第11章 MERO(メロ)2

 ワシントンDCの住宅街、ジョージタウンの裏通りにスタンプは住んでいた。独身の彼の家は、古風なビクトリア建築の質素な一軒家だ。彼は仕事を終えて帰宅した後も、自宅のコンピューターに向かって仕事をしている。スタンプにとって仕事は趣味の延長線上なのだ。女性と付き合う事もなく、今年三十五歳になった彼は今も独身生活を続けていた。
 ビクトリア建築の家並みが続く通りを、水道局と書かれた一台の白いミニバンが走って来るのが見える。ミニバンはスタンプの家の前で停車をすると、車から白いツナギを着込んだ三人の男達が下りてきた。そして工具箱を手にしたまま家の呼び鈴を押した。
 室内の防犯カメラに男達の姿が捕らえられている。スタンプは仕事の手を休めて、鬱陶しそうにインターフォンの応対に出た。
「どちら様ですか?」スタンプが尋ねた。
『水道局の者ですが、配管の修理にお伺いさせて頂きました』
 眼鏡を掛けた頭の髪の薄い男がテレビカメラに映っている。
 こんな時間に修理なんて聞いてないぞ、スタンプは面倒くさがった。
「悪いが頼んだ覚えはないよ」
 と、追い返そうとした。
『この辺り一帯で水漏れが発生していまして、緊急で各家庭を訪問させて頂いております』
 眼鏡の男が言った。
「そんな話は聞いてないよ」
 スタンプは何とか追い返そうとして押し問答となった。
 男達も簡単にドアを開けないスタンプに、顔を見合わせて焦り出した。どうする? と、男の一人が目で合図した。
『水道メーターを確認してもらえませんか。先月より使用量が異常に多くなっていれば水漏れの可能性がありますので』
「水道メーターだって・・・・・・」
 スタンプはどうせいい加減だと思いながらも、ダイレクトボックスのスイッチを入れて水道の使用量を調べた。
 この一ヶ月の使用量を示す棒グラフがテレビ画面に現れた。昨日一日の使用量が著しく多くなっている。勿論このデータもCUBEが改竄したのだが、その事をスタンプが知るよしもない。
「ありゃ? 本当に水漏れしているぞ。昨日はボストンに行って留守にしていたのに、変だなあ?」
 スタンプはこのデータを見て、本当に水漏れが発生していると思い込まされてしまった。
「すみません、今開けますので」
 スタンプは険しい表情を崩すと警報機を切り、玄関のドアロックを外した。ドアロックが外れる音がして、男達はホッとしたような顔をした後、ニヤリと微笑んだ。
「洗面所はどこですか?」
 眼鏡が部屋へ入って来るなりスタンプに尋ねた。
「こちらです」
 スタンプは眼鏡を洗面所に案内した。
「キッチンも見させて頂きますよ」
 小柄で神経質そうな男が言った。
「どうぞ」
 スタンプはすっかり警戒を解いていた。
 男達がそれぞれに別れて道具箱を開けると、洗面器の下を覗いて配管を触り始めた。
 スタンプは最初男達の作業を見ていたが、すぐに任せて再びコンピューターの前に座り仕事を再開した。
 男達は作業をしている振りをして、仕事に没頭するスタンプの様子を伺っていた。スタンプは彼らの企みなど何も知らずに、無心にコンピューターを操作している。キーボードの音が響く中、男達は機会を伺う様に耳をそば立てた。
「元栓を締めたいのですが、どこにありますか?」
 洗面器を覗いていた眼鏡が立ち上がって尋ねた。
「外に出た所の脇にバルブがあるけれども」
 スタンプは仕事を続けながら適当に答えた。
 眼鏡は隣で座り込むがっしりとした体格の男の肩を軽く叩いた。男は後ろ手に配管を掃除する為の細い針金を握った。男は外へ出掛ける振りをしてコンピューターに向かうスタンプの後ろに音もなく進み、そして針金を彼の頭上でゆっくりと引き伸ばした。
「あ、あのバルブね」
 スタンプが何かを思い出して振り向いた瞬間、彼の後ろで仁王立ちする男と目が合った。悲鳴を上げそうになったが、それよりも早く男の針金がスタンプの首を締め上げた。スタンプは針金を首から外そうとして必死に藻掻いた。しかし逞しい男の腕が締め上げる力には抵抗出来ない。スタンプは男と絡み合い、苦しみながら机の上のディスプレイを蹴り飛ばした。物取りだろうか? という思いがスタンプの脳裏を過ぎった。
 男がスタンプを椅子に押さえ付けて座らせると、小柄な男が素早く彼の手を後ろ手にして全身をガムテープでグルグル巻きにした。同様に足も固定して身動き出来ない状態にしてしまった。スタンプが動けない事を確認すると、男は首のワイヤーをようやく外した。スタンプは苦しそうに何度も堰をした。そして少し落ち着いて来ると男達を見上げた。
「一体どういうつもりだ!」
 声も荒くスタンプが喚いた。まだゼーゼーと細かく呼吸をし続けている。
「大声出すなよ、お偉いさん」
 眼鏡が宥めるようにスタンプの頭をさすった。
「俺の家なんかに物取りに来てもロクなものがないぞ」
 スタンプは言った。その言葉を聞いて男達が苦笑し、大声で笑い出した。
「おいバナナ、こいつ俺達が物取りだと思ってやがるぜ」
 小柄な事が無気味な甲高い笑い声を立てた。
 彼らはメロ組織の中の"掃除屋"と呼ばれる殺し屋のメンバーだった。それぞれの呼名はやはり果物の名前になっている。バナナというのが眼鏡を掛けた男で彼らのリーダーだ。小柄で神経質そうな男がオレンジ。そして厳つくスタンプの首を締め上げたのが、グレープと呼ばれる男だ。
「俺達はちんけな物取りなんかじゃねえぞ」
  バナナが不敵な笑みを浮かべながら言った。
「それなら何をしにきたんだ・・・・・・」
 皆目目的が分からない男達を相手に、スタンプはその無気味さから身震いした。
「知りたいんだよ。ウィリアム・ランバートという奴の居場所を」
 バナナがスタンプの顔をまじまじと身ながら尋ねた。思わずスタンプは目を背けた。
「ウィリアム・ランバートだって・・・・・・」
 スタンプはランバートの名前を聞いて声を詰まらせた。こいつらはどうしてランバートの名前を知っているのだろうか?
「お前は知っているんだろう。お前が奴の部屋へ行った事は分かっているんだからな」 
 スタンプは驚いた。何故自分がランバートの部屋を調査した事をこいつらは知っているんだ。証拠などないはずなのに。
「知らない。俺はそんな奴の部屋なんかに行った覚えはない」
 スタンプは首を横に振りながら否定をした。
「どうして奴をかばう?」
 バナナがスタンプの顎を掴んで睨み付けた。
「知らない事は知らない、それよりお前達は何者だ」
 スタンプは顔を強ばらせて反対に彼らに尋ねた。
「いいだろう、教えてやるよ。メロって聞いた事はないか。俺達はそこの組織の者だ」
 バナナの言葉にスタンプは震えた。メロといえば中東のテロ組織じゃないか。でも彼らとランバートとどんな関係があるのだ? スタンプの頭は混乱してきた。
「知りたいんだよ。ランバートって男の事を」
 バナナは続けた。
「知らない。俺はそんな奴は知らない」
 スタンプは否定し続けた。
「どこまでしらを切る気だ。少々痛い目を見ないと分からないようだな。おいグレープ虐めてやれ」
 グレープという男は無気味だ。自分の首を締め上げた上、ここへ来てから一言も口を開いていない。
 グレープは何も言わず、配管を加工する剪定鋏を工具箱から取り出した。鋏をカシャカシャと開閉させながらスタンプに近づいて来る。
「何をするつもりだ」
 グレープの鮫のように生気のない無気味な瞳と合い、スタンプは血の気が引いた。この男なら何をするか分からない。恐怖感が全身を包み込んだ。
「口で言っても分からない奴には、体で教え込むのが俺達の流儀なんだよ」
 バナナが目でグレープに合図を送った。グレープはスタンプの後ろ手にされた左手から小指を引っ張り、剪定鋏に挟むと力を込めて閉じた。ガリっという骨が砕ける音がして、スタンプの悲鳴が上がった。その口をバナナが手で押さえ付ける。スタンプは痛みに耐えるように大きく体を揺さぶり、激しく呼吸をした。椅子の下の血溜まりの中に、スタンプの切断された小指がぽつりと浮かんでいる。
「大人しくしろ! 俺達を甘く見るんじゃない。お前が奴の居場所を知っている事は分っているんだ」
 バナナは声を荒げて、命令調でスタンプに怒鳴った。
「お、お、俺は何も知らないんだ」
 スタンプは激痛の中で、そう言うのが精一杯だった。
 実際スタンプは、ランバートの居場所など知らない。シャフナーに頼まれて彼のアパートへ行っただけだ。この事態に自分が危険な事件に足を突っ込んでいる事に初めて気が付いた。
 バナナがグレープにさらに虐めるよう合図を送った。グレープは今度はスタンプの右手の小指を引っ張った。
「止めてくれ!」
 スタンプの悲願も空しく、彼の右手の小指も切断されてしまった。
「お前がしらを切り続ける限り、こいつはお前の体を切り刻むぞ。手の指を全部落としたら、次は足の指だ。お前のペニスさえも切り落とすぞ。こいつにはな感情ってもんがないんだよ。二年前警官に頭をぶち抜かれてからな」
 バナナはグレープを指さしながらスタンプを睨み付けた。スタンプの苦痛と恐怖は頂点に達した。
「俺はランバートって男の居場所は知らないんだ。本当なんだ、シークレットサービスのシャフナーって男に頼まれただけなんだ」
 必死にスタンプは声を張り上げて説明した。
「誰だって?」
「ロッド・シャフナー。大統領直系のシークレットサービスだよ」
 スタンプは耐えきれずに苦し紛れにそう言った。
「こいつまだ何か隠しているぞ」
 オレンジが勘ぐるように言った。
「それが俺の知っている事の全てだ」
 スタンプは悲壮な呻き声を出している。
「本当かどうかもう少し虐めてやるよ」
 バナナは不敵な笑みを見せてグレープに、やれと、顎をしゃくって合図をした。
「本当だよ、頼むから止めてくれ!」
 スタンプの命乞いをする叫び声が空しく部屋の中に響き渡った。
 
 スタンプは汗と涙を流し、頭を垂れて気を失っていた。フローリングの床は一面の血の海となり、その中に彼の十本の指が散らばっている。切り取られた手からは今も大量の血が滴り落ちている。
「どうやらこいつが知っているのはこれだけらしいな」
 無惨なスタンプを前にバナナが言った。
「こいつどうする?」
 オレンジがスタンプの髪の毛を引っ張ってみるが、死んだように反応がない。
「生かしておくわけにはいかんだろう。俺達の顔を知られてしまったんだからな」
「片付けちまうか」
 オレンジが素っ気なく言った。
「ああ、適当にバラしちまいな」
 バナナはあっさりと指示をした。
 バナナの指示に頷いたグレープのツナギは鮮血に染まっている。手も剪定鋏も血塗れだ。
「俺は先に車に戻っているから、手早く片付けてしまえ」
 バナナはそう言うと一足早く部屋を出て、車へ向かって歩き始めた。
「ロッド・シャフナーか・・・・・・」
 と、呟きながら。
 ミニバンに戻ったバナナは後部席に座ると、車載コンピューターの電源を入れた。表示を電話に切り換えて、メロンの連絡番号を選択した。しばらく呼び出し音が聞こえてメロンが画面に現れた。
「メロン、奴は詳しい事は知っていませんでした。ただロッド・シャフナーってシークレットサービスの名前が出てきましたよ」
『よしロッド・シャフナーだな。分かった調べてみる』
「次の司令を待ってます」
『ああ、ご苦労だった。次の司令まで待機してくれ』
 画面が切れると同時に、グレープとオレンジが車に戻ってきた。無表情のグレープは、血塗れのツナギのまま助手席に座った。
「ちゃんと息の根を止めたか?」
 バナナが気になって尋ねた。
「こいつ気狂いだぜ。俺が止めなかったら細切れにしちまうところだった」
 オレンジは運転席に乗り込むと怯えたように言い、車のモーターのスイッチを入れた。
「おいグレープ、そのツナギどこかに捨ててこいよ。生臭さくって堪らん」
 バナナが後ろの席から鼻をつまんで文句を言った。
「公園でもあったら捨てさせますよ」
 何も言わないグレープに代わってオレンジが答えた。
「ああそうしてくれ」
 彼らを乗せたミニバンはスタンプの家を後にした。ミニバンが消えた後、閑静な住宅街は、今ここで起こった惨劇を忘れさせる程静まり返っていた。
 シカゴの薄暗いアジトにいるメロンは、CUBEから指定されたメール番号に"ロッド・シャフナー。シークレットサービス"と打ち込んで転送をした。
 メールを受け取ったCUBEは、メロ組織が自分の望んだ通りの結果を出してくれた事に満足した。そしてこの組織は利用価値があると評価して、次の作戦に利用する為に策略を巡らしていた。 

 ホワイトハウスの閣議の間では、一人テレビディスプレイに向かって会議を行うカールソンの姿があった。ディスプレイにはイギリス、フランス、イタリア、ドイツなど世界の首脳の姿が映っている。
「なあ、この最悪の事態を回避する為なら敵の要求をしばらく呑む必要があるんじゃないか」
 カールソンがディスプレイ内のイギリスのハーベイ首相に話し掛けた。
『とにかく敵の要求する時間までは後四日間しかない。我々が頼りにしていたHC2の所持者がほぼ全員暗殺されてしまった現状ではいた仕方ないでしょう』
『暗殺じゃないでしょう。我国では事故と報道しています』
 ハーベイの発言に、フランスのランデール大統領は気を悪くしている。
『まだHC2を持つ者がもう一人お宅の国にいませんでしたか?』
 イタリアのベルティーニ首相がカールソンに尋ねた。
「いるにはいるのだが、今行方不明になっていて・・・・・・」
 カールソンは歯切れの悪い返事をした。
『どういう事ですか。あなたにこの件を任せたら最悪の状況になってしまったわけですな』
 ベルティーニ首相は憤慨している。
『我々は出来ればヨーロッパの方でこの件を調査した方が良いと思っていたのですが、あなたを信頼して任せたのですよ。お陰でこんな事になってしまった』
 ドイツのメスター首相が不機嫌そうに声を荒げて言った。
「そう思っているなら、会議の時そう言ってくれれば良かったじゃないか!」
 どうも欧州諸国は結託しているらしい。それを察してカールソンは機嫌が悪くなり声を張り上げてしまった。
『まあ、まあ、大人げない言い争いは止めにしましょう』
 カナダのボーン首相が仲裁に入った。
『そうです。言い争う為に私達は貴重な時間を割いているわけではないのですよ』
 ハーベイはEU連合と友人のカールソンの間で揺れ動いている。
「すまない、ところで敵の要求を貴君の国は実行する事が出来だろうか?」
『しかしエネルギー消費を半分にするというのはちょっと無理があると思うのですが』
 日本の松田代表が自信なさげに言った。
『日本はいつも実行する前から出来ないと言い張る。一度試してみてからそう言ってもらいたい』
 ロシアのロシャーリ大統領が憮然とした態度で言った。
「とにかく時間がない、東京があんな事になってしまって、敵が本気である事は確かだ。このままでは世界が滅びかねない、どうか協力して頂きたい」
 カールソンは懇願するように皆に頭を下げた。
『それはいつまですか?』
 カナダのボーン首相が尋ねた。答え難くそうにカールソンは顔をゆっくり上げた。
「敵を見つけ逮捕するまでの間だ」
『日時を区切ってもらいたい。不確定要素では困る』
 ロシャーリ大統領が文句を言うように無理な質問をした。
 カールソンは困った。敵を見つける手段がない今、日時を指定されても答えようがない。それでも何か言わないとここは治まりそうになかった。
「一週間、一週間だ・・・・・・」
 カールソンは苦し紛れにそう言ってしまった。 
『一週間ですね。分かりました何とか国民を説得してみます』
 素直にボーン首相は協力を受け入れた。
「他の者はどうだろうか」
 ボーン首相が承諾した為、他の首脳達も協力せざる得なくなった。一週間という条件付きで、各国首脳はカールソンに協力をする事を約束した。

 ホワイトハウスでは国民に向けてカールソンの緊急演説が、プレスルームにて行われる事になった。
 全米から召集された二百名程の報道陣や、マスコミ関係者で、プレスルームはざわめいている。予告のない召集で何の演説が行われるのかと、それぞれが予想しあっている。そしてカールソンの登場を今かと待ちわびていた。
「ルーベンス、例のメッセージの件に触れるのは問題あるんじゃないか?」
 カールソンは控え室のソファに身を沈めながら、演説原稿に目を通していた。真実に触れ過ぎている内容の原稿に戸惑っている。
「いやもう国民にハッキリと伝えるべきです」
 隣に立つルーベンスが強く進言した。
「そうかな・・・・・・」
 カールソンは不安そうな表情を浮かべて再び原稿に目を通した。
「大統領そろそろお時間です」
 女性秘書が控え室に顔を出してカールソンに告げた。
「よしいくか」
 カールソンは立ち上がり、隣室のプレスルームに入って行った。拍手と一斉に焚かれるストロボの嵐。デジタルカメラとテレビカメラの目が、カールソン一人に注がれた。
 カールソンは舞台に立つとテレビカメラに手を振り、愛想を振りまいた。しばらくして会場が水を打ったように静まり、カールソンの第一声に誰もが注目した。
「皆さんおはよう。ここ数日の世界の混乱は大変由々しき事です。東京に広島、長崎以来の核爆弾が投下されて、実に二千万人の人々が犠牲になりました。続いて超音速旅客機コンコルドが大西洋上で行方不明となり、ケネディ空港ではボーイング888の墜落という痛ましい事故が発生いたしました。未確認の情報ですが、日本の大阪で高速列車事故が発生し、多数の死傷者が出ているとの報告もあります。
 これらの事件は今から三日前に世界の先進国の首脳に送られてきた、ある人物からのメッセージが発端となっている可能性があります」
 カールソンのメッセージ発言で会場が響動めいた。騒然となる会場。カールソンは続けた。
「そのメッセージは世界のエネルギー消費量を現在の半分に減らさなければ、世界の主要都市に核攻撃をするという過激な内容でした。勿論私達は緊急で首脳会議を開催し、協議をいたしましたが、その時点での結論は悪質な悪戯と判断し、犯人を捕らえる為に先進国が一団となって捜査をするという事で意見の一致をみました。ところが犯人を捕らえる前に、あの東京の悲劇が発生してしまったのです。
 我々は犯人がコンピューターに残したメッセージの痕跡を調査する為に、HC2を所持する方を国連本部に緊急召集しました。その移動中に先般の事故が発生し、HC2の所持者と共に多くの犠牲者を出してしまったのです。
 犯人は故ローランド博士が制定して以来発生していなかったコンピューターネットワークを利用したハッキングを行い、世界を混乱に陥れようとしていると考えられます。
 犯人の脅迫が真実となった今、世界中でこれ以上の悲劇を繰り返す事は出来ません。その為に要求を呑み、我国のエネルギー消費を減らす努力をする必要があります」
 会場が混乱し騒がしくなって、カールソンが一時演説を止めた。
「皆さん大統領の演説が終了するまでは私語を慎んで下さい」
 ルーベンスが報道陣に対して厳しく言い放った。それでも止まない混乱に、
「静粛に!」と、声を張り上げた。
 ルーベンスの怒声に次第に静寂が戻ってきた。カールソンが様子を伺いながら演説を再開した。
「まず太陽光発電以外の発電所を全て停止いたします。そして二十二時から五時までは全ての電気の供給を停止いたします。個人の自動車の利用も禁止します。空調等の温度は二十度以下の使用を義務付けます」
 カールソンが条件を出す度に会場に衝撃が走った。"前世紀に逆戻りか"と、ヤジが飛び交った。
「皆さん止む終えないのです。そうしないと人類が滅びてしまうかも知れないのです」
「いつまでそんな生活をすればいいのですか?」
 記者の一人から質問が浴びせられた。しかしその答えを持たないカールソンは、苦慮して答える事が出来なかった。その為、益々辛辣な質問と、ヤジが飛び交った。
「明日五時より施行いたします。違反者は罰金、悪質な場合は逮捕も辞さないつもりです」
 カールソンはそう言うと、人々の罵声の嵐の中を逃げるようにして会場を後にした。大混乱の会場を警備員達が制圧する姿が全米中に生中継されている。
「俺だって何とか出来るならそうしたいよ」
 控え室に戻るなりカールソンはそう吐き捨てた。今や彼に同情する者はなく、彼に対する国民の信頼は完全に失墜していた。

 ポトマック川に太陽が沈み、ワシントン記念塔の影が長く消える時、棘の道の序章が始まった。しかしそれはCUBEにとっては勝利の始まりでもあった。
 人々はいつもと変わらぬ一日を繰り返そうとしていた。歯を磨き、食事を取り、家族に見送られて車で職場へ向かう。昨日のカールソンの大統領演説を覚えている者は少なかった。しかし路地を抜けて大通りに出た瞬間に、誰もがそれを思い出す事となった。
 男の目に飛び込んできたのは、車の大渋滞だった。ワシントンDCに住んで二十年、これ程の渋滞にお目に掛かった事は一度もない。見渡す限りの車の群。けたたましいホーンの音が鳴り響き、通りが車で埋め尽くされている。橋という橋には戦闘服や機銃を持った、完全武装の兵士と装甲車が立ち塞がり、交通を完全に遮断していた。
『本日から個人の車の使用を禁止する。直ちに帰宅し、外出は公共交通機関を利用する事!』
 拡声器を手に兵士ががなり立てている。
 この光景はワシントンDCだけではなく、ニューヨークでもシカゴでも同様の混乱が発生していた。全米のテレビが、その模様を実況で伝え、国民の不安を煽っていた。
「メロンこれを見ろよ」
 メロのアジトでソファに座り、テレビを見ながらレモンが言った。
「えらい騒ぎで、世界中がパニック状態だな」
 メロンはテレビ画面に釘付けになっている。
「これって例のメッセージを送ってきた奴の仕業か?」
「そんな事はないだろう」
 彼らはまだCUBEの力を何も知らなかった。
「メロン、こいつのメール番号を調べたんですが」
 テレビを見るメロンにアップルが話し掛けた。
「どうだった」
「それが、この番号はオーストラリアの番号なんですよ」
「オーストラリアだって」
 メロンは怪訝な顔付きをした。
「それも二ヶ月前に倒産した食肉加工会社なんです」
 アップルはどう説明すれば良いのか思案しかねている。
「それで」
「オーストラリアの同志に現地を調べてもらったんですが、工場は債権者に押さえられていて丸裸らしいですよ」
 アップルの困惑の表情は続いた。
「何もないという事か・・・・・・」
「ええ」
「不思議だなあ、それじゃ俺は一体誰にメールを送ったんだ?」
 不可解な出来事にメロンも悩み言葉をなくしてしまった。
「今、その誰かさんからメールが届いてますよ」
 ディスプレイを覗きながらピーチが言った。
「何だって」
 驚いた様にメロンは立ち上がってピーチの側に来ると、ディスプレイを覗き込んだ。目が画面に引き寄せられる。そこにはCUBEが調査したシャフナーの写真や履歴といったデータが送信されていた。
「こいつがロッド・シャフナーか・・・・・・」
 ディスプレイに映るシャフナーの写真を見ながらメロンが呟いた。
 メッセージの最後に"クリーブランドへ向かい、ランバートとシャフナーを始末する事"と、その場所を示した地図が残されていた。
「こいつ俺達に指図をしてるぜ」
 二人の後ろからメッセージを読んでいるレモンは憤慨した。
「ちょっと代われ」
 メロンがピーチと交代してコンピューターの前に座った。
「こいつの正体を暴いてやる」
 意気込みながらメロンはキーボードを叩いた。
"俺達はお前に指図はされない。お前は自分の立場をわきまえないと痛い目に遭うぞ"と、メッセージを作成した。
「こいつのメール番号へ送ってやる」
 そう言いCUBEのメール番号へメッセージを転送した。
「こいつが何て言って来るか楽しみだぜ」
 メロンは薄ら笑いを浮かべた。
 すぐにメッセージが返信されてきた事を告げる表示がディスプレイに現れた。
「おいもう来たぞ。こいつ四六時中コンピューターに向かっているのか?」
 メロンが呆れたように呟き、ファイルを開いた。そこに書き込まれているメッセージを見てメロンは驚嘆した。

"君達は大きな勘違いをしている。
 君達の行動は私に常に監視されているのだ。私から逃れる事はもう出来ない。
 これ以上私に反抗をすると警察組織に君達の居場所を明かす事になる。またその気になれば君達位は私の手で消し去る事は何も難しくはない。君達の運命は既に私に委ねられている事を忘れてはいけない"

 メッセージに添付されていたファイルを開いて彼らは愕然する事となった。そこにはメロンを始めとして、メロ組織の詳細なデータが満載されていた。これだけの情報をどうやって入手したのだろうか? 世界の警察組織がどれだけ掛かっても、これだけの情報を集める事は絶対に不可能だ。
「俺達はとんでもない奴と組んでしまったのかも知れない」
 メロンはCUBEの実力を初めて知って驚愕した。唇が小刻みに震えている。
「こいつ一体何者なんだ」
 レモンもぞっとしたまま立ちすくんでしまった。
 メロンが"お前は誰だ"と入力して転送した。数秒後に送られていたファイルを開くと、そこには
"私は神だ"と残されていた。
「神だと・・・・・・」
 狼狽してメロンの声が凍り付いた。
「こいつ気が狂っている」
 レモンは声を強ばらせた。
「残念だが俺達はこいつの手の中で弄ばれているんだ」
 恐怖を感じたメロンはソファに座り込むと、黙りこくったまま天井を見つめ大きな溜息を落とした。

 夜の十時を迎えて発電所が送電を全てストップする時がきた。車の使用が禁止されただけで、あれだけの混乱が発生している。電気がストップしたら一体どんな事が起こるのか誰にも予想出来なかった。いやこれから起こる事は誰も考えたくないのかも知れない。
 四方を無機質な制御機器に囲まれた発電所の制御室。職員が送電用のコンピューターに"停止"のコマンドを打ち込んだ。後ろで心配そうに見守る数人の職員の姿がある。
 送電が途絶えて、ニューヨークの街の明かりがブロンクス一帯、マンハッタン一帯と次々と消えていく。摩天楼の煌めきが消え、ニューヨークはあっという間に暗黒に包まれた。人々は家に逃げ込み、人の気配は街から既に消えている。
 しばらくの静寂の後、どこからともなく現れた暴徒の群が街を襲った。特に五番街はイナゴの大群に襲われたかのように商店やデパートのショーウィンドが割られ、盗賊達が我が物顔で略奪の限りを尽くしている。電気が通じず作動をしない警報機の赤い箱を、暴徒のバールがあざ笑うかのように次々と叩き壊していく。
 無法地帯と化した街を制圧する為に現れた軍隊目掛けて、火炎瓶の雨が降り注ぐ。通りは火の海と化した。ニューヨークの街の到る所でオレンジ色の炎が空を染めていく。
 狂ったように逃げまどう略奪者達を追って、警官と兵士が辺り構わず機銃を乱射した。その音と悲鳴が街中に響き、射殺された死体が街のあちこちに倒れている。
 同じく十時を迎えたワシントンDCでも同様に暴徒が略奪を起こしていた。
「大統領大変です!」
 ルーベンスが大統領執務室へ血相を変えて駆け込んできた。
「どうした大きな声を出して」
 先日からルーベンスの喚き声はもう聞き飽きた。カールソンは顔を顰めた。
「電気の送電を止めた東海岸地区の都市の至る所で暴動が発生しています」
「何だって?」
「テレビを付けてみて下さい」
 ルーベンスの言葉にカールソンは壁際に置かれたテレビのスイッチを入れた。その瞬間、炎に包まれたニューヨークの街が目に飛び込んで来て、画面に釘付けとなった。
『これは戦争です! 辺り一面火の海です。暴徒を制圧する為に軍隊が街を制圧しています。皆さんにも銃声が聞こえますでしょうか。逃げまどう人の悲鳴が響いています』
 興奮した女性キャスターの中継が続いていた。
 カールソンがチャンネルを切り換えた。同じような暴動のシーンが映し出されている。こちらはボストンからだ。リモコンを狂ったように押してチャンネルを変えても、どこの局も暴動の中継ばかりを伝えている。
「大統領どうされますか? 西海岸地区でも十時になれば電気を止めなければなりません」
 ルーベンスは声を震わせた。
 カールソンは目を閉じて考え込んだ。そして決断したように、
「戒厳令を発令しろ」と、言った。
「え?」
 思いも掛けないカールソンの言葉にルーベンスは耳を疑った。
「戒厳令だ。誰も家の外から出すな」
 今度はハッキリとカールソンは言い放った。
「戒厳令ですか・・・・・・」
 ルーベンスは戸惑い言葉を失った。
「大統領、自分でおっしゃっている事がお分かりですか? 我国で戒厳令はリンカーン以来、二百年近くも発令していないのですよ」
「分かっている。これで私はリンカーンと肩を並べる事になる」
 素っ気なくカールソンは言った。動揺するルーベンスとは対象的に、カールソンは表情を崩さず妙に落ち着いている。
「しかし・・・・・・」
 ルーベンスはまだ躊躇している。
「記者会見だよ。全米に中継する。外出を禁止し、軍と警察が協力して暴動を鎮圧する。違反者は逮捕し、反抗する者は殺しても構わん。とにかく鎮圧するのだ」
 カールソンは興奮し声を張り上げた。
「大統領、今の発言はここだけにして下さい・・・・・・」
 ルーベンスは暴走気味のカールソンを抑えるように言った。
 遂に吹っ切れてしまったカールソンに対して、ルーベンスは不安を感じずにはいられなかった。