第6章 ローランドの死

 西暦二○五三年十一月二三日未明、アルフレッド・ローランド博士が死去した。享年七十八歳。世界中のメディアは、このコンピューターの神の死をトップニュースとして報道した。
 博士の功績は、何といってもクリエイト規格の制定であろう。クリエイト規格によって世界中からハッキングが姿を消し、世界中の人々が安心してコンピューター社会で生活出来るようになったのもそのお陰だ。
 現在のコンピューターの発展も、クリエイト規格の存在なしでは考えられない。不正を働く者を完全に除外出来た為、コンピューターに対する信頼性は飛躍的に高まった。人類はコンピューターを進化させ続け、遂にCUBEという究極のバイオコンピューターを生み出すまでに至っていた。
「ローランド博士の残した業績は計り知れないものがあります。現在の素晴らしいコンピューター社会も博士の存在なしでは有り得ませんでした・・・・・・」
 アメリカ合衆国第五十一代大統領、アンドリュー・カールソンの声明が、壁掛けテレビから流れている。
 ランバートは一人ベッドに沈み込みながら、その放送を聞いていた。瞳を閉じると博士との想い出が甦ってくる。ローランド博士は、ランバートにとって恩師でもあった。それはランバートがMIT(マサチューセッツ工科大学)に通っていた頃に遡る。
 
 ランバートの両親は、物理学の世界では世界的に知られた学者だった。その両親の一人息子として彼は生を受けた。優秀な両親だけあり、ランバートのIQは二○○を越えていた。幼い頃から彼は大学の試験問題を解いてしまう程優秀な頭脳を持ち、周りから神童と呼ばれていた。
 幼いランバートにとって難しい数学の問題を解く事は楽しい事ではなかった。ただそれをすると両親が大変喜んでくれたので、ただやっていただけに過ぎない。どれも彼にとっては余りにも簡単で退屈だった。
 そんな平穏なランバートの人生に突然不幸が訪れたのは、彼が七歳になったばかりの時だった。両親の乗る車が追突事故を起こして、二人とも死亡してしまったのだ。それはまだ車が完全にコンピューター管理されていなかった頃の出来事だ。両親の死によりランバートの学問に対する興味は急速に失われていった。彼の周りの人達は彼の考える事を理解出来なかった為に彼は皆から変人扱いされた。
 身よりのないランバートは、ニューハンプシャー州に住む叔父の所に引き取られた。叔父は両親と違って頭の良い人ではなかったが、とてもランバートを可愛がってくれた。叔父は映画会社の宣伝部に勤めていて、その影響でランバートは沢山の映画を観た。そして歳をとる毎に彼の興味対象は、学問から映画製作へと向けられるようになっていった。ランバートは中学、高校と友人と一緒にコンピューターを使った映画製作をして過ごした。
 大学進学を控え、成績優秀なランバートは、数多くの大学から特待生として声を掛けられていた。しかし彼はそれに乗る気はなかった。何故ならどこも遠方の大学だった事と、彼の希望する映画関係の学部を持っていなかったからだ。当時、仮想映像による映画製作が普及し始めていた頃であり、ランバートは仮想映像を用いた映画製作を学ぶ事の出来る大学を探していた。
 叔父に金銭的な迷惑を余り掛けたくなかったので、ニューハンプシャー州で奨学金の出る大学を探した。そこで該当したのはMITだけだった。MITではコンピューター理論の一部として仮想映像を教えていた。しかし何といっても名門MITである。特待生として彼を迎えてくれるような甘い学校ではなく、入りたいと思ってもそう易々と入学出来はしない。
 皮肉な事にランバートは興味のなかった物理学や工学を、入試の為に猛勉強する羽目になった。しかし目的を持てば元々秀才のランバートだけの事はある。彼は一年余りの猛勉強の末に、見事MIT入学を果たす事が出来た。
 MITに入学してランバートは、晴れて思う存分映画の勉強が出来ると喜んだが、実際彼の興味ある授業はほんの一部分だけで、他は興味の湧かない退屈な授業ばかりだった。ランバートは授業にはほとんど出席せず、全米学生映画祭に出品する為の作品制作に夢中になっていた。一○○パーセントコンピューターを使った仮想映像作品を映画祭に出品するのだ。
 
 毎年ロスアンジェルスで開催される全米学生映画祭は、過去にルーカスなどの大物映画人を発掘した事で有名だった。彼以外にもここで名を上げた映画人は数知れない。その為出品数も多く、とてもレベルが高い。
 その年の全米学生映画祭の特別審査員として呼ばれていたのがローランド博士だった。今回のコンクール出品作品の大多数がコンピューターによる仮想映像作品となったのを機に、主催者がローランド博士をゲストに呼んだのだ。
 ランバートの作品は、普通の人の単なる日常を綴った十分間程の短編だった。しかしその画像の緻密さは他を圧倒していて、どう見ても実写に見えた。高額なスーパーコンピューターならともかく、学生が使うパソコンレベルでこれだけの映像が制作された事に誰もが驚愕した。
「これは君の作品なのかい?」
「はい」
 これがランバートとローランド博士が交わした初めての会話だった。
 ローランドも、ランバートの作品には大きな感銘を受けた。また制作者が映画学校の生徒ではなく、自分が教鞭をとる学校の生徒である事を知り改めて驚いた。
「僕が独自に考案したアルゴリズムでプログラムを作成したんです。その結果普通のパソコンでも、画像の処理速度が格段に向上しました」
「君は自分で制作プログラムを作成したのか?」
 ローランドは口髭を撫でながら感心したように尋ねた。
「ええ、簡単ですよ」
 屈託なく笑みを浮かべながらランバートは答えた。
 自らプログラムを組んでまで映画を作るとは、しかしそれ以上にエリート学校といわれるMITで、勉強以外にこんな事をしている生徒がいる事自体が博士には驚きであった。きっと彼は落ちこぼれ学生なんだろう。
 この時の映画祭は、圧倒的にランバートの作品が支持されてグランプリに輝いた。
 ロスアンジェルスからMITに戻ったローランドは、映画祭で集めたランバートに関する書類を秘書のアンジェリカに渡した。
「この生徒の資料をすぐ集めて欲しいんだが」
「あら博士、生徒には関心ないと思ってましたわ」
 年輩で小太りのアンジェリカが、皮肉ぽく言った。
 アンジェリカは書類を受け取ると、すぐに検索用のコンピューターに向かい、ランバートのデータを収集し始めた。 
 ローランドの教授室は、旧校舎の二階にある。天井まで続く本棚に四方を囲まれて、窓際の重厚な古いテーブルに向かい、いつも書き物をしている。コンピューターの権威であるにも拘わらず、ローランドの教授室には、コンピューターが一台もない。それどころか彼はここ数年コンピューターに触れていないという。ローランドにとってコンピューターは便利な機械ではなく、恐怖を感じさせる存在だ。コンピューターの全てを知り尽くしている彼にとって、コンピューターは既に怪物のように思えた。
「博士、生徒の資料が集まりましたよ」
 アンジェリカが分厚い書類を、ローランドの机の上に置いた。
「博士、そろそろコンピューターのディスプレイで見てもらわないと困りますわ。印刷するだけでも大変なんですよ」
 アンジェリカが不満そうに呟いた。
「ご免、ご免、助かるよ」
 ローランドは彼女を宥めるように謝った。
 アンジェリカが部屋を出て行くと、ローランドはすぐに資料を調べ出した。
 資料にはランバートが生まれてからのデータが、全て書き尽くされていた。ローランドは、ランバートの両親の名前を見て驚いた。彼はかつてランバートの両親と共同研究をした事があり、勿論彼らが事故で亡くなった時、葬儀にも参列していたのだ。
 あの時、棺の傍らにいた幼い子供が彼だったのか・・・・・・。
 僕、元気を出すんだぞと、ローランドはしゃがみ込み、その子の肩に手をやって、物悲しげな瞳を見つめた。子供は何も言わずただ頷いていた。あれは雪の降る寒い日だった。ローランドは感慨深く当時の様子を思い出していた。そしてランバートと、因縁めいたものを感じずにはいられなかった。
 その後の彼の学業成績の優秀さもローランドを驚かせた。さすがあの両親の息子だけの事はある。MIT入学後も落ちこぼれどころか、ランバートの成績は優秀で、いつも学部のトップクラスだ。映画製作などに時間を取られなければ、毎年彼が最高の成績を残しているだろう。しかしこれだけの成績を得ながら、くだらない映画製作などにのめり込んでいる事が、ローランドには理解出来なかった。
 ランバートはミドルクリエイトも、ハイスクール時代に取得していて、彼のIQや学業成績ならハイクリエイトの取得は容易に違いない。ローランドは以前から考えていた、ある試みの対象を彼にする事に決めた。
 
 ランバートがレーザー工学の講義に出席していた時、彼のPDA(携帯用パソコン末端)の呼び出し音が鳴った。学友達の目を避けながら胸ポケットからPDAを取り出した。PDAは掌サイズで二つ折りになっており、広げるとディスプレイと入力装置に分かれる。テレビ電話にもなり、メモリーカードを差し込むと、小型のコンピューターにもなる。とても使い勝手が良く、この時代誰もが携帯している。そのランバートのPDAにローランド博士からのメールが入っていた。
"明日午後九時に、私の教授室へ来てもらいたい。
                               アルフレッド・ローランド"
 実に簡略なメールだった。もっともメールで長々とした文章を送る者はいない。
 ランバートにとってローランド博士は、講義での単位を取っていない事もあって、学内では関係のない存在だ。なのにどうして自分が呼び出されたのか不思議で堪らなかった。ランバートは最初は訪問する事に躊躇した。特別に会って挨拶する必要もないし、この間のコンクールのお礼をするのも気が引けたからだ。
 彼の学友にこの事を話したら皆仰天した。友人のストックは博士に憧れてMITに入学した位だから、興奮状態は恐ろしい位だった。高揚した顔と手で、何故かランバートの手を強く握ってきた。気味の悪い奴だ。
 実際ローランド博士が生徒を自分の教授室に呼ぶ事などほとんどなく、少なくともここ数年では一度もなかった。コンピューターの神と呼ばれるローランド博士は、講義をする事すら稀で、たまに講義を開こうものなら、会場に入りきれない程の受講者が集まる。ある意味ローランド博士は、MITの顔ともいえる存在だ。だから彼が個人的に生徒と話をする事はまずない。
 ストックにそんな話を聞かされて、ランバートは偉大な人物に会うのも悪くはないと考えを改めた。きっとこの間の映画コンクールの話が中心だろうと、ランバートは気楽な気持ちで訪問するつもりだった。気難しそうなローランド博士の気分を害さないように、ランバートは九時丁度に教授室を訪問する事にした。
 この時間はコラル教授の電気制御学の講義があったが、ローランド博士に呼ばれている事を告げたら、簡単に免除してくれた。それどころか有り難い事に、異星人でも見るような羨望の眼差しを投げ掛けてくれた。コラルは、五年前にノーベル賞を受賞した超エリート教授だ。その彼でさえローランド博士の前ではその存在が霞んでしまう。
 ランバートは気楽な気持ちのはずだったのに、ローランド博士の教授室の扉を開ける時、何故か異次元の世界へ足を踏み入れるような気がして緊張した。扉を開けると、アンジェリカが彼が現れるのを待ちかねていたかのように、博士の元へ案内してくれた。
 ローランド博士は、笑顔で部屋の入口までランバートを迎えてくれた。気難し屋といわれる博士の予期せぬフランクな態度にランバートは少々戸惑った。
「良く来てくれたね」
 ローランドはランバートを上から下まで眺めて、両親の葬儀の時の面影を探そうとした。
「いえ、先日の映画祭の時はどうも有り難うご座いました」
 そう挨拶するランバートは、幼い頃自分と会った事など全く覚えていない様子だ。
 ローランドは部屋の片隅のソファにランバートを座らせた。年代物のような鞣し革で包まれたソファの感触が心地良い。
「今日君にわざわざ来てもらった理由を話しておきたいんだが」
 楽そうに足を伸ばながら、ローランドが切り出した。
「この間の映画祭の件でしょうか?」
 ランバートが尋ねた。
「いやいやそんな事じゃないよ」
 ランバートは怪訝な顔をした。映画祭の事じゃなきゃ何の用なんだ?
「君はHC1の事は知っているか?」
 ローランドが尋ねた。
「ええ、世界中で博士しかお持ちじゃないハイクリエイトの最高グレードの名称ですね」
「その通りだ」
「それが、何か?」
 誰でも知っている事を改めて尋ねるとは、博士は一体何を言いたいのだろうか? ランバートは不思議がった。
「君はコンピューターに支配された社会を想像した事があるかい」
 博士がまた妙な事を言い出した。
「今でも充分支配されていると思いますけれど」
 ランバートは答えた。
「そうではなくコンピューターが意志を持って、その力を翳してきたらという事だ」
「良く意味が分かりませんが」
 ランバートは首を傾げた。
「簡単に言うとコンピューターが反乱を起こして、人間社会を統治した世界の事だよ」
 博士が余りに突拍子もない事を言い出したので、ランバートは戸惑った。
「コンピューターの神といわれる博士が、そんな馬鹿げた事をおっしゃられるとは思いませんでした」
 ランバートは薄ら笑いを浮かべた。一体博士は何を考えているのだ?
「私が気に病んでいるのは、コンピューターの進歩が余りにも急で、いつか人間の手に負えなくなる時が訪れるという事なんだよ」
「僕みたいな凡人には、そんな難しい事は分かりませんが」
 博士は正常じゃない。気味悪くなってランバートは話をはぐらかそうとした。
「バイオコンピューターだよ。それとAI技術の飛躍的な進歩だ」
 それでもローランドは尚も話を続けた。
 ランバートもバイオコンピューターの件は良く知っていた。フライ社が最近開発に成功したという次世代のコンピューターの事だ。
「今もしコンピューターが反乱を起こしても、HC1を持つ私がそのメインプログラムを破壊して停止させる事は出来る。しかし私が死んだら、それが出来る者はいなくなるんだよ」
「それは既に政府のお偉様にお話しをされたのでしょう」
 博士が伸ばした足を戻して、ランバートの目を凝視した。眼光が鋭くてランバートはギョッとした。
「勿論だとも。私はねロバート・ウェイトが二年前に死んだ時から、事ある毎にそれを言い続けてきた。しかし馬鹿高官どもは、HC1が全てのコンピューターにアクセス出来る事が気に入らんのだよ。HC1は私を最後にして、永久に封印してしまいたいそうだ」
 ローランドは興奮して顔が赤らんできた。高齢の博士が倒れはしないかと、ランバートは心配になった。しかしローランドは演説を続けた。
「きっと奴らは機密事項を探られたくないのさ。誰がそんな事をする! 奴らは最も重要な事を置き去りにしている。コンピューターが暴走してみろ、世界が滅びる可能性だってあり得るんだ。我々はコンピューターに依存し過ぎた」
 ローランドは熱弁して、激しく唾を飛ばした。
「それで博士は僕にどうしろとおっしゃられるのですか?」
 呆れと不安が入り交じって、ランバートの心臓は激しく脈打った。
「君にHC1を取得してもらいたいんだ」
 その言葉にランバートは仰天した。博士は突然何を言い出すのだ。
 急に何の前触れもなく、呼び出されてこんな事を言われたら誰でも困惑する。ランバートは目を閉じて状況を整理しようとした。
「気分でも悪いのかね」
 目を閉じたまま黙り込んでしまったランバートの様子を心配して博士が尋ねた。
「いえ大丈夫です」
 ランバートは目を開いて首を横に振った。
「でも急にそんな事を言われても困りますよ」
 ランバートの動揺は治まらない。
「私も無茶な事を言ったと思うよ。でも君しかいないのだ。私はロバート・ウェイトが死んでから毎日のように夢を見るんだよ。コンピューターが反乱を起こして、世界中に核爆弾が降り注ぐ悪夢を。誰かが私の後を引き継いでくれなければ、私は死んでも死にきれない。後継者を育てるのは、この資格を創ってしまった者の責任だ」
「しかし博士、僕はまだMC3しか持っていないんですよ」
 戸惑ったままランバートは尋ねた。
「君の年齢でMC3を持っていれば充分だよ」
「でもハイクリエイトを取るのは並大抵じゃないでしょう」
「確かに難しい。しかしハイクリエイトは単純にコンピューターの知識で取得出来る物ではない」
「と、言われると?」
 ランバートは不思議がった。
「ハイクリエイトは技術よりも人間性なんだよ。世界中のどのコンピューターにでもアクセス出来る資格を持つ者が犯罪者では困るだろう」
「それは勿論」
「君には悪いと思ったが、君の経歴を調べさせてもらったよ。病歴や犯罪歴その他のデータ全てをね」
 自分の経歴を他人に知られるのは良い気持ちではない。ランバートは顰め面をして、舌を鳴らした。
「完璧だ、何の問題もない。君なら私の元で教育を受ければ間違いなくHC1を取得出来る。私の読みに間違いはない」
 ランバートの不安をよそに、ローランドは彼を絶賛した。
「博士は僕の事を余りにも買いかぶっていますよ」
 ランバートは謙遜するように手を横に振った。
「いやそんな事はない」
「今まではそうだったかも知れないけれども、将来僕が精神病に陥る可能性がないとも言い切れないでしょう」
「君のDNAデータもチェックさせてもらった。少なくとも遺伝的には、そのような病気に掛かる可能性はない。病気や怪我はいくらでも治す事が出来る。これからも医学は進歩するからね。五十年前ならエイズや癌で死ぬ事もあったが、今じゃ考えられない。科学は良い方にも悪い方にも進歩するもんだよ」
 どこまで自分の事を調べ上げたのだろうか? ランバートは気味悪かった。が、ここまで話を聞いて簡単に断るわけにもいかない。とても困ってしまった。
「分かりました。でも僕をどうやって教育するおつもりですか?」
 ランバートは不安そうに尋ねた。
「私の言う通りにしてもらいたい。そうすれば間違いなく君をHC1にしてみせる」
 自信満々のローランドを見て、ランバートは狐に抓まれた気がした。本当に博士は自分がコンピューターの神の後継者になれると思っているのだろうか? いずれ博士は自分を過大評価していた事に気が付き諦めてくれるだろう。それまでは付き合う事にしよう。自分がHC1なんか取れるわけないじゃないか。

 ローランド博士の指示は、とりあえずミドルクリエイトを最高位の1まで取得する事だった。
 クリエイト規格の受験法は、自宅のコンピューターをネットからクリエイト協会に接続すると、試験問題が転送されてくる。その場で与えられた時間内に回答をして送信すると、即座に結果が判定される仕組みになっている。
 ランバートは自宅のコンピューターに向かった。HDカードをコンピューターに差し込み、指紋と光彩認識をしてネットを介し、全米クリエイト協会へ接続した。クリエイト協会は世界各国に存在しているが、その全てを総括しているのが全米クリエイト協会だ。勿論アメリカ人であるランバートは、ここで試験を受ける事になる。
 試験中は光彩認識用のスキャナーを、受験者本人に向けておかなければならない。不正をして受験者が試験中に入れ替わるのを防ぐ為だ。不正を行った者には厳しい罰則があり、永久に資格を剥奪されてしまう。コンピューター社会において資格を失う事は、職にも就けず、不便な生活を送る事を意味する。だから危険を犯してまで不正を行う者はいない。
 一時間の間、ランバートは送られてきた質問に回答し続けた。ランバートが現在解いているのはMC2の問題だ。
 ランバートが制作している仮想映像ムービーは、MC3を持って入れば事足りる。だからクリエイト規格は、これ以上のグレードは必要ないと思っていた。MC3も二年前に取得していたので、試験を受けるのは本当に久しぶりだ。
 ミドルクリエイトは、コンピューターの詳しい知識を必要とする。しかしMITで最新のコンピューター知識を学んでいるランバートにとって、この程度の問題は取るに足らない。結果はほぼ満点だった。
 一時間程休憩した後、ランバートはMC1の試験も続けて受験する事にした。別に急ぐ事はなかったのだが、一日でミドルクリエイトを制覇して、ローランド博士を驚かせてやろうと思ったのだ。MC1の試験も満点近くで簡単に合格した。これでローランド博士の指示通りミドルクリエイトを制覇する事が出来た。
 
 翌日、ランバートはMC1まで取得した事を報告する為に、ローランド博士の教授室を訪れた。博士は既にその情報を得ていた。しかし指示をしてすぐに資格を取得してしまうとは博士も予想していなかったらしく、驚くと同時にランバートを選んだ事に間違いがなかったと、再認識する結果にもなった。
 それでもハイクリエイト規格の試験は、ミドルクリエイトのように簡単には合格出来そうもなかった。何しろ技術的な部分よりも、人間性を重視した試験内容なのだという。一体どんな物なのか検討もつかない。
「ハイクリエイトの試験内容は、頓知ゲームみたいなもんだ。またはカードゲームのような物かも知れない」
 ソファに深く腰を掛けながら博士は言った。
 カードゲームだって。ランバートは言葉の意味が理解出来なかった。コンピューター資格の最高峰が、ゲームに勝利すれば合格出来るとはどういう事だろうか?
「君はこの問題をどう解く」
 ローランドは膝の上に置いた一冊のノートを開いた。白いページにびっしりと、手書きの汚い文字が踊っている。
「濁流に人が流されている。回りには君以外の者はいない。君の持っているのは長さ一○メートルのロープだけ。君はどうするかね?」
 ランバートは不思議がって首を捻った。これが問題というのか? そこには何の意味があるのだ? それでもランバートは、気分を入れ直して真剣に考えてみた。
「流されている人は私の友人でしょうか?」
 ランバートは尋ねた。
「いや違う。たまたま行き会った者だ」
「それなら僕は助けません。一○メートルやそこいらの長さのロープで助けられるとは思えないし、自分が河に入ればこちらも流されてしまう。目撃者がいなくなるのが一番マズいでしょう。可哀想だけれども僕は無理な事はしない」
 ローランドは、ランバートの回答を聞いて頷いた。
「君の言う通りだ。ほとんどの者は無理に助けに行こうとする。しかし実際は不可能なんだよ。助けるべき時と、それを諦める事も必要だ」
「僕の答えは正しい?」
 ランバートは尋ねた。
「少なくともこの問題はそれでいい」
 意味は良く分からなかったが、それで良いらしい。本当にこれが試験問題なのか? 益々疑問が湧いてきた。
「ハイクリエイトの試験というのは、知識や技術を競う物ではない。人間性をさらけ出させて、その人格を評価するように作ってある。だから知識人よりも常識人でないと合格はしない」
「その評価は、曖昧な部分が多いから難しいですね」
「そうだ、私が一番苦心したのは、その曖昧さなんだよ。人間は余りにも曖昧過ぎる。機械のようにイエスかノーで判断出来る事は少ない。その曖昧さを判断するには膨大なデータと、それを処理するプログラムが必要になるんだ。制定当時のファジー理論では無理があったが、現代はAI技術を使ってかなりの部分まで判断する事が出来るようになった」
 結局、掴みどころのないようなところが、ハイクリエイトの本質かも知れない。それでも本来のハッカー対策が、完璧になされている事実から、ローランド博士の意図している事は正しいと言えるのだろう。
 博士の教育による、ランバートの訓練は続いた。しかしこの行いは他の者に知られてはならなかった。あくまでも隠密に進める必要があるのだ。
 HC1を政府の高官達は必要のない物と考えていて、所有者はローランド博士で最後にしようとしていた。それは機密保持と関係があり、世界中のコンピューターに侵入する事が可能なHC1を、高官達は良しとはしてなく、ランバートがそれを所有しょうとすると、様々な問題が発生して妨害される恐れがあるのだ。

 ランバートは約一ヶ月程の訓練を受けて、初めてハイクリエイトの試験に臨んだ。いつものようにHDカードをコンピューターのキースロットに差し込み、指紋と光彩認識をしてネットに接続をした。
 HC5の試験は、一時間に百二十問の問題を回答しなければならない。一問に付き、僅か三十秒の時間しか与えられていないのだ。深く考える余裕を与えずに、矢継ぎ早に問題が出題されてくる。内容は誘導尋問のような間違いを犯し易い文章問題に、IQテストのような簡単な計算、間違い探しなど。普通から考えると、とてもコンピューターの資格試験とは思えないような問題ばかりである。しかしこの一時間は精神的にとてもきつい。試験が終わると、ランバートは憔悴しきってしまった。精神の緊張を高く保つ事が、これ程まで疲労するとは思わなかった。
 判定は何とかギリギリで合格だった。結果は今までのように点数では表れない。精神レベル、頭脳レベル、体力レベルがパーセントで表示されて、その相互関係によって合否が判定されるのだ。どれかが抜き出ていても、劣っていても合格にはならない。不思議で複雑な判定方法をとっている。
 ランバートはローランド博士に、合格の報告をした。
「疲れただろう、ハイクリエイトの試験は」
「ええ、クタクタです」
「そこが狙いだよ。大量の問題をどれだけ早く間違いなく処理する事が出来るか、そこを判定しているんだ。レベルが上がると問題数は益々多くなる」
「これ以上ですか?」
「最終的には五倍の速度になる。平均すると六秒に一問の割合だな」
「それは無理ですよ」
 ランバートは悲鳴を上げた。
「人間の思考速度を超えた出題量といえる。精神力と体力が並の人間以上ないと、とても合格は出来ないだろう」
 ランバートは目の前が真っ暗になった。そりゃ不可能というものだ。
「実際HC3以上を試験で取得した者など、この世には存在しないんだよ」
「それじゃ博士はどうして取れたんですか?」
 ランバートは不思議がって尋ねた。
「私はこの試験の問題を作成した人間だから、試験を受ける必要もなかったのさ。ロバート・ウェイトも同じだ」
 そりゃズルいよと、ランバートは心の中で呟いた。
「でも君はハイクリエイトの世界に足を踏み入れる事が出来た。これでHDIを使う事が出来るわけだ」
「HDIって?」
「ヒューマン・デジタル・インターフェイスの事だ。脳信号をデジタル信号に変換するインターフェイスだよ。やっと技術的な問題が解決されて来年から認可される」
「何ですかそれ?」
 意味の分からないランバートは首を傾げた。
「脊髄から微弱の脳信号を拾って、それをコンピューターに直接送り込むんだ。人間は考えるだけでデータを入力出来る。キーボードや音声といった装置とは比較にならない速度で入力出来るってわけだ。究極の入力装置だよ」
「それって人間とどうやって繋ぐんですか?」
「脊髄の神経を光ファイバーで繋ぐ、皮膚表面には小さなコネクターが見えるだけだ」
「手術をするわけですね」
「ああ、とても簡単な手術だ。ただ脳とコンピューターが直接接続されるので、その情報量の多さに普通の人間では耐えられない。その為にハイクリエイトの資格を持っている者しか手術は許可されないんだ」
 初めて聞く入力装置の事は良く分からないが、ランバートは嬉しかった。仮想映画制作の為には大量のデータを入力しなければならないので、多大な労力と時間を必要とする。HDIを使えばそれが随分と楽になりそうだ。初めてこの訓練を受けた成果が出た。
 翌日からもローランド博士との訓練は続いた。判断力を上げる為、コンピューターを使って出題速度を速くしていく。素早く思考して答えを導き出さなければならない。出題速度を一題当たり十秒まで上げていくと、十分程で頭が熱して来るのが自分でも分かる。しばらくすると、ランバートは脳がオーバヒートして回答を続けられなくなった。
「博士こりゃ無理ですよ。とても頭が付いていかない」
 ランバートは苦しそうに頭を抱え込んだ。
「毎日続けていけば大丈夫だ。要は訓練だよ」
「どの位ですか?」
「試験にパスするまでだよ」
 何て先の長い話だ。いつになればローランド博士は自分を諦めてくれるのだろうか?
 それでも一ヶ月間の訓練後、HC4を受験する事になった。HC4ともなると、さすがに全世界でも五千人程しか所持者はいない。問題の出題速度も桁外れだ。しかし一ヶ月間の訓練の甲斐があり、ランバートは九○パーセントという見事な成績で、合格する事が出来た。
 ローランド博士の所へ報告に行くと、博士は喜ぶどころか渋い顔をした。
「困ったなあ」
「どうしてですか。試験にはパスしました、何の問題があるんですか?」
 ランバートは不服な態度でそう言った。
「いや成績が良過ぎるんだよ」
 ランバートは博士の言葉に憮然とした。せっかく苦労して良い成績を修めたのに・・・・・・。
「何故成績が良過ぎると困るんですか?」
 ランバートは不満をあらわにして尋ねた。
「ハイクリエイトを持つ者は、政府に登録されて、その動きを常に監視されるんだ。君が余りにも良い成績を修めると、特に監視が厳しくなる。私達の計画通りHC1を手に入れるまでは、監視組織に目を付けられないようにしないといけない」
 頑張っていい成績を取っても駄目と言われ、ランバートはどうしていいのか分からなくなった。
「これからは少し成績を操作する事も考えなければならないなあ」
 ローランドは困ったように呟いた。
 何と厄介な事だろうか。試験をパスするだけでも大変なのに、成績を操作する事など出来るものか。
「この辺りでそろそろ私の出番かな」
 ローランドが意味深な事を言った。
「死ぬまでに一回位、HC1を使っても罰は当たらんだろう」
 一体博士は何を考えているのだろうか? ランバートは訝しがった。
「今の君ならHC3位まですぐに合格出来るだろう。今から試験を受けてみようじゃないか」
 そう言うと、ローランドはソファから起き上がった。
「君も付いて来なさい」
 ランバートにそう言うとローランドは部屋を出て廊下を歩き出した。廊下で三人の学生がローランド博士を見つけるや、驚いた表情をして脇に避けた。博士の後を付いて行くランバートを駆け足で追い越して、物理学教師のレッドブルム教授がローランド博士を呼び止めた。
「博士どこへ行かれるのですか?」
「第二物理学教室だ」
「こんな時間にですか? 何か問題でも」
 滅多に教授室から出て来ないローランド博士を目にして、レッドブルム教授も学生同様に驚いている。
「ああ少し行いたい実験があるんだ」
 そう言うと、ローランドは第二物理学教室の前に立ち止まった。
「しばらくこの教室を立ち入り禁止にしてもらえないか」
「分かりました」
 ローランドの頼みを、レッドブルム教授はあっさりと聞き入れた。
「有り難う」 
 ローランドは胸から鍵カードを取り出すと、解除キーのスロットに差し込んだ。第二物理学教室の入口の扉のロックが外れると、ランバートと一緒に教室の中へ消えた。扉が閉まり再びロックの掛かる音が聞こえた。
「あの生徒は誰だ?」
 レッドブルム博士が遠巻きにしている生徒達に尋ねた。
「ウィリアム・ランバートです。彼は秀才ですよ」
 生徒の一人が答えた。
「いやただの映画狂いさ」
 別の生徒が言った。
「ウィリアム・ランバートか・・・・・・」
 レッドブルム博士は首を捻りながらも、ランバートに関心を持ったようで、何度も彼の名前を口の中で呟いた。
 物理学教室の中は素粒子加速器や、電磁波保護装置などの機器が壁際一面に並べられている。三十席程並んだ机の上には人数分のコンピューターセットが置かれている。ローランドは真ん中の席に着くと、一台のコンピューターの電源を入れた。
「君はこちらのコンピューターを使ってくれ」
 ランバートは博士の言う通り隣の席に座り、コンピューターの電源を入れた。
「クリエイト協会に接続して、試験を受けてくれ」
「今からですか?」
 急に試験を受ける事にランバートは戸惑った。
「そうだ」
 ランバートはレベルの高い試験を、心の準備もないまま受けさせられるのは不満だった。しかし博士の手前不服を言うわけにも行かない。言われた通り、クリエイト協会へアクセスした。隣を見ると博士もコンピューターをどこかへ繋いでいる。
「コンピューターを使うのは五年振りだよ」
 ローランド博士の言葉にランバートは驚いた。この人は五年間もコンピューターなしで、どうやって生活してきたのだろうか? ましてや博士はコンピューターの神と言われる方だ。
 ローランドがコンピューターに認識させると、ディスプレイに"我々の神よ、ようこそ。何でもお申し付け下さい"と、文字が表示された。
「これは何ですか?」
 ランバートは苦笑した。
「OSを作ったロバート・ウェイトのおふざけだよ。あいつはHC1の資格を持つ者が操作すると、こんなメッセージが出るようにプログラムを組んだんだ。私はこれが嫌いでね」
 キーボードを操作するローランド博士は、たどたどしい手付きで、どう見ても慣れているとは言い難い。ランバートはこの妙な博士の姿がおかしくって、つい見とれてしまった。
「私の事はいいから、早く試験を始めなさい」
 自分を見つめるランバートをローランドは叱った。
「は、はい」
 ランバートは我に返って、コンピューターに向かい直った。
 HC3の試験が始まった。試験が始まってすぐにランバートは妙な事に気が付いた。出題の速度が遅いのだ。これならとても楽に回答が出来る。
「簡単だろう。速度を三倍に落としてある」
 ローランドが言った。
 ランバートは博士がクリエイト協会のコンピューターに不法アクセスして、操作していると知り動揺した。
 出題速度を三倍に落としているので、一時間が過ぎても試験は終わらない。
「少し休むかね」
 ローランドがキーボードを叩くと、画面がその場でフリーズしたまま停止した。
「博士、こんな事をして大丈夫なんですか?」
 ランバートが心配そうに尋ねた。
「犯罪だよ。しかし私は犯罪を犯しても君にHC1を手に入れてもらいたいんだよ」
 実に簡単にローランドは答えたが、ランバートには博士の思いが、この言葉と態度で身に染みて分かったような気がした。
「私はもうそれ程長くはない。君達のような若者が、これからの世界を支えていかなければならないんだよ」
 博士の言う事は良く理解出来る。でもランバートはHC1など特に欲しくもなかった。しかしここまで来れば博士の期待も裏切りたくない。複雑な気分だ。もしここで試験に落ちれば、博士は自分を諦めてくれるだろうか?
 試験が再開されると、ランバートはそんな不安も忘れて夢中になった。自分の性格は何事にも手を抜く事が出来ない。自分が選ばれた理由の中には、そんな一途な性格が見抜かれていたからかも知れない。
 ローランドは一心不乱に問題を解くランバートの横顔をじっと眺めていた。そしてそこに彼の父親の姿を重ね合わせていた。やはり性格まで父親似だと思って、ローランドは苦笑した。
 最後の問題を解いて試験は終了した。ランバートはこれは高得点が期待出来ると思った。自信があったのだ。しかし彼の成績は八六パーセント。八五パーセントがボーダーラインであるこの試験で、ギリギリの成績だった。
「博士すみません。こんな悪い成績で」
 ランバートは博士が落胆したと思い込んで、申し訳なさそうに深謝した。
「何を言っているんだ。君は試験にパスしたじゃないか」
「しかしギリギリでは、博士の教育を受けた意味が・・・・・・」
「私が操作したんだよ。本当の君の成績は九八パーセントだよ」
 ランバートは憮然とした。自尊心が傷つけられた気がして、腹立だしかった。どうしてここまで成績を下げる必要があるのだ。
「検査局の連中に気付かれない為だよ。前にも言ったように、試験成績が良過ぎるとマークされるからね」
 用意周到過ぎる。そこまで考える必要があるのだろうか? ランバートは呆れた。
「奴らに気付かれる前にHC2も取ってしまおう」
「これからですか?」
 ランバートは寒気がした。ただでさえ疲れているのに、これからまた何時間も試験問題に向き合うのかと思うと憂鬱になった。でも断るわけにもいかず、ランバートはすぐにHC2の試験に臨んだ。この試験もローランド博士が操作をして、出題速度を落としてくれた。しかしその為に実に四時間も試験問題と向き合う事になった。試験が終わるとランバートは疲労困憊し、伸びてしまった。成績は博士が操作して、今度も八六パーセントで合格だった。今は文句を言う気力もない。
「ランバート君、出題速度を抑えたとしても、HC2をクリアするとは君はやはり天才だよ」
「どういたしまして・・・・・・」
 疲れ切ったランバートの表情から笑顔は消えていた。
「今日はここまでにして、明日はいよいよHC1の試験に臨もう」
 ランバートの疲労を察してローランドは言った。
 やっと解放された。憔悴しきった体を引きずり、キャンパスを出た時には朝日が射し込んできた。普通HC2に合格したら、嬉しさの余り興奮して眠れないだろう。しかし今のランバートには嬉しさなどなく、ベッドに倒れ込むとそのまま死んだように眠った。
 目が覚めると、もう午後七時だった。HC1を受ける時間が迫っている。ランバートは急いで着替えを済ませると、息を切らしてローランド博士の教授室に駆け込んだ。
「そんなに急いでいたんじゃ試験どころじゃないだろう」
「いえ少し寝過ごしたもので」
 ランバートはまだ激しく息をしている。
「少々遅れても試験が受けられないわけじゃないよ。まあ少し休んだら」
 ローランドはランバートの体を案じてソファに座わらせた。アンジェリカがいいタイミングで、アイスティーを持って来てくれた。ランバートはそのアイスティーを一気に飲み干した。随分喉が乾いていたらしい。
「今日君は歴史を作るんだぞ。史上三人目のハイクリエイトワンの所持者になるんだ。その内、世界でたった一人の所持者になるがね」
「余り大袈裟な事を言わないで下さいよ」
 ランバートは大きな事を言われて逆に不安になった。
「本当の事だよ。さあ始めようか」
 ランバートはローランド博士と共に、昨日と同じ第二物理室へ籠もった。コンピューターを全米クリエイト協会へ繋ぐと、ディスプレイに"HC1認可試験は許可されておりません"と、メッセージが表示された。
「博士これは一体どういう事ですか?」
 ランバートは戸惑った。ここまで来て試験が受けられないのは困る。
「封印されてるんだよ。でも大丈夫だ」
 ローランドが操作すると、メッセージが消えた。しばらくして次のメッセージが表示された。

"ただ今より、HC1認可試験を開始いたします。試験時間は六十分で、問題は千二百問です。合格率は九八パーセント以上となっております。  
 尚、不正等が発覚した場合は、全てのクリエイト規格の資格を剥奪いたしますのでご注意下さい"

 メッセージが消えて、遂にHC1認定試験が始まった。速度は当然ながらローランド博士によって遅く設定されてはいるが、膨大な問題数に変わりなく、ランバートはいい加減うんざりしてきた。
"自動車を運転中、自動制御が効かなくなってしまった。右にオープンカフェ、左に露天の音楽メモリー屋。あなたはどちらへハンドルを切りますか?"
 こんな感じの問題が永遠に続いていく。本当に気が遠くなってきた。実に六時間も掛かって、やっとHC1の試験は終了した。コンピューターがはじき出した結果は、何と九十九パーセントの正解率で文句なしの合格だった。
「おめでとう、君は今日からコンピューターの神だ」
「本当にこんな違法な事をしていいんでしょうか?」
 喜ぶよりランバートは犯罪者になりそうで不安だった。
「立派に君が手に入れた資格だよ」
 ローランドは立ち上がると手を差し伸べた。一瞬戸惑ったが、ランバートも立ち上がって博士の手を強く握りしめた。
「良くやってくれた。私もこれで安心して死ぬ事が出来るよ。君のご両親もきっと喜んでいるだろう」
 ローランド博士の妙な言葉を発したので、ランバートは戸惑った。何故博士が自分の両親の事を言ったのか、すぐに理解が出来なかった。
「両親は僕が七歳の時に死んでいるんですよ。僕の経歴を調べられたはずでしょう?」
「私は君の両親の友人でもあったのだよ」
 突然のローランド博士の告白にランバートは愕然とした。次の瞬間、ランバートの脳裏に両親の葬儀の時、彼に優しく声を掛けてくれた男の姿が思い出された。
「あの時の方が博士だったのですか・・・・・・」
 ランバートは呆然として博士をじっと見つめた。
「そうだ。ランバート、君は本当にお父さん似だよ。いや性格はお母さんにも似ている・・・・・・」
 感慨深そうにローランドはそう言うと、ランバートの視線を逸らすように横を向き黙ってしまった。感動に耐えるように震えるローランドの唇。ランバートは彼の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちるのを見逃さなかった。彼の胸にも熱いものがこみ上げてきた。

 深夜三時、全米クリエイト協会のメインコンピューター画面に、エラー信号と警報が鳴り響いた。
"HC1の試験に合格者が出ました"
 このメッセージが画面に現れて、幾つも幾つも重なりながら流れると一杯になった。
「何! HC1の試験に合格した奴が現れただと」
 画面に背を向け、書類を作成していたレイモンド主任が、警報音に驚いて振り返った。
「主任、HC1は封印されているはずでしょう。合格者が出るわけないですよ」
 スタンプという助手が怪訝そうな顔で尋ねた。この部屋には彼ら二人しかいない。
「故障じゃないのか?」
 レイモンドは信じられなかった。しかしコンピューター上では、間違いなく合格者が登録されていた。
「一体誰なんだ、合格者は?」
 レイモンドはキーボードを叩いて詳細を調べた。
「ウィリアム・ランバート、二十一歳だって。こいつ一体何者だ? マサチューセッツ工科大学の三年生。確かMITはローランド博士の勤める大学じゃなかったか? 何か胡散臭いなあ・・・・・・」
 レイモンドは何か裏があるような気がして唸った。
「パーカー長官にご報告しますか?」
「ああ勿論すぐにだ」
 スタンプが国務省のジェームス・パーカーに連絡を取っている間、レイモンドはコンピューターのサーバー内のデータを隈なく調べた。
「これだ!」
 レイモンドはクリエイト協会のサーバーに残された不正の痕跡を見逃しはしなかった。
「ローランド博士、違法行為はいけませんよ」
 レイモンドは不敵な笑みを浮かべた。

 翌日、国務省からローランド博士の元へ使いが現れた。サングラスを掛け、黒一色のスーツに身を包んだ無気味な雰囲気を醸し出す三人の男達。廊下で男達とすれ違った生徒達は、その無気味さから道をさっと開けた。三人はその間をすり抜けると、ローランド博士の教授室へと吸い込まれるように消えていった。
 三人は挨拶もなく、無理矢理博士の回りを取り巻くと、机の上にノート型コンピューターを置いた。
「君達は何者だね」
 無礼な態度に博士は憤慨しながら男達に尋ねた。
「パーカー長官の使いの者です」
 無表情で一人の男がそう言うと、コンピューターの画面を開けた。
 ノート型コンピューターは、カメラや転送用の電話も備えていて、これ一台で遠方の人とテレビ電話で会話する事が出来る。開かれた画面に現れたのは、国防省のパーカー長官だった。老年の元高官軍人らしい頑固そうな険しい表情をしている。
「ローランド博士、とんでもない事が起きましたよ」
 だみ声でパーカーは言った。
「これは長官お久しぶりです」
 ローランドが挨拶をした。パーカーとはクリエイト協会の理事の間柄で知り合いだった。
「昨日HC1の試験に合格した者が現れましてね。ぜひ博士にご相談をしなければと思いまして・・・・・・」
「ほう、それは本当ですか」
 ローランドは悟られないように、なるべく落ち着いた口調で答えた。
「ウィリアム・ランバート、あなたの大学の生徒ですよ。ご存じありませんか?」
「さあ、そんな優秀な生徒がこの学校にいるとは聞いておりませんが」
 二人の腹のさぐり合いのような会話が続いた。
「博士、ハッキリ言います。あなたは何をされたのですか? 昨年の理事会でHC1を凍結する事にあなたも同意して頂いたじゃないですか!」
 パーカーは険しい表情を曇らせて怒鳴った。
「私は最後まで反対をしていた。人類の将来の為に!」
 博士も反論した。
「まあ言い合いは止めましょう。でもここのサーバーにあなたのパスワードの痕跡が見つかったのですよ。あなたがこの生徒のHC1取得に関わっている事は間違いないんです。それも不正をして」
 獲物を捕らえるような鋭い視線で、パーカーは博士を睨み付けた。
 博士は焦った。パスワードの痕跡を残していたとは、浮かれていて詰めを誤ってしまった。
「私がそんな事をする必要がありますか?」
 博士はそれでも冷静さを保とうとした。
「理由は分かりません。ただあなたがクリエイト協会のコンピューターに不法侵入し、何らかの不正を働いてこの生徒にHC1を取得させた。私にはその事実が分かっているだけです」
 パーカーは業を煮やしたように怒っていた。ローランドは困ったように口を閉ざしてしまった。
「理事会では、あなた自身の資格を剥奪する必要があるのではないかと討議しています。私は個人的にあなたとは長い付き合いです。出来ればあなたの経歴に汚点は付けたくない。もしここであなたが、この生徒のHC1を抹消してくれれば問題にはしない。悪い事は言わない、そうしてもらないだろうか」
 パーカーの表情は、友人としての博士に懇願しているようにも見えた。
「この生徒はそれを了承しているのか?」
 博士は尋ねた。
「それはあなたから話せばいいでしょう。どうせあなたが企てた事なんだから」
 博士はしばらく考え込んだ。
 危なそうな男達にも取り囲まれているし、抵抗しても無駄だろう。ここはパーカーの指示通りにランバートのデータを抹消した方が良さそうだ。
「パーカー長官、良く分かりました」
 博士が指示を聞き入れてくれて、パーカーの表情は急に柔らかくなった。
「良く了承してくれました。お礼を言います。それではすぐに操作をして下さい」
 パーカーは緊張の糸が切れたように、穏和な口調で言うと画面から消えた。
 ローランドは残念そうに溜息を一つ落とすと、ノート型コンピューターに向かった。HDカードを差し込むと、指紋認識と光彩認識を行い、クリエイト協会のコンピューターに接続した。そしてそこからランバートのデータを引き出して彼のHC1のデータを抹消した。
「博士有り難うございます」
 背広の男が無表情なまま礼を言い、ノート型コンピューターを閉じて脇に抱えると、男達はここに今まで存在しなかったかのように、教授室からすっと消えていなくなった。背筋が寒くなる連中だ。
「博士あの人達は何者ですか」
 怯えたようにアンジェリカが尋ねた。
「政府の黒幕からの使いだよ。人殺しも平気でする奴らさ」
「まあ恐ろしい」
 アンジェリカは思わず手で口を押さえた。

 ランバートのコンピューターにローランドからメールが送信されてきた。
 "政府に気付かれて、君のHC1は抹消されてしまった。誠に申し訳ない"
 ローランド博士からのメッセージを見てランバートは落胆するどころか、逆に胸を撫で下ろした。何故なら、HC1を所有してしまった重責を、時が経つ程にひしひしと感じていたからだ。急に重荷から解放されて気が楽になった。しかしこのメッセージ以降、博士からの連絡はプッツリと途切れた。
 あれだけの時間を過ごしたのに、その後何の連絡もないとは全く非常識だと、ランバートは腹立だしかった。結局、博士にとって自分はただの生徒の一人に過ぎなかったのだろう。両親の知り合いでもあった偉大な人物と、少しの間だけでも共に過ごせて良い想い出になったと、ランバートは一人で自分を慰めた。
 その一年後、ランバートはMITを優秀な成績で卒業して、ハリウッドの映画会社に勤めた。そしてムービーメーカーとして、自身で映画製作を行う為に三年前に独立し、再びボストンに戻ってきた。

 ランバートは自宅のベッドに横たわりながら、博士との想い出に浸っていた。あれからもう八年が過ぎたのか・・・・・・。そしてローランド博士は今日死去した。
 突然、ランバートの部屋のコンピューターが自動的に動き出した。ディスプレイに懐かしいローランド博士の姿が映し出されている。
『ランバート君、お久しぶりだ。君がこの画面を見る時、残念ながら私はこの世に存在していない。このメッセージは私の死により、クリエイト協会が私のデータを抹消すると同時に、君のコンピューターに向けて発信されるようにプログラムされている。言うならばこれは私の遺言状だ』
 ランバートはコンピューターが発する博士の声に気が付いてベッドから起き上がった。そして恐る恐るコンピューターに近づいていった。
『君を無視した私を、君は酷い人間だと思っただろう。しかし君の事が私の頭の中から消える日はなかった。ただあれから私も君も政府からマークされていて、私は君に接触する事が出来なかったのだ。それはとても辛い日々だった。理解して欲しい、大切なのはHC1を死守する事だったのだ』
 ランバートは頭が混乱してきた。HC1は今日博士が死去した事によりこの世から消えたのではないか。
『私はあの日、君のデータを完全に抹消したのではない。ただデータを移動させただけだ。勿論、その後は完全に抹消したがね。このメッセージの最後に君のHC1のデータを添付してある。それをクリエイト協会のコンピューターに転送すれば、君はHC1に登録される。コピーを済ませたら、このメッセージは完全に抹消してくれ。さてそろそろ私は君の両親が待つ所へ行く事にするよ。後は頼んだぞ、ランバート君・・・・・・』
 ピーっという発信音と共に画面は消えた。ローランド博士のメッセージは、これで終わりだった。
 ランバートはしばらく夢の続きを見ているような錯覚に囚われた。しかし頭が活動を再開して、内容が理解出来ると体が震えてきた。とんでもない物が今送られてきたのだ。慌てて新品のメモリーカードを、コンピューターのスロットに差し込んだ。そしてメッセージをデータ化して、HC1と書かれた部分をメモリーカードに焼き付けた。その後、証拠が残らないようにメッセージをコンピューターから完全に消去した。
 ランバートはメモリーカードを引き抜き、目の前に翳してじっと見つめた。
「これがハイクリエイトワンか・・・・・・」
 ローランド博士が、命を賭けて守ったHC1。そのデータを手にしていると、今までの博士の冷たい行為は全て許せた。ランバートはメモリーカードの中に博士の魂が籠もっているような気がして、その面影を抱きしめずにはいられなかった。