第20章 対 決(1)

 小麦粉の臭いが立ち込める薄暗く寒い食料保管庫の中で、レナードは一人震えていた。つい先程までビルを揺るがしていた砲撃は止んだが、外で何が起こっているのかを確かめる術はなく、不安が体を締め付けた。
 急に保管庫の外で人の気配がして、レナードは緊張に縛られた。息を殺して外の気配を伺うと、コツコツという靴の音が微かに響いてくる。保管庫の前でその靴音は止まり、その後にぼそぼそとした人の声が聞こえてくる。扉のロックが外れる大きな音がして、保管庫内に外光が射し込んできた。レナードの心臓が極度の緊張から一層大きく打ち、体を揺らせた。レナードは得体の知れない相手に対する恐怖から、視線を下げて頭を両手で覆った。人の気配は次第に彼に近づいてくる。指の間から軍靴の先が見える。レナードは目を閉じ、覚悟を決めて震えた。
「人がいるぞ」
 遂にレナードは兵士に見つかった。その兵士が敵なのか味方なのかは彼に判断は付かない。ただ目を閉じて、事の成り行きに任せるしかなかった。
 兵士がインターコムで他の兵士達に連絡をした。その声に複数の兵士の駆ける靴音が聞こえてきた。何人もの兵士が次々に保管庫に集まってレナードを取り囲んだ。
 兵士達が暗視装置をLEDライトに切り換えると、ライトの光がレナードを眩しく照らした。
「お前の名前は?」
 兵士が尋ねた。
「レ、レナード。マーク・レナードです・・・・・・」
 レナードは目を開けようとしたが、ライトの光が眩しくて薄目を開けるのがやっとだ。
「本当にレナードか?」
 兵士の問いにレナードは頷いた。
「レナードがいたぞ!」
 兵士の一人が外に向かって怒鳴った。
 レナードは彼らが非常階段で自分を取り逃がした奴の部下だと思った。そしてここで自分は撃ち殺されてしまうのだと思い、悲しくなった。しかし眩しさに慣れてきた目で彼らを良く見ると、兵士達は自分を見るだけで機銃は降ろしたままだった。
「レナードさん、あなたを助けにきました」
 兵士の一人が言い、レナードに手を差し伸べた。
 レナードはその言葉を聞き耳を疑った。自分を殺しにきたと思った相手は敵ではなく味方だったのだ。これでやっと危険から脱する事が出来たと、レナードはホッと胸を撫で下ろした。
「有り難う」
 レナードは礼を言うと、むっくりと立ち上がった。
 保管庫から救出されたレナードは、命拾いが出来て神に感謝したかった。しかし自分のビルが、余りにも酷く破壊された状況を見るにつれ、そんな敬虔な気持ちはどこかへ吹き飛んでしまった。
「俺のビルに何て事をしたんだ!」
 レナードは腹を立てて怒鳴った。いくら何でもここまで壊す事はないだろう。
 レナードは兵下達に守られるように囲まれ、二十階のエレベーターホールまでやってきた。ホール前には既に十人程の兵士がたむろしている。背広姿のレナードを見つけると彼らが側に寄ってきた。
「見つかったのか?」
 一人の兵士が嬉しそうに尋ねた。
「ああマーク・レナードだよ」
 やっとこの戦闘から解放される喜びから、兵士達は皆笑みを浮かべていた。
 兵下達はエレベーターに乗って下へ降りようとしているが、電源が切れていて動かない。無理と分かりながらも、兵士は呼び出しのボタンを何度も押した。
「無理だよ。止まってんだから」
 ボタンを押す兵士はからかわれた。
「二十階分も階段で降りたきゃないよ」
 残念そうに兵士は舌を鳴らした。
 疲れ果てた兵士にとって、これから二十階も階段を降りる事はとても辛い事だ。皆の笑みが消えてうんざりという表情になった。その時、表示灯が点灯して、エレベーターの電源が入った。デジタルの階数表示灯が変わり、カゴが昇って来るのが分かる。
「おいついているなあ。誰かがエレベーターを動かしてくれたんだ」
 兵士達は突然の事に驚くよりも喜んだ。カゴは彼らの前で停止し、手招きするように扉が開いた。
「さあ乗ろうぜ」
 我先にと兵士達はカゴに乗り込んだ。しかしレナードは躊躇した。余りにもタイミングが良過ぎる。考え過ぎかも知れないが、もしCUBEが操作をしていたとしたら危険だ。
「私はよしておく。階段でいくよ」
 レナードは言った。
「馬鹿じゃないのか」
 兵士は馬鹿にしてせせら笑ったが、レナードは非常階段へ向かって歩き出した。
「仕方ない俺も非常階段でいくよ」
 一人の兵士が嫌そうに言い、レナードと同行する為に非常階段の扉を開けた。
「お気の毒に!」
 からかうように兵士達は笑って一階のボタンを押した。扉が閉まりエレベーターは下降し始めた。
 満員のエレベーター内は監視カメラで全ての乗員の顔を確認する事が出来ない。CUBEは兵士達と一緒にレナードがエレベーターに乗っている事を期待し、このままエレベーターを落下させて彼を始末しようと考えた。
 モーターの回転数が急激に上がった。エレベーターは周波数によって制御されているので、いくらでも速度を変えられるのだ。エレベーターが突然急降下し始めて、カゴの中は騒然となった。階数表示が目まぐるしく減っていく。カイドレールを滑る高音のノイズがカゴの中に響き渡り、恐怖で言葉を失った兵士の青い顔が、蛍光灯の光の中に浮かんでいる。
 一階のエレベーターホールでは数人の兵士が、ヘルメットを尻に敷き、壁にもたれて疲れ切った体を休めていた。その兵士達の目の前に、爆発音のような轟音と地震のような振動を立ててエレベーターのカゴが落下した。扉がひん曲がり砂塵を舞い上げている。
 のんびりと座っていた兵士達は、仰天して思わず飛び上がった。回りをキョロキョロと見渡し、何が起こったのか理解出来ない様子だ。扉の隙間から飛び出した血飛沫が、呆然とする兵士の顔に飛び散っている。扉の向こうのカゴの中から、負傷した兵士達の金切り声のような悲鳴と呻き声が漏れてくる。
「大変だ、エレベーターが落下したぞ!」
 事の次第が分かってきて、慌てて兵士が扉を開けようとするが、外側に大きく膨らんで曲がった扉は簡単には開かない。機銃をバール代わりにして隙間に突っ込んで引っ張り、やっと扉はこじ開けられた。カゴの中には血塗れで、覆い重なるように倒れた無惨な兵士の姿があった。何人かは目を見開き、既に息をしていない。
「早く救急車を呼べ!」
 悲惨な惨状にパニックになりながら兵士はがなり立てた。次々と兵士達が駆けつけ、カゴから怪我人を引きずり出した。ホール前に並べられた血塗れの兵士達は、誰もが苦しそうに藻掻き、呻き声を上げて手がつけられない状態だ。
 レナードが非常階段を疲れた顔をしながら降りてきた。エレベーターホールの扉を開けて、目の前の惨状を目の当たりにして愕然とした。彼の予感が的中してしまったのだ。もしもエレベーターに乗っていたら自分も同じ目に遭っていたのかと思うと、背筋が寒くなった。メロ兵士との戦いは終わったが、まだCUBEは反乱を続けている。その現実を見せ付けられてレナードは体が震えた。
「これは何事だ!」
 ウェルマンがビル内に入って来るなり、血塗れの兵士達を見て仰天した。
「エレベーターが落下したんです」
 兵士が答えた。
「エレベーターが落下しただと、何でそんな事が起きる?」
 ウェルマンは不審そうに眉をつり上げた。
「すぐに救護班を呼べ」
 そう指示する彼の目に立ち尽くすレナードの姿が入った。
「こいつは誰だ?」
「マーク・レナードです」
 付き添っていた兵士が答えた。
「こいつがマーク・レナードか」
 ウェルマンはしげしげとレナードを見つめた。彼の顔には好意的な表情はなく、レナードはとても気味が悪かった。
「お前、すぐに地下のコンピューターを止めろ」
 ウェルマンは高圧的に命令をした。
「それが出来ないのです」
 レナードは呟いた。
「きさま反抗する気か、これは大統領命令だぞ!」
 ウェルマンは気分を害したように、頭ごなしに怒鳴った。
 レナードは高位高官的な、ウェルマンの態度が気に入らなかった。この馬鹿に理由を説明して理解出来るのだろうか? はなはだ疑問だ。しかし面倒だが説明しないわけにはいかない。
「コンピューターのプログラムを書き換える為のパスワードを変えられてしまったのです。それがないとコンピューターの保管庫の扉を開ける事が出来ません」
 レナードはごく簡単に説明をした。
「安心しろ。そんな扉ぐらい俺が吹き飛ばしてくれるわ」
 ウェルマンは自信ありげに胸を張った。
「水爆が落ちても壊れない保管庫ですよ」
 ウェルマンの自信を砕くように、レナードが言った。
「何? 水爆だと」
 ウェルマンは急に言葉を失い、そして
「馬鹿者! どうしてそんな丈夫な物を作ったのだ」
 と、今度は怒り始めた。
「一度その保管庫をお見せしましょう」
 つべこべ説明するよりも、こういう男には実物を見せた方が早いに決まっている。レナードはウェルマンと彼の部下を連れて、地下の保管庫へ行く為に非常階段を下って行った。非常階段を降りきった地下十階のフロアにCUBEの保管庫はある。水爆にも耐えられるという、銀行の金庫のような分厚い金属製の扉が、威圧的に人の出入りを阻んでいた。
 扉の前に突っ立って、ウェルマンは考え込み唸った。
「この扉はさすがに丈夫そうだが、壁は砕けるのではないか?」
 ウェルマンは言いながら、コンクリートの壁を手でさすった。
「ジョン! 削岩機を持って来い!」
 ウェルマンが兵士に指示をした。
「はい」
 若い兵士が返事をすると、削岩機を取りに非常階段の方へ向かって駆け出した。
「そんな物でこの壁を砕けるものか。厚さは三メートル以上もあるんだぞ。それに超合金の鉄筋が五センチ間隔で入っていて、間には十センチの厚さの鉛板が三重に挟んであるんだ」
 壁の構造を知っているレナードは、馬鹿げた試みに反論した。
「お前は黙っていろ。そういう事は俺達プロに任せておけばいい」
 しかしウェルマンは、自信満々でそう言い張った。
 戻ってきた兵士が持ってきたのは、道路工事で使うような二台の小型の削岩機だった。早速コンセントに電源を差し込み、二人の兵士が削岩機で壁を砕き始めた。表面のコンクリートは簡単に崩れたが、すぐに鉄筋が現れて削岩機の先端が火花を散らせた。それ以上力を込めても全く先には進まない。
「将軍、この削岩機ではこれ以上掘れません」
 額に汗をどっさり掻いて兵士が報告した。
「何だと、まるで進んでないじゃないか」
 兵士が怠けていると思い込んで、ウェルマンは不機嫌な顔をした。
「鉄筋が邪魔をして削れないんです」
「どれ」
 ウェルマンが削った穴を指でほじくると、コンクリートの奥に、鉄筋が上下左右網の目に入り込んでいるのが見えた。
「プラスチック爆弾を持って来い。吹き飛ばしてやる」
 無駄な足掻きを見せるウェルマンの行動に、レナードはもう口を挟まない事にした。彼がどれだけ努力してもこの壁を貫く事など不可能なのだ。自分が説明しなくてもすぐにその事実に気が付くだろう。
 兵士が削岩機で空けられた穴に、粘土状のプラスチック爆弾を詰め込んでいる。壁に盛り上がるまで爆弾を詰め込み、そこに点火用のコードを差し込んだ。兵士は三○メートル程コードリールを転がして、皆が待機する通路の突き当たりまでやってきた。そしてボタン式の発火装置にコードの端を接続した。
「よし点火しろ」
 ウェルマンが指示をすると、皆は頭を下げて爆破に備えた。兵士が発火装置のボタンを押すと、大轟音と共にコンクリートの破片が辺りに飛び散って、兵士やレナードにも降り注いだ。真っ白なコンクリートの白粉が霧のように通路に立ち込めて何も見えない。粉を吸い込んだのか兵士が咳き込んでいる。
 レナードはハンカチで口と鼻を塞いで、煙が晴れて来るのを待った。しばらくすると周辺の様子が薄っすらと見えてきた。床にはコンクリートの粉が厚く降り積もり、かなりの効果が期待出来そうだ。しかし爆破の後を見ると、広範囲に渡って壁の表面が剥がれ落ちただけで、鉄筋より奥はほとんど破壊されていない。皆は壁の強固さを実感すると言葉を失い、次の方法が浮かんで来なかった。

 シカゴの市内は人通りもないのに、ランバート達のコルベットが目指すフライ社に近づくにつれて、車や人の数が少しずつ多くなってきた。その人達は皆一点を真剣そうな眼差しで見上げている。
「ありゃ何だ?」
 シャフナーが指さした先には、下から何本ものサーチライトに照らし出された、高層ビルがそびえ立っていた。その上空を何機ものヘリコプターが旋回しながら飛び回っている。そこには騒然とした雰囲気が感じられる。
 二五○メートルはあるビルは高層階から黒い煙を上げて、外壁とガラス窓が酷く壊されている。廃墟と化している建物のようにも見える。あそこで一体何があっただろうか? ランバートは悪い予感がした。車がビルに近づくにつれて、彼の予感は現実のものとなった。そのビルこそが目指すフライ社だったのだ。
 ビルの周りは消防車や救急車が目まぐるしく駆け巡り、テレビ局や野次馬に取り囲まれてごった返している。警察や、軍隊が整理に乗り出しているが、混乱が治まる気配はない。
 シャフナーは群衆の中を慎重に、とてもゆっくりとコルベットを走らせた。窓越しの群集は、まるで闘牛場へ向かう牛を哀れむような視線を投げ掛けてランバートを怯えさせた。
「おい車を止めろ」
 目の前に現れた警官が車を制止させた。
「こりゃ内燃機関の車じゃないか、すぐに降りろ逮捕する」
 警官は険しい表情で二人に言い、腰の拳銃に手を掛けた。
 シャフナーは迷惑そうな顔をして、シークレットサービスの身分証を警官の目の前へ突き付けた。
「シークレットサービスの方ですか」
 身分証を見て急に警官の表情が穏和になった。
「そうだ、フライ社のビルへ行かなければならないのだが君誘導してくれないか?」
 シャフナーが警官に頼んだ。
「分かりました」
 警官は素直にシャフナーの頼みを聞き入れて、無数の群集に向かって道を開けるように指示をした。まるでモーゼに導かれるように群集が左右に分かれてランバート達を通した。警官がビル前のバリケードをどけると、コルベットはフライ社の玄関前駐車場に入って停車した。駐車場は破壊されたパトカーや装甲車の残骸がまだ辺りに散らばって煙りを上げている。
「こりゃ酷い!」
 シャフナーがその惨状に驚き声を上げた。
 エンジンを切り、ランバートとシャフナーは車を降りた。そして感慨深そうに、そびえ立つフライ社のビルを見上げた。ランバートは、今から探し求めた相手と向かい合うのだと思うと、急に武者震いが起きた。
「この車、酷いぶつけ方をしているなあ」
 警備の警官が寄ってきて、弾の後やリアやボンネットの酷い凹みをしげしげと眺めた。
「ああ俺達を何度も助けてくれたんだよ、この車は・・・・・・」
 シャフナーがコルベットに感謝をするような目をして呟いた。
 一人ビルを見上げるランバートにシャフナーは、
「さあいくか」
 と、言って彼の肩に手をのせた。ランバートは覚悟を決めたように頷き、二人はビルへ向かってゆっくりと歩き出した。

 フライ社のロビーに二人は足を踏み入れた。そして所構わず破壊された室内を見て驚いた。
「戦争でもあったのか・・・・・・」
 唖然とするシャフナーは、奥のエレベーターホールから担架に載せられて、次々に運び出される血塗れの兵士を見てぞっとした。
 慌ただしく救護兵や医者がロビーを駆け巡っている。シャフナーは混乱する状況の理由を探る為に、一人の兵士を引き留めた。
「何があったんだ」
 と、彼に尋ねた。
「メロの連中と戦争をしたんですよ。勿論我々が勝ちましたけれど、犠牲者も多数出ました」
 兵士は救護に忙しく、煩わしそうに早口で答えた。
「メロと戦っただと!」
 意外な返事にシャフナーは驚いた。
「きっと奴らもCUBEに利用されたんだよ」
 ランバートは沈痛な面持ちになった。
「おいここの指揮官はどこだ?」
 シャフナーは、また兵士に尋ねた。
「地下に見えられます。そこの階段を使って降りられます」
 兵士は非常階段を指さした。
「有り難う」
 シャフナーは礼を言うと、騒々しいロビーを横切って、非常階段の扉を開け、長い階段をランバートと共に降り始めた。二人が非常階段をしばらく降りると、削岩機が岩を砕く耳障りな音と振動が耳に届いてきた。地下五階へ到着すると、今度は騒がしく言い合う人の声が聞こえる。声のする方向へ足を進めると、目の前に数人の兵士達が削岩機で、コンクリートの壁を削っている姿が見えてきた。
「こいつら何をやっているんだ?」
 シャフナーは不思議そうに兵士達を見つめた。
「おい、ここは民間人の来る所じゃないぞ!」
 二人の姿を見つけたウェルマンが怒鳴った。
 シャフナーは不機嫌な顔をしながら、ウェルマンの方へ向かって歩いて行った。
「俺達は民間人じゃない」
 と、シークレットサービスの身分証を提示した。ウェルマンがそれを覗き込んだ。
「シークレットサービスだと、何しに来たんだ。ここは俺達に任せておけばいい、さっさと立ち去れ」
 ウェルマンは今度は二人を邪魔者扱いした。
「そういうわけにはいかない。大統領の命を受けて俺達はここへ来ているんだ」
 シャフナーは毅然とした態度で反論した。
「大統領だと?」
 シャフナーの言葉を聞き、ウェルマンの眉がピクッと動いた。
「そうだ、カールソン大統領の命令でここのコンピューターを停止させにきた」
 二人のやり取りが、隅で座り込んでいたレナードの耳に入ってきた。塞ぎ込んでいたレナードは顔を上げて立ち上がり、二人の方へよろよろと歩き出した。
「お前達に止められるわけないだろう。我が米国陸軍の優秀な兵がこうやって苦労して作業しているんだ、邪魔しないで帰ってくれ」
 ウェルマンは二人を鬱陶しく感じて嫌味を言った。
「ちょっと待ってくれ」
 レナードが口を挟んだ。そして、
「君達は何者なんだ?」
 と、尋ねた。
「俺達はここのコンピューターを停止させる為に大統領から命令を受けてやってきた」
 シャフナーがレナードを見て言った。
「出来るのか、それが?」
 思い悩んでいたレナードが、胸のつかえが取れたような晴れた顔をした。
「分からないが、奴ならやれると思う」
 シャフナーがランバートを指さした。
「君は?」
 レナードが怪訝な目をして、ランバートの顔を見た。
「ウィリアム・ランバートと言います」
「何、ウィリアム・ランバートだって! 史上最年少のHC2所持者じゃないか」
 レナードがランバートの名前を聞いて驚き、叫んだ。
 ランバートは初めて会うレナードが、自分の名前を知っていた事はとても意外だった。
「嬉しいよ、私はマーク・レナードだ。君の噂は聞いていたが、会うのは初めてだなあ」
 懐かしい旧友に出会ったような表情を浮かべて、レナードは微笑んだ。
「でもランバート君、残念だが君にもCUBEを停止させる事は出来ないのだ」
 レナードは大きな溜息を落とすと、今度は辛そうに視線を下げた。
「何故ですか?」
 突然そんな事を言われてランバートは戸惑い、その理由が知りたかった。
「CUBEに接続する為のパスワードを書き換えられてしまったんだ。CUBEを停止させるには、メインプログラムを書き換えるか、保管庫に入って直接無停電装置の電源を落とすしかないんだが、どちらをするにもパスワードが必要なんだよ」
 八方塞がりで、打つ手のないレナードは、行き詰まった表情をしている。
「どうしてそんな事に?」
 ランバートは尋ねた。
「パスワードを書き換えろとメロの連中に脅されたんだ。銃を突き付けられてね。仕方なく書き換えをした後に、鍵カードを壊されてしまったんだ。奴らが何であんな事をしたのか見当もつかないよ」
 レナードは嘆いた。そして、
「CUBEは今も何かを企んでいる。もうハイクリエイトワンを持っている人間しかCUBEを止める事は出来ないよ」
 と、レナードは絶望的な声を出した。
 "ハイクリエイトワン"その言葉を聞いてランバートの表情が突然険しくなり、胸のペンダントを強く握りしめた。
「ここにハイクリエイトワンがある!」
 思わずランバートは大声を上げた。その声の大きさに驚き、誰もがランバートの方を振り向いた。削岩作業をする兵士さえも何事かと作業の手を止めてしまった程だ。
「このメモリーカードのデータを、クリエイト協会のコンピューターに転送して下さい。そうすれば僕はハイクリエイトワンに認定される」
 ランバートは興奮して顔が紅潮してきた。
「あの噂は本当だったんだ・・・・・・」
 高ぶるランバートとは対象的に、目の前には愕然としたレナードの顔があった。
「何がですか?」
 ランバートにはレナードの呆然とした様子が不思議だった。
「私は六年前からクリエイト協会の理事をしてしていてね。その頃からローランド博士の悪い噂が流れていたのだよ」
「どんな?」
「博士が不正を働いて、HC1を何者かに所持させたという噂が協会の中に広まっていたんだ。勿論私はそんな噂は信用していなかったが、まさかそれが本当だったとは」
 レナードは顔を強ばらせた。が、ランバートはその話を裏付けるように説明を始めた。
「博士はいつかコンピューターが反乱を起こすかも知れないと懸念していて、僕にHC1を無理矢理取らそうとしたのです。それは不正だったかも知れないけれども、博士の考えは正しかった。これでCUBEを止める事が出来るんです」
 ランバートは胸のメモリーチップをレナードの前に差し出した。
「それが出来ないんだよ・・・・・・」
 目の前で揺れるメモリーチップを見てレナードは残念そうに呟いた。
「え?」
 レナードの言葉にランバートは困惑した。
「噂の後も博士は理事会がある度にHC1の必要性をしつこく訴えてね、その内に博士は本当にHC1を誰かに取らせるのではないかと、皆が疑い出したんだ。そこで理事達は博士には内緒でクリエイト協会のコンピューターに、HC1に対してのプロテクトを密かに掛けさせたんだ。つまり新しくHC1を登録出来なくしてしまったんだよ」
「そんな・・・・・・」
 ランバートは愕然とした。興奮していた気持ちが急に冷めていく。ここまで命がけで守ってきたHC1が使えないなんて・・・・・・。
「でもそのプロテクトを解除すればいいんじゃないですか?」
 と、ランバートは僅かな希望の糸を辿るように、思い浮かんだ事を言ってみた。
「それが出来るかどうかは分からないが、やってみるしかなさそうだ」
 レナードは頷き、その方法を試す事に賛同した。
 レナードがクリエイト協会へ連絡する為に、胸からPDAを取り出した途端、兵士達は再び削岩作業を再開した。余りの騒音に電話を掛けられる状況ではなくなった。
「上へ行こう」
 顰め面をしたレナードは、ランバートとシャフナーを連れて、この場所を離れる事にした。

 レナードが二人を連れてきたのは、ビルの二階にある休憩室だった。コーヒーやジュースの自販機に、丸いテーブルが幾つも置かれている。レナードがコーヒー自動販売機の認識窓にHDカードを翳すと、パネルにメニューが表示された。コーヒーを選択してボタンを押すと、カップにコーヒーが注がれていく。
「しばらく停電をしていたから、ぬるくなっていると思うよ」
 レナードはテーブルにカップを置き、二人に勧めた。
 ランバートは礼を言って一口飲んだ。確かにぬるいコーヒーだったが、こうやって椅子に座って喉に流し込むと、久しぶりの安堵感に浸る事が出来た。ようやく一息つけたのは、シャフナーやレナードにとっても同じだった。余りにも緊張感が張りつめた中に彼らは居過ぎた。
「何故CUBEが暴走していると分かった?」
 レナードは疑問に思っていた事を率直にランバートに尋ねた。
「CUBEが大統領宛に送ったメールの痕跡を探したんです」
 ランバートは答えた。
「痕跡を探しただと、ネットからCUBEの中に入り込んでか?」
「はい」
 ランバートは頷いた
 レナードはランバートの行った事をすぐに理解し、そして驚いた。CUBEにはプログラムとデータの違いはなく、データからの新たな情報を、新しいプロブラムとして次々に書き換えていく。その為にCUBEは刻々と進化していく事が出来るのだ。まさか外部からそのCUBEのプログラムに侵入したとは・・・・・・。
「それまで凄い時間が掛かったんだぜ」
 シャフナーが自分の手柄かのように自慢した。
「そりゃそうだろう、多分幾つもコンピューターを経由してそのメールは届いていたに違いない。クリエイト協会の力を総動員しても数ヶ月は掛かるだろう。君はいつ頃から調査していたんだ?」
 レナードが尋ねた。
「何を馬鹿な事を聞いてるんだ。そりゃ昨日の事だよ」
 コンピューターに疎いシャフナーには、ムーアのスタンドでランバートが行った作業が、いかに大変な事であったかを理解するのは無理だった。
「昨日?」
 レナードは首を傾げて、聞き直した。
「そう昨日さ、それでも八時間もボロコンピューターに向かっていたんだ」
 シャフナーは続けたが、ランバートは何も答えなかった。
「八時間だと!」
 レナードは驚愕して、声を張り上げた。
「そうだよ八時間もコンピューターを使っていたんだ、凄いだろう。俺なんか三○分ともたないよ」
 益々シャフナーは饒舌になってくる。
「勿論インナーヘッドを使ったんだろうな」
 レナードが興味津々な目をしてランバートに尋ねた。やはり彼は何も答えなかった。
「そんな物あるかよ。オンボロコンピューターだぞ」
「手入力でか。そんな事は絶対に不可能だ」
 シャフナーの代弁では、信じられない事ばかりだ。レナードは疑心暗鬼に陥ってしまった。
 ランバートが話したがらないのは、自分のした事が人間業では無い事を、彼自身が良く分かっているからだった。
「インナーヘッドも使わず、僅か八時間でCUBEに辿り着くとは、HC2ってそんなに凄いのか・・・・・・」
 レナードは首を捻って考え込んだ。目前の実直そうなランバートを見ていると、彼が嘘を付いている様には思えない。
「しかしHC2を前にすると震えるなあ。我が社でも三人のHC4がいるが、それでも会社のステータスになっているんだ。君が我が社に来てくれるなら、即重役として迎えるよ。もっとも我が社程度の会社に来てもらえるとは到底思えないが・・・・・・」
 レナードは超一流企業であるフライ社を謙遜してそう言った。実際HC2が民間企業で働く事はない。HC2はそれ程特別な資格なのだ。もしレナードがランバートの本当の仕事を知ったら卒倒するかも知れない。
「さてそろそろ電話をするとしようか」
 レナードはカップを置くと再びPDAを取り出し、クリエイト協会へ電話を掛けた。しばらくの呼び出し音の後、PDAの画面に若いコンウェイの姿が現れた。
『あれ、レナード理事じゃないですか。今フライ社大変ですよね。大丈夫ですか?』
 テレビでも見ていたのか、コンウェイは心配している。
「ああ今そのフライ社から電話をしているんだ。ところでスタンプはいるか?」
 スタンプの名が出て、シャフナーは電話の内容に耳をそばだてた。
『主任はここ数日休みなんですよ』
「そうかそれならモーガンはいるか?」
『ええ、代わります』
 しばらくしてモーガンが画面に現れた。
『理事大丈夫ですか?』
 モーガンもレナードを気遣ってくれた。レナードはどうもクリエイト協会の者とは顔馴染みのようだ。
「ああ何とか生きているよ。ところでスタンプはどうしたんだ?」
『さあ、最近出社していないんです。こんな事は今までなかったんですが・・・・・・』
 モーガンは心配そうに落ち込んでいる。
「いつから来てないんだ」
 心配したシャフナーが隣から口を挟んだ。話を邪魔されて、レナードは迷惑そうな顔をした。
『あれシャフナーさんですか?』
 思いも寄らない人物の登場にモーガンは驚いた。
「知り合いなのか?」
 レナードも意外そうな顔をした。
「ええ」
 シャフナーは答えた。
『四日程前からです』
 モーガンの問いにシャフナーは、スタンプと別れたのが五日前である事を思い出して嫌な予感がした。
「すぐに奴の家を調べて来い!」
 シャフナーは叫んだ。
『多分風邪でもひいているのだと思いますが、コンウェイにでも行かせます』
「ああ頼む」
 スタンプが悪い事に巻き込まれてなければいいがと、シャフナーは心配した。
 シャフナーとの会話が終わって、レナードが会話を続けた。
「モーガン、そこのコンピューターはHC1に対してのプロテクトが掛かっていると思うが、それを今から大至急解除してもらえないか」
『HC1のプロテクトですか? ちょっと待って下さい』
 モーガンはそう言うと、後ろを向いて別のプログラマーと何やら相談している。その様子が画面に映っている。しばらくしてモーガンは再びPDAの画面に戻ってきた。
『それは難しいですよ。そのプロテクトを作成したのはスタンプなんです。彼じゃないと解除をするのは無理ですよ。何しろどうプログラムを組んだのか分かりませんから。下手にプログラムをいじるととんでもない事になりかねません』
 プログラムを組んだスタンプがいなければ無理は言えない。行動が裏目裏目に表れてレナードは弱り果てた。とにかく大至急スタンプを連れて来るしかなさそうだ。
「分かった、とにかくすぐスタンプを連れて来てくれ」
 レナードはモーガンに頼んだ。
『分かりました。すぐに行って来ます』
 モーガンの言葉を最後にPDAのスイッチは切られた。思ったように事が進まないもどかしさから三人は意気消沈し、しばらくうつむいたままで互いの顔を見る事が出来なかった。
「ランバート君、確か君はHC2の登録は済んでいるんだよなあ・・・・・・」
 暗い雰囲気の中、何かを思い出したようにレナードがぽつりと呟いた。
「ええ」
「今思い付いたのだが、うまくいくとCUBEのメインプログラムを変更出来るかも知れないぞ」
 思いがけない事をレナードは言った。
「本当ですか」
「ああ、確かHC2は複数のプログラムを行き来する事が出来るはずだ。CUBEのメインプログラムは元々一つだから、枝分かれしたプログラムを辿っていけば、最終的にメインプログラムに行き着くはずなんだ」
 レナードが言うように、理論的にはプログラム間を渡っていけば、メインプログラムに行き着く事は可能だ。しかしCUBE程のコンピューターになれば、そのプログラムの数は無限である。プログラムの枝を渡って、メインプログラムに行き着くのにどれ程の時間を要するのか見当も付かない。でも今は迷っている暇はない。僅かでも希望のある事は試してみるしか方法はないのだ。
「やりましょう」
 ランバートはそれに賭ける事を決断し、力強く返事をした。