「今日は君にこれを渡そうと思ってね」
輝くような金色の髪と黄昏時の紫碧の空の色を写し取ったような色合いの瞳の、背に純白の大きな翼を持つ神の使い−−天使ルシフェルに、シーヴァスは持ってきた物を差し出した。
「君のその髪に似合うのではないかと思ったのだが」
「まあ、ありがとうございます」
彼が差し出したのは名工の手による繊細な彫刻で細工の施された柔らかな翠色の翡翠の櫛。それを彼が知るどの女性よりも白くしなやかな指先でそっと受け取ると、ルシフェルは目を輝かせ感嘆の声を上げた。
「綺麗・・・・!」
彼の知る貴族の令嬢達なら、このような宝飾品の贈り物に対してはまず見た目よりもその品物の価値を値踏みしてくる。だが彼女は純粋にその細工と石の美しさに心引かれたようだった。手に持ったまま光にかざし、光を受けて翡翠がきらめき、彫刻を施した部分から光が透け色を変える様を、まるで子供のように目を輝かせうっとりと飽きることなく見つめている。
その姿はほほえましく、見つめるシーヴァスの口元に思わず笑みが浮かんだ。
「本当に綺麗ですね。でも、こんな綺麗な櫛で髪を梳かすのはもったいないです」
無邪気な彼女の言葉に、たまらずシーヴァスは吹き出した。
「ああ・・・・・・天使には髪を結う風習はないのかな? 貸してごらん」
彼女の手から櫛を取り上げると、手を伸ばし彼女の艶のある滑らかな金色の髪を軽く掻き上げ、その翡翠の櫛を髪に挿す。
「この櫛の場合は、こうやって髪に挿して飾るものだ」
「まあ・・・・・・」
突然シーヴァスに自分の髪を掻き上げられた事にルシフェルは驚きながらも、頬を染め嬉しそうにそっと指先で髪に挿した櫛に触れる。その天使の様子をシーヴァスは満足げに眺めていた。
が、嬉しそうな天使の姿を見つめる彼の眉が、不意に微かにひそめられる。
目の前の天使の姿に、どこか違和感を感じたような気がしたのだ。
彼の予想通り、彼女の輝くような金色の髪に柔らかな翠色をした翡翠の櫛は大変よく似合っている。たぶん、彼が知るどの女性よりもその櫛は彼女に似合っているだろう。だが、何かが違う。どこかしっくりいかない物を感じる。
掴み所のない違和感。だが、その感覚はどこか彼の不安を誘い、落ち着かない気分にさせた。
「シーヴァス、どうかしましたか?」
急に黙り込み、じっと自分を見つめるシーヴァスを不審に思ったルシフェルが声をかける。その声でシーヴァスははっと我に返った。
「・・・・・・ああ・・・・・・いや、君にあんまりよく似合うからつい見とれていた」
そう言って心中の思いを全く表に出さずにニッコリとルシフェルに向かって笑いかけると、たちまち彼女の顔が真っ赤になった。
「あ、あの本当にありがとうございます!! 大切にしますから!!」
その彼の笑顔に恥ずかしくなったルシフェルは、慌ててそう言うと逃げるように翼を羽ばたかせ天に舞い上がる。その後ろ姿をシーヴァスは複雑な思いで見つめていた。
それからしばらくの間、彼女に対して感じた違和感は小さなトゲの様に彼の心に引っかかっていた。
だが、いくら考えても、そのときの様子を思い返してみても、シーヴァスには一体何が、どこがおかしいのか全く掴むことが出来ない。
彼が贈った翡翠の櫛を金の髪に挿し、嬉しそうに笑う天使。
どこもおかしいことはない。
いつもと全く変わらないではないか。
そう思ってみても、やはりどこか違うような気がするのだ。
そのつかみ所のない違和感は、彼の心を落ち着かなくさせ、沸き上がる不安感に居ても立ってもいられなくなる。
そして、その謎が解けたのはそれから数日後のことだった。
「わぁ、綺麗・・・・・・!」
「ほう・・・・・・これは見事だな」
天使から事件の依頼を受け、彼女とともに目的地に向かう途中だった。
その森に足を踏み入れたとたんに目にしたものに、思わず二人の口からそれぞれ感嘆の声がこぼれた。
薄紅の山桜。淡い紫の房を作る藤の花。白い星の連なりを思わせる卯の花。鮮やかな黄色の山吹。中心をほんのりと赤く染めた林檎の花。濃い紫のライラック。足下には、優雅な鈴を思わせる鈴蘭、可憐な紫のスミレ、すらりとした茎を伸ばしている金蘭。
その他数え切れないほどの春の花々。
たぶん時の澱みの影響なのだろう。
時が止まったその森には様々な春の花が、一斉に花を付け咲き乱れていた。
それは木々の芽吹いたばかりの柔らかな緑の葉の色と相まって、見事な風景を作り出している。
「すごい・・・・・・素敵!」
ルシフェルはその光景に思わず声を上げ、はしゃいで木々の間を走り回った。
彼女の翼がおこす微かな風が木々を揺らし、揺れた枝からこぼれた花が彼女の上に舞い落ちる。
それを見た時、シーヴァスは稲妻を受けたような衝撃を覚えた。
先日、彼女に対して感じたつかみ所のない違和感の理由。その謎が全て解けたのだ。
彼の贈った櫛を髪に挿した天使の姿。
その時はその櫛は確かに彼女に似合っていると、そう思っていた。
だが、そうではなかった。実際には全く似合っていなかったのだ。
いや、似合うはずがないのだ。
神の領域の天界の住人に、地上の人間の作った装飾品などは。
なら・・・・・・
その思い気付いた時、シーヴァスの胸にズキリと痛みが走ったような気がした。
なら・・・・・・地上に生きる人間の傍らに、天界の住人を留めておくことは出来ないのだろうか。
人である自分の側に、永遠に留まって欲しいと願うのは・・・・・・
「シーヴァス? どうかしたのですか?」
不意に名を呼ばれ我に返る。
いつの間にか目の前に立ったルシフェルが、不思議そうに彼の顔をのぞき込んでいる。
「いや・・・・・・ちょっと考え事をね・・・・・・」
そう言うと、シーヴァスは身を屈め足元に咲いていたスミレの花を摘み取った。
柔らかな色合いの緑の葉と、可憐な形の紫色の花を付けた天上の神の手によって作り出された自然の造形物。人には真似することは出来ても、作り替えることは出来ても、決して生み出すことの出来ないその美しさ。
天上の神の手によって作られた人。
そして、その神の領域に属する、誰よりも大切で、誰よりも愛おしく、そして誰よりも側にいて欲しいと願う白い翼を持った天の使い。
それは罪なのかもしれない・・・・・・
決して許されないことなのかもしれない・・・・・・
だが・・・・・・それでも私は・・・・・・
「シーヴァス?」
再び彼女が彼の名を呼ぶ。
それに対し小さく笑うと、シーヴァスは手にしたスミレの花を彼女の髪に挿した。
思った通り、その花は彼女の姿にすっきりと違和感なく似合っている。
「やはり−−君には先日の櫛よりこの花の方が似合うな・・・・・・」
そう言って笑いかける。その彼の言葉と、彼が見せた柔らかな笑みにルシフェルの頬が赤く染まった。
その美しい天使の姿を、シーヴァスはどこか切ない思いで見つめていた。 |
さやぎの森のさやぎ様のHPのイメージが緑(森)なのでそのイメージで作り捧げてしまった創作
天に生きる神の眷属と神の創作物である人の差異を苦悩するというはずだったのですが
ちょっと苦悩が足りない気が・・・・・;
いずれもう少し掘り下げて別な形で書き直してみたいです |
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