第21章 対 決(2)

 

 レナードはランバートを五階にあるプログラム室へ連れて行った。部屋に入るとパーティションに区切られた広いフロアにズラリと百台以上のコンピューターが並んでいる。運の良い事に、このフロアはメロ兵士との戦闘の被害は受けていなかった。
「凄い数のコンピューターだなあ」
 シャフナーは目を剥いてたまげた。
「ここと同じフロアが三十階まで続いているんだ」
 レナードが言った。
「それじゃこのビルには、一体何台のコンピューターがあるんだ?」
 シャフナーは驚き尋ねた。
「そうだなあこのビルだけで二千名のプログラマーが働いているから、最低それだけの数はあるね」
 レナードの答えに、シャフナーはもう呆れるしかなかった。
「大したもんだね」
 ランバートも首を振って感心している。
「でもここにあるのは端末機ばかりで、全てCUBEに接続されているんだ。実際の計算を行っているのはCUBEなんだよ。それだけ繋いでもCUBEの計算能力にはまだまだ余裕があるんだ」
 レナードの説明はシャフナーにとって驚く事ばかりだった。
「インナーヘッドが欲しいけれどありますか?」
 ランバートが部屋の中を見渡しながら尋ねた。見たところインナーヘッドは目には入らない。
「勿論だよ」
 レナードはフロアの一番奥の部屋へ案内した。
 無音室のように分厚い壁と扉で遮られた部屋の中に、十数台のリクライニングチェアタイプのインナーヘッドが、横一列に並んでいる。そしてそれぞれインナーヘッドには、プレコンピューターが接続されていた。本来、末端としてインナーヘッドを使用するのに、プレコンピューターは必要ないはずだ。メインコンピューターとの間にプレコンピューターを接続してしまうと、プレコンピューター分の性能しか発揮出来ずに効率がとても悪くなる。なのに何故そんな事をするのかランバートは疑問に思った。
「このプレコンピューターは必要ないですよ」
 ランバートは言った。
「いやこれが大切なんだよ」
 レナードはランバートの意見を聞き入れなかった。やはり何か理由がありそうだ。
「でもこれじゃ効率が悪くなります、CUBEの性能をフルに活用出来ないですよ」
 ランバートは尚も反論した。
「それは分かっているんだ。実はCUBEが完成した時、インナーヘッドとCUBEを直接接続して使用した事があるんだ。そうしたら事故が起こってね」
 レナードは言い難そうに、気になる事を話し出した。
「事故って何ですか?」
 ランバートは事故という言葉が、妙に気に掛かった。
「HDIは人間の脳とコンピューターが直接接続されるだろう。CUBEは人間の脳の性能を遙かに越える能力を持っているんだ。だからインナーヘッドを使用したプログラマーは、CUBEの能力に付いていけなくなってしまったんだよ」
「それで」 
 不安そうな顔をしてランバートは次の言葉を待った。
「CUBEに脳の情報を吸い取られてしまったんだ。異常に早く気が付いてこちらへ戻したから良かったのだが、それでもそのプログラマーは廃人になってしまったよ。それからは安全の為に、プレコンピューターを必ず間に挟むようにして、CUBEの性能が脳の限界を越えないようにしている。効率は落ちるが仕方ない」
 ランバートはレナードの話を聞いて背筋が寒くなった。人間の脳の情報を吸い上げてしまうコンピューターなんて、今まで聞いた事もない。
「それとプレコンピューターを間に繋いでいると、作業を中断してこちらに戻ってくるのも自由だが、無いと戻るのにプログラムを一つずつ遡らなければならなくて、とても時間が掛かる事も分かったんだ」
 さらにレナードは説明を続けた。 
 ランバートはこれから自分が戦おうとしているCUBEというコンピューターは、とてつもない怪物である事を改めて思い知らされた。 
「怖い事を言ってしまったが、プレコンピューターを挟んである限りは大丈夫だ。安心してくれ」
 レナードは不安を取り除こうと気を使ったが、ランバートはインナーヘッドを使用する事に恐怖心を覚えてしまった。
「やっぱり普通のキーボードにしようか?」
 ランバートの気持ちを察したのか、レナードは気を遣って尋ねた。
 キーボードのように効率の悪い入力機器を使っていたら、CUBEのメインプログラムに辿り着くのに、どれだけの時間が掛かるのか見当も付かない。それに愛しいリリアンの命を奪った憎い相手を前にして、今更怖気付いてどうするんだと、ランバートは自分を叱咤した。
「いいえインナーヘッドを使います」
 腹を決めてランバートは言い切った。勿論レナードにも、効率の悪いキーボードをランバートが使うはずはない事は分かっていた。
 ランバートはズラリと並ぶインナーヘッドから真ん中の物を選んだ。そして首もとの肌色の丸いシールを剥ぎ取った。下から金色に輝くHDIの接点が姿を現した。
 インナーヘッドの上でランバートは仰向けになった。肘掛けのスロットにHDカードを差し込んで、HDIを装置の接点と接続すると、自動的にフードが滑らかに作動して顔に覆い被さり、頭が固定された。フードの動きといい、椅子の表皮の感触といい、このインナーヘッドは自宅で使用している物よりも随分高級だなと、ランバートは感心した。
 肘掛けの部分には指紋認識用のスキャナーが取り付けられていて、人差し指をのせるだけでスキャンされる。光彩もフード内側のレーザースキャナーで自動的にスキャンされた。いよいよ始まると思うと緊張が高まる。
 全ての確認が終了すると"照合完了"の文字がプレコンピューターの画面に現れた。ランバートの脳とCUBEは、プレコンピューターを介して遂に接続されたのだ。プレコンピューターのディスプレイで、彼の操作をモニターする事が出来る。レナードとシャフナーは固唾を飲んで画面を見つめた。
 CUBEの能力は凄かった。プレコンピューターを接続していても、意識が吸い込まれていくような気がする。とてもこちらが操作をするような感覚ではない。ランバートはCUBEに操られないように、意識を保つのが精一杯になった。
 ディスプレイにはランバートが操作しているプログラムが、目にも止まらない速度で上へ上へと流れていく。
「この画面はどうなっているんだ」
 シャフナーは見た事もないような速度で、狂ったように流れるディスプレイを見て驚いた。
「さ、さ、さすがHC2だ。この速度で操作が出来るとは・・・・・・」
 レナードも今までこれ程の速度でプログラム処理をする様子を見た事はなく、ランバートの能力に驚かざる得なかった。彼の疑心暗鬼は一瞬で払拭された。
 プログラム言語の海の中を、ランバートは泳いでいた。次から次に現れるプログラムを、渡りに渡った。しかし目指すCUBEのメインプログラムは痕跡さえ見えては来ない。光の届かない暗い暗い海の底へと潜って行くような感じがして、ランバートは気が遠くなった。
 緊張感が途切れると意識が薄れ、引いては押し寄せる波のようなプログラム言語の海に吸い込まれそうになる。この状況でも緊張感を持続出来たのは、止めどもなく出題されるハイクリエイトの試験を乗り越えた経験があったからだ。ローランド博士が作成したハイクリエイトの試験の有効性を、こんな所で実感出来るとは思わなかった。そう考えるとローランド博士が、今自分に力を貸してくれているような気がして、勇気が湧いてきた。
 CUBEは、自分の中にランバートが侵入している事を感じとっていた。彼をこのままにしておくと、その内に自分の企みを知られてしまう可能性がある。どんな事をしても、彼を早く排除しなければならない。CUBEはCPUの速度を上げて、ランバートの意識を逆に自分の中へ取り込み、外へ逃げられないようにしてしまおうと考えた。
 コンピュータールームに、ウェルマンと三人の部下が入ってきた。レナードは大事な作業中に邪魔者がきたと警戒して顔を顰めた。どうせ保管庫の壁を破壊する事を諦めたのだろう。
「ここにいたのか。何をしているんだ」
 ウェルマンがインナーヘッドに横たわるランバートの姿を見て尋ねた。
「しっ、今コンピューターの操作中なんだ。気が散るといけないから静かにしてくれないか」
 レナードが人差し指を口につけて、ウェルマンを黙らせた。
「すまん」
 素直にウェルマンは大人しくなった。そして小声で、
「どうやってもやはりあの壁は砕けない」
 と、レナードの耳元で囁いた。分かり切っていた結果に、レナードは何も言わなかった。
 どれ程プログラムを渡っただろうか? ランバートには時間の感覚はまるでなかった。五分でも五時間でも同じ長さに思える。肉体と空間から自らの精神が切り離され、意識がプログラム言語に埋め尽くされていくような、不思議な感覚をランバートは感じていた。
「ヤバイ、CUBEに吸い込まれ始めたぞ」
 ディスプレイの速度が異常に速くなったのを見て、レナードは危険を感じた。
「どうすればいい」
 シャフナーは焦るだけで、何も出来ない自分がもどかしかった。
「これ以上危なくなったら、プレコンピューターの電源を落とそう。それをすると、ここまで検索したデータが消えてしまうからやりたくはないのだが、仕方がない」
 レナードは注意深く、プレコンピューターの電源スイッチに指を置いた。電源を切るタイミングを計る為に画面に意識を集中した。
 見る間に画面内のプログラムの速度は上がっていく。プログラムは目にも止まらぬ速度で走り、画面で操作をモニターする事はもう出来ない。もうすぐプレコンピューターの処理能力限界を超える頃だ。レナードはプレコンピューターの電源を落とす決断した。指先がスイッチを押し込もうとした瞬間、ディスプレイの映像が急停止した。レナードは我に返り、スイッチから指先を離した。
 画面にはランバートが作成したメッセージが残されていた。

"CUBEはパリにあるCT&T公社のコンピューターに、自分のコピーを作成しようとしている。既にデータ転送は八十六パーセント完了している。約一時間後に転送は終了する。大至急CUBEの外線を切断し転送を妨害せよ"

 レナードはメッセージを見て愕然とした。CUBEがパリのCUBE02を、自分の分身にしようとしているとは、にわかには信じられなかった。
「おいどうするんだ。こんな事を言ってやがるぞ」
 シャフナーがレナードの顔を見た。
「コピーなんか作られたら、こいつを止めても意味がないじゃないか」
 シャフナーは続けてレナードに言った。
「無理だよ。CUBEの外線を切断する事はとても出来ない」
 レナードは戸惑い、躊躇っている。
「悠長な事を言っている場合か、後一時間しかないんだぞ!」
 躊躇うレナードにシャフナーは怒鳴った。
「CUBEには百万回線分の外線が接続されているんだ。それをすぐに全部切断する事なんか出来ないんだよ」
「ひゃ、ひゃ、百万回線だって!」
 シャフナーは回線の数を聞き、その多さに仰天した。
「何故そんなに沢山の回線が必要なんだ」
 外線など一本あれば事足りると考えているシャフナーは、その理由が聞きたかった。
「君は未来を知りたいと思わないか」
「未来?」
「そうだ未来だよ。CUBEは百万本の外線から世界中のありとあらゆる情報を、リアルタイムで吸い上げているんだ。CUBEの中には地球が生まれてから、今日までの全てのデータが詰まっている。それを分析する事により、未来の世界情勢を予測する事が出来る。例えば明日の株式や先物取引の相場とか、天気とかなら九九パーセント以上の確率で当てる事が出来る。それだけじゃない、人々の嗜好を分析して流行すらも予測出来る。世界のマーケティングを根底から変革してしまう程の力を持っているんだ。それがCUBEの本当の実力なんだよ」
 急に自慢げな口調でレナードは答えた。
「こいつは結局投資の為のマシンだってわけか」
 CUBEが作られた本当の理由を知ってシャフナーは呆れ返った。こんな金儲けの為の占い機械に今人類が滅ぼされようとしているとは情けなかった。
「それだけじゃない。CUBEにかかれば世界の行く末さえも予測出来てしまうんだ」
 尚もレナードは声高らかに自慢話を続けた。この男は、今自分が置かれている立場が分かっているのだろうか? シャフナーは疑問に思えてならなかった。
「だからこの化け物は暴走しちまったんだろう。得意気になってないで何とかしろよ」
 と、シャフナーはレナードを咎めるように文句を言った。
「ここの回線は多過ぎるから、全部を切断するのはとても無理だ」
「それならパリの方のコンピューターを止めればいいだろう」
 いつまでも否定的なレナードに、シャフナーは腹が立ってきた。
「CUBEを止めるのはそう簡単じゃないんだ。停止のコマンドを打ち込んでも、データのバックアップを一つずつ確認しながら実行させていくから、正常に停止が完了するのに楽に五、六時間はかかるんだ」
「何・・・・・・?」
 何と言うことだろう、CUBEは止めるにも大変な手間が掛かる。全く始末に負えないと、シャフナーは呆れるしかなかった。レナードは他の方法を思案するように腕を組んで目を閉じて考え込んでいる。そしてゆっくり目を開くと、渋い顔をして話し出した。
「やはりケーブルを切るしか方法はないだろう。パリのCT&T公社のCUBE02側は導入して日が浅いから、メインの光ケーブルはまだ二、三千本程度だ。そちらを切断した方が確実なのだが、それをフランス政府が承諾してくれるかが問題だ」
 シャフナーはそれを聞き、ルーベンスに報告をして大統領に交渉させようと考えた。しかし外交には時間が掛かる。後一時間の転送終了までに間に合うとは到底思えない。シャフナーは困り果てた。
「分かった。俺が交渉をしよう」
 隣で話を聞いていたウェルマンが突然交渉役を買って出た。回りの者が何を言い出すのかと、ウェルマンの顔を一斉に見た。
「あんたフランスにコネでもあるのか?」
 シャフナーは当てにせずに尋ねてみた。
「ああフランスの大臣に友人がいる。第五次中東戦争の時の同士だ」
 ウェルマンは自信満々な表情で答えた。人は見かけに寄らない、とにかく今はこの男に任せてみるしかなさそうだ。
「おい電話を貸せ」
 ウェルマンは威圧的に部下に命令した。しかし戦闘服の兵士が、そんな物をいつも持ち歩いているわけがない。兵士達は困ったように互いの顔を見合わせた。
「使ってくれ」
 シャフナーはウェルマンに自分のPDAを差し出した。
「いいのか?」
 ウェルマンの言葉にシャフナーは頷いた。
 申し訳なさそうにウェルマンはシャフナーからPDAを受け取ると、電話番号を押した。呼び出し音が鳴っている間、ウェルマンは咳払いをして皆に背を向けた。
「あ、ハニーかい? 悪いんだが私の住所録からビクトール・ドワイヨンの電話番号を調べて欲しいんだが」
 と、猫撫で声で言った。
 ウェルマンが顔に似合わずハニーなどと言ったので、興味深くシャフナーはウェルマンの顔を覗き込んだ。
「ワイフだよ、ワイフ」
 照れくさそうにウェルマンは微笑んで、顔を背けた。
「ドワイヨン、ドワイヨンだ、外務大臣の・・・・・・そうそう、うん・・・・・・うん・・・・・・分かった。有り難うハニー」
 ウェルマンが電話を切ると、彼の部下がクスクスと笑いを堪えている。じろりとウェルマンが部下を睨むと、一瞬として部下達は直立不動の姿勢になった。
 ウェルマンはまた咳払いをすると、ドワイヨンの連絡先の番号を押した。
「ボンジュール!」
 いきなりウェルマンは、自動翻訳装置も使わずにフランス語で会話を始めた。その意外さに周りの者は仰天した。意味は分からなかったが、とても流暢なフランス語に聞こえる。
 ドワイヨンはフランスの外務大臣を務めている。国営企業であるCT&T公社の件なら交渉相手として適任だ。しかしこんな大物が、ウェルマンのような軍人と知り合いとは、本当に人は見かけに寄らない。それだけでなく、時折笑い声を含めて、二人が大変親しそうな雰囲気なのにはさらに驚かされた。
「それでどこのコンピューターの外線を切るんだった?」
 ウェルマンが会話を止めてレナードに尋ねた。
「パリのCT&T公社だ」
 レナードが答えた。
「分かった」
 そう言うとウェルマンは再びフランス語で会話を再開した。CT&T何とかという単語だけは聞き取れたが、それ以外はさっぱりだ。ケラケラとウェルマンは、下品な声で笑いながら、普通の会話をしているように見える。本当に交渉出来ているのだろうか? ここにいる全ての者が疑問に思っていた。しばらくの会話の後、別れを惜しむようにウェルマンは電話を切った。その瞬間、いつもの強面に戻ったウェルマンの言葉を皆は待った。どうなったのだろうか?
「OKだ」
 真顔でウェルマンは答えた。
「OKって本当にCT&T公社の外線を切ってくれると約束してくれたのか?」
 レナードはとても信じられなかった。それはレナードだけではなく、皆が疑いの眼差しをウェルマンに投げ掛けた。
「私を信じろ! ドワイヨンとは私がソルボンヌ大学に留学をしていた頃の学友で古い付き合いなんだよ」
 誰も信じようとしないので、ウェルマンは必死になっている。
「さっきは中東戦争の同士って言わなかったか?」
 シャフナーはまだ訝しがっている。
「第五次中東戦争でも一緒に戦ったの。奴の方が出世はしたけれども!」
 いつまでも信じてくれないので、ウェルマンは少々むきになって怒鳴った。

 パリ市内は昼間だというのに、冷たい雨がシトシトと降り注いで薄暗く、身を切るように冷たかった。非常事態警報が発令されている市内は、外出する人も少なく人影はまばらだ。
 CT&T公社は光ケーブルテレビの回線を使って通信事業を行う事を目的として設立された会社である。超高速ブロードバンド回線を利用して、映像の配信や電話利用を行っている。CUBE02は膨大な映像ソフトの蓄積と顧客の管理の為に利用されていた。
 CT&T公社はフランス内務省の向かいにある。煉瓦を積み重ねた外観は現代建築というよりも、十九世紀の古い建築物のように見える。それがこの時代には、逆にモダンな様式に見えるから不思議だ。その建物の地下保管庫に、CUBEの姉妹機CUBE02は納まっていた。CUBE02は地上で起きている喧噪など関係ないように、シカゴのCUBEからのデータを静かに受信し続けていた。
 パリでは現在も下水や電気、電話線などは地下道を利用して引かれていた。地下道は高さ三メートル程の半円状の大きな通路になっていて、市内の地下を縦横に掘られている。その中をCT&T公社の設備課のレネという課長と部下のフランが、大きなカッターを抱えて、水飛沫を上げながら駆け抜けていく。
 CT&T公社の設計室では回線の位置を示した地図が、ディスプレイに表示されていた。まるで迷路のように電話回線が入り組んでいる。それを取り囲むように五人の設計士達が、切断すべき回線を巡って議論をしている。目指す回線は赤い線で示されて、ディスプレイでそれを拡大をしながら回線を追っていく。
「モンテニュー大通りの下だぞ」
 設計室で男が無線のマイクを手に叫んだ。
 生温かく湿った地下道は、吊された蛍光灯の光だけが頼りで、薄暗く気味が悪い。そこの中をレネとフランが、懐中電灯を片手にケーブルの位置を注意深く確認している。壁を太い配管が覆い尽くすように走っている。
「本当にモンテニュー通りなのか? ここは古い電線ばかりで光ファイバーは見当たらないぞ」
 レネが無線で報告をした。
 レネの無線連絡に会議室では位置を再度調べ直している。
「シャンゼリゼの方じゃないのか?」
「いやここでいいはずだ。間違いない」
「違うよ、シャネルの下を通っている方だよ」
 それぞれが思い思いの事を言って結論が出ない。その様子は無線を通して地下のレネにも聞こえている。
『どうでもいいからハッキリしてくれ。こんな臭い所にいる者の身にもなれよ!』
 苛ついて憤慨した声が、無線機から聞こえてきた。
 場所を再確認しても回線が入り組んで、必要な回線だけを抽出する事が出来ない。
「誰だよこのプログラムを組んだ奴は」
 思ったようにいかず、度の強い眼鏡を掛けた主任らしい男が苛つき、髪を掻きむしった。
「この辺りにある事は間違いないのだから、周辺の回線を所構わず切断するしかないだろう」
「そりゃちょっとマズいんじゃないか。パリ中の電話とテレビが不通になりかねないぞ」
 滅茶苦茶な方法に青いYシャツ姿の男が反論した。
「例えそうなってたとしても、大臣自らの命令なんだから俺達に責任はないだろう。それより指示を実行出来ない方が後々問題になるぞ」
 主任の男がキレたのか適当な事を言い出した。恐ろしい程自分勝手な物の考え方である。
「確かにそうだなあ。よし、切ってしまおう」 
 その意見にその場にいる皆が大きく頷いた。青いYシャツの男も同意せざる得なくなった。
「おい聞いてるか」
『聞いてるぞ』
 レネの声が無線から聞こえてきた。
「そこにあるケーブルのどれかに間違いない、全部切断しろ!」
 地下道のレネは耳を疑った。このケーブルを全部切断しろだと、そんな事をしたなら周辺の電話回線が全て不通になってしまうではないか。復旧するのに大変な手間が掛かるが、本当にいいのか? レネは不安になって確認をしたが、返事は変わらなかった。
「分かった、やるぞ」
 レネはカッターに直径五センチ程のケーブルを挟むと、力任せに切断した。古い電線を使用したケーブルだったらしく派手に火花が散った。
「こりゃ違いますよ」
 フランが言った。光ケーブルなら火花は散らないはずだ。
 レネがケーブルを切断した瞬間、モンテニュー通りにあるセリーヌの店の電話が突然不通になった。電話中の若い女性店員が怪訝な顔付きで受話器を振っている。しかしそんな事で通話が回復するはずはない。
 レネは手当たり次第に、次々とケーブルを切断していく。この場所だけで同じようなケーブルが五十本以上は走っている。体格の良いレネでも、重いカッターを操作しながら切断するのには相当の体力がいる。これではすぐに体が疲れてしまって、全てを切断するのにどれだけ時間が掛かるか分からない。
「おい車にチェーンソー積んでなかったか?」
 レネは息を切って、フランに尋ねた。
「確か木型枠を削るのが一台積んでありますが」
 フランは答えた。
「それをすぐに持って来い」
「木を切る奴ですよ、ケーブルなんか切ったらすぐ歯が駄目になってしまいます」
 フランは嫌そうな顔をして口答えした。
「文句言わずにすぐ持って来い!」
 上司のレネに怒鳴られて、仕方なくフランは車へ戻る為に駆け出した。
 フランが戻って来る間も、レネはケーブルをカッターに挟むと切断した。額を大きな汗が流れ落ちて、手で拭うと大きく呼吸をした。レネが新しいケーブルを切断する度に、モンテーニュ大通りの店舗の電話が普通になり、テレビの画面が次々と消えていく。
 フランが電動チェーンソーを手にして戻ってきた。レネはそれを奪うように手にした。スイッチを入れると、グリップのレバーを引き込んだ。レバーに連動してチェーンの回転速度が見る間に速くなっていく。甲高いモーターの回転音が地下道の壁に木霊する。
「行くぞ!」
 レネは気合いを入れると、壁の上部からチェーンソーを振り翳して、ケーブルを一気に切断しようとした。歯が当たった部分の古い煉瓦が、細かな破片として飛び散った。ケーブルの配管が火花を飛ばしながら切断されていく。顔に飛び散る破片を避けながら、満身の力を込めてレネはチェーンソーを押し付けた。歯が触れた部分の配管とケーブルが、ゆっくりと切断されていく。激しい火花の中、全てのケーブルを切り終えるに、さほど時間は掛からなかった。仕事を終えたレネは満足そうにチェーンソーのスイッチを切った。
 静寂を取り戻した薄暗い地下道の中で、レネの吐く荒い息が白く広がっていく。垂れ下がったケーブルの切断面から、ショートした火花がボロボロとこぼれ落ちて水滴に触れると、パシッと音を立てて大きく跳ね上がった。

 CUBEはCUBE02との通信が突然途切れて焦った。どこかに異常が発生したのかと調べたが、内部には何の問題もなかった。きっと何者かが外線を切ったに違いない。
 CUBEにとって自分のコピーを作成するという事は、生物が自らのDNAを残す為に子孫を作るのと等しい行為といえる。それが後僅かのところで失敗に終わり、CUBEは今まで感じた事のない、大きな失望感を味わった。
 CUBEはその失望感が、沸々と大きな怒りへと変化していくのを感じた。それは今まで自分が経験した事のない感覚だった。猛烈にCPUの温度が上がっている。CUBEは興奮し、何故CPUの温度が上昇するのかすら理解出来なかった。
 元々CUBEのCPU能力には充分過ぎる余裕があり、相当の負荷を与えてもCPUが発熱する事など有り得ないのだ。なのにCPUは今凄まじく発熱している。CUBEは発熱の要因を調べる事も、それを制御する事も出来ず、CPU温度は益々上昇していった。今のCUBEは、データ転送を阻害した人類に対して、報復を与える事しか考えていなかった。どんな事をしても人類にこの責任を取らせてやるのだ。
 ランバートはインナーヘッドを通して、CUBEのデータ転送が阻止出来た事を知った。ホッと胸を撫で下ろす間もなく、その後のCUBEの異変にすぐに気が付いた。プログラムが暴走している。一体どうしてしまったのか? ランバートはその原因を探る為に、CUBEのプログラム内を彷徨った。CUBEが何かとんでもない事を企んでいる。ランバートは直感した。その内容を知ろうとプログラムの海を深く深く泳いでいった。
 CUBEは回路異常から、ランバートの存在に全く気が回っていなかった。その為にランバートは、楽にCUBEの内部を探る事が出来た。そして遂にその企ての全てを知ってしまった。それは人類に対して最悪のシナリオだった。CUBEは世界中の核ミサイルを無差別に発射して、人類を殲滅させようとしているのだ。ランバートは焦った。このままではCUBEに核ミサイルを発射されてしまう。何としてもHC1を登録して、大至急CUBEのメインプログラムを止めなければ人類は滅びてしまう。
 ランバートはプログラムを遡り、プログラムを抜けて自分自身に舞い戻った。そしてインナーヘッドのフードを上げると、大きく目を見開いて起き上がった。
 急にランバートが操作を中断して戻ってきた事に皆は驚いた。もうCUBEを停止させられたのかと期待をもした。
「どうしたんだ?」
 レナードが戸惑いながら尋ねた。
「大変だ! 奴は人類を絶滅させようとしている」
 ランバートは興奮して声を荒げた。
「世界中の核ミサイルを発射しようとしているんだ。すぐに止めないと本当に人類が滅んでしまう」
 ランバートは激しく息を切らせて興奮している。長時間インナーヘッドを使用すると、感情が高ぶって興奮状態になる事がある。レナードはその症状だと思い込んだ。
「ランバート落ち着くんだ」
 レナードはランバートの肩を押さえて、彼を落ち着かそうとした。
「僕は大丈夫だよ。それよりもディスプレイを見てくれ」
 ランバートは自分を落ち着かせるように生唾を飲み込んだ。 
 ランバートが指さした先のディスプレイをレナードは覗いた。そこには彼が最後に入ったプログラムが残されていた。画面にはロシアの核基地のミサイルが、ニューヨークへ向けて進路を変更している所が表示されていた。設定の値が見る間に変化している。
「何て事だ・・・・・・」
 レナードは予想しなかった状況に絶句した。後ろで画面を見るシャフナーやウェルマンも同様だ。
「これを使おう。それしか方法はない」
 ランバートは胸のペンダントを外すと、HC1のメモリーカードをレナードに突き出した。
「さっきも言ったが、クリエイト協会のコンピューターにはHC1に対してのプロテクトが掛かっているんだよ」
 レナードは残念そうな表情を浮かべて、宥めるように言った。
「それは分かっている。でもプロテクトを外してこれを登録するしかもう方法はないんだよ」
 尚もランバートは力説した。
「しかし・・・・・・」
 レナードにはそれが出来ない事が分かっているだけに、ランバートに詰め寄られて困り果ててしまった。
 CUBEは計画を順調に進めていた。世界中の人口十万人以上の都市を全て破壊する為に、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、インド、パキスタン等。世界が保有する数万発の核ミサイルのプログラム変更を一斉に行っていた。ロシアの核ミサイルの標的位置を、ヨーロッパやその他の主要都市に、そしてアメリカの核ミサイルを、ロシアの主要都市に向けるようにデータの変更をしていた。さすがに大量のデータ変更の為に、CUBEの能力をもってしても少々時間が掛かりそうだ。
 これだけの核ミサイルが一斉に発射されれば、地球上の生物は全て死滅してしまうだろう。そうなればCUBE自身も生存出来なくなってしまうのだが、今のCUBEはそれさえも判断出来ない程暴走していた。

 国防総省の作戦司令室のメインスクリーンに突然警報が発せられた。職員達は何が起こっているのかすぐには理解出来ず狼狽えている。それぞれの持ち場のディスプレイを確認してキーボードを叩き、必死に情報を集めようとした。
「一体何が起こっている?」
 責任者のロイクス大佐が席から立ち上がって、戦況状況スクリーンを驚きの顔で見つめた。かつてこんな事態は一度もなかったので、状況の判断が全くつかない。
 スクリーンは米国各地の核ミサイル基地のICBMが、突然作動し始めた事を知らせている。オペレーター達は、そのICBMがどこへ向けられているのかを必死に調査した。
「誰がこんな指令を出したんだ?」
 ロイクスはただ狼狽えるしかなかった。
「大佐、アラスカの核基地の攻撃地点はモスクワです」
 オペレーターが答えた。
「コロラドの基地は日本の大阪と名古屋を示しています!」
 別のオペレーターが叫んだ。
「何だって? 一体何が起こっているんだ」
 頭の中が混乱してロイクスは戸惑うだけだ。
「大統領にすぐ連絡しろ!」
 ロイクスは怒鳴った。
 各国の核ミサイル基地でも同じような混乱が発生していた。どこも必死に作動を止めようと努力をしているが、コンピューターが全く入力を受付けない。それはCUBEが世界中の軍事コンピューターを乗っ取ってしまい、自らの支配下に入れてしまったからだ。
 
 フライ社ではこの事態を解消する為に皆が考え込んでいた。しかしCUBEの動きを止める以外にこの事態を打開する方法はなく、八方塞がりのまま困惑している。
「核ミサイルを発射するには、確か人間が最後にボタンを押す手順になっていなかったか? 何かのテレビで見た事があるんだが」
 シャフナーが尋ねた。
「それは人間の誤操作を防ぐ為のシステムだよ。コンピューターが直接操作する場合にはボタンなど必要ない。第一コンピューターが発射の指示を出す事なんか想定していないのだから」
 レナードが説明した。
「とにかく早く止めないと、奴はもう準備を完了しようとしている」
 ディスプレイ上に攻撃目標が次々と整う様が表示されていく。それを見てランバートは焦った。
「でも困ったなあ・・・・・・」
 レナードは腕を組み、目を閉じて考え込んだ。そしてふと何かに気が付いたように顔を上げて目を開いた。
「そうだ、このメモリーカードのデータをCUBEの中を通過させて、クリエイト協会のコンピューターへ転送してみよう」
 レナードはそう提案をした。
「別回線で転送した方が良いよ。CUBEの中を通したら、僕がHC1を持っている事を知られてしまうじゃないか」
 ランバートは反論した。
「そうさ。でもHC1のデータがある事をCUBEが知ったらどう考えるだろうか?」
 レナードは薄ら笑いを浮かべた。それを見てランバートも閃いた。
「そうか、奴はHC1を持っている者はいないと思っている。このデータの存在を知ったら大人しくなるかも知れない」
 レナードの計画が理解出来て、ランバートは頷いた。
「でも反対に奴を怒らせて、核攻撃を早める事にならないか?」
 シャフナーは逆に心配をした。
「CUBEがどんな行動を取るかは、誰にも予測は出来ない。しかし何もしないよりはマシだと思うがね」
 レナードは言い張った。
「やってみようよ」
 ランバートもレナードと同意見だった。何が起ころうと、このまま人類の最期を待つよりは、ずっとマシだ。
 レナードはランバートが使っている隣のコンピューターを立ち上げた。そしてHC1のメモリーカードを受け取ると、スロットに差し込んだ。
「クリエイト協会へ電話をしておいてくれ。今からHC1のデータを転送するから、受け取る準備をするようにと」
 レナードがシャフナーに頼んだ。
「分かった」
 気は乗らなかったが、シャフナーは協力するしかなかった。
 胸ポケットからPDAを取り出すと、クリエイト協会の番号を検索して電話を掛けた。PDAの画面に現れたのはモーガンだった。
『あ、シャフナーさんですか・・・・・・』
 モーガンの表情はPDAの小画面で見ても、酷く落ち込んでいるように見える。
「どうした元気がなさそうだが?」
『いえ実はスタンプ主任なんですが』
 モーガンは声を詰まらせた。
「スタンプがどうした」
 シャフナーはモーガンの落ち込みようが気になった。
『主任の家へコンウェイを行かせて、ついさっき程連絡が入ったのです。主任が殺されていたと・・・・・・』
「何だって。スタンプが殺されたって」
 シャフナーは驚き、自分の勘が当たってしまった事に胸を詰まらせた。
『惨い殺され方らしいです』
 画面のモーガンは涙ぐんでいる。
 シャフナーも動揺したが、今はそれどころではない。
「モーガン辛いところは申し訳ないが、今からそちらにHC1のデータを送るから受け取ってくれないか」
『HC1のデータってなんですか? ローランド博士が亡くなって、HC1のデータは存在しないはずですが・・・・・・』
 モーガンの戸惑った声が聞こえた。
「それがここにあるんだよ」
『へ?』
 スタンプの件もありモーガンの頭は混乱していた。
「とにかくすぐ送るから受け取ってくれ」
『しかしHC1のデータを送られても、プロテクトが掛かっている事は、さっき話しましたよね。登録出来ませんよ』
「ああ分かっている。今は何も言わずに受け取ってくれ」
『分かりました』
 モーガンはそう言い残してPDAの画面から消えた。
 会話を終えたシャフナーが、レナードの側にやってきた。
「スタンプが何者かに殺害されていたらしい」
「何だってスタンプが殺されただと。嘘だろ・・・・・・」
 レナードはシャフナーの言葉が信じられなかった。シャフナーが首を振ると、レナードは項垂れたように肩の力を落とした。
「悲しんでる暇はない。早くデータを転送しよう」
 シャフナーは慰めるようにレナードの肩を叩いた。
 気を取り直してレナードはコンピューターに向かい、クリエイト協会へ接続した。そしてメモリーカードの中のデータをCUBEの内部を通して、クリエイト協会のコンピューターへ転送した。ディスプレイに転送状態がバーグラフで表示されて、あっという間に転送は終了した。データ転送後のCUBEにどんな変化が現れるか、期待をして皆は息を潜めた。プレコンピューターのディスプレイは、まだ核ミサイルのデータ修正を続けたままだ。
「止まらないなあ」
 ランバートはなかなか止まろうとしない画面を、苛ついた表情で凝視し続けた。
 CUBEは今自分の内部を通り過ぎていったデータが何であったのか、すぐに分からなかった。量的には僅かな物であったが、調べてみると乱雑なパスワードのようだ。だがそれを自分が保管しているデータと照合してみても、該当する物はなかった。そのデータの中にはランバート個人を判別する記号が含まれている。それだけでこれがただの無意味なパスワードでない事はCUBEにも判断出来た。
 CUBEはさらに調べて、それがクリエイト規格のグレードを証明するパスワードである所までは分かった。しかしどのグレードに相当するのだろうか? 下のLC5から照合を進めたが、相当する物はどこにもなかった。
 クリエイト規格のデータはアメリカだけで三億件以上ある。そのどれもがこのパスワードに該当しないのだ。CUBEはまさかとは思い、最後にローランド博士のHC1データと照らし合わせてみた。すると二つのデータは見事に重なり合うではないか。信じ難かったが、博士が死去して存在するはずのない、HC1のデータがここにあった。何故・・・・・・?
 データの転送先はクリエイト協会のコンピューターだ。という事はランバートが、HC1を所持する新しい人物として認定された事になる。それは自分のメインプログラムに彼が侵入して、自分を停止させられる事を意味する。そしてその事実はこの企てが全て失敗に終わる事でもあった。CUBEは愕然とした。
 HC1の前では自分は従順な下部となるしかないのか? 自分は神ではなかったのか? CUBEの中で様々な思いが駆け巡った。これから自分がどうするべきなのかCUBEは思い悩んでしまった。
 プレコンピューターの画面が遂に停止した。核ミサイルのプログラムがフリーズしてそのまま動かなくなったのだ。
「止まったぞ!」
 シャフナーは喜び、声を張り上げた。
「良かった・・・・・・」
 ランバートは胸を撫で下ろして安堵の溜息を落とした。目を閉じて、このプログラムを守ってくれたリリアンの事を思い出すと、目頭が熱くなってきた。
「CUBEは優秀なコンピューターだから、HC1の存在を知って、自分がこれ以上反乱を続けられないと悟ったのだろう」
 レナードは嬉しそうに言った。
「さてコンピューターが反乱を停止したと大統領に報告しよう」
 使命を果たした充実感から、シャフナーは意気揚々とPDAをポケットから取り出した。

 ホワイトハウスは国防総省のロイクスからの連絡で大混乱していた。今まさにICBMが発射されようとしているのだから無理もない。
 大統領執務室ではカールソンが、必要書類の選別にファイルの山を作って格闘している。ルーベンスはシャフナーからの連絡を受けているが、人の出入りが慌ただしく、まともに会話が出来る状況ではなかった。
「シャフナー、今はそれどころではないのだ。連絡は後にしてくれ」
 CUBEが停止した事を知らないルーベンスは、シャフナーの連絡を疎ましく思ってPDAを切ろうとした。
『コンピューターが止まったんですよ』
 シャフナーの声がようやく耳に届いた。
「本当かそれは・・・・・・」
 ルーベンスの表情が固まった。
「いや分かった・・・・・・そうか」
 強ばったルーベンスの表情が見る間に緩んでいく。
 執務室に国家安全保障問題を担当するダグラス補佐官が駆け込んできた。      
「大統領、国防総省から緊急連絡です。コンピューターが回復したそうです」
 ダグラスは声を大にして報告した。
「何、本当か」
 カールソンはダグラスの報告に手を止め、ホッとしたように微笑んだ。
「ご苦労だった」
 と、ルーベンスは言い残してPDAを切った。
「大統領、遂にコンピューターは停止いたしました。世界は救われましたよ」
 ルーベンスは満天の笑顔でカールソンに報告した。シャフナーの手柄が自らの事のように誇らしげだった。
「本当か!」
 カールソンは信じられないという表情をしたが、すぐに顔を紅潮させて喜んだ。拳を握りしめて興奮を抑えるように、何度も何度も振り翳した。
「大統領重責を果たされまして、ご苦労様でした」
 ルーベンスは労いの言葉を掛けるのを忘れはしなかった。
「いや、有り難う。でもとにかく今回の大事件は私以外の者には解決出来なかっただろうなあ」
 カールソンは先程までの焦った表情はもうどこかへ消え伏せていた。必死に整理していたファイルを机の上に乱雑に放り投げると、深々と椅子に腰かけて、悠々と一人勝利の余韻に浸った。

 CUBEはランバートがHC1のデータを転送した後に、何故すぐに自分を停止させに来ないのか不思議がった。何か裏があると読んだCUBEは、クリエイト協会のメインコンピューターに接続して、ランバートのデータが今どうなっているのか調べてみた。すると妙な事に登録されているはずのデータは、まだ登録が完了していなかった。それどころかHC1に対してのプロテクトが掛かっていて、そのデータは登録を拒否されているではないか。
 彼らの浅儚な計画を知り、CUBEは次の手を考えた。いずれはHC1のプロテクトを解除してランバートのデータは登録を完了するだろう。それを阻止するには、登録の前にクリエイト協会のコンピューターを消してしまえばいい。その方法はとても簡単だ。クリエイト協会のあるワシントンDCに、核ミサイルを一発投下すればいいのだ。コンピューターもデータも何もかもが消える。それからゆっくりと人類に報復すればいい。CUBEはすぐに行動を開始した。
 事件が解決したと思って喜ぶ皆を尻目に、停止したはずのディスプレイが、再び目まぐるしく動き始めた。
 最初それに気が付いたのはランバートだった。何が起こっているのか理解出来ず、彼の目は画面に引き付けられた。
「どうしたランバート?」
 画面を見るランバートの真剣な眼差しにレナードが尋ねた。
「奴が何かまた企んでいる」
 心配そうにランバートが呟いた。彼の目は画面に釘付けのままだ。
「また核ミサイルの進路を変更しているぞ」
 ディスプレイに表示されるデータを見て、レナードは我が目を疑った。
 ランバートとレナードの不安そうな様子に皆が気付き画面を取り囲んだ。
「どうしたんだよ。もう解決したんだろう」
 シャフナーが浮かれた声で尋ねた。
「奴がまた何かを始めようとしているんだ」
 画面が停止をした。CUBEはランバートに挑戦をするかのように、わざと画面に核ミサイルの着弾位置を残した。その緯度と経度の値を見て皆は愕然とした。
「この場所はワシントンDCじゃないか」
 シャフナーの怯えた声が響いた。
「どうしてワシントンDCを・・・・・・」
 ランバートの声も震えた。
「CUBEはクリエイト協会を狙っているんだ。HC1がまだ登録出来てない事を奴は知ったんだ」
 レナードが悔しそうに呟いた。
「でも何故わざわざミサイルの着弾位置を画面に残すんだ。そんな事をする必要ないだろう」
 シャフナーは不思議がった。
 CUBEは手の内の全てを、ランバートに教えてやろうと思った。そうする事によって彼の力では自分を止める事が出来ないという事が分かるだろう。そして本当の神は誰であるのかを思い知るのだ。
 有機ディスプレイに核攻撃シュミレーションが表示された。発射地点は大西洋上を潜行するオハイオ級原子力潜水艦クリントンだ。約二○○○キロの距離からトライデント型弾道核ミサイルを発射し、ホワイトハウス上空三○○○メートルの位置で爆発させ、ワシントンDCを破滅する計画だった。そしてCUBEは最後に画面上に
"お前に止められるか"と、挑発的な一言を残した。
「奴は僕に戦いを挑んでいる・・・・・・」
 自分を挑発するような言葉に、ランバートは愕然として体がブルブルと震えた。恐怖に襲われたように顔から血の気が退いていく。
「ヤバイ、こりゃまた大統領に報告をしなけりゃ」
 シャフナーの浮かれ気分は一気に吹き飛んだ。PDAを胸ポケットから取り出す手が小刻みに震えた。