしその円盤が外から識別出来る為に、ハイクリエイトを持つ者のステイタスとなっているのも事実だった。ランバートは人から特別視されるのが嫌で、外出時は肌色のシールをHDIの上から貼って隠していた。しかし今日は急いで飛び出してきたので貼るのを忘れてしまった。
「これって手術するの大変でしょう」
「いや難しくはないよ。すぐ終わる」
「私、本物を見るのは初めてよ。だってハイクリエイトなんて普通の人じゃ受からないもの。あなた若いのに大したものね」
「そうでもないよ」
 ランバートは謙遜したが、ハイクリエイトの合格率は極端に低い。実際ほとんどの人はロークリエイトだ。ミドルクリエイトで全体の約一パーセント。ハイクリエイトともなると○・一パーセントにも満たない。本当ならばHC2を所持するランバートは超が付く程のエリートなのだが、何故か怪しいムービーメーカーなどをしている。もっとも彼自身はこの仕事が一番自分に合っていると満足していた。ネクタイを締め、偉そうな顔をして一流企業に勤める柄ではない。
 ランバートは残ったビールを一気に流し込んだ。
「悪いね、いくよ」
 ランバートは椅子から立ち上がった。
「良かったら連絡ちょうだい。お話したい事が沢山あるの」
 女は手帳を破り、電話番号を書くとランバートに渡した。
「ああ有り難う」
 ランバートはメモを受け取り、軽く女に会釈をした。良く見ると結構良い女だ。でもどうせ外観だけの尻軽女だろう。ハイクリエイトを持っていると、それだけで女の目の色が変わる。モテるのは悪い気分ではないが、迷惑な事も結構多い。
 店を出てメモを開くと"リリアン・ストーン"と、女の名前が読めた。ランバートは無関心そうにメモをコートのポケットにねじ込むと車に戻った。そしてドアのロックを解除して、車内に乗り込みいつものようにバイザーを降ろして光彩認識をした。
"あなたの体内アルコール濃度は高くなっています。濃度が下がるまでは安全の為、車を作動させる事は出来ません"
 無情にも作動拒否のアナウンスが車内に響いた。
「おいおい、ビール一杯だせ!」
 冗談じゃないとランバートは憤慨して、車のダッシュボードを思い切り叩いた。しかし車はウンともスンとも言わない。後悔しても後の祭りである。
 外では雨が降り始めた。道路脇の電光掲示板が"この雨の酸性度はレベル4です。すぐに屋内へ避難をして下さい"と、一斉に表示を流している。街角を歩いていた人々は悲鳴を上げながら、蜘蛛の子を散らしたように一目散に逃げて行く。あっという間に、騒がしかった通りに人の気配がなくなった。
 諦めたようにランバートは虚ろな目をして、フロントガラスに流れる雨粒を眺めていた。彼の瞳に眩しい街のネオンが滲んでいった。