第15章 第二要求(2) 車はリリアンのコンドミニアムに到着した。スロープを下って地下の駐車場に車を停止させると、リリアンの後に付いてランバートは地下のエレベーターに乗り込んだ。リリアンの部屋は最上階の二十階にあり、行き先ボタンを押すと扉が閉まってリニアモーターが音もなく、カゴを二十階まで運んでくれた。二十階に到着して扉が開くと、チーク材で覆われた壁の奥に、リリアンの部屋はあった。通路にドアが一つしかないところを見ると、この階は彼女の占有になっているようだ。彼女はやはり相当の金持ちらしい。
リリアンが扉脇の認識窓にHDカードを翳すと、ドアロックの外れる音がした。
「どうぞ」
ドアを開けてリリアンがランバートを室内へ手招きした。ランバートが部屋へ入ると、彼の動きを感知して部屋の明かりが灯った。迎賓館のようなルネサンス様式の調度品が眩しい輝きを放って、ランバートは息を飲んだ。
「母の趣味なのよ。こういう派手なのが」
リリアンは玄関脇のミケランジェロ風の裸像彫刻の頭を撫でながらそう言った。
案内された居間はルネサンス趣味が一層顕著に表れていた。
「座っててね。私着替えるから」
そう言うとリリアンは寝室の方へ行ってしまった。
ランバートは一人ソファに座り、周りを見渡しながら彼女が現れるのを待っていた。広い居間の壁に掛かった中世の絵画を見ていると、本当にこんな大金持ちが自分のような者を助けてくれるのだろうかと、益々不安に思えてきた。
リリアンが着替えを済ませて居間へ戻ってきた。ラフなブラウスとジーンズ姿の彼女は、さっきまでの金持ち女の嫌味さは微塵もなく、清楚なお嬢様のイメージに変わっていた。ランバートは少しだけ安心した。ふと見ると金の十字架のネックレスだけは、まだ身に付けている。肌身離さず、余程大切な物なのだろう。
「あなたの言う事を信じる気にはなれないけれど、家へ帰る事が出来ない理由が何か他にあるのでしょう。今日はここに泊まっていきなさい」
リリアンの優しい気遣いが、ランバートは嬉しかった。どうあれ今日のところはここに泊めてもらえる。後の事はこれから考えれば良い事だ。
「客人用の寝室があるから、そちらで休んで下さい。でも変な気を起こさないでね。ここは警備が厳重ですから、すぐに捕まりますよ」
リリアンはきつい事を言う時も、その口調は品が良かった。勿論ランバートには、今日変な事をするような心の余裕などなかった。でも彼女が警戒する気持ちはとても良く理解出来る。
リリアンに寝室へ案内されてベッドに横たわると、張りつめた緊張が解けて急に睡魔が襲ってきた。ランバートは上着と靴を脱ぎ捨てると、そのままベッドに潜り込んだ。温かいベッドの中で、すぐに心地良い眠りへ吸い込まれていった。
次にランバートが目を覚ましたのは、耳元で自分の名を呼ぶリリアンの声でだった。
「ランバート、早く起きて」
リリアンは何度もそう言い、ランバートの体を揺すった。
「起きるよ・・・・・・」
ランバートは気持ちの良い微睡みの中で呟いた。
「あなたの言う事を信じるわ」
何が起きたのか分からないが、リリアンはそう言った。
「あ、そう有り難う・・・・・・」
ランバートはまだ微睡みの中だ。呆れたリリアンはシーツを引っ張って、ランバートの体を無理矢理ベッドから引きずり降ろした。ランバートは床に転げ落ちて起きざる得なくなった。
「あなたってこんなに寝起きが悪いの?」
ぼんやりと床に座って眠そうに目を擦るランバートを見て、リリアンは腕を組んだまま呆れ返った。
「早くテレビを見て」
リリアンは寝ぼけ眼のランバートを居間へ連れて行った。そしてテレビの前に無理矢理座らさせた。画面に映るニュースを見て、ランバートの眠気は一気に吹き飛んだ。そこには航空機事故の凄まじい惨状が映し出されていたのだ。
『ケネディ空港に墜落したボーイング888には乗員、乗客は、ほぼ満席の四百八十二名が搭乗していたそうです。猛烈な炎と煙で消火活動もままらならず、今のところ残念ながら生存者は絶望的な状況です』
テレビの中でリポーターが悲壮な表情をして伝え続けている。
「何てこった・・・・・・」
ランバートはこの惨状に驚愕した。
『搭乗者名簿の中にはフランスのソルボンヌ大学に勤務するジャン・ポール・ベッソン教授の名前が登録されているという情報があります』
「何! ベッソン教授が・・・・・・」
ランバートは思わず声を張り上げてしまった。
『ベッソン教授はHC2を所持するフランスの物理学者で、数年前のノーベル賞の受賞者でもあります・・・・・・』
リポーターのベッソン教授を紹介するナレーションも、混乱するランバートの耳には届かなかった。
「あなたが言っていた通りの事が起こったわね」
呆然とするランバートの隣にリリアンは座った。
『今届いた情報です。未確認ですがロンドンからニューヨークへ向かっていたスーパーソニック3が、大西洋上で行方不明になっている模様です。現在乗員、乗客百十二名の安否が気遣われています。またこの機にもHC2を所持するイギリスのケンブリッジ大学のリンダ・ホーブル教授が搭乗しているという情報があります』
ランバートはがっくりと肩を落とした。自分が考えていた通りの事が現実に起こってしまったのだ。敵の無差別殺人が始まった。奴に掛かったらいずれHC2は全滅されてしまうだろう。瞳を閉じて頭を垂れるランバートの肩をリリアンが優しく抱きしめた。
「ここにいても奴に見つかるのは時間の問題だ・・・・・・」
そう考えるとランバートは絶望的な気持ちになった。
「ねえ逃げましょうよ。大丈夫私が守るわ」
今まで誰からもお荷物にされてきたリリアンが、初めて自分から決意をした瞬間だった。目の前に自分を頼りにしてくれる人がいる。そう考えるとリリアンは不思議と使命感が湧いてきた。
「駄目だ、これ以上君に迷惑は掛けられない」
ランバートにはリリアンの言葉は有り難くて心に染みたが、これは遊びではない。相手は自分を殺そうとしているのだ。今まではリリアンに助けてもらうつもりでいたが、現実に事件が起こってしまっては、これ以上迷惑は掛けられない。自分に関わると彼女の命さえも危なくなる。宛てはなかったが、ランバートはここを出て行く気持ちになっていた。
「あなたは世界にとって重要な人なのよ。あなたが私を頼って来てくれたのは、きっと神様のお導きなの。私は神様に代わってあなたを守らなければならないのよ」
敬虔なカトリック教徒のリリアンは、今や誰よりも強い使命感を持ち始めていた。
「有り難う。でもどこへ?」
ランバートは問い掛けた。
「クリーブランドに別荘があるの。そこなら大丈夫よ。警備もしっかりしているし」
リリアンの決意はとても固そうに見えた。彼女の提案に乗って大丈夫だろうかと内心不安だったが、他に方法がない。ランバートはその有り難い申し入れを受け入れる事にした。ランバートは彼女のBMWに乗り、急いでクリーブランドの別荘へ向かった。自分はアパートを出てから一度もコンピューターに接触していない。今のところ敵に自分の居場所を探れる情報は何一つ与えていないはずだ。ただ自分とリリアンの接点を敵が導き出せるかどうかが問題だ。それさえなければこのまま逃げ通せるかも知れない。ランバートは僅かな希望を抱いた。
ランバートはクリーブランドへの道中、車内テレビで、ニューヨーク大学のカール・ニルソン教授が、自動車事故で死亡した事を知った。多分日本の高峯教授も既に片付けられているだろう。HC2を所持しているのは早くも自分一人だけになってしまった。敵はどんな手を使ってでも自分を探し出そうとするだろう。ランバートはそれを考えただけで、恐ろしくて溜まらなかった。
ボストンからクリーブランドまでは七○○キロ以上の距離がある。自動運転であっても狭い車内ではとても疲れる。二人は途中何回も休憩を取りながら道を進めた。休憩を取る時も気を抜かず、なるべく目立たないように振る舞った。長い道中、二人の間に使命感はあっても特別な感情は芽生えてなかった。それでも少しずつその距離が縮まって来ている事を、その時の二人はまだ気付いていなかった。
ランバートはクリーブランドへ向かう途中のエリー湖を黄金色に染めた夕陽の美しさを忘れないだろう。
「綺麗ね・・・・・・」
リリアンが囁いた。ランバートも共感して小さく頷いた。
湖畔に車を止め、夕陽が反射して黄金色に輝く水面を眺めていると、心が洗われるような気持ちになる。陽が沈んでから活動を始める現在の生活では、夕陽を見る事などは皆無だ。本来人間はこういった美しい自然に触れることで多くのことを体験して学び、その中で成長するものだろう。それが今や科学の異常な進歩によって自然破壊が進み、生活サイクルは無理矢理変えられ、風景さえもコンピューターによって作成されている。ランバートは本物の美しい風景を前に、ムービーメーカーとして仮想風景を制作している自分が空しくなってきた。
車が目指す別荘に到着した時には、既に零時を過ぎていた。別荘はクリーブランドの先、ユークリッドという小さな町から、さらに山奥へ入った場所にあった。この辺りでは紫外線の問題が少ないのか、それとも無視をしているのか分からないが、夜眠り、昼活動するというかつての生活サイクルを守っていてランバートを驚かせた。
管理人のジェームスという老人と、妻のサリーが屋敷の離れから現れて出迎えてくれた。リリアンとは久しぶりに会ったのか、旧友に会うかのような歓待振りだ。その反対にどこの馬の骨か分からぬランバートには、冷ややかな視線を投げ掛けてくれた。もっとも豪邸に似つかわしくないジーンズとボロコートに、ディパッグ姿では止む終えまい。
リリアンの屋敷は驚くばかりの規模だった。玄関ホールだけでもランバートの部屋以上の広さがある。部屋数も二階建ての屋敷全部で二十室は越えているだろう。それぞれの部屋はとても広く、清潔に保たれている。この状態を維持するには、掃除だけでも大変な重労働を要する事は容易に想像出来る。
室内は玄関から中央に階段があり、その上には中二階用のバルコニーがコの字型に設けられている。ランバートはジェームスに案内されて二階の突き当たりの寝室へ連れて行かれた。その間もジェームスは不審な視線をランバートに投げ掛けたままだ。案内された部屋は客人用の寝室だった。昨晩のリリアンのコンドミニアムの寝室よりもまだ広く、ソファやバス、トイレまで各室に備わっている。
ランバートは寝室のダブルベッドにディバッグを投げ捨てると、その上で大文字になった。それでもまだベッドには充分余裕がある。
環境が変わった事と緊張から、今晩はしばらく眠れそうになさそうだ。ランバートは軽くシャワーを浴びて、ベッドで横になったままテレビを見る事にした。どのチャンネルもケネディ空港でのボーイング888の墜落事故をメインに取り上げている。ニュースの中で、スーパーソニック3の残骸が、バミューダー沖で発見されたと速報のテロップが画面に流れてきた。やはりホーブル博士もやられたか・・・・・・。博士達とは一度も面識はなかったが、同じHC2を持つ者同士、他人とは思えない。不確定情報だったが、日本の大阪で列車事故があり二千人以上が死亡したという情報が続けて流された。その中に高峯教授の名前がある事をランバートは知った。もう本当に自分だけになってしまった・・・・・・。心細さが急に襲ってきて、思わず瞳から涙がこぼれて頬を伝った。
その時、入口のドアをノックする音がした。鍵を掛けてなかったドアが音もなく開き、そこに立っていたのはリリアンだった。
「入っていい?」
リリアンは尋ねた。
「ああ」
ランバートは涙に気付かれないように顔を背けながら頷いた。
「テレビ見ていたの、あなたの言っていた通りにHC2を持っていた人が皆死んでしまったのね」
リリアンはランバートの隣に座った。頬の涙を拭ったランバートをリリアンは見逃さなかった。
「辛いでしょうね。私だったら耐えられるかどうか分からないわ」
労るようにリリアンはランバートの髪を撫でた。
「聞いていい」
「何を?」
「どうしてあなたがHC2を持っているのかを」
真剣な顔をしてリリアンは尋ねた。
「何故そんな事を?」
「あなたのような若い人がHC2を持っているって不自然だと思っていたの。だって他のHC2を持っている人は皆年輩の教授様ばかりでしょう。何か理由があるような気がして」
リリアンはとても賢い女性なのかも知れない。確かにランバートのような年齢の者がHC2に合格する事は、実際不可能なのだ。HC2は一種の名誉賞のような物で、普通の人が持ちたくても持てる物ではないのだ。
「君はアルフレッド・ローランド博士を知っているかい」
ランバートはゆっくりと話し始めた。この際彼女が疑問に感じている事は何もかも話しておきたかった。
「ええ勿論、先日お亡くなりになったわね」
「実は博士は僕の恩師でね。博士は今回のようなコンピューター反乱を以前から予想していたんだ。それで自分がいなくなっても大丈夫なように、自分以外の者にどうしてもHC1を取得させようとしたんだ。その候補として何故か僕が選ばれた。博士はなるべく若い人に取らせたかったんだね。僕は大変な猛特訓の末、HC2まで受かる事は出来たんだけれども・・・・・・」
「でもHC1は受からなかった」
「そう、政府がHC1の所持を認めていないからね」
「もし博士以外の人がHC1を持っていたら、この事件は起こらなかったかも知れないわね」
残念そうな顔をしてリリアンが呟いた。
「良い物を見せてあげるよ」
ランバートはジーンズのポケットからメモリーカードを取り出した。
「何これ?」
リリアンは不思議そうな表情をして尋ねた。
「これはただのメモリーカードじゃない。この中のデータをクリエイト協会のコンピューターに転送すると、僕はハイクリエイトワンに認定されるんだ」
「え? ハイクリエイトワン・・・・・・」
リリアンは冗談だと思っているのか、まだ戸惑ったような顔をして首を傾げた。
「この中にHC1のデータが入っているんだよ」
「そんな事って・・・・・・」
呆然としてリリアンの唇が震えた。
「僕はHC1の試験に合格したんだよ。でも政府がそれを認めず、博士の手で無理矢理抹消させられた。でも博士は抹消する前にデータを別の場所にコピーしていたんだ」
「そんな事信じられないわ。もしそれが事実だとしたら、あなたはコンピューターの神ってわけなの」
「それは大袈裟だけれど」
「それじゃすぐにこのデータを転送しましょうよ」
リリアンの声は急に弾んだ。
「駄目だよ。そんな事をしたら僕がここにいる事が敵に知られてしまうじゃないか」
「それじゃどうすればいいの?」
「敵と戦う時の最後の切り札にするのさ。奴がどこにいるのか分からない今は、まだ使えない」
「分かったわ」
納得したようにリリアンは呟き、十字架のネックレスを首から外した。そしてランバートの手からメモリーカードを受け取ると、プロテクト用の穴に通した。ランバートには彼女が何をしているのか分からなかったが、その指先をただじっと見つめた。
「そんなに大切な物なら肌身離さずいつも持っていなくちゃね」
リリアンはネックレスをランバートの首に掛けた。金色に光り輝く十字架に掛けられた人間の神と、コンピューターの神が、ネックレスの上で一つになり、ランバートの胸にぶら下がってゆらりと揺れた。
「これは君の大切なネックレスだろう」
「いいの、これで私の神様があなたを守ってくれるわ」
リリアンはそう言うと、まだ涙が乾ききらないランバートの瞳を凝視した。そして彼女は瞳を閉じて彼に近づくと、二人の唇はそっと重なった。僅かな瞬間リリアンの香りがランバートを包み込んだ。
「ご免・・・・・・」
動揺を隠しきれないランバートは、はにかみながら謝った。
「どうしてあなたが謝るのよ」
瞳を開いたリリアンが吹き出して笑った。
「でも・・・・・・」
恥ずかしそうにランバートの顔は紅潮している。膝を着いたリリアンの両足が、ランバートの体を跨いで馬乗りになった。その大胆さにランバートの胸は高鳴った。
「あなたの好きな恋愛映画は?」
リリアンがランバートの顔を見つめて尋ねた。
「ローマの休日」ランバートは答えた。
「風と共に去りぬ」リリアンの顔が近づく。
「カサブランカ」ランバートが呟いた。
「アニー・ホール」リリアンの顔がさらに近づく。
「タイタニック」ランバートとリリアンの目が合う。
「ロミオとジュリエット・・・・・・」
リリアンの唇がランバートの唇と重なり、彼に抱きついた。
堰を切ったようにランバートは彼女の体を抱きしめた。二人は激しく唇を重ね合い、強くつよく互いを確かめるように抱き合った。二人は長い時を彷徨っていたかのように、その堆積された時間を崩して、貪るように互いを求めあった。
隣で安らかな寝息を立てるリリアンの柔らかな体に触れながら、ランバートはつかの間の安堵感を味わっていた。窓から射し込む月光が、柔らかく二人を包み込んでいる。温かな安心感を確かめるようにランバートは瞳を閉じ、深い眠りに落ちて行った。翌日二人は朝早くから太陽の下へと繰り出した。広い庭の芝生の上で、ランバートとリリアンは追いかけっこをして、無邪気にはしゃいだ。庭師仕事をするジェームスとサリーが目を細めながら二人を眺めている。この辺りでは、かつての生活のように陽が昇って一日が始まり、陽が沈んで一日が終わる。こんな当たり前の生活が、こんなに素敵な事である事をランバートは初めて知った。
「もう僕はどこにも行かない、ここで君と暮らしたい」
リリアンを後ろから抱きしめながらランバートは耳元で囁いた。
「私もそうしたいわ」
首を回しながら二人は短いキスをした。
「ここは私が一番好きな場所なの。私が死ぬ時はここであなたに抱かれたまま逝きたいわ」
リリアンが真っ直ぐランバートの瞳を見ながらそう言った。
「馬鹿な事を言わないの、僕が死ぬ時こそ君に抱かれていたいよ」
ランバートの言葉にリリアンは表情を崩して笑った。
二人は芝生を走り回った。リリアンの麦わら帽子をフリスビーのように放り投げてはそれを追った。
「面白い物を見せてあげるわ」
リリアンは敷地の脇に建つ大きなガレージへランバートを案内した。白色の平屋建てのガレージの入口扉を開ける為に、リリアンがテンキーで暗証鍵に暗証番号を入力している。
「この番号ってパパの誕生日なのよね」
リリアンは言いながらボタンを押した。ランバートは後ろからたどたどしくボタンを押す彼女の細い指先を見ていた。881012。"六十五歳か、結構歳を取っているなあ"と、ランバートは彼女の父親の年齢を暗算した。ガチャッと音がしてガレージのドアロックが外れた。中に入るとひんやりとした空気が漂い、自動的に室内照明が点灯した。広いガレージには写真でしか見た事のないような、二十世紀の名車達が納められていた。その台数は三十台はゆうに越えている。良くこれだけ集められたものだ。
「パパは二十世紀文化の信仰者なのよ。車だけじゃなく、銃やカメラ、時計とかをコレクションしているの」
ランバートはじっくりと一台ずつ車を眺めた。真紅のフェラーリ、銀色のポルシェ、深緑のアストンマーチン、黒色のコルベットなど、光り輝くボディは最高のコンディションを保っている。
「これって動かせるの?」
ランバートは尋ねた。
「動くわ。走ってこそ車だってパパは言うのよ」
「でもこの時代の内燃機関はガソリンだろう。石油はもうないし、燃料はどうしてるの?」
「メタノールで走るように改造してあるんだって、詳しい事は知らないけれど、少し部品を変えるだけで改造出来るんですって。パパには専属の整備士の人がいるのよ」
「これがみんな動くなんて凄い!」
ランバートは感心した。
「パパはここの車で山道を走らせる事をとても楽しみにしてるの。でもママと別れてからここに足を運ぶ事もなくなってしまったわ。この子達も寂しがっているんじゃないかしら」
車をこの子と、リリアンは呼んで、ふと寂しげな表情を見せた。その姿が愛らしくって、ランバートは思わず彼女を引き寄せると、そっと抱きしめた。
「大丈夫、運転を習って僕が走らせるよ」
「難しいらしいわよ。自動運転は効かないから」
「そりゃキツいなあ」
ランバートが頭を掻いた。リリアンはそんな彼を見上げてプッと吹き出した。
幸せだったこの短い時は、ランバートにとって生涯で一番安らぎを感じた瞬間だった。なのにどうして奴らは、僕達を引き裂いたのだ! 何故こんな目に遭わなければならない! 全て僕がハイクリエイトワンを持っているからか。こんな物は誰にでもくれてやる、だから彼女を返してくれ! ランバートは夢の中で叫んだ。彼の脳裏には、最期のリリアンの姿が浮かんでいた。自分に突き付けられた銃口。スローモーションのように駆けて来る彼女。リリアンの唇が何かを叫んでいたが耳に入らなかった。聞こえたのは一発の銃声だけだった。バン! という大きな銃声と、飛び散った血の色。その真っ赤な血がランバートの記憶の全てを染めていく。
ランバートはうなされたように目を覚ました。車の排気音と路面のタイヤノイズが、彼を現実に引き戻した。
「酷い路面のギャップに乗ったからなあ、起こしちまったか」
シャフナーがすまなさそうに言った。ランバートは夢の最後の出来事にまだ動揺して息が荒かった。
「もう朝なんだ」
ランバートが周りを見渡すと、既に太陽が昇って辺りは明るかった。
「ああ、もう九時だ」
「もうそんな時間」
ランバートはそんなに眠っていたとは知らず面食らった。
「良く寝ていたからな」
「ご免」
運転をシャフナーに任せたまま眠ってしまった事をランバートは済まなく感じた。
「いいよ。ただこの車そろそろ燃料が切れそうなんだ」
シャフナーが燃料系を指さすと、針はEを示していた。
「メタノールでいいって聞いているけれども」
「燃料が切れる前にスタンドが見つかるといいけどなあ」
心配そうにシャフナーが呟いた。
コルベットは美しいエリー湖を横目に走り抜けて行く。水面に反射する太陽の光が辺りを虹色に輝かせていた。