彼が面会の場所に指定された街外れの空き地に来た時、そこにはまだ彼女の姿は見えなかった。
「早く来すぎたか・・・・・・」
苦笑つつシーヴァスは彼女の姿を求め空を仰ぎ見る。頭上の空は青く晴れ渡っていたが鳥の影一つ見ることは出来ない。それを確認すると彼は彼女を待つために側に立つ樹に寄りかかると何気なく辺りの風景を見つめた。
金色に輝く野原。
美しい茜に色付く木々。
今彼が居る場所、目の前に広がる世界は秋の季節を迎えていた。
だが彼は知っていた。
今の地上を巡る季節が偽りだと言うことに・・・・・・
堕天の呪いを受け止まった時の中。繰り返される同じ時、同じ季節。
けれど変わらない時の中、確かに変わっていった自分の心。
全て彼女に出会って知った事。彼女に出会って変わった事・・・・・・
「・・・・・・シーヴァス・・・・・・」
ぼんやりと目の前の光景を眺め自分の思考の中に沈んでいたが、不意に頭上から聞こえた美しく優しい声に天上を仰ぎ見る。
抜けるような青い空から、空の色とは対照的な白く大きな翼を羽ばたかせ、彼を勇者に選んだ金の髪と紫碧の瞳を持つ天使−−ルシフェルが舞い降りてくる。
口元に微かに笑みを浮かべ彼女を迎えようとしたシーヴァスだったが、彼女がその手に持っている物に目が留まり、ふと小さく眉を寄せた。
「遅れて申し訳ありませんでした、シーヴァス。あの、ずいぶん待ちましたか?」
フワリ軽やかに翼を羽ばたかせ音もなく彼の前に降り立ち、ルシフェルは申し訳なさそうに謝った。しかし、シーヴァスはそれに応えずにじっと彼女の手元を見つめている。
「・・・・・・あの、シーヴァス?どうかしましたか?」
黙って自分を見つめている彼にルシフェルは不思議そうに問いかけた。その声にシーヴァスははっと我に返る。
「ああ・・・・・・いや、何でもないのだが・・・・・・ ルシフェル、それはどうしたのか?」
「あ、これですか?ティアに頂きました」
自分の手元に視線を落とし、ルシフェルは微笑を浮かべた。
彼女が両手で大切そうに持っている物。それは艶やかに赤く色付いた一つの林檎だった。
「ティアの畑で穫れたそうです。あの……以前シーヴァスは果物がお好きだと言っていましたよね?良かったら召し上がるかと思いまして・・・・・・」
そう言うと優しい笑みと共にシーヴァスの方に林檎を差し出した。しかし、シーヴァスは差し出された林檎を受け取ろうとせず、何故か彼女が持ったままのそれをじっと見つめていた。その様子にルシフェルは戸惑い自分の手元と彼の顔を見比べる。
「あの・・・・・・ひょっとして林檎はお嫌いですか?」
「いや、そう言うわけではないのだが・・・・・・」
彼女の手元から目を逸らぬまま、彼は口元に小さく皮肉そうな笑みを浮かべた。
「ただ、天の使い−−神の眷属である君がそうやって林檎を持っている姿というのは、人が最初に犯した罪を見せつけているように思えてな」
「最初の罪・・・・・・ですか?」
シーヴァスの言葉に僅かに眉をひそめ考え込むように小さく首を傾げた彼女だったが、すぐにその答えに思い当たったらしく、納得したように大きく頷く。
「ああ、『楽園の林檎』ですね」
神が創りし楽園に実りし果実。
神が人に対して食することを禁じ、そして堕天使に誘惑された人がそれを口にしたことにより楽園を追放されるきっかけとなった、禁断の実。
「聖書にはあの様に記されているが、あれは本当にあったことなのか?」
「さあ・・・・・・」
ルシフェルは困ったように小さく首を傾げる。
「人の世にはそう伝えられていることは知っています。でも詳しいことは実は私もまだ知りません。私のような未熟な者にはまだ知ることが禁じられている歴史も多いのです。ですが、過去に人が堕天使の誘惑を何度も受けたことはあるそうなのですが・・・・・・」
「なるほどな・・・・・・だがルシフェル。楽園に住む人は、きっと堕天使の誘惑を受けずともいずれその実を口にしたことだろうと思うよ」
「え・・・・・・?それはどういう意味ですか?」
その言葉にルシフェルは不思議そうに問い返したが、曖昧な笑みを浮かべたままシーヴァスはそれに応えずに再び彼女の持っている林檎に視線を移す。
「それ、本当に私が頂いても良いのかな?」
「え・・・・・・?あ、はい、どうぞ」
慌てて彼に向かって再び両手で持っていた林檎を差し出す。しかしその動作は途中で止まった。
シーヴァスが差し出された林檎を受け取ろうとせず、彼女の手元に向かってかがみ込んだために・・・・・・
「シ、シーヴァス・・・・・・!?」
戸惑ったような声に構わずに、彼は彼女が両手に持ったままの林檎に顔を近づけると一口囓りとった。
そしてそのまま突然の彼の行動に呆然と自分を見つめている彼女の顔を見上げる。
自分を見つめる切なさとも苦しさとも取れる色を湛えた琥珀の瞳。それに魅せられたかのように彼女は動くことが出来ない。
見つめるその瞳がゆっくりと近づいてきても・・・・・・
そして彼の唇が彼女の唇にそっと触れた時も・・・・・・
とさっ・・・・・・
驚き、強ばった彼女の指先から林檎が滑り落ち地に転がる。
それはほんの一瞬、ただ触れるだけの微かな口付け。
けれど唇が離れても彼女は凍り付いたように動くことが出来なかった。
吐息が触れるほど近くで見つめ合う琥珀の瞳と紫碧の瞳。
動いたのは一体どちらが先だったのか・・・・・・それはたぶん永遠に解らない。
けれど気付いた時、二人はゆっくりと互いに引き寄せられるように再び唇を重ね合わせていた。
それは永遠とも一瞬とも取れる不思議な刹那・・・・・・
しかしその時を破ったのは彼の胸を突いた強い力。その衝撃にシーヴァスははっと我に返った。目の前には彼の胸を突いた姿勢のまま、呆然とした表情で蒼ざめ立ちつくす彼女の姿。
「ルシフェル・・・・・・?」
理由が解らぬまま微かに震えながら立ちつくす彼女に向かってシーヴァスは手を伸ばす。
しかし、伸ばされた手を恐れるようにルシフェルは彼を見つめたまま2,3歩後さじると不意に身を翻し背の翼を広げた。
「ルシフェル!!」
思わず引き留めるために彼女の身体を捕らえようした。しかし、その手を擦り抜け、逃げるように彼女は天に飛び立った。
・・・・・・私・・・・・・私今一体何を・・・・・・?
天高く羽ばたきながら、ルシフェルは未だ震える指先で恐る恐る自分の唇に触れた。
唇に微かに残る林檎の香気。
そして、それより遙かにはっきりと明確に残っている彼の唇の感触。
一体何が起こったのか解らなかった。
初めは思っていた。いつもの彼の悪ふざけだと・・・・・
けれど、彼の怖いぐらいに真剣な眼差しに捕らえられたように動けなくなって、そして気付いた時には吸い寄せられるように唇を重ねていた。
・・・・・・そう、あれはたぶん彼のいつもの悪ふざけ。私をからかうための・・・・・・
なら、あの時の彼の眼差しの意味は?
それを思い出すだけでどうしてこんなに胸が苦しいの?
唇に触れていた手をぎゅっと握りしめる。強く強く、爪が手のひらに食い込むほどに・・・・・
頬に伝わる冷たい感触に、初めて自分が泣いていることに気付く。
胸が痛い。彼のことを考えるだけで、切なくなるほど心が苦しい。
「だめよ・・・・・・だめだわ・・・・・・だって、だってあの人は・・・・・・」
彼女が逃げるように飛び立った空をじっと見つめ、シーヴァスは小さく溜息をついた。
視線を落とすと足元に先ほど彼女が落とした林檎が転がっているのが目に入った。
拾い上げ、じっとその林檎を見つめる。
天使−−天上に住まう、世界を人々を作り出した神々の使い。
人とは違う背に白く大きな翼を持つ天上の住人。本来ならば人である自分が決して出会うことがないはずの存在。
手に届かない存在だから惹かれたのか、彼女だから惹かれたのか・・・・・・今となっては解らないけれども……
それでも、今の自分にとってかけがいのない存在、それは事実。
「残酷なものだな・・・・・・今も昔も神という存在は・・・・・・」
皮肉げに呟き林檎を囓る。
口腔に広がる甘く、そして酸味を帯びた林檎の味。
それはきっと罪。人の身でありながら天上に生きる神の娘を望むのは……
けれど知ってしまった。けれど出会ってしまった。
禁断の果実。
誘惑の味。
その味を知ってしまえば、もう戻ることは出来ない……
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渡部様よりのキリ番リクエストによる創作です
頂いたのは「秋の甘々なお話」というリクエストだったのですが・・・・・・・
何処が甘々やねんっっ!!痛すぎるわっっ!!
いえ・・・・・・初めはちゃんと考えていたんです でも、
「秋と言ったらやっぱりアップルパイよねぇ、アップルパイ・・・・・・林檎・・・・・・エデンの林檎・・・・・・」
と考えていったらいつの間にかこんな話に〜〜っっ!!
はぅあ〜〜っっ、ごめんなさい〜っっ!!
処で余談ですが、この話ついうっかり母に読まれてしまった・・・・・・ごまかすのに苦労したわ(冷や汗&滝汗) |
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