第16章 接 触(1) 荒野を突き抜ける表面の傷んだ国道脇に、小さなメタノールスタンドがぽつりと建っている。給油機は一台しかなく、木で出来た事務所は所々腐食して大きな穴を開けている。営業しているのかどうか疑わしいが、それでも"営業中"と書かれたペンキの剥げた看板が、風にゆらゆらと揺れている。
砂垢にまみれたコルベットが、その看板に惹かれるようにスタンドに入って来て停車した。V8の腹を震わせるエンジン音が切れると、ドアが開きシャフナーとランバートの煤けた靴が、赤土を踏みしめた。
「ここは潰れているんじゃないの?」
ランバートは朽ち果ててしまいそうな店を見上げて、不安そうな表顔をした。
シャフナーが事務所の方へ行き、ドアを開けようとするが、鍵が掛かっていて開かない。中を覗いてみても薄暗い室内に人の気配はなかった。
「ちえ、ついてないなあ潰れてやがる」
シャフナーは残念そうに舌打ちをした。
「どうする?」
「どうもこうも、もう燃料ないんだぜ」
シャフナーが、悔しそうに足で砂を掻き上げた。赤土が舞い上がって無情にも風に流れて行く。
「少しぐらいなら機械の中にメタノールが残っているんじゃないか?」
ランバートが言った。
「そうだな、こうなったら機械をぶっ壊してでも残ってる燃料を絞り出すか」
シャフナーは乱暴に給油機のホースを取り外すと、コルベットの給油口に差し込もうとした。
「この車の給油口はどうやって開けるんだ?」
給油口の蓋が閉じられているのに気付き、シャフナーはホースを持ったままで固まった。外に鍵穴はなく開きそうもない。
「どこかにスイッチでもあるんじゃないか?」
ランバートが運転席に顔を突っ込み、周りのボタンやツマミを押したり引いたりしている。何をしたのか分からないが、運良く給油口がパカンと音を立てて開いた。
「ほら開いたよ」
シャフナーは給油蓋を回して外し、ノズルを差し込もうとした。しかしノズルの先端が若干大きくて差し込めない。無理矢理入れようとしても入らない。ランバートも手伝って二人で押し込むが、どうしても駄目だ。
「おい、お前ら何してる!」
突然背後から男の罵声が響いた。
驚いて二人が声の方を振り返ると、拳銃を向ける小柄な男の姿が目に入った。シャフナーは思わずノズルから手を離して両手を上げた。地面にノズルが落ちて細かな砂塵を上げる。ランバートも男の危険な雰囲気に怯えて、ゆっくりと両手を上げた。
「怪しい者じゃない」
シャフナーは男を落ち着かせるように言った。
ヒッピーのような長髪に髭、薄汚れたデニムのシャツにジーンズ、男は追い剥ぎのような容姿をしている。シャフナーは隙があれば、反撃をしようと、ズボンに差し込んだベレッタをちらりと見た。
「何が怪しい者じゃないだ。こんな変な車に乗って来やがって!」
男は拳銃を向け、二人を鋭い眼光で睨み付けたまま歩いてきた。
「六八年製シボレーコルベットスティングレーか」
男は車を横目で見ると呟いた。どうも車には詳しそうだ。
「お前ら、こんなクラシックカーをどこで盗んできたんだ?」
男がシャフナーの鼻先に銃口を突き付けた。
「話せば長くなる・・・・・・」
鼻先で銃口をちらつかされてはシャフナーもまともに声を出せない。小刻みに声が震えている。
「どうせ戒厳令に乗じてどこかで盗んできたんだろう」
男は二人を泥棒と思い込んでいるようだ。
「僕達は盗人じゃない。燃料が必要なだけなんだ」
ランバートが言った。シャフナーがよせと、目で合図している。
男はむっとした表情でランバートの方へ歩いて行くと、今度は彼の鼻先に銃口を突き付けた。
「何をしらじらしい嘘を言いやがるんだ。警察にすぐ突き出してやりたいが、残念な事に今は戒厳令とやらで警察は来てくれねえんだよ」
男はランバートの耳元でだみ声を出した。
「一応私はその警察なんですが」
シャフナーが気遣うように丁寧な口調で男に言った。
「ふざけた事言うんじゃない!」
男は凄みの効いた声で怒鳴り、シャフナーに銃口を向けた。男の目は据わっている。びびったシャフナーは両手を一段と高く上げた。
「俺の胸のポケットに身分証明書がある」
シャフナーは指で胸を指さした。
男はシャフナーの顔に銃口を向けたまま、シャツの胸ポケットからパスケースを取り上げた。ケースを開くと、そこには合衆国政府発行のシークレット・サービスのバッジが輝いている。
「シークレット・サービスだって」
男は疑わしそうにバッジをまじまじと見た。
「そう俺がそのシークレットサービスって奴」
「お前こんな物どこで拾ってきた?」
男は頭からバッジを偽物と決めつけて、シャフナーを全く信用していない。
「拾ってなんか来ないよ。それは本物だ」
男が信じてくれないので、シャフナーは非常に困った。その間も男はじっとシャフナーに銃口を突き付けながら、彼の目を睨み続けている。何を思ったか男はケースをたたむと、パスケースをシャフナーに返した。
「いいだろう、信じてやるよ」
男はそう言うと、シャフナーに銃口を向けたまま、彼の腰のベレッタを抜き取った。その拳銃で撃たれるのかと、シャフナーは一瞬ドキッとして身構えた。
「その代わりこれは預かっておく」
男はようやく銃口を二人から避けた。ふうと安堵の溜息を吐いて、二人は両手を降ろした。
「こんな古い車には給油出来ないぜ」
男はぶっきら棒に言い、コルベットのタイヤを蹴り飛ばした。
「どうして?」
シャフナーが尋ねた。
「誰でも分かるだろう。給油口の形が違うんだよ。今の車は圧力を掛けて燃料を補給するが、こいつは圧なんか掛けない。ノズルを変えなきゃ補給出来ないよ」
強い風と砂塵を顔に受けながら男は言った。男の長髪が風に舞い上がり、首筋に金色のHDIの端子が光ったのを、ランバートは見逃さなかった。
「HDI・・・・・・」
それを見た瞬間、ランバートの脳裏にある考えが浮かんだ。
「困ったなあ、燃料が入らなきゃどこへも行けないぞ。どうする?」
シャフナーは腕を組み考え込んでしまった。
「あの人ハイクリエイトを持っているんだ」
「はあ? 何言い出すんだ。そんな事より、車に燃料を入れる方法を考えろよ」
シャフナーは顔を上げたが、燃料の事を考えていてランバートの言葉など相手にしなかった。
「いや間違いないあの人はハイクリエイトを持っている」
尚もランバートが言うので、仕方なくシャフナーは彼の方を向いた。
「馬鹿かか、こんな田舎のスタンドの親父がハイクリエイトなんか持っているわけないだろう」
シャフナーは男に聞かれないようにランバートの耳元で囁いた。
「ちょっと、あなたはハイクリエイトを持ってられますね」
シャフナーの心配をよそに、ランバートは男に向かって大声で尋ねた。
「おいおい、よせよ」
シャフナーは男の気を損ねるのではないかと思い、ランバートを制止しようとした。
「そんな物、俺は持ってないよ」
男はランバートを無視するように言い張った。
「それじゃその首筋にある物は何ですか」
ランバートは男の正面に立って、しつこく質問した。
「うるさいガキだなあ。これは肩こりの貼り薬だよ」
「いやあなたはハイクリエイトの資格を持っている」
ランバートが余りにもしつこく付きまとうので、男は堪らず事務所へ逃げ込んだ。ランバートも続いて事務所へ乗り込み、男の進路を塞ぐように立ってしつこく問いただした。
「分かった、分かった。お前の言う通り俺はハイクリエイトを持っているよ。だからどうだって言うんだ、お前には関係ないだろう!」
ランバートのしつこさに耐えかねて男は白状した。
「いえ大ありです」
ランバートはこれで考えていた計画が実行出来るかも知れないと思い、目を輝かせた。
「ランバート、何が大ありなんだよ」
事務所の入口に立ったままのシャフナーが、不思議そうな顔をして尋ねた。
「うまくいけば敵の居場所を探し出せるかも知れない」
「敵って誰だ?」
敵というランバートの言葉が引っかかり、男は急に興味を示したような真剣な眼差しになった。
「暴走しているコンピューターです」
ランバートは男を真っ直ぐに見て真顔で答えた。
「馬鹿か・・・・・・」
男の眼差しが見る間に崩れて呆れ顔に変わり、ランバートを相手にするのを止めた。
「お願いです手伝って下さい」
男の興味が伏せたのを悟り、ランバートは男に立ち塞がって必死に懇願した。
「嫌だよ。俺は変な事には関わりあいになりたくないんだ」
男は拒否をして、ランバートから逃げるように事務所の中を彷徨った。それでも尚もしつこくランバートは男に付きまとった。
「ただネットに接続するだけでいいんです。その位ならお願い出来るでしょう」
「嫌だね」
男は頑なに拒否をし続けた。
「どうして? 何故そんな簡単な事を拒むのですか?」
余りに頑なに拒否する男が気になり、ランバートは尋ねてみた。
「俺はこれでもシカゴで一流の証券会社に勤めていたんだ。でも疲れたんだよ、コンピューターに使われる事に。俺は太陽が昇って生活を始め、太陽が沈んで眠りたいんだ。紫外線が何だ。皮膚癌で死のうとも、俺にはこの生活が向いているんだよ。もう都会の生活は懲り懲りだ! ハイクリエイトなんて俺はもう捨てたんだ」
男は興奮したように顔を強ばらせて、ランバートを睨み付けた。言葉を吐いた後の陰鬱な表情には、かつての彼の辛い過去が滲み出ていたように思えた。
「別にあなたを都会へ連れて行くわけじゃないんです。世界を救う為に、もう一度だけハイクリエイトを使って下さい。お願いします」
ランバートはすがるように懇願して深く頭を下げた。その執拗さにはシャフナーも戸惑った。
「手を貸したら大統領から感謝状が出るぜ。賞金も出るかも知れない」
シャフナーが助け船を出した。ランバートはその方法があったかと、シャフナーを見るとニヤリと笑みを浮かべた。
「本当か?」
賞金と聞いて男の態度が変わった。シャフナーを見ると大きく頷いている。この男の信念は、結局僅かの金で崩れる程の薄っぺらな物らしい。
「そこまで言われたら仕方ないなあ。でも俺は今仕事が忙しいからなあ」
思わせ振りをするように男は髭を撫でた。
「客なんかどこにもいないだろう!」
ランバートとシャフナーが、呆れたように同時に叫んだ。
「ハッキリ言う奴らだなあ・・・・・・」
男の声が小さくなった。そして、
「分かったよ、分かった。やりゃいいんだろう」
とぼやき、男は降参したように両手を上げて見せた。
「有り難う御座います」
ランバートは嬉しそう微笑み、男に手を差し出した。
「僕はウィリアム・ランバートです。よろしく」
ランバートは男の手を握った。
「俺はマーチン・ムーアだ」
男が自己紹介した。
「俺はロッド・シャフナーだ。頼んだぜ」
シャフナーはそう言いながら、事務所の中に入ってきた。
「賞金の件、本当だろうな」
男はその事が何よりも気になるらしい。
「大丈夫だ。俺は大統領直轄のシークレットサービスだから礼状を書いてやるよ」
シャフナーが男の肩を叩くと、男は安心したように微笑んだ。
外観同様に古びた室内は、カビの生えたようなすえた臭いがする。部屋の真ん中に木製のテーブルとレジスター、それと隅に時代物のコーラの自動販売機が置いてある。
レジ用のコンピューターが、テーブル端で埃を被っていた。ランバートは積もった埃を払うと、使えるかどうか確認をしてみた。
「このコンピューターはメタノール会社と繋がっている。燃料が少なくなると、補給に来てくれるんだ」
ムーアがランバートに向かって言った。
コンピューターの有機ディスプレイがくすんでいるので、ランバートは側のタオルを取って擦った。べっとりとした汚れが付着して真っ黒になった。酷い汚れ方だ。一体どれ位の期間使ってなかったのだろうか? ランバートは力一杯コンピューターを磨き出した。
「ところでこちらさんは何者なんだ」
ランバートの存在が気になってムーアは尋ねた。
「聞いて驚くぞ、彼はこの若さでHC2を持っているんだ」
シャフナーはムーアが驚くと思ったが、その反対に彼は妙な顔をしたまま、黙り込んでしまった。ううんと唸るムーアを見てシャフナーは不安になった。彼は急にどうしてしまったのだろうか?
「そうか思い出したぞ、ウィリアム・ランバートって名前を」
ムーアは突然思い出したように掌を叩いた。
「史上最年少でHC2に受かったって奴がいるって、俺がまだシカゴにいた頃に会社で話題になった事がある。しかしこんな場所で本人に会えるとはなあ」
感慨深そうにムーアはランバートをじっと見つめた。
「今でもまだ若いだろう」
「ええ二十八歳です」
コンピューターを磨く手を休めてランバートは振り向いた。
「凄いなあ、俺は三十過ぎにやっとHC5を取ったんだぞ」
ムーアは感心して首を左右に揺すった。
「相当古いけれども、何とか使えそうだよ」
ランバートはコンピューターを磨き終えて汚れたタオルを脇に置くと、コンピューターのスイッチを入れた。微かなファンの音と共に本体が目覚め出した。ディスプレイがぼんやりと明るくなってくる。
「本当にこれメタノール会社と繋がっていたの? 今初めて電源が入ったみたいだけれども」
ランバートはムーアが言った言葉に疑問の目を投げ掛けた。
「そうか? 道理で会社から連絡がないと思ったんだ。これから電源を入れっぱなしにしておくよ」
ランバートに本当の事を見破られて、ムーアは困ったように頭を掻いた。
「それで俺は何をすればいいんだ?」
話を逸らすようにムーアは言いながら、ランバートの向かいの椅子を逆向きにすると、跨ぎながら腰を降ろした。
「このコンピューターでは性能が不足しているから、まず国立図書館のコンピューターに接続して、それを介して奴の居場所を探そう」
「つまりこのコンピューターをプレコンピューターとして使うわけか」
ムーアにはランバートが行おうとしている事が、すぐに理解出来たようだ。
「うん、そうでもしないとこのコンピューターの性能ではとても仕事にならないから」
「分かった。それで」
ムーアは椅子の背もたれにしがみついたまま尋ねた。
「ムーアさんには国立図書館のコンピューターに接続してもらいたいんだ」
「いいよ、その位ならお安いご用だ」
「接続出来たら僕と交代をする。そうすれば奴には、僕が国立図書館のコンピューターを直接操作しているように認識されて、ここで操作している事は分からない」
「何故ここにいる事を知られたくない?」
怪訝そうな顔をしてムーアが尋ねた。
「敵はHC2を狙っているんだよ。もう彼以外のHC2は皆殺された」
シャフナーが説明した。
「ああ知ってる、テレビで言っていたよ」
ムーアは思い出したように大きく頷いた。
「まあややこしい事は聞かずに、早速やってみるか」
ムーアは椅子から立ち上がると、ランバートの隣へいきコンピューターを操作し始めた。
「ネットに繋ぐのは本当に久しぶりだ」
体が操作を忘れているかのように、ムーアのキーボード操作はぎこちない。
埃と手垢にまみれた有機式の画面に指紋認識と光彩認識を行うように指示が現れた。ムーアは一つ一つの操作を確認するかのように慎重に操作を続けた。ディスプレイに繋がっている認識ボックスにHDカードを差し込むと、人差し指を置きスキャンさせた。今度は同じ窓を覗き込んで光彩をスキャンさせる。ムーア自身である事が確認されて、やっとコンピューターは使用可能になった。今ではディスプレイにレーザースキャナーが組み込まれているので、自動的にスキャンされて認識作業は終了する。でもこの古い機械は一つずつ手動で行わなければならないので手間が掛かる。
ムーアはネットに接続すると、国立図書館のホームページを呼び出した。しばらくして画面に国立図書館のメインページが表示された。
「メインページから入った方が良いだろう」
ムーアは言うと、メインページをコンピューター言語に分解し始めた。次第に操作に慣れてきたムーアの指先が、軽快にキーボード上を跳ねている。
ランバートとムーアの二人がディスプレイを覗きながら、専門用語を飛ばしあっている。しかしシャフナーには、彼らが何をしているのか理解出来ない。彼は邪魔にならないように部屋の隅のソファに座って、作業が終わるのをじっと待っているしかなかった。一人取り残されたような気になったシャフナーは、コーラの自動販売機にコインを入れて瓶を引き抜いた。
「今時こんな古いタイプの販売機があるとは驚きだね」
シャフナーは栓を抜くと、コーラを一口飲んだ。
「何だこりゃ気が抜けてやがる。中身までオールドだぜ!」
シャフナーは一人怒鳴った。
ランバートとムーアは夢中になって、二人の世界に浸ったままコンピューターを操作している。
「ここまで来てもらえればいいよ。ここから先は僕が代わって操作するから」
「でも一度電源を落とすと最初に逆戻りだぞ」
クリエイト規格では、コンピューターの操作中に人が代わると、人物認識装置が反応してコンピューターは停止してしまう。その後は再起動させなければ使用出来ない。つまり操作を途中から別の者が引き継ぐ事は出来ないシステムになっているのだ。
「大丈夫だよ」
ランバートは構わずムーアと席を代わった。その途端、人体認識装置が起動してコンピューターは作動を停止した。ランバートは気にせずに、認識ボックスに自分のHDカードを差し込んだ。そしてムーアと同じ行程を踏み、コンピューターを再作動させた。驚いた事に現れた画面は今までの続きだった。
「ありゃ、さっきのままだぞ。操作は無効になってなかったんだ。どうやった?」
ムーアが画面を凝視して不思議がった。
「これはハイクリエイトだけの特権なんだけど、代わった相手のハイクリエイトのグレートが上だと、その続きから操作を進める事が出来るんだ。あなたは自分よりグレードの上の人と操作を代わった事がないでしょう」
ランバートが説明した。
「ああ、会社では俺がいつも一番上のグレードだったからなあ」
ムーアはランバートに教えられて理解した。
「なるほど、それで君はハイクリエイトを持っているムーアに手伝ってもらう事に、あれだけ拘ったのか」
シャフナーもようやくランバートが執拗にムーアに協力を依頼した理由がこれで理解出来た。
ランバートは画面に向き合うと、キーボードを叩き続けた。しかし彼が望んだような処理速度で、コンピューターは作動してくれない。
「この速度じゃ相当時間が掛かるなあ」
ランバートは苛つきながらも、仕方なさそうにコンピューターに向き続け、画面に流れるプログラムを処理し続けた。その異常なまでの集中力には、最初は付き合っていたムーアも呆れた。結局ランバートには付いていけずに諦めて、ムーアはシャフナーの相手をする事になった。
「インナーヘッドがあればもっと早く処理出来るのになあ・・・・・・」
無い物ねだりは分かっていたが、ランバートは余りにも機械が乏しい現実が残念でならなかった。
それでもランバートの集中力は途切れる事はない。その姿は何かに取り憑かれたような迫力さえ感じさせる。この大人しそうなランバートのどこにこんな力が潜んでいたのだろうか?
国立図書館のコンピューターから、まずホワイトハウスの執務室のコンピューターに侵入した。そこに残されたメールが探索の出発点になる。勿論ランバートのやっている事は、ハイクリエイトを不正利用した犯罪だ。しかし今はそんな事を躊躇っている暇はない。一刻も早く発信源を突き止めなければならないのだ。
ランバートはアミダくじを辿るように、ホワイトハウスへの発信先として、南アフリカの金製品加工業者のコンピューターに辿り着いた。しかしこんな場所が発信源とは到底思えない。ランバートは、そのコンピューターのサーバー内を隈なく調べて、その先の痕跡を探し出した。
複数のコンピューターを経由させて発信元を攪乱させるのは、ネット犯罪の一般的な方法だ。普通は一ヶ所か二ヶ所のコンピューターを経由させる。それ以上を経由させる事は、処理が複雑過ぎて高性能なコンピューターを使用しても無理がある。それなのにまだ先があった。その先はカイロに飛んでいた。エジプトの遺跡の土産物を製作している工房のレジのコンピューターだった。しかしまだ先があるようだ。
「さすがHC2だな。良くここまで入っていけたなあ」
プログラムの深部まで入り込むランバートの能力に、ムーアはしきりに感心をしている。
ランバートは無心で追跡作業を続けた。次に辿り着いたのはスペインのマドリードの市内の自動車修理場の部品管理用のコンピューターだった。そこを経由して、次はベルリンの市警察の広報部のコンピューターへと繋がっていた。このメールは一体どこに行き着くのだろうか? 本当に終わりはあるのだろうか? 予想を超えた煩雑さに、ランバートは気が遠くなってきた。
探索を始めて既に三時間を経過していた。ランバートの表情にも疲労の色は隠せない。
「少し休んだらどうだ?」
ランバートの体を案じたシャフナーが、気の抜けたコーラの瓶をランバートの脇に置いた。しかし一心不乱にコンピューターに向かうランバートにはその声も聞こえないようだ。シャフナーは肩を窄めた。
ランバートは愛するリリアンを奪った敵を、どうしても探し出さなければならなかった。愛しい人の遺言を守る事、それが今の彼に出来る唯一の弔いだった。その強い意志が彼の集中力の源になっていた。
ベルリンの先は、モスクワの軍事センターのメインコンピューターだった。ロシアが発信源だったのか? ランバートは遂に敵の発信源を突き止めたと思い緊張した。しかしその中にも、次に繋がる痕跡があってランバートを残念がらせた。
ランバートは極度の疲労に襲われていた。集中力が途絶え、睡魔が襲ってくる。それから逃れるように、リリアンからもらった胸の十字架のペンダントを力一杯握りしめた。こうしていると、彼女が自分の側にいて元気付けてくれるような気がして、焦りと疲労が少し遠のいていく。
シャフナーとムーアは待ちくたびれて、テーブルに伏せたまま居眠りをしている。彼らの鼾が聞こえる中、脇目も振らずにランバートはコンピューターを操作した。モスクワの次は一体どこに繋がっているのだろう? その先は北京の日系デパートの商品管理コンピューターである事が分かった。
これだけ複数のコンピューターを検索するには、HC2以上が必要になる。HC3でもカイロ辺りまでが限界で、それより先には進む事は無理だ。これで敵がHC2の所持者を処分したがった理由も良く分かる。HC2がいなくなれば永久に発信源は突き止められないだろう。
中国の後、驚いた事にメールはアメリカ本土に戻ってきた。サンフランシスコの観光センターのメインコンピューターだ。これで地球を一周してきた事になる。ランバートはこの時点で一つの確信を得た。これだけ複数のコンピューターを経由させた上に、記録された時間がほぼ同時刻である事を考えても、瞬時に人間がこれだけの仕事をこなす事は絶対に不可能だ。敵は間違いなくコンピューター自身だ。それも相当高性能なコンピューターに違いない。
このメールは地球を一体何周するのだろうか? それを考えるとランバートは益々気が遠くなってきた。しかし彼の苦悩が遂に叶えられる時がやってきた。サンフランシスコの観光センターに繋がっていたのは、シカゴのフライ社だった。そこには史上最強のコンピューター、CUBEが納められているのだ。
「CUBE・・・・・・」
CUBEに辿り着いた時、ランバートは非常に悪い予感がした。CUBEの事はランバートも良く知っていた。世界初のバイオコンピューターである事や、AI技術の結晶である事など。性能的には究極に近いコンピューターだ。CUBE程の性能を持てば、メールを瞬時に世界一周させる事は不可能ではない。しかし不可解なのはCUBEはこんな反乱を起こすような意志を持っているのだろうか? どう考えても疑問が残ってしまう。
ランバートはCUBEの中に入り込んで、メールの在処を探した。だがCUBEのデータ量は膨大で、その中から検索をして一つのメールを探し出すには大変な時間が掛かる。しかしCUBEが発信したメールを探し出さなければ、ここが最終到達点とは確定出来ない。
半信半疑のランバートは自動検索を掛けたまま手を休めて、コンピューターの前から立ち上がった。作業を始めてから八時間、初めてコンピューターの前を離れた事になる。
「大丈夫か?」
疲れた切った表情のランバートを見て、彼の肉体に限界がきたのかとシャフナーは心配した。
「ムーアさんCUBEについて何か知っている事はないですか?」
ランバートはテーブルのコーラ瓶を手にしてソファに座り込んだ。
「CUBE?」
ムーアが伏せていたテーブルから顔を上げた。そしてソファのランバートを寝ぼけ眼でぼんやりと見つめた。
「CUBEか。俺がシカゴにいた時、向かいのビルがフライ社でね、そこで凄いコンピューターを開発しているという噂が絶えなかった。お陰でフライ社の株は高騰していたよ。あの時は随分と儲けさせてもらったなあ」
ムーアが思い出すような目をして語った。
「そうですか・・・・・・」
「まさか、CUBEに行き当たったのか?」
ムーアは事の次第が分かり、眠気が覚めたようにハッと目を見開いた。
「そうなんです。この先があるのかどうかは分かりませんが」
ランバートは気が抜けて温かくなったコーラを一口飲んだ。
「しかしCUBEなら考えられなくもないなあ。とにかく史上最強のコンピューターだから」
「今検索中なんですよ。出来れば取り越し苦労であってもらいたいけれど・・・・・・」
ランバートはコーラをもう一口飲むと、疲れたように天井を見上げた。CUBEは自分の中に何者かが外部から侵入している事に気が付いた。自分の中で何かを探している感覚がする。そしてそんな事が出来る人間はランバートしかいない事も分かっていた。奴はまだ生きている・・・・・・。そう確信したCUBEは、その発信源を探し始めた。そこにランバートがいるのだ。奴を始末するには、居場所を突き止めなければならない。今度は反対にCUBEの方がランバートを探す側になった。
CUBEが何度調べても、行き着く先は米国立図書館だった。そこにランバートがいるのだろうか? 国立図書館に入る為には、HDカードをゲートに通す必要がある。館内のコンピューターを使用する為にもHDカードが必要だ。しかし管理用のコンピューターサーバー内には、ランバートの存在を示す痕跡は全く見当たらない。奴はどこか外部で国立図書館のコンピューターを遠隔操作しているらしい。そのどこかをCUBEは探し出す事が、どうしても出来なかった。
ランバートという奴は今までの人間と違って手強い相手だ。CUBEはそう感じて警戒を強めた。そして奴は必ず自分の所へやって来ると思い恐怖感を覚えた。CUBEが人間に対して恐怖感を感じたのはこれが初めてだった。
CUBEは自分を守る必要性を感じた。どんな事をしても、フライ社のビルに人を近づけないようにしなければならない。しかしこのインテリジェントビルの全ての出入口を閉じたとしても、それ程長い間人間を排除する事は出来ないだろう。いずれ自分は侵入者に、破壊されてしまうかも知れない。
CUBEは考えた。自分のメインプログラムをパリのCT&T公社にある自分の二号機CUBE02に全てコピーしてしまおう。そうすればここが破壊されてしまっても、CUBE02に自分の思考を残す事が出来る。そしてそこから続けて計画を実行すればいい。メインプログラムの転送には接続されている全ての光ファイバー網を駆使しても、完了するのに十五時間四十分三十八秒かかる。最低でもその間は侵入者から自分を守らなければならない。
CUBEはメロ組織を利用して自分を守らせる事にした。メロ達をフライ社に結集させるメッセージを流すと同時に、CUBE02に自分のコピーを作る為のデータ転送を開始した。