第10章 MERO(メロ)1
シャフナーは探していたランバートの行き先を・・・・・・。
深夜にランバートの部屋へ忍び込んでもう小一時間は物色しているが、まだ何の手懸かりも掴むことは出来ていなかった。
彼の顔には焦りと疲労の色が滲んでいた。シャフナーは乱暴に机の引き出しを引き抜くと、中身をひっくり返した。ボールペンなどの筆記具や小物が机上に散らばる。それを引っ掻き回すようにして調べても、手懸かりになるような物は何も出てこない。
写真立ての裏蓋を開く。本棚の本を引っぱり出しては振り、床に捨てては、次の本を出して同様に振る。何かを期待するが、やはり本の間からは何も出てこない。焦る指先だけが忙しく動き回り、やがて本棚の本を全て調べ終わってようやく彼の手の動きは止まった。
疲れ切ったシャフナーはベッドに座り込むと頭を抱えた。憔悴した顔をゆっくりと上げて、苦しそうに黄色のネクタイを緩めた。
「ウィリアム・ランバートよ、どこへ行きやがったんだ。まだ敵に捕まってなければ良いが・・・・・・」
シャフナーは思い病み、大きな溜息を落とした。
隣の部屋からカチャカチャとキーボードを叩く音が漏れてくる。LEDスタンドの鋭角な光の中でランバートのコンピューターを操作しているのは、クリエイト協会のハリー・スタンプだ。
スタンプはランバートのコンピューター内に残された痕跡を探し出す為に、シャフナーがここに連れてきた。シャフナーはコンピューター操作がとても苦手なのだ。
「しかしこのコンピューターにアクセスするのは無理だなあ・・・・・・」
スタンプは唸り声を上げた。
何とかしてランバートのコンピューターを立ち上げて、中のデータを調べようと試みているが、プロテクトが強力で彼の能力ではどうしても作動させる事が出来ない。
シャフナーは気を取り直すと立ち上がり、再び部屋の中を物色し始めた。ゴミ箱を手にして裏返すと、数枚の紙屑が床に落ちた。その一枚一枚をランバートの行方の切っ掛けを探す為に開いてみた。数字と意味のない文字が書いてある。
「分からないなあ、このランバートって奴は。HC2を持っている超エリートのくせにこんな俗物映画を作っているなんて。その気になれば何にでもなれるのに・・・・・・」
シャフナーにはランバートの行動は皆目理解出来なかった。
「どうだ?」
シャフナーがスタンプの側に来て尋ねた。
「無理だね。こんな凄いプロテクトは初めてだ。僕にはとても解除出来ないよ」
スタンプはコンピューターに手古摺って諦め掛けている。
「HC3のあんたでも動かせないのか」
「こんなレベルのコンピューターを俺が動かせないなんて屈辱だよ」
スタンプは自分に腹を立てて悔しがった。
「それじゃダイレクトボックスのデータを見られないか?」
ダイレクトボックスとは、家庭の電化製品や電話などを集中管理する家庭用のコンピューターで、電脳化された家庭の必需品だった。
「ええ、やってみます」
スタンプはコンピューターの前から立ち上がると、隣の部屋へ行きテレビの電源を入れた。通常ダイレクトボックスはテレビと連動している物が多い。テレビのディスプレイで、都合良くボックスの中身を内容を確認する事が出来るからだ。
「電話の履歴を調べたい」
「電話ね」
スタンプはリモコンで有機テレビの画面に並ぶアイコンから電話のマークを選んだ。しかしこれもプロテクトが掛かっていてデータを見る事が出来ない。
「ちえ、これにもプロテクトが掛かってやがる。ちょっとやってみるか」
スタンプはぼやいて、リモコンの有機ディスプレイ面に付いている指紋認識スキャナーに指を置いた。何やら変わった操作をしている。彼が操作を終えて再び電話のアイコンを選ぶと、過去の電話のリストが画面に表示された。
「やった!」
スタンプが自慢げに指を鳴らした。
「さすがだな」
「このぐらいの事は出来ないとね、あんたに連れて来られた意味がないじゃないか」
「よしデータをこれにコピーしてくれ」
シャフナーはポケットからメモリーカードを取り出すとスタンプに放り投げた。スタンプはそれを片手で受け取った。
「OK」
スタンプはテレビの横に付いているスロットにメモリーカードを差し込むと、リモコンを操作して電話のデータをコピーのマークの上へ移動した。コピー中の表示の後、しばらくして完了の表示が現れた。
「これでいい」
スタンプはメモリーカードを抜き取ると、シャフナーに投げ返した。
「有り難う。それとこれの元データをダイレクトボックスから消去出来ないかな」
シャフナーはメモリーカードを受け取るとそうつけ加えた。
「出来るけれども、何故?」
余分な事を言いつけられてスタンプはその理由を知りたがった。
「俺達以外にも彼を探している者がいるかも知れない。そいつらにデータを見られたくないんだ」
「慎重だね。いいよ」
スタンプは納得すると、データを画面横のゴミ箱の印の中へ移動させた。完全消去を選択して実行させると、電話の履歴はダイレクトボックスからいとも簡単に消えた。
「どうもコンピューターは苦手だな」
流れるように操作をしていくスタンプを見ながらシャフナーは呟いた。
「今時そんな事を言っても始まらないよ」
スタンプは素っ気なく言った。彼には今の時代にシャフナーのような機械音痴がいる事自体が信じられなかった。
明け方シャフナーとスタンプの乗る青色のトヨタのセダンが、ボストンのローガン空港の送迎用ホームへ滑り込んできた。スタンプがワシントンDCへ戻る為だ。混雑する送迎用のプラットホームに車を横付けするとドアが開き、二人が車から降りてきた。
「泊まっていけば良いのに」
シャフナーが言った。
「仕事が山のように貯まっているんですよ。例のメッセージが送られて来てからもう酷いもんです」
スタンプはうんざりという顔付きをして見せた。
「そうだな。早く犯人を取っ捕まえないとな」
「ええ」
「助かった。俺じゃ何ともならなかったよ」
シャフナーはスタンプに礼を言って手を差し出した。
「また何かあったら連絡を下さい」
スタンプはシャフナーと別れの握手をすると、後部座席からボストンバッグを一つ取り出した。
「それじゃ行きます」
スタンプはそう言うと、空港のターミナルビルへ向かって歩いて行った。シャフナーはビル内へ消えて行くまで彼の後ろ姿を見送った。スタンプの姿は入口に吸い込まれる人の群に混じって、すぐに見えなくなった。
「さていくか」
スタンプの姿が消えたのを確認して、シャフナーは車に乗り込んだ。そしてダウンタウンに予約してあるホテルまでトヨタを走らせた。ベッドと脇に小型の有機式テレビが置かれただけの、安ホテルの一室。壁紙には染みが付いて、天井の照明のカバーはヒビが入ったままになっている。
その部屋でシャフナーは一人ベッドに腰を降ろしていた。電卓大の大きさのPDAにメモリーカードを差し込み、ランバートの部屋のダイレクトボックスからコピーしたデータを調べている。シャフナーでもPDA程度の機械なら操作する事は出来るようだ。
PDAの画面にデータが表示されている。通話記録をペンタッチすると、相手の画像とランバートの声が被った。画面下には相手の電話番号などの情報が表示されていく。初めて聞くランバートの声。随分若い声にシャフナーは戸惑った。何故ならHC2を所持している者は、高齢の人ばかりだったからだ。
最初の通話相手は映画製作仲間との制作状況の打ち合わせで、約十分程の長さがあった。次が保険のしつこい勧誘を必死に断るランバートの声が入っていて苦笑した。他人のプライバシーを探るのは余り好きではなかったが、これも仕事の内だ、仕方ない。
データは二年程前の物からずっと残されていた。大抵は一、二ヶ月程で内容を消去していくのだが、消去するのが面倒なのか、昔の物がそのままになっていた。不思議な事に、この二年の間にランバートから送信した回数は数える程しかない。受信がほとんどで、それらも決まった相手ばかりだ。友達の少ない奴だとシャフナーは少々気の毒がった。
『え、あなたなの。嬉しいわ。ハイクリエイトを持っているようなエリートから連絡もらえるなんて・・・・・・』
金色の髪の女がPDAの画面に現れた。艶ぽいなかなかの顔をした女だ。
これがランバートの最後の通話相手だった。それもこの二年間で初めての女性だ。その上珍しい事に、ランバートの方から彼女に連絡をしている。そしてこの通話を最後にランバートは忽然と姿を消していた。電話を掛けた時刻は、HC2の所持者に集合のメールが流された時間に近い。ランバートはそのメッセージを見てすぐにこの女に連絡を取り、そして消えた。この金髪の若い女は一体何者なんだ? シャフナーはこの女を怪しがり、繋がりがあると読んだ。
シャフナーはPDAを電話モードに切り換えて、ルーベンスの執務室へ電話を掛けた。勿論ランバートが最後に連絡をしたこの女の正体を調べる為にだ。
『あらシャフナーさん、遅くまでご苦労様です。今はどこですの?』
PDAの画面に現れたのはルーベンスの秘書のクリスティン・ロームだった。彼女は四十歳を越えているが、良く仕事の出来る優秀な女性だ。シャフナーとも仕事上の長い付き合いで、気心も知れている。
「クリスティン、今補佐官に繋げるか?」
「ただ今会議中ですけれども」
不幸中の幸い。これでルーベンスと話をせずに済む。どうも奴とはウマが合わない。シャフナーはほくそ笑んだ。
「そうか、それじゃ悪いけれども今から言う電話番号の所有者データを俺のPDAへ転送してくれないか」
『いいわよ。番号は?』
「今言うよ。メモはいいかい」
『ええ』
「080215・・・・・・」
『分かったわ、すぐ調べるから少し待っててね』
クリスティンとの電話は切れた。数分後にシャフナーのPDAの呼び出し音が鳴り、自動的にデータが転送されてきた。さすがクリスティンは仕事が早いと感心した。数秒で転送は終了した。
早速シャフナーはデータを開いた。女の名前はリリアン・ストーン。二十六歳。父親は全米で家庭料理レストランのチェーン店"ボイル"を経営するレイモンド・ストーン。かなりの資産家だ。
リリアンはそのレストランの米東部地区の取締役になっていた。実際のところは経営を他人に任せて、名前だけを置いているのだろう。その証拠に彼女は母校のハーバード大学でも、今時使い物にならない演劇を専攻している。ランバートとリリアンの接点は、映画関係なのか? しかしリリアンは大学卒業後、すぐに父親の会社を手伝っていて、女優の仕事をした経歴はない。ランバートがどこかでスカウトしたのかも知れない? でも外向的と思えないランバートが、わざわざ女性をスカウトしたとも思い難い。彼女の父親が娘をエサに、ランバートに接触したとは考えられないだろうか? そうすればこの事件の主犯は、このレストランの経営者なのか? それなら何が目的なのか? シャフナーがどれだけ考えても、二人の接点はあやふやだった。
シャフナーは答えを探すべく、リリアンが住むボストンの中心ビーコンヒルにあるコンドミニアムを今夜尋ねる事にした。今日はここまでにしてこれで休む事にしよう。人気のない部屋の中、ランバートのコンピューターのディスプレイが突然点灯した。スタンプでさえ苦労して諦めたコンピューターなのに、言いなりになったように内部のデータを探られている。
それはCUBEがランバートの行方を探す為に、彼のコンピューターに接続して、内部のデータを隈なく調べているのだ。しかしCUBEにもその中にランバートの居場所を突き止めるようなデータを見つけ出す事は出来なかった。
続いて電話の履歴を調べる為にダイレクトボックスに接続した。しかしデータは既に消去された後だった。CUBEはデータが全て消されている事を怪しがった。何者かが自分より先にここに現れて、データを抜き取ったのではないか? 指紋認識のデータを調べると、最新の指紋がランバート以外の物である事が分かった。やはり何者かがここへ来ていたのだ。
その指紋を照合する為に、クリエイト協会に登録されている膨大な指紋データと照らし合わせてみた。クリエイト協会には、全米三億人の指紋が登録されている。余りの数に照合するには少々時間が掛かったが、それが米クリエイト協会に勤める、ハリー・スタンプの物である事を突き止めた。クリエイト協会の人間が絡んでいるとは意外だった。
CUBEはすぐにスタンプのデータを検索して、彼が今どこにいるかを調べた。ひょっとするとランバートが同行しているかも知れないからだ。調べてみると丁度ワシントンDC行きの飛行機の中だった。乗客名簿にはランバートの名前はなく、スタンプと同行している様子はない。
ランバートは自室から世界中のどのコンピューターにも、自分の痕跡を何も残さずに消えていた。このコンピューター社会の中で、コンピューターから逃れる事は不可能だ。必ず何かの痕跡を残すはずなのだが、ランバートは何一つ残していない。これはどう説明すればいいのか? CUBEでさえも行き詰まった。
スタンプがランバートの部屋へ入り、わざわざダイレクトボックスのデータを消去したのにはきっと何か意味があるはずだ。彼を締め上げれば、ランバートの情報を得る事が出来るのではないだろうか? CUBEはそう考えた。しかし残念な事にCUBEにはスタンプを締め上げる為の手も足も持っていなかった。CUBEには自分の手足となる人間が必要だった。忠実に自分の指示を遂行出来る人間が。CUBEは取引をしようと考えた。それも出来るだけ愚かな人間と・・・・・・。シャフナーは夜の八時に起きると、すぐにリリアンのコンドミニアムを尋ねた。地上二十階建てでガラス張りのエントランスホール、どう見ても金持ちしか住めない高級コンドミニアムだ。ロビーにはガードマンやボーイまでいてホテル並の環境を備えている。これでは無理に押し入る事は出来そうもない。正攻法でいこう。まず受付けでリリアンに連絡を取ってもらう事にした。
「リリアン・ストーンさんの部屋はどちらになりますか?」
シャフナーは受付けの女性に尋ねた。
「失礼ですがどちら様でしょうか?」
シャフナーは胸のポケットからシークレットサービスの身分証を取り出して女性に提示した。
「ロッド・シャフナーと言います。ストーンさんにお会いさせて頂きたいのですが」
「分かりました」
身分証を見せられて受付嬢は頷き、素直にコンピューターのキーを叩いてリリアンの在宅状態を調べた。
「ストーン様はただ今外出中です」
シャフナーは外出と聞いてがっかりした。どうしょう? しばらくここで待とうか。
「すぐ戻られますかね?」
「さあどうでしょう? この二日間お戻りではありませんので」
二日前と言えばランバートから電話があった日だ。リリアンと一緒にそのまま消えてしまったのか? ひょっとしてランバートは何かから逃げているのかも知れない。だとすればすぐに保護をしなければ危ない。シャフナーの脳裏をそんな思いが過ぎった。
「分かりました。どうも有り難う」
シャフナーはコンドミニアムを後にする事にして、駐車場のトヨタに乗り込んだ。
駐車場に車を止めたままシャフナーは少し考えてみた。ランバートはHC2召集のメールを見てすぐにリリアンに助けを求めている。ランバートは敵が何者かを知っていて怯えているに違いない。そしてリリアンと共に潜んでいる。しかし一体どこに? シャフナーの考えはここで行き詰まった。シャフナーにはランバートがとても利口な人間に思えた。彼はきっと敵にまだ捕まってはいない。シャフナーの長年の勘がそう確信させた。
シャフナーはPDAを電話モードにすると、ルーベンスの執務室へ電話を掛けた。いつものクリスティンが応対に現れた。
『あらシャフナーさんご苦労様です』
「クリスティン。また頼んで悪いがレイモンド・ストーンのデータを送ってもらえないか?」
『レイモンド・ストーンって?』
「ほら家庭料理の"ボイル"って名前のレストランチェーン店のオーナーだよ」
『ああ知ってるわ、その店。アップルパイがおいしいのよ。そこのオーナーね。分かったわ』
「悪いね。今度そのアップルパイおごるよ」
シャフナーは気を遣い煽てるように言った。
『当てにしないで待ってるわ』
クリスティンにはシャフナーの腹は簡単に読まれている。
電話が切れて数分後にシャフナーのPDAにデータが転送されてきた。今度はかなりのデータ量で転送にはしばらく時間が掛かった。
転送が終わりデータを開いてみると、ストーンが生まれてから今日までの人生の全てのデータが含まれていた。いつどこで何を食べ、何を買ったか、何をしていたかまで。コンピューター社会では人間は全てを監視される。その全ての行動がこうやってデータとして残っていくのだ。しかしそれを意識させないからさらに恐ろしい。今やコンピューターなしでは生きてはいけないから、これも仕方のない事なのか。
ストーンのデータは小型のPDAの処理能力の限界に達する程の大容量だった。必要な情報を取り出す為に何度検索を掛けても、大変な時間を要した。
「こりゃ凄いデータ量だな」
シャフナーはストーンの所有する不動産をまず調べてみた。二人が潜んでいそうな場所が分かるような気がしたからだ。ボイルのチェーン店や別荘といった物が全米各地に散らばっている。その数はカリフォルニア州を中心に百のチェーン店、別荘は全米に三ヶ所、フランスとポルトガルに一件ずつ。その中からシャフナーは、ボストンに近いクリーブランドにあるストーンの生家が気になった。この町はストーンの生まれ育った地で、ここボストンから七○○キロ程離れた場所にある。今や多忙なストーンは、ロスアンジェルスに住み、年に数回帰郷する為の別荘としてここを所有している。シャフナーはこの生家に行ってみようと思った。たとえ二人が見つからなくっても、そこには何か答えがあると考えたからだ。
シャフナーはトヨタのモーターのスイッチを入れると、生家の位置をナビゲーションに入力した。CUBEは慎重に手足となる組織を選んだ。南米や中東のテロ組織、狂信宗教団体など、アメリカには星の数ほどのテロ組織が集中している。その中から創設思想、組織規模、活動状況などを詳しく調べて選び出したのは、中東のテロ組織メロだった。
先進国は第五次中東戦争の教訓から石油に依存するエネルギー体系から、バイオ技術を応用した油の生成を押し進めた。その結果、バイオオイルと呼ばれる石油と同等の油を工場で生産する事に成功していた。無尽蔵のバイオオイルは先進国のエネルギーの中心となり、石油の必要性はなくなった。
今世紀初頭までは産油国の影響は強大だったが、バイオオイルの開発により石油のエネルギーへの依存度が激減した事で、産油国はその影響力を次第に失っていった。その後石油の埋蔵量が減り、遂に枯渇するに至ると、栄華を極めていた産油国の力は全く無くなった。石油以外に主たる輸出品目を持たない中東の産油国のGDPは今や見る影もなく、国民は飢餓状態に陥り、上流階級の連中は国を捨てて、諸外国に逃げ出すという有様だ。
混乱を極める国を立て直そうとする一派は、Meddle East Recovery Oganization(中東回復機構)通称メロ(MERO)と呼ばれていた。
彼らは神の名のもとに、この国の混乱の原因を先進国の仕業と決めつけ、各国で過激なテロ活動を繰り返している。例えばバイオオイル工場や太陽光発電施設の破壊。政治的重要施設の爆破、外国へ逃げ出した元政府高官の暗殺など。国の為ならばどんな非情な行動も厭わないメロは、先進国の国民にとって脅威であっても、CUBEには最も扱い易く理想的な組織だった。
アメリカのメロ組織はフライ社のあるシカゴを中心に活動している。それもCUBEにとってはとても都合が良い。もし自分に危険が迫った時には、彼らをすぐに召集して防衛する事が出来るからだ。メロ組織は本当に最適な相手だ。
昼間もカーテンを閉め切ったままで、部屋の照明もつけない薄暗いメロのアジトは、湿った空気とかび臭い臭いが充満していた。穴ぼこだらけの壁に"人民に栄光を!"と赤いスプレーで描かれている。破れた黒いソファ、窪んだロッカーが壁の隅に置かれ、壁の穴からネズミがチョロチョロと顔を出している。部屋の中央に置かれた長テーブルの上には、十台のコンピューターが設置され、ディスプレイから発せられる光が、部屋の中を怪しく照らし出していた。
ネットに繋がれているメインコンピューターが突然作動して、ディスプレイにメッセージが表示された。"同志諸君、私は先進国主導の世界を改革する為に活動している。先進国の首脳陣に改革を求めたが受け入れられず、止む終えず東京に核爆弾を投下し破壊した。その件は君達も周知の事と思う。私は今後も活動を続けていくが、その活動を阻止しようと暗躍する者がいる。それはHC2を所有する人物達である。
私はHC2を所有する者五人中、四人を既に始末する事に成功した。しかし残る一人は逃走し行方を眩ませている。彼を逃しておけば私の計画に打撃を与えられる可能性がある。
そこで諸君の力をぜひ貸して頂きたい。私と諸君とは同じ理想を掲げていると信じている。私と組んで決して損はさせないつもりだ。
私の改革が成功した時には、諸君を新世界の幹部として迎え、手腕を振るってもらう考えを持っている。
ここにその反逆者のデータを送付するので、この者を早急に諸君の組織力を発揮して直ちに始末して頂きたい"当直中の組織員、ピーチと呼ばれる男がこのメッセージを最初に見つけた。初めは馬鹿げた悪戯だと笑っていたが、ここのコンピューターに接続が出来たという事は、このアジトが何者かに見つかってしまった事を意味する。それに気付いたピーチは狼狽えて、すぐにここのリーダーであるメロンに連絡を取った。
『どうしたピーチ?』
テレビ電話の画面に映ったメロンと呼ばれる男は、四十歳前後で髭を生やした神経質そうな男だ。
「今ここのコンピューターに変なメッセージが入っているんですよ」
『変なメッセージだと?』
怪訝な顔をするメロンが画面に映っている。
「転送しましょうか?」
『俺の車の方へ転送してくれ』
ピーチはメロンの車のメール番号へメッセージを転送した。転送は一瞬で完了した。
激しい雨が降り続ける夜のシカゴの街を、メロンの乗る白いミニバンが走り抜けて行く。繁華街のネオンが車体を虹色に輝かせている。車内にはメロン以外に車を運転する若いアップルと、助手席に座るレモンという組織員が同乗している。メロのメンバーは自らの本名を伏せる為に、それぞれが果物の名前で呼び合っていた。
メロンが後部席のディスプレイで転送されてきたメッセージに目を通した。
「こりゃ一体何だ?」
奇妙な内容にメロンは困惑している。
「こりゃマズくないか。俺達のアジトがバレちまったぞ」
レモンは助手席から身を乗り出して、後部席のディスプレイを覗いている。
「しかし俺達を捕まえるのなら、こんな妙な物を送らずにすぐに乗り込んで来るだろう」
メロンは髭を擦りながら考えた。
「それもそうだなあ」
「東京を破壊したとか、HC2を四人片付けたってのは本当だと思うか?」
メロンが訝しそうに尋ねた。
「冗談だろう」
レモンはあっさりと答えた。
「何故HC2を始末する必要があるんだ? 理解出来ない話だ」
メロンは解せないように首を傾げている。
「知っていますか、二○二三年の第五次中東戦争の事?」
運転をしているアップルが突然質問をした。二人は感心を持って彼に視線を合わせた。アップルは眼鏡を掛けて、インテリ学者風の外観をしている。
「学校で習ったよ。あの戦争のせいでクリエイト規格が出来たんだろう」
レモンが答えた。
「そうです。もしあの時クリエイト規格が出来てなかったら、ハッキングは今も自由に行われていたはずですよ」
「しかしそれでハッキングが不可能になって、コンピューターネットワークが、加速度的に進化したのも事実だろう」
今度はメロンが言った。
「そう、でもこれだけコンピューターネットワークが普及した現在、クリエイト規格がなくなればハッキングはやりたい放題、世界を牛耳る事さえ可能です」
「このメッセージを残した奴はそれを狙っているというのか」
レモンはアップルの考えている事が少し分かり始めた。
「それで自分にとって邪魔なHC2を所持する者を消そうとしているのか」
メロンもアップルの推測により、少しは相手が理解出来た気がした。
「こいつは妄想家のハッカーだな」
メロンは呆れたようにぽつりと呟いた。
「可能性はありますよ。でも相当の凄腕でしょう。私達のアジトを突き止めたのですから」
アップルは逆に感心している。
「利用される価値はあると思うか?」
「ええ、協力する振りをしてこいつが正体を現したら、締め上げて私達の手下にしてしまえばいい。使い出はあると思いますよ」
アップルは提案をした。
「とりあえずこいつが消したい奴は何者だ?」
メロンはメッセージの先のファイルを開けてみた。そこにはランバートの経歴が表示されていた。メロンの目が画面に引き寄せられる。
「ウィリアム・ランバートだって聞いた事ないなあ」
メロンは呟やいた。そして、
「HC2を所持しているにしては、やけに若くないか?」と、続けた。
「ああ二十八歳とは若いね」
レモンも助手席から身を乗り出して見ている。
「こいつを一人消す位わけないだろう」
「俺達の組織力ならチョロいもんさ」
データの最後には、参考人としてスタンプのデータと、連絡先としてメール番号が記載されていた。
「何だこりゃ。ハリー・スタンプって名前も、住所も分かっているなら自分でやりゃいいじゃないか」
レモンは呆れたように舌を鳴らした。
「こいつは頭は良いが、体を使いたくないようだな。騙されたつもりでやってやるか」
メロンは無気味な笑みを浮かべた。
彼は得体の知れないこの相手に感心を持ったようだ。アップルの言うように騙された振りをして接近し、こちらの手下にしてしまおうと考えた。
「このメール番号を調査させるぜ」
レモンが言った。
「ああそうしてくれ、そしてこいつの正体を突き止めろ」
メロンはCUBEのメールの所在を調査するように指示をすると、煙草に火を点けた。ゆらゆらと煙が車内に漂っていく。
激しさを増す雨の中、水溜まりの水を跳ね上げながらミニバンは、シカゴのビル街を走り抜けて行った。