第18章 戦 闘(1)

 相変わらず明かりを消した薄暗いメロのアジトでは、コンピューターディスプレイの前に組織員達が陣取っている。ディスプレイの発する光の中で不安と疑問に溢れた表情を浮かべながら、彼らはCUBEから送信されてきたメッセージを見ていた。

"貴君の部下を大至急集合されたし、場所はフライ社裏駐車場。可能な限りの武器弾薬で武装する事、これは警告ではない。
 遂に戦いの時が訪れたのだ。この戦いに勝利した時、世界は貴君と私の物になる"

「こいつ本当に気が狂っているんじゃないか?」
 呆れたようにレモンが呟いた。
「それでも悲しい事にこの気狂いに俺達は逆らえないんだよ」
 メロンは怒りを無理に抑えるように声を震わせた。
「何で集合場所がフライ社の裏駐車場なんだよ。どうしてそこへ行けば世界を手に入れられるんだ。変な事ばかりだぜ」
 レモンは納得の行かない指示に憤慨している。
「罠に決まってる。止めようぜ」
 アップルも同感だった。
「無理だ。このメッセージを最後まで読めよ」
 そこには既にメロン明記で、彼の部下に召集を掛けた旨が書かれていた。
「こいつは気狂いどころか、恐ろしくしたたかな奴なんだよ。でもな、ここへ行けばこのしたたかな奴に会えるんじゃないか」
 メロンは自分達を馬鹿にしたように利用し続ける相手に一度会って見たかった。そしてメロ組織の怖さを嫌という位思い知らせてやろうと思っていた。
「ああ、それならとっ捕まえて痛い目に遭わせてやるぜ」
 薄ら笑いをするメロンを見てレモンは急に意気込んだ。まだ彼らは自分達を利用している相手が、コンピューターであるとは想像すらしていなかった。
 皆はフライ社に向かう為に、慌ただしく戦闘の支度を始めた。壁のロッカーを開けると、中にはM20Lマシンガンと大量の弾薬、手榴弾などが整然と並べられている。それらをロッカーの上に置いてあった細長いボストンバッグに手当たり次第に詰め込んだ。
「ロケットランチャーを忘れるな」
 皆が支度をする中、メロンが言った。
「忘れるかよ」
 レモンが当然というように答えた。
 レモンはロッカーの奥に立て掛けてあった、小型のロケットランチャーを鷲掴みにすると、ボストンバッグの中に放り込んだ。全員が武器で一杯になった大きなバッグの蓋を閉じて両肩に掛けている。体の細いアップルは、その重量に必死に耐えるように足元がふらついた。インテリぽい彼には、とても戦闘という言葉は似合わない。
「転けるなよ」
 アップルの頭を後ろからレモンが叩いた。荷物を少しでも持ってくれるかと期待したが、レモンはそそくさと入口のドアを開けて一人先に出て行ってしまった。
 レモンを先頭に部屋から出て来ると、皆は足早に通路を通り、建物脇に設置された非常階段を駆け下りて行った。
 人気のなくなった部屋の中には、無気味にコンピューターディスプレイだけが怪しい明かりを放っている。そこには未だにCUBEのメッセージが残されて映し出されていた。
 メロン達は人気の無い建物の裏通りに停車してある白いミニバンのリアドアを開けると、ボストンバッグを載せた。バッグは二段にうず高く積まれ、荷室の大部分を占領した。メロンはリアシートの段ボールから、偽装用の赤十字シールを取り出すと、車の左右のドアに貼り付けた。
「こいつを羽織れ」
 そして段ボールから白衣を取り出すと、皆に投げつけた。
 それぞれが白衣を受け取ると、上着の上から袖を通した。この赤十字の格好は、彼らのお気に入りの偽装方法のようだ。
 皆がミニバンに乗り込み発進させると、シカゴの街中は戒厳令中という事もあって人通りはなく、車の走行も皆無だった。まるでゴーストタウンのようだ。
「昨日よりは警察も少なそうじゃないか」
 後ろの座席でメロンが車窓越しの風景を眺めながら言った。
「赤十字のマークを付けていれば取り調べもないさ。それにフライ社はもうすぐだしな」
 運転席のレモンは心配もなさそうににやけている。
 メロンのPDAの呼び出し音が鳴った。メロンは何事かと上着のポケットからPDAを取り出して、通話のボタンを押した。
「俺だ」
 メロンは応答したが何の返事もない。ただデジタル音特有のピーという発信音が断続的に聞こえるだけだ。メロンは間違い電話と思いPDAを切った。ポケットにPDAを戻した途端、また呼び出し音が鳴った。
「何だよ」
 不機嫌そうにメロンはまたPDAを取り出して、通話のボタンを押した。しかし聞こえてきたのはやはりデジタル音だった。
「馬鹿にしているのか」
 むっとしながら電源を切ろうとしたメロンが画面に目をやると、そこにはメッセージが書き込まれていた。

"フライ社に到着したら表玄関へ向かい、即座にガードマンを射殺してロビーを占拠する事。君の部下は建物裏に既に控えさせているので、裏口より侵入させて建物全体を占拠し、誰も建物内に入れないようにする事。その後の指示はロビーの管理用ディスプレイを通じて行う"

 こちらの行動を見透かしたようなタイミングで送信されてきたメッセージにメロンは驚いた。そして馬鹿にしたような一方的な内容に、弄ばされているような不快さを感じた。しかしその反面、この相手に対して不思議と親しみを感じたのも事実だった。それは目的達成の為なら、どんな残忍な行為も厭わない非情さに共感したからかも知れない。
 CUBEはCUBE02に、必死にデータを転送していた。残るデータ量は全体の六二パーセント、時間にしてまだ九時間四十八分も必要だ。その間、メロ組織は自分を守る事が出来るのだろうか? こればかりはCUBEの優秀な頭脳でも、完全な予測をする事は出来なかった。
 フライ社は地上五十二階、地下五階の巨大なインテリジェントビルを有している。各階、各部屋には監視カメラが置かれ、空調や防犯設備など末端のコンピューターまで、全てがCUBEに接続されている。全制御はCUBEの完全管理下に置かれており、まさにフライ社のビルはCUBEによる要塞ともいえる。
 戒厳令が発令されてから、フライ社も警備員を除いて社員は出社していなかった。これだけ巨大なビルの管理を、黒人の警備員クリフォード一人が賄っている。実際にはCUBEが人間以上に厳重にチェックを行っているので、そのクリフォードさえも不必要なのだ。
 クリフォードはロビーの中央に置かれた管理エリアに座っていた。彼の持ち場である管理エリアは、半円形の白壁に囲まれて、外部から中の様子は見えない構造になっている。エリア内には操作卓と、それを囲むように十台の有機ディスプレイで組まれた管理制御卓が置かれていた。
 クリフォードは外から見えないのを良い事に、卓の上に足を伸ばしてくつろいだ。寂しさを紛らわす為に、脇に携帯用のテレビを置いて一人暇そうに眺めている。テレビでは各地の戒厳令の様子を伝えていた。毎日暗いニュースばかりだと、クリフォードは嘆いた。
 その時、ディスプレイが玄関前のロータリーにミニバンが停車する様子を捕らえた。クリフォードは何事かと画面に目が引き付けられた。良く見ると、ドアに赤十字のマークを付けているではないか。停車して車のドアが開き、四人の白衣を着た男が建物へ向かって歩いて来る。手にはボストンバッグのような大きな荷物を抱えているのが確認出来た。四人は入口のドアを開けようとドアを押しているが、ロックが掛かって開かない。画面でその様子を見たクリフォードは、制御卓の通話ボタンを押して話し掛けた。
「今日は休みだよ」
『すみません。赤十字ですが薬をお持ちしました』
 メロンの声がインターフォンを通じて卓に響いた。
「ここは病院じゃないぞ!」
 クリフォードが冗談じゃないと言うように怒鳴った。
『核ミサイル攻撃を受けた時に放射能を中和するヨウ素なんですが、ここに届けるように言われて来てるんですよ』
 メロンは出任せを言った。しかしその出任せがクリフォードを慌てさせた。
「核ミサイル攻撃だって!」
 数日前に東京への核攻撃があったばかりなので、その話は妙に信憑性があった。
「なんでここへ届ける必要があるんだ?」
 それでもクリフォードは尚も尋ねた。
「ここの地下は核攻撃に耐えることが出来るので、一般の薬の保管場所に指定されているんですよ」
 メロンは説明をした。その内容はクリフォードを信じさせるのに充分だった。
「分かった今開ける」
 クリフォードはディスプレイの管理プログラムから、玄関扉のロックを検索すると解除を指定した。
 思惑通りロックが外れる音がして、メロン達は目を合わせて薄ら笑いを浮かべた。
「行くぞ」
 メロンはドアを開けてロビー内へ入ってきた。
「そんな薬を持って来るなんて聞いてなかったよ」
 そう言いながら、管理エリアから出てきたクリフォードが、メロンに近づいてきた。レモンが床にボストンバッグを置いてチャックを開けている。そして中から拳銃を取り出すとクリフォードに向けて、有無も言わず引き金を引いた。抵抗する間もなく、弾は一発でクリフォードの額を撃ち抜いた。もんどり打ってクリフォードは床に仰向けに倒れた。後頭部から真っ赤な血が、大理石の白い床にじわじわと広がっていく。
「そんな話は誰にもしてないんだよ!」
 メロンは叫んでクリフォードの死体を飛び越えて跨ぐと、管理エリアに入っていった。そして次の指令を待つように、制御卓のディスプレイを凝視した。
「おい死体を片付けとけ。床の血も拭いておくんだぞ」
 メロンは白衣を脱ぎ捨てると、部下達に指示した。
 CUBEは監視カメラでその一部始終を確認していた。派手なやり方だが手際が良いと評価した。そしてメロンが見ているディスプレイに
"良くやった"と意志を表示させた。
「こいつどこから見てやがるんだ?」
 メロンはこの文字を見て怪訝な顔をした。続いてディスプレイには
"裏口のドアを開ける"と表示された。メロンが見ていると、一台のディスプレイに裏の荷物搬送口の様子が映し出されて、そのシャッターのスイッチがONになった。
 裏口の荷物搬入口の電動シャッターが、ゆるゆると上昇して行く。五メートルはある最上高さまで昇ると、シャッターは停止した。搬入口が開ききった事を確認して、裏の駐車場に停車していた十台のトレーラーが、揃ってモーターの電源を入れた。ヘッドライトが点灯して、開いたシャッターの奥へ、一台また一台と吸い込まれていく。
 制御盤のディスプレイが切り換わって、荷物搬送口から侵入してくるトレーラーの様子が映し出されている。
「こいつら何者だ。お前は俺達をハメたのか!」
 メロンの不安が爆発してディスプレイに向かって怒鳴り散らした。
 ディスプレイに
"君達の仲間だから、心配しなくても良い"と表示された。
「仲間だと」
 メロンは逃げ出す事も出来ずに、ただ険しい顔をしながら画面を凝視する事しか出来なかった。
 最後のトレーラーが搬出口のプラットホームに整列すると、トラックのモーターとヘッドライトが消えて、入口のシャッターが降り始めた。
 トレーラーの荷台のドアが開くと、中から十人程の戦闘服を着た兵士が勢い良く飛び降りてきた。手にはそれぞれM20Lマシンガンを持ち、ヘルメット、弾薬の入ったベルトを身に付けている。全てのトレーラーから降りた兵士の数は百名を超えている。その中の赤いベレー帽を被った男が兵士達の先頭に立った。強健な体付きのこの男がこの兵士達のリーダーのようだ。
 兵士達はトレーラーの荷台から木製の大きな木箱を降ろし、それをビル内に次々と運び込んで行く。その手際の良さは充分に訓練された戦闘兵士達に違いない。
「こいつら何をしているんだ」
 相手が何者なのかまだ分からないメロンは、ディスプレイを見ながら焦った。
 ようやくクリフォードの死体を片付け終えたレモン、アップル、ピーチの三人が管理エリアへやって来てメロンの隣に立ち、ディスプレイを覗き込んだ。
「おいおい、こいつら何者だよ」
 画面の中の様子にレモンも動揺した。
「誰か知らないが味方だそうだ」
「おいおい、止めてくれよ。誰も知らない味方なんかいるのか?」
 レモンはメロンが妙な事を言うので戸惑った。
 兵士達は裏の通路を一列に行進しながら通り、ロビーまでやってきた。メロンはこの無気味な兵士達の正体を探る為に、拳銃を手にロビーまで出てきた。そこで先頭を切るベレー帽のリーダーと視線が合った。
「何だ、パナマじゃないか」
 メロンは思いがけず旧友と再会した。すると険しい表情が見る間に安堵の表情に変わっていった。
「何を言ってるんだ。俺の部下を全員集合させろってお前が指示を出したのだろう」
 メロンの素っ気ない返事に、パナマは憤慨した。
「俺じゃないよ」
「しらばっくれるな。俺達は命を賭けてここへ来ているんだぞ!」
 いい加減な事を言うメロンに、馬鹿にされた思ったパナマは怒り出した。しかしメロンにはパナマに連絡をした覚えはなかった。自分以外の誰がそんな事をしたのだ? メロンは悩んだ。その時彼の脳裏にあのメールの送り主が浮かんだ。メロンは急いで管理エリアに舞い戻ると、思わず操作卓に手をついて、「お前はどこにいるんだ。出て来い!」と、怒鳴った。
 パナマは感情的になるメロンの突然の行動に戸惑いを隠せなかった。
 操作卓に並ぶ十台のディスプレイが一斉に暗転して、その後に浮かんだ文字を見てメロンは震え上がった。そこには
"私はここにいる"と書かれていたからだ。
「馬鹿な事を言うな。ここには誰もいやしないぞ!」
 メロンは尚も興奮して喚き散らした。ロビーの壁に彼の声が山彦のように反響しては消えていく。
「分かったよ。お前の言う通りにすればいいんだろう。指図しろよ、どうすれば良い」
 気持ちを落ち着けてメロンは言った。するとディスプレイにこのビルの詳細図が表示された。各階毎に一台ずつのディスプレイに映し出されている。そこには兵士を待機させる位置が、詳細に指示されていた。CUBEの中では、防御計画が既に完成されているのだ。
「おい! 誰が指示を出しているんだ」
 パナマは事の次第がまだ飲み込めず戸惑っている。
「神だよ」
 メロンはぽつりと呟いた。
「神だと、ふざけるな、きさま気でも狂ったのか!」
 パナマは馬鹿にされたと思い、メロンに罵声を浴びせかけた。
「俺達は気狂いとは仕事出来ない、引き上げるぞ」
 命を賭けて意気込んできたのにすっかり戦意を失い、パナマは退散する素振りを見せた。
「まあ待てよ」
 メロンがパナマを宥めて、制御卓のマイクに向かって話し始めた。
「お前は俺に約束したな。お前が世界を征服した時は俺達を指導者にすると、それを忘れていないだろうな」
 メロンは押し殺したような低い声で念を押した。しばらくしてディスプレイの一台に、
"勿論その約束は守る。今から八時間外部からの侵入を防げば、私の目的は遂行される。その時は君達との約束を必ず守る"
 と、メッセージが現れた。
 メロンが腕時計を見ると九時三十六分を示している。
「分かった明日の五時半までは阻止してやる。しかしその時、お前が世界を征服していなかったら、俺はお前を殺す!」
 メロンは決意を決めて声を震わせた。
"約束する"と画面に表示された。
「よし、パナマこの場所に部下を配置させてくれ」
 メロンはディスプレイ内のビルの詳細図に、赤い点が付けられた場所を指さした。 
 パナマはまだ事の次第が飲み込めずに不服な顔付きをしている。
「大丈夫だ、俺に任せろ」
 メロンはパナマを安心させるように、彼の肩を叩いた。
「分かったよ」
 パナマはまだ納得していない様子だが、渋々腰の無線機を取って部下達に指令を出した。
「A班はここに残れ。B班は二階の踊り場に陣取れ。ランチャーを忘れるな。C班は二十五階の非常階段脇で待機しろ。D班は・・・・・・」
 パナマの指令通り、兵士達は整然と配置場所に向かっていく。その系統だった動きは、相当の軍事訓練を積んでいる事を示していた。パナマはかつてサウジアラビア軍で特殊部隊を率いていた。この兵士達は、その時の彼の部下なのだ。彼らは国の命令を受けてメロのメンバーに協力している。普段はシカゴを中心に一般人に混じって普通の生活を送っているが、パナマからの指示によりテロ活動に手を貸していた。
 ロビーに、二階に、裏口にパナマの指示に従い、兵士達は要所要所に陣取り、戦闘の準備を開始した。無言で手際よくビル内を走り回りながら配置についていく。運んできた木箱を開けて重機関銃を取り出し、外に向けてロケットランチャを設置した。準備が完了すると、兵士は赤外線暗視スコープを使って暗闇の中を監視した。
『全員配置につきました、異常はありません』
 パナマの無線機に兵士の声が入ってきた。
「よし指示があるまでそこで待機しろ」
 パナマが指示をした。素早く行動を遂行するパナマの兵士達を見て、メロンはさすがだと感心した。
 兵士達の配置が全て完了すると、再びビル内に静寂が訪れた。メロンはこのままこの静寂が朝まで続いてくれる事を望んでいた。

 マーク・レナードはシカゴノースサイドの高級住宅街に住んでいた。二十五階建てのコンドミニアムの最上階を占有し、高級調度品に囲まれた部屋で、妻ダイアンと共に暮らしている。このコンドミニアムを、シカゴ市警のオニールとブルックスという二人の警部が前触れもなく突然訪れた。
 レナードは、この二人が何の目的で自分の元を訪れたのか理由が分からなかった。警察のお世話になるような事を自分はしていない。断りたかったが、相手が警部という役職では門前払いをするわけにもいかない。渋々レナードは背広姿の二人を部屋へ招き入れた。
「シカゴ市警のお偉さんが、お二人も何のご用ですか?」
 レナードは嫌味を言うと、二人を居間のソファに座らせた。
「いえお休みのところ誠に申し訳御座いません」
 最初にオニールが口を開いた。
「実は・・・・・・」
 立派な口髭を生やしたオニールが、言いにくそうな表情をした。
「それで?」
 レナードは首を傾げた。
「大統領の指示であなたを今から連行しなければなりません」
 オニールは思いきってそう言った。
 レナードはオニールが冗談でも言っているのだと思い苦笑した。
「私達は冗談を言いにお宅を訪れたわけではありません」
 真顔のブルックスにレナードの笑顔が消えた。
「一体何の罪ですか・・・・・・」
 自分の知らないところで、誰かが自分を陥れようとしているのかも知れない。レナードは恐る恐る問い掛けた。
「世界を不安に陥れた疑いと、日本国の東京都民二千万人虐殺の容疑です」
 オニールが答えた。
「あんた達は何を馬鹿な事を言っている!」
 レナードは言い掛かりを付けられたと思い憤慨した。その怒鳴り声にコーヒーを運んできた妻のダイアンの表情が強ばった。
「あなたどうされたの?」
 ダイアンは心配そうに尋ねた。
「こいつらが俺を連行すると言うんだ。それも東京に爆弾を落とした犯人が俺だって!」
 レナードは取り乱し、尚も怒鳴り散らした。
「酷い濡れ衣ですわ。主人はこの数日ここで私と一緒でしたし、それ以外は仕事に追われていたのですよ。そんな事をする時間がどこにあるのですか?」
 ダイアンがレナードをかばうように言い返した。
「奥さんすみません。私達にはご主人を連行するしかないのです。ここに令状があります。それも署名はカールソン大統領自身なのですよ」
 ブルックスは鞄から令状を取り出してテーブルの上に置いた。
「そんな・・・・・・」
 令状に目を通してダイアンは絶句した。大統領の直筆の令状を突き付けられては諦めるしかない。
 二人の警部に連れられてレナードは渋々コンドミニアムを後にした。署の黒塗りのキャデラックの後部席にレナードは座らされた。幸いなことにまだ容疑者という事で、手錠は掛けられてはいない。しかしレナードは身に覚えのない濡れ衣に尚も憤慨し、戸惑いを隠す事が出来なかった。
「レナードさん、今から御社へ行ってあなたにしてもらわねばならない事があります」
 助手席のオニールが振り向きながら言った。
「何を?」
 今更どうして会社へ行く必要がある? 警察へ連行するのが彼らの仕事のはずだ。レナードは不思議がった。
「お宅のCUBEというコンピューターをすぐ停止させて頂かなければなりません」
 オニールは続けた。
「何だって、CUBEを止めるだと!」
 レナードは突然の指示に驚いて声を張り上げた。
「そんな事は出来ない! CUBEは二十四時間世界中の情報を得る為にネットに繋ぎ放しにしてあるんだ。一度停止させたら、再作動させるには膨大なデータを入力し直さねばならん。それだけは絶対に出来ない!」
 断固とした態度でレナードは拒否をした。
「情報ではそのコンピューター経由で様々な操作が行われているそうです。コンピューターを停止させれば治まるかも知れません。ともかく私達にご協力願います」
 レナードの気持ちも分かるオニールは、丁重に協力を申し出た。
「あんた達は本気でCUBEが事件を引き起こしたとでも言うのか? いくら優秀とはいえただの機械だぞ。それにCUBEを止めるには我社の全重役の承認を得なければならないんだ。私一人の権限で止める事は出来ない」
 レナードの気持ちは治まらない。
「レナードさん、そんな悠長な事を言っている時間はないんですよ。すぐに止めてもらわねばならないのです」
 運転席のブルックスが言った。
「私達も信じたくはないんですが、なにぶん大統領の命令ですので、もし拒否されればあなたを即刻逮捕せねばなりません。あなたも大切な経歴に汚点は残したくないでしょう」
 落ち着いた口調だが、脅迫するような厳しい目つきをしてオニールは言った。オニールの鋭い眼光に睨まれ、レナードは怖気付いた。こいつらは本気だ、従わないと何をされるか分かったもんじゃない。
 車がフライ社の玄関前駐車場に到着した。人気のないビルは、しんと静まり返っている。暗闇の中、ロビーから漏れる明かりが入口の唯一の目印だ。
 外部から車のヘッドライトが近づき、ビル内では緊張が高まった。兵士は息を殺して身を伏せ、機銃の狙いを車に集中させた。命令があればいつでも攻撃が出来る態勢をとっている。車は入口のロータリーに停車した。メロンとパナマは管理エリアの丸い囲いに身を隠して様子を伺った。ロビーに控える兵士が休憩用のソファに寝そべって、玄関先に銃口を向けている。
 車からレナードとオニールが降りた。
「署から連絡が入るといけないから、私はここで待機しますよ」
 サイドウィンドーを下げてブルックスは言い、運転席で一人待つ事にした。オニールは頷き、レナードを連れて玄関まで歩き始めた。
 CUBEは玄関脇の監視カメラの映像で、こちらへ向かって来るレナードの姿を確認していた。彼がここへ現れたという事は自分の存在が外部に知られた事を証明している。CUBEはレナードを捕らえようと考えた。現在地下にあるCUBEの保管庫のドアを開けられるのは、社長のレナードと五人の重役だ。しかしパスワードの変更権限を持つのはレナードただ一人である。レナードにパスワードを変更させて、その後で彼を殺害してしまえば、永久に保管庫を開ける事は出来なくなる。またパスワードがなければ、自分のメインプログラムを書き換える事も出来ないのだ。
 CUBEはその計画を制御卓のディスプレイを通じてメロンに伝えた。レナードの映像を静止させてレナードを確認。彼を捕らえて他の者は殺害するように指示を出した。
 CUBEの企みを何も知らないレナードとオニールは、石階段を登って玄関前までやってきた。レナードは玄関脇の通用門のドアを開けようとしたが、ロックが掛かって開かない。インターフォンの呼び出しを何度も押したが、中から返事も返ってこない。
「クリフォードの奴寝てやがるのか?」
 返事のない事にレナードは不機嫌になった。
「仕方ないなあ」
 レナードは上着からカードケースを取り出した。そして何枚ものカードの中から、フライ社のマークの入った鍵カードを探すと、インターフォンの下にあるスロットに差し込んだ。しばらくしてピッという電子音と共に通用門のロックが外れた。
 ドアを開けてレナードとオニールがロビー内に入ってきた。
「おいクリフォードいるのか!」
 レナードはロビーに響き渡るような大声で怒鳴ったが、やはり返事はない。
「トイレにでも行ってるのか?」
 レナードが呟いた途端、ロビー奥の階段付近から火花と銃声が聞こえた。驚いたレナードが振り向くと、そこに立っているはずのオニールが、頭を撃ち抜かれて血塗れになって倒れていた。視線を前に戻すと、機銃の銃口を向けた兵士が立っている。反射的にレナードは両手を上げた。
 外の車内で待機しているブルックスにも銃声は聞こえた。ブルックスは反射的に拳銃を脇のホルスターから抜くと車から飛び出した。二階の窓から狙いを定めていた兵士が、こちらへ駆けてくるブルックスを確認すると、彼に向けて機銃を乱射した。
 突然の不意打ちにブルックスは足を止め、慌てて車に戻ると無線機のマイクを取った。
「緊急事態発生! フライ社のビルから何者かの銃撃を受けている。至急応援を頼む」
 それがブルックスの最期の言葉だった。その直後、彼の車は二階のメロ兵士のロケット砲の攻撃を受けて吹き飛ばされた。ブルックスは燃え盛る車内に取り残されて、無惨な死体と化してしまった。
 ロビーでレナードは両手を上げたまま外の惨状を見ていた。予想だにしない出来事に体が恐怖から小刻みに震えている。彼の目の前に階段の奥から機銃を構えた兵士が現れた。壁の脇からも、通路の奥からも兵士が現れて、銃口をレナードに向けている。気が付くとレナードは兵士達に取り囲まれていた。レナードの恐怖は頂点に達し、足がガクガクと揺れて今にも失神しそうだ。
「マーク・レナードか?」
 突然声が響いた。レナードが声の先を探ってロビー内を見渡すと、管理エリアの壁からメロンの姿が現れた。
「は、はい・・・・・・」
 レナードは声にならないようなか細い声で返事をした。
「来い」
 メロンは両手を上げたまま震えるレナードの首根っこを掴むと、ロビーの奥へ引っ張って行った。突然の事で事態が全く飲み込めないが、レナードはただ従うしかなかった。
 シカゴ市警内の情報処理センターの交換台に、ブルックスからの無線は届いていた。数十人の女性職員が忙しく交信をする情報処理センターには、市内の警官の無線が全て集まってくる。無線のIDコードからブルックスの車から発信された事はすぐに判明した。
 非常事態に無線を受け取った女性は、
「緊急事態発生! 状況は不明ですが、フライ社ビルでブルックス警部が銃撃を受けた模様、増員の要請あり。現場近くの警官は大至急現場へ急行して下さい!」と、何度も叫び続けた。
 このメッセージは瞬時に文章に変換されて、全てのパトカーのディスプレイに緊急連絡を示す赤い文字として流された。あっという間に、市内をパトロールしていた数十台のパトカーが、けたたましいサイレンと共に、フライ社の玄関前の駐車場に集合してきた。警官達はパトカーから、次々と拳銃やショットガンを手にしながら降り、玄関へ向かって駆けて行く。警官達の姿は暗視スコープによりメロ兵士達にハッキリと認識されていた。
 二階で機銃を構えていたメロ兵士の一発が引き金となった。凄まじい銃弾が警官達に浴びせられた。雨のように降り注ぐ銃弾に警官達は全く太刀打ち出来ず、バッタバッタと倒れていく。
「一体どうなっているんだ?」
 パニックに陥った若い警官は状況が判断出来ず、地面に伏せる事しか出来ない。
「これじゃまるで戦争だ。我々警察の手には負えない。大至急避難しろ!」
 リーダーらしい警官が喚き散らしている。
「こちらフライ社前、ビル内に立て籠もった敵は完全武装をしている。とても手持ちの銃器では敵わない。SWATの出動を依頼します」
 パトカーの無線を取った警官が緊急要請をしている。
「SWAT位で間に合うか。軍隊を呼べ!」
 隣で聞いていた警官が怒鳴った。
 彼らの頭上にも容赦なく弾丸の雨は降り注いでいる。攻撃を受けたパトカーが、次々と爆発して炎と煙を吹き上げた。その火柱を目印に応援のパトカーは続々と到着して来る。メロ兵士が放ったロケット弾が、向かって来るパトカーに命中して粉々に吹き飛ばした。その様子を見て若い警官は怯え、地面に伏せたまま体が硬直している。完全武装したメロ兵士達の前では警官など赤子の手でも捻るように、いとも簡単に全滅させられた。駐車場に残ったのは数十人の警官の死体と、何台もの炎上するパトカーの残骸だけだった。
 メロンに拳銃を突き付けられたまま、ロビーの奥へ連れて行かれたレナードにも屋外の銃撃音は聞こえていた。一体何が起こっているのか理解は出来なかったが、大事が発生している事だけは間違いなかった。
「申し訳ないが、一体何が起きているのでしょうか?」
 両手を上げたままレナードは恐る恐るメロンに尋ねてみた。しかし、
「お前には関係のない事だ」
 と、一蹴されてしまった。
「そ、そうですね・・・・・・」
 怯えながらレナードは、それ以上何も聞けなかった。
「余計な事は気にするな。お前に必要なのは地下のコンピュター室のパスワードを書き換える事だけだ」
 メロンが言った。
「保管庫のパスワードを書き換えるだって、どうして?」
 レナードは彼らの意図が益々理解出来なくなった。
「書き換えはどこでする?」
 メロンが尋ねた。
「それは最上階の社長室にある書き換え機を使用しないと出来ません」
 レナードは答えた。
「それじゃ社長室へ行け」
 メロンが指図した。
「五十二階ですよ。歩いて行けと言うのですか?」
「エレベーターがあるだろう」
 メロンはエレベーターホールへレナードを連れてきた。しかし表示灯は消灯したままで通電されてない事を表していた。これではエレベーターは動かない。
「今は停止中ですよ。私では動かせません」
 レナードは言った。
「おい、馬鹿がこんな事を言っているぞ!」
 メロンがエレベーターホールの天井へ向かって叫んだ。残音の掛かった声がホールに響く。
「誰に向かって話しているのですか?」
 この男は誰に声を放ったのだろうか? レナードは不思議がった。
「聞きたいか?」
 思わせ振りのある顔をしてメロンが聞いた。
「はい」
「神だよ」
 真顔でメロンは答えた。
「神?」
 レナードはメロンがふざけていると思い、吹き出しそうになった。しかし背中に拳銃を突き付けられている事を思い出して必死に堪えた。
 突然エレベーターホールの照明が点灯した。続いて三方枠のエレベーター表示灯のランプが灯った。デジタルの表示が変わって、地下からカゴが上がって来る事を示していた。
「これは一体・・・・・・」
 レナードは何が起こっているのか理解出来ずに呆然とした。
「言ったろ、神がいると」
 表示灯が消えるとエレベーターの扉が開いた。メロンに背中を押されてレナードはカゴの中へ押し込まれた。扉が閉まると、カゴは社長室のある五十二階へ向かって上昇し始めた。静かなカゴの中で、レナードには自分の胸の激しい鼓動だけしか聞こえなかった。
 エレベーターが五十二階に停止すると扉が開いた。レナードは目に見えない何者かが、自分をここまで誘導してきたような気がする。この通路の突き当たりに社長室はある。レナードは通路を通り、社長室の前で立ち止まった。そしてオーク材の分厚い扉の脇にある認識装置に鍵カードを差し込むと、ロックが外れて扉が開いた。メロンはレナードの背中を突き、部屋の中へと進ませた。
 社長室へ入ると、レナードを待ち構えていたかのように、机上のコンピュターの電源が入っていて、ディスプレイが点灯しているではないか。
「誰が・・・・・・」
 不可解な出来事の連続にレナードは言葉も出ない。
「早く始めろ」
 メロンが拳銃を突き付けて、レナードに命令した。
 レナードは無気味さを感じながらも、コンピューターの前に座った。HDカードをコンピューターに差し込み、指紋と光彩認識を行った。鍵カードのパスワード変更ソフトを立ち上げると、スロットに鍵カードを差し込んだ。
 変更ソフトを実行させると、自動的にパスワードは作製される。乱数表から数万桁という膨大な数字と、アルファベットを組み合わせて、解読不可能なパスワードを作製するのだ。僅か数秒でパスワードは変更されて、そのデータは鍵カードに保存された。終了を確認するとレナードは鍵カードを引き抜いた。
「貸せ」
 メロンに言われるまま、レナードは鍵カードをメロンに渡した。
「これだけじゃ使い物にならんぞ。私のHDカードと光彩と指紋がなければ保管庫を開ける事は出来ない」
 レナードはコンピューターからHDカードを引き抜くと、目の前に翳した。レナードは直感した。奴らはこの鍵カードを手に入れて、CUBEを自分の物にしようとしているのだと。
「誰も開けるつもりはない」
 メロンは意外な事を言った。レナードは戸惑い、メロンの考えを理解する事が出来なかった。
 信じられない事に、メロンはレナードの目の前で、鍵カードを力任せに二つ折りにした。
「や、止めろ!」
 レナードは立ち上がって手を伸ばし、制止しようとした。が、鍵カードは無惨にもパキッという音と共に、空しく真ん中から割れてしまった。レナードは驚愕した。
「お、お前は今何をしたのか分かっているのか。もう二度と保管庫の扉を開く事は出来なくなったんだぞ!」
 レナードは唇を小刻みに震わせて叫んだ。
「仕方がない、神の命令だ」
「神の命令だと、馬鹿な事を言っている場合じゃ・・・・・・」
 ここまで言いかけてレナードは言葉を止めた。この男の言う神とはひょっとしてCUBEの事なのか? そんな思いが脳裏を過ぎった。
 ディスプレイに視線を落として、レナードは目が釘付けになった。そこには、
"マーク・レナード長い間ご苦労様。お前にもう用はない"と、表示されていたからだ。
「CUBE、お前なのか!」
 レナードは声を震わせながらディスプレイに向かって叫んだ。するとディスプレイには、
"そう呼ばれるのは不快だ。私は神だ"と、表示が変わった。
 レナードは確信した。CUBEが暴走して反乱を起こしているのだ。想像だにしない事態が今起きている。
「何て事だ・・・・・・」
 レナードは驚愕して呻きながら椅子に座り込み、頭を抱え込んだ。頭の中が混乱して、まるで悪い夢でも見ているようだった。
「これでお前も用なしだな」
 メロンは項垂れるレナードのこめかみに、拳銃の銃口を押し付けた。銃口の冷たい感触が、レナードを現実に引き戻した。殺される・・・・・・。全身を恐怖感が襲いかかった。何とかしなければという焦りだけが先走って、良い方法が浮かんで来ない。
 その時、メロンの腰のベルトに付けられた無線機の呼び出し音が鳴った。
『おいメロン、どこにいるんだ。ビルを軍隊に包囲されたぞ』
 と、パナマの声が無線機から聞こえた。
「何、軍隊だと」
 急にメロンは狼狽え、社長室の窓に近づくと外を見た。表の駐車場から装甲車に取り付けられた強力なサーチライトが、ビル全体を明るく照らし出す様子が見えた。
「くそ!」
 メロンは悔しそうに苦虫を噛んだ。
 メロンが目を離した瞬間を、レナードは見逃さなかった。机の上の花瓶を投げつけると、入口のドアを目指して一目散に駆け出した。顔に花瓶が当たって不意打ちを喰らったメロンは一瞬怯んだ。慌てて拳銃をドアへ向けて発砲したが、既に部屋にレナードの姿はなく、ドアの中央に穴を開けただけだった。
 レナードはこのビルの設計段階から製作に関わっていて、ビル内部の事を誰よりも良く知っていた。レナードは社長室を飛び出すと非常階段のドアを開き、鉄製の階段を勢い良く駆け下りた。メロンもレナードの後を追い、非常階段を下りながら拳銃を発砲した。弾は狭い非常階段の手摺に当たって火花を上げる。最後までメロンは追いかけようとしたが、再び無線機からパナマの罵声が響いて足を止めた。
『こらメロンどこにいる! すぐに戻って来い!』
 メロンは堪らず立ち止まって無線機を手にした。
「うるさい! 聞こえているぞ」
 苛立つメロンは思わず無線機に怒鳴った。
『どこにいるんだ。周りを軍隊に完全に包囲されているんだぞ』
 パナマの焦った声が聞こてくる。
「分かったすぐ戻る」
 パナマにそう言われては、レナードを追う事を諦めざる得なかった。
「お前はどこにも逃げられないからな!」
 メロンは憮然として階段下を向き、捨てぜりふを吐いた。
 非常階段にはレナードが階段を駆け下りる靴の音だけが響いている。その音を聞きながら無念さを隠せず、メロンは側の非常ドアを開けて出て行った。