第17章 接 触(2)

  荒野にひっそり建つ、今にも朽ち果てそうなメタノールスタンドのボロコンピューターの画面に、世界を揺るがす事実が表示されていた。

"先進首脳国のリーダーの方々へ。
 人類の滅亡を防ぐ為に私は下記の要求をする。
 これから七日間の間に貴国のエネルギー使用量を五○パーセント以下にする事。同時に全ての原子力発電所を完全に停止させる事。
 それが出来なければ私は貴国の主要都市を核攻撃を行い、その機能を無理矢理に停止させる・・・・・・"

 神よりという言葉で結ばれたそのメッセージこそ、世界の悲劇の発端となったメッセージその物だった。そしてそれはこの企ての主犯が史上最強のコンピューター、CUBEである事を証明する唯一の証拠であった。ディスプレイを見つめたまま三人は息を飲み、黙り込んでしまった。
「やはり・・・・・・」
 この結果は知りたくなかった。出来ればまだこの先があった方が良かった。ランバートは恐ろしくなって画面から目を逸らした。
「これで犯人が分かったわけか・・・・・・」
 シャフナーは溜息を落としながら呟いた。
「誰かがCUBEを使ってメールを送り付けたんじゃないのか。それでCUBEにそのメッセージが残ったとは考えられないか?」
 ムーアもCUBEが主犯とは信じたくないのか、別の可能性を推測し始めた。
「確かにそれも考えられる。でも誰が?」
 ランバートが問い掛けた。
「ううん・・・・・・。マーク・レナードじゃないか。フライ社の社長だ」
 ムーアは頭を捻って考え、そして苦し紛れに答えを出した。
「そうか」
 そのムーアの意見をランバートも支持した。彼も心の奥で主犯がCUBE自身である事を信じたくはなかったのだ。
「しかし、レナードは金の亡者だからなあ。こんな金にもならない事をするのかどうかが疑問なんだよ」
 ムーアは迷いながら確信を持てずにいる。
「これの中身を見てみないか? 何か別の要因が見つかるかも知れないぞ」
 シャフナーがバナナの死体から手に入れたHDカードを取り出して二人に見せた。
「ストーンの屋敷で俺達を襲った奴のだ」
 シャフナーは続けた。
「見てみようか。敵の一味を探る手懸かりになるかも知れない」
 ランバートはHDカードをシャフナーから受け取って、コンピューターの認識ボックスのスロットに差し込んだ。
「HDカードの中身は専用のプログラムが無いと見られないだろ」
 ムーアがそう言ったが、ランバートは構わずコンピューターを操作し続けた。しばらくするとHDカードの中身が画面に表示された。
「生ファイルを見るのなら専用プログラムは必要ないよ」
 ランバートがムーアの方を振り向いて言った。
「HC2ってのは本当に便利だな。何でも出来ちまう」
 ムーアは髭を撫でながらただ感心するしか無さそうだ。
 画面にはサム・ワトソンという、男の経歴が映し出されている。
「サム・ワトソンって名前か。赤十字の職員じゃないか」
 シャフナーが画面を見ながら言った。
「でもどうして赤十字の職員が僕達を殺そうとしたんだ?」
 ランバートは画面を凝視して、HDカードの写真が少し歪んでいる事に気が付いた。
「これは上から書き直されている」
「馬鹿な、HDカードは追記型だから書き換えは不可能だぞ」
 ムーアがその意見に反論した。
「そうだよ。だから元のデータの上にマスキングを掛けて新しいデータを被せてあるんだ」
 シャフナーには、ランバートの言葉の意味がどういう事なのか良く分からなかった。
 ランバートは写真の角の部分を拡大して、下の写真の微かな枠を発見した。そしてデータを消すようにコンピューターにコマンドを打ち込んだ。ワトソンの画像が消えて、下からバナナのデータが出現した。
「本当だ。これがこいつの正体か」
 シャフナーは新たに現れた画像と、その経歴欄を読んで、
「こいつ犯罪のデパートみたいな奴だなあ」
 と、言い呆れ返った。
 バナナのデータには窃盗や強盗などありとあらゆる犯罪歴と、刑務所に六回も入っていた事が記録として残っていた。
「こいつサウジアラビア出身なのか」
 ムーアが言った。
 シャフナーは画面のデータを凝視しながら考え込んだ。彼の勘が何かを探し出そうとしている。
「多分こいつメロのメンバーだぞ」
 それがシャフナーの導き出した答えだった。
「メロだって!」
 ムーアが狼狽えて声を荒げた。
「あの中東のテロ集団のメロかい」
 ランバートが言った。
「そう俺の勘だが、そんな気がする」
 シャフナーの犯罪者経験はとても豊富だ。こういった事に対する彼の勘は妙に当たる。
「でもなあ、メロってマフィアとも繋がりがあるって噂だし、それちょっとヤバイんじゃないか」
 ムーアは気が小さいのか、メロと聞いて怖気付いた。
「どうして今更こんな相手ぐらいで怯える? こいつの親玉は既に二千万人も殺しているんだぞ。その上、人類を滅亡させようとしているんだ」
 怖がるムーアを見て、情けなさそうにシャフナーは言った。
「なるほど言われてみれば、スケールの違う悪党だな」
 シャフナーの言葉で簡単にムーアは納得してしまった。
「でもどうしてメロが関係しているんだろう?」
 ランバートは合点がいかないように首を捻った。その時、ムーアが何かを思い付いたように大きく手鼓を叩いた。
「辻褄が合うぞ。確かメロはシカゴに拠点があるそうじゃないか。フライ社もCUBEもシカゴにあるし、当然マーク・レナードもシカゴに住んでいる」
 ムーアは確証を持ったように推理した。
「なるほど、マーク・レナードがメロと共謀してCUBEを操り、世界を脅迫しているというのなら話は合うなあ」
 ランバートはムーアの推理を膨らませた。
「これでようやく全貌が見えてきたぞ。すぐ補佐官に連絡してマーク・レナードって奴を締め上げてもらおう」
 シャフナーはそう言うと、胸のポケットからPDAを取り出した。しかしスイッチを押す手前で動きが止まった。急にランバートの忠告を思い出したからだ。
「これの電源を入れたら敵にここが分ってしまうかなあ?」
 シャフナーが気にしながら尋ねた。
「心配ならここの電話を使いなよ」
 ムーアが古いボタン式電話機を取り上げると、シャフナーの目の前に突き出した。
「どちらでも同じだと思うよ」
 実際相手と繋がった時点でこちらの場所は探知出来るから、何を使おうとも同じ事だ。
 ムーアが受話器を突き出したまま"使え"と、手招きしている。シャフナーもこのテレビ電話にもなっていない前世紀の電話機の方が、敵に見つかり難いような気がした。受話器を受け取ると、ルーベンスの連絡先の番号を押した。

 しんと静まり返ったホワイトハウスの執務室では、要求にどう対処するべきか、カールソンが頭を悩ませている。CUBEのメッセージを前に目を閉じて考えても、良い案は何も浮かんで来ない。その傍らにルーベンスが心配そうに立っている。その時、沈黙を破るようなPDAの電子音が鳴り響いた。
「大統領失礼いたします」
 ルーベンスは言うと窓際へいき、PDAを胸ポケットから取り出して、通話のボタンを押した。画面に現れたのは秘書のクリスティンだった。
『補佐官、シャフナーさんから連絡ですがお繋ぎいたしますか?』
「何シャフナーだと。すぐに繋げ!」
 シャフナーと聞き、ルーベンスはむっとした。何度も連絡を入れているのに、今まで連絡が付かなかったからだ。
『補佐官、シャフナーです』
 旧式の電話の為、画面は真っ暗のままで声だけしか聞こえて来ない。
「おい画面が出ないぞ。その電話壊れてないか?」
 ルーベンスが文句を言った。
『すみません古い電話ですので』
 シャフナーの言葉に、今時そんな電話があるのかとルーベンスは訝しがった。
「おいお前今どこにいるんだ!」
 ルーベンスは不機嫌そうにさらに怒鳴った。
『少し遠い所です』
「どこでも良い、何故連絡をしない」
 ルーベンスは苛つきを隠せないように口調を荒立てた。
 シャフナーはルーベンスの声を聞きながら、うるさいジジィだと耳を塞ぎ、顔を顰めた。
「遂に敵の場所を突き止めたんですよ」
『何だとそれは本当か? ところでランバートって奴は見つかったのか?』
「ええ、彼が敵の居場所を突き止めたんです。シカゴです。シカゴのフライ社のCUBEってコンピューターが発信源です」
『シカゴだって!』
 電話の向こうでルーベンスはガミガミと怒鳴り続けている。シャフナーは煩わしそうに受話器を耳から話した。怒鳴り声が受話器から漏れてくる。
「とにかくフライ社のマーク・レナードって奴を調べてもらえませんか。その男が主犯かも知れません。それとメロ組織がこの件に絡んでいるかも知れませんので慎重にお願いします」
『そんな事お前に言われなくても分かっておる!』
 受話器の向こうの怒鳴り声が、ランバートやムーアにも聞こえてきた。二人はシャフナーに同情するように目を合わせて苦笑した。
「私達もすぐシカゴへ向かいますので、お願いします」
 シャフナーは必要な事だけを連絡すると、這這の体で電話を切った。そしてふうと溜息を吐いた。
「シークレットサービスも楽じゃないね」
 ムーアが皮肉を込めて言った。
「ああ上司がロクでもない奴だとね」
 シャフナーはうんざりという表情をした。
「俺もそれが嫌でね。だから会社を辞めたのさ」
 ムーアがシャフナーを慰めるように言った。
 ホワイトハウスでは、いきなり電話を切られてしまったルーベンスが怒りのやり場もなくむくれている。
「犯人が見つかっただと」
 会話に耳を側立てていたカールソンが、結果に期待して目を輝かせた。
「ええ、シカゴのフライ社のコンピューターとマーク・レナードという男が怪しいらしいです」
 ルーベンスはカールソンの方を向くと、そう言った。
「何、すぐにその男をしょっ引いて来い!」
 カールソンは拳を机に叩き付けて立ち上がると、興奮して怒鳴った。

 シャフナーはPDAを胸のポケットにしまい込んだ。そしてランバートとムーアの方を振り向き、
「よし、それじゃ俺達もシカゴへ行くとするか」
 と、気合いを入れるように声を上げた。
「でも燃料がないよ」
 ランバートがシャフナーの出鼻を挫いた。
「燃料がないだと、ここをどこだと思ってんだ!」
 会話を聞いてムーアが憤慨したように怒鳴った。
 三人が事務所から出て来ると、空には夕焼け空が広がっていた。もう時間は夕方の六時を過ぎている。実に九時間もこの薄汚いメタノールスタンドにいた事になる。今世の中は一体どうなっているのだろうか? ランバートは気が気ではなかった。
 シャフナーは給油ノズルを持ったまま、どうすればコルベットの給油口から燃料を入れる事が出来るのかまた思案していた。事務所裏からムーアが斧を持ってきたかと思うと、ホースを押さえ付けて、いきなり振り下ろした。ホースが切断されて、シャフナーの目の前に切り取られたノズルが転げ落ちた。ムーアの乱暴な行動にランバートはびっくりした。
「このホースなら給油口に入るだろう」
 ムーアはホースを給油口にねじ込み、給油機の注入ボタンを押した。勢い良くメタノールが、給油口からコルベットの中に注がれて、給油量を示すデジタルメーターが猛スピードで加算されていく。
「この時代の車は燃料を滅茶苦茶喰うなあ」
 呆れたようにムーアが言った。
 メーターが一○○を越えてすぐに給油口から燃料が溢れた。ムーアは慌てて装置を停止させた。
「一○○リットルも入るのか、とんでもない車だなあ」
 燃料蓋を閉めながらムーアは驚いたように呟いた。
「いくらだ」
 シャフナーがズボンのポケットからHDカードを取り出して支払いをしようとした。
「いいよ」
 ムーアは手を振ってそれを拒否をした。
「何故?」
「後で大統領にたんまりと払ってもらうから」
「分かった。しっかり賞金に上乗せしておいてやるよ」
 ムーアが軽くウィンクをした。シャフナーは彼の魂胆を見透かして苦笑した。
「これ返すよ」
 ムーアはシャフナーのベレッタを手渡した。
「あ、悪いね」
「でも弾がもう一発しか残っていないぜ」
「見たのか」
「ああ」
 ムーアは自分の腰の拳銃を抜くと、シャフナーに差し出した。
「これ使えよ。弾は一杯入っている」
「悪いよ」
 シャフナーは断ったが、しつこくムーアは彼の胸に拳銃を押し付けた。
「メロが絡んでんだ、武器を持っていて損はない」
 真顔のムーアに言われて、シャフナーは素直に拳銃を受け取った。レーザーサイトが装着されたデザートイーグル70Uだ。
「気を付けて行けよ」
 シャフナーは車に乗り込みエンジンを掛けた。腹に響くV8サウンドが辺りの空気を揺らす。ランバートも助手席に乗り込んだ。
「いい音だなあ」
 ムーアが痺れたように目を閉じて音に聞き入った。
「いくよ」
 シャフナーは名残惜しそうな表情を浮かべた。
「気を付けてな」
 ムーアも少し寂しそうな表情を二人に返した。
「ランバート、お前は本当に良い腕をしていたぞ」
 ムーアはランバートを褒め称えた。
「ムーアさんも・・・・・・」
 ハイクリエイト同士の言葉を越えた疎通があり、ランバートは別れに胸が詰まった。唇を噛んでムーアに手を振ると、彼も小さく頷いた。
 コルベットはヘッドライトを点灯させると、ゆっくりと走り出した。スタンドに残ったムーアは、彼らの後ろ姿をいつまでも外に立ったまま見送っていた。眼前に広がる夕闇の中にコルベットが吸い込まれて見えなくなるまで・・・・・・。

 CUBEはランバートが生きている事を知って、彼が今どこにいるのか必死に探していた。そしてシャフナーが、ルーベンス宛てに電話を掛けた交信記録を探し出す事が出来た。発信元はクリーブランドの南に住む、マーチン・ムーアという男のメタノールスタンドからだ。
 CUBEはムーアの経歴を調べた。そして彼がHC5を所持する人物である事を知った。それでランバートがどうやって痕跡を残さずに、国立図書館のコンピューターを遠隔操作出来たのか、その仕組みを知る事が出来た。きっとこのムーアと言う人間はランバートの味方なのだろう。生かしておけば今後厄介な事になるかも知れない。CUBEはムーアを始末しようと、その魔の手を差し伸べた。
 陽がとっぷりと暮れると、ムーアのスタンドの周りは外灯もなく真っ暗闇になる。この辺りでは、メタノールスタンドの事務所から漏れる明かりが唯一の光源となっていた。事務所の中でムーアは一人ソファで横になり、鼾を掻きながら居眠りをしている。今日はランバートと共に、久しぶりにコンピューターを使ったので、随分疲れてしまった。急に事務所のコンピューターが作動をし始めた。しかしムーアはそれに気付かずに眠り続けた。
 無人の給油機の電源が入り、針金で止められたノズルのないホースの先端からメタノールが吹き出した。その量は最初少なく、徐々に勢いを増していった。メタノールの液体は、川のように緩やかに事務所の軒下へ向けて流れ込んでいく。
 ムーアは外の出来事など全く気付かず、熟眠したまま寝返りを打った。事務所の軒下には、燃料電池の交換機が据え付けられている。それはスタンドの全ての電力を賄う発電機だ。その交換機に向かって、メタノールは流れ込んでいった。青白い炎が広がったかと思うと、その炎はメタノールに沿って走り、一気に給油機まで包み込んだ。大爆発が発生して、轟音と共に事務所は火に包まれた。
 ムーアは何が起きたのか分からぬまま火だるまになり、事務所から飛び出した。両手を振り乱して助かる術を模索したが、猛火に耐えきれず力尽きて仰向けに倒れた。ムーアの体は瞬く間に真っ黒な炭素と化していく。
 暗闇の中、燃え盛る炎は夜空を無気味に赤く染めていた。